第66話 不運の連鎖と命の価値

 ネブロシルヴァ西門における騒動で、冒険者用入口のみならずその他の入り口も業務が停止しており、やってきた騎士達が強制的にそれを進行させようと対処に追われている。

 ただし無数の警備兵が、地面に倒れながら苦痛に呻く地獄絵図が展開される冒険者用入口の時間は、それでも停止したままだった。


「す、すまない。もう一度聞くが一体何があったのだ」


 一度目の言葉に対してクロムが答えなかった事で、更に様々な疑念を抱いてしまったレオントが再度クロムに問い掛けた。

 クロムはトリアヴェスパの3人を背後に置く形で、レオントに身体を向ける。


「どうやら俺のこのプレートは思った以上に信頼が無いらしい。偽物と判断した警備隊長らしき人物が俺を連行しようとした」


 レオントの顔が一気に青褪める。

 オランテ伯爵からの厳命が記された指令書は、クロムの特徴とランクの情報も含めて昨日の段階で既に騎士団以下、治安維持部隊、警備部隊も含めて送られて、その内容も通達していたはずだった。


 ― 何がどうなっている!?しかも警備隊長以下の一般警備兵までも一部動いているではないか! ―


 レオントが焦りを隠さずに状況を整理している中で、クロムが言葉を続けた。


「ただ俺の連行に関しては、警備兵としての権限とその職務内容から致し方ないと俺は容認している。問題とは思っていない」


「だとしたら何故このような...いや、一体警備兵が何をやらかしたのだ...」


 レオントは主の厳命を守れなかったという、己に対する失望感に溺れそうになっていた。

 そしてクロムが理由無く力を振るう人物では無い事を知った上で、原因は完全に警備兵側にあるとレオントは確信している。


「この俺の処遇を問題視した同行している冒険者の一人が、警備兵に対し意見を述べた。それが起因し同行者も連行するという決定が下されたが、その際に警備隊長がその冒険者に対し、尋問に併せて暴行もしくは性的暴行を加えると予想される発言を行った」


 レオントはその言葉を聞いて、愕然とした。


 ― 愚か者共が...冒険者と一般兵との間で根強い軋轢はある事は知っているが、ここでそれが影響するとは...何という事だ! ―





 冒険者と警備兵等の兵士の出身の殆どは共通して一般人であるが、その理念や思想で大きく違いがあった。


 自由を掲げ、己の力を信じ魔物と戦い生きる糧を得る、その結果として弱者を守る冒険者。

 その目線は常に民と同じ。

 一方で、騎士の配下として法と秩序を守り、その信条の元に弱者を守る義務を持つ兵士。

 その理想は騎士と共に。


 同じ目的を目指しながらも異なる思想を持った二つの武力は、しばしばその価値観の違いにより衝突する事があった。

 表向きは協力体制を取ってはいるが、互いの陣営内で根強い思想教育が施された少数派が水面下で対立しているのが現状である。


「俺の中でが、その警備隊長の言動に関しては看過出来ない。よってその冒険者を守る為に実力行使に至った。その責任を俺に問うならそれも構わない。だが、その警備隊長に下される裁定の内容によっては、俺はそちらの評価を大きく見直す事になる」


 心情的に追い込まれているレオントは、クロムの最初の言葉に関して全く気にも留めていない。

 それよりも今後に控えている重大な局面を前に、クロムが伯爵側の評価を見直すという発言は彼を大いに焦らせる。

 失態の責任を部下である警備兵に取らせるという行為は、騎士として上司として褒められた事では無いと理解はしているが、今回ばかりはレオントも怒りと失望で部下を心の中で責め立てた。





 そこにフィラの声が割って入る。


「ちょっと待って!クロさんには何の責任も無いわ!処罰するなら代わりにアタ」


 その時、クロムの黒い右腕が勢い良く横に振り払われ、彼女の言葉を遮る。

 フィラの言葉が途中で潰された。

 その勢いで跳ね上がった外套の端が、フィラの身体を柔らかく撫でながら彼女の視界を黒く覆う。


 この場において、安易な身代わりを容認する発言をクロムは許さない。

 救われるという事を必要としない絶対強者のクロムに対して示される自己犠牲の精神は、無価値であり、それと同時に無意味でもある。


「フィラ、今の発言も同じく看過出来ない。レオント、この3人の冒険者に対し、今後この騒動が起因する不当な扱いや言動も一切俺は認めない。それがどのような組織であっても例外は無い」


