第64話 武器狩り冒険者と胡蝶蘭

 騒動を遠目から目撃し、歩みを止めていた旅人や商人、冒険者達が恐る恐る通り過ぎていく中、街道脇で話し込む騎士と冒険者達。


 クロムはレオントから元ハルバードを受け取ると、片手で軽く上下に振り、その硬さを確認していた。

 前回の歪んでしまった槍と比べて、手に残る感触や重量が大きく違う事を感じ、ゴライアとの話で出た素材の差を思い出すクロム。


「この柄の素材は魔鉄か?ここまで重いと扱える者もかなり限られてくると思うが」


 クロムが平然と木の枝を持つように振っているのを見て、レオントは頬を引き攣らせながらも答える。


「そこまで特別な物では無い。近衛の様な上級騎士団ではどこも普通に支給されている物だ。これは俺の要望もあって、魔鋼製で耐久性重視の魔力改変鍛造を施している。ただその分、魔力親和性等を犠牲にしているから少し扱いが難しくはあるが」


「うわぁ、魔鋼製を普通に支給するって近衛騎士団ってやっぱすごいわね」


「その柄だけでも俺の大斧よりも重かったぞ」


 ハルバードを拾ったロコが、背中に担いでいる魔鉄製の大斧を親指で刺しながら言った。

 この大斧でも重量は一般の成人男性程の重量がある為、それ以上の重量を誇るこのハルバードを使いこなすレオントもまたかなりの実力者である。

 因みに魔鉄製のロコの大斧でも、新人冒険者の年収の額でも到底買えない程の武器であり、ロコ自身この武器を手に入れるまでにかなり苦労を味わっている。


「いくら憧れの魔鋼製でも扱えなきゃ意味ないからな。身の程にあった武器が一番だ」


 ロコがそう言って、大斧の頭をコンコンと拳で小突く。

 運良く成り上がった冒険者が背伸びして魔鋼製の武器を買い、扱いきれずに死んでいく事が多い冒険者界隈。


 ― 魔鋼製の武器を持った奴をパーティに加える際には、最優先で実力を疑え ―


 これが冒険者の中では有名な言葉だった。





「少し振らせて貰う。離れた方がいいかもな」


 そう言ってクロムは元ハルバードを右手で握り、その場から少し歩いて離れるとおもむろにそれを振りかぶり、全力で振り下ろした。

 空気が瞬間