 クロムの右手には、鎖が引き千切られた爪痕付きのランク4層スプラー・メディウムのプレートが握られていた。

 そしてクロムがほんの僅かに力を込めると、そのプレートが軋んで悲鳴を上げる。

 冒険者のみならず、強さを追い求める者にとっては栄光に等しい光を放つ強者の証。

 そこに刻まれた何者にも縛られないという意思を表す爪痕。


 そのプレートすらもクロムにとっては只の金属片に過ぎず、敵であればそれが例えどのような者であっても、分け隔てなく暴力を行使するという強烈な意思。

 レオントには、そのクロムの手により握り潰されようとしているプレートが発する悲痛な悲鳴が、自分に助けを求める弱者の悲鳴にすら聞こえた。

 そしてクロムを相手にして、その選択を間違えた自分達の末路を示す悲鳴なのだとも思えた。


 思考が停滞したレオントに一人の冒険者の声が飛び込んで来た。

 フィラが背後からクロムの外套を跳ね除けて前に出て来る。


「ダメ!クロさん、それを潰しちゃダメ!お願い...それを潰さないで。潰したらクロさんは冒険者じゃなくなっちゃう。強さも立っている所も見えている景色も、アタシ達とは全然違うって事は分かってる...でもお願い...クロさんは冒険者として...そこに居て欲しいの...これからもずっと...」


 俯いたフィラから消え入りそうな声が零れ落ちる。

 その彼女の両手は、触れる者を全て斬り裂いてしまいそうなクロムの右手に添えられていた。

 このままクロムがプレートを握り潰せば、彼女の小さな手も潰れてしまうだろう。

 風に流された黒い外套が抱き込むようにフィラを覆う。


「そうだぜクロムさん、俺達冒険者からすればあんたは究極の自由人なんだ。冒険者の生き方そのまんまの人なんだよ。たから辞めてくれるな。俺からも頼む」


「クロムさん、もうちょっとだけ冒険者続けません?まだ冒険者になって1カ月も経ってないですよ。もしかしたらこれから先、良い事あるかも知れませんし...」


 ロコが屈託の無い笑顔で、ペーパルがいつもの様に遠慮交じりの微笑でクロムに声をかけた。

 クロムはレオントの反応を見る為に、その手の力を一旦緩める。

 もし下された決定次第では、彼らの評価を最低まで落とした上で敵対勢力として認識する事もクロムは辞さない。




 レオントはそのクロムの行動をみて、あくまで通常の人間側として解釈した。

 それは誤解という言葉にも言い換えられる。


 ― 連れ立っている冒険者が彼を止めた?仲間意識なのか?それなら懐柔とはいかなくても、一定の友好関係は築ける可能性もまだ捨てきれない ―


 このレオントの誤解は彼の中で都合のいい方向に一筋の光を見せ、この時点で1人の愚かな警備隊長の価値と、今後のクロムとの関係性を構築する価値の差を一瞬で明確にした。

 1人の命よりも主の利益を優先する騎士の決断は早い。


「今回の騒動の原因となった警備隊長は、周囲と関係者の事情聴取の上でそれが事実と判明した場合、オルキス領治安維持法に基づき、その一切の権限と地位、人権を剥奪する。領主命令に背いたとして反逆罪を適用し、加えて職権乱用及び暴行未遂、騒乱罪にて即時拘束する」


 未だ血の泡を吹きながら仰向けで痙攣している警備隊長に、冷たい目を向けながら処遇を言い放つレオント。

 沸き起こる周囲のざわつきにも一切表情を崩さず、更に険しい表情で言葉を続ける。


「オルキス近衛騎士団2番隊 隊長 レオント・アルピーヌの名において、裁定はこの場において行い即日結審、それにより罪状が確定した場合、被告人を第2級犯罪人として処断する。刑罰は治療無しの延命措置を施した上で、公開処刑場にて3日間の晒し刑、その後、ネブロシルヴァより永久追放、未開発領域における強制開拓従事とする」


 レオントの下した刑罰の内容は、事の裏側を知らない周囲にとっては騒動に対しての処断としてかなり重いと思われた。

 しかしながら、今回は領主命令に対する反逆罪の適用の影響が非常に大きい。

 しかも今回の領主命令は重要度が非常に高い為、これに反した場合に降りかかる刑罰は通常の反逆罪とは比べ物にならない。


 警備隊長にとってはまさしく不運の連鎖である。


「そしてこの警備隊長の命令に従い行動を起こした警備兵は、1カ月の刑罰鍛錬を課す。尚、治療は慈悲により行うがその費用は罰金として、その金額と同等の無償労働で支払う事」


 この懲罰鍛錬とは、その期間中、常に首から名前と罪状の書かれた木札を掛けた上で、騎士すらも泣いて逃げ出すと言われる地獄の鍛錬を強制する物。

 更にはその間に掛かった衣食住の費用もその後に請求され、期間中の逃亡行為は即解雇、加えて敵前逃亡と同等の罪が適用される。


「これが現段階で出来るこちら側の判断だ」


 処遇の言い渡しの後、一息置いてレオントはクロムに言った。

 クロムはプレートを握る手から完全に力を抜き、ゆっくりと手を下ろした。


「了解した。後はこちらの要求をどう判断する?」


「今回の騒動における、クロム殿に同行していた冒険者の行動もその他一切を不問とし、今後それに起因する不当な扱い、言動を固く禁止する」


「それも了解した。こちらは以後、この件に関して一切の要求を行わない。多少こちらにも問題があった。ただしそれはこちらの罪の意識では無く、刑罰の酌量にならない事を明言しておく」


 レオントはクロム側の問題に関して疑問を持ったが、今回の騒動において最善の着地点を作れた事もあり、その疑念もすぐに掻き消された。


 クロムの言う多少の問題と言うのは、全てクロム自身のプログラムの暴発という意味になる。

 しかし警備隊長の態度や言動に対して感情的になっていたとは言え、暴言を吐いた自覚のあるフィラは、そのクロムの言った“多少の問題”に自身の言動が含まれていると考え、暗い顔でその身を包むクロムの外套を両手で掴んでいた。

 クロムの外套の中で反省するフィラ。


 その軽率な言動を行ってしまったフィラに対する罰は、後日、意外な形で執行される事になるが、この時はまだ誰も知る由は無い。






 丁度その頃、ラプタニラ東門から馬車に乗って街を離れるデハーニとティルトが居た。

 クロムの取り巻く状況とは正反対の、平和な時間が流れている。


「ゴライアさんとテオドさん、すごく良い人達でしたね」


 笑顔のティルトが覗き窓から外の風景を見ながら、隣で座るデハーニに話しかけた。

 魔道具の効果で温度調整が効いた木造りの馬車は、値段は張るが快適な旅は約束してくれる。


 窓から舞い込む風がティルトの絹のような光沢を持つ金髪を揺らしていた。

 その風の仕業に目を細め、気だるげな微笑と共に髪を指で拭うティルトの顔を垣間見た、近くに座る同乗者の若い商人。

 ティルトは無自覚に若い青年の心をこれでもかと揺さぶっていた。


 青年が持った小さい邪な感情を察知したデハーニだったが、今に始まった事では無いと思いながら、ティルトの言葉に答える。


「まぁな。あいつと裏表無しで付き合えるのなら、少なくとも腹に一物抱えた悪党では無いだろうな」


「もう何か捻くれた言い方ですね。あの人が認めた方々なんですから大丈夫ですよ」


「お前のそのあいつに対する信頼感は何なんだ一体...」


 そう言って、デハーニは自身の積載能力を一気に追い詰めた荷物に目を落とす。


 当初はティルトが持つと言って聞かなかった黒い背嚢。

 ただそれを持ったティルトには文字通り荷が重く、膝が笑っていた。


 背嚢と言うよりは、腰にベルトで固定し、腰の後ろに配置されるように設計された大型ポーチである。

 街で尋ねたゴライアが、クロムの依頼で特注で作成したが渡す機会が無かったと言ってデハーニに渡していた。

 どういった素材と構造かはわからないが、手に取ってその重さに驚いたデハーニは、それが恐ろしく丈夫な代物である事を感じた。

 明らかにその大きさに対して、重量が釣り合っていない。




 到着した初日に宿屋で一泊した2人は、街の朝市が活気に溢れる中を歩きゴライアの鍛冶所へ向かった。

 対応した店番のテオドにティルトは何処か自身とよく似た雰囲気を感じ、その場で打ち解けて会話を弾ませる。


 デハーニは、運良く鍛冶所にいたゴライアに会うと大雑把であるがクロムのそれまでの軌跡の話を聞いて、またしても、何やっているんだアイツはと漏らす。

 ゴライアはそのデハーニの反応を見て大笑いしながら、クロムに関する印象や出会うまでの経緯を話し、現在は冒険者登録を行い、ランク4層スプラー・メディウム冒険者として、3人の冒険者と共にネブロシルヴァに向かっているとデハーニに教えた。


 デハーニはそのゴライアとクロムのこれまでの関係性を理解し、内部事情は隠したまま、クロムと2人がネブロシルヴァに向かう目的を彼に伝える。

 ゴライアもデハーニの纏うどこか歪な雰囲気を感じ取るも、傍にいるテオドと打ち解けたティルトを見て、余計な詮索はすまいとそれ以上の追及は避けた。


 デハーニはゴライアの放つ戦士の気配に最初は驚きはしたが、自身に良く似た、何かを一度諦め、新しい物を見ている独特の雰囲気を感じ取っている。

 そしてテオドにも、どことなくティルトに似た一般人には無い物も持っている雰囲気を僅かながらに見ていた。





「爪痕付きのランク4層スプラー・メディウムを新人冒険者とは言わねぇがな」


「ますます凄みが増すとは思いますけど、あの人の事ですから何の興味も未練も無しにある日突然、あっさり冒険者辞めてしまいそうですね」


「まさかと言いたいが...あいつの場合ありそうなんだよなぁ。まぁランク4層冒険者がいるなら、これからの対談も大分有利に進められるな。運が良いと考えるか」


「張り切るのは良いですけど、あの人を呆れさせるような強引な交渉はダメですよ」


 青い瞳で隣のデハーニを捉えながら、ティルトが釘を刺す。


「わーってるって。心配すんな。文句の1つ言えたらまずは成功だからな。内情も探って、ついでに“契約”の事も良い方向に進められたら万々歳だ」


 そう言って、デハーニは目を閉じて馬車の揺れに身体を預けた。

 ティルトもそれに合わせて目を閉じて、意識内でを始めた。


 そしてデハーニの存在によって、ティルトに声を掛ける事が出来なかった商人の青年は、浮ついた心を必死に平常心に戻そうと帳簿の確認をし始めるのだった。


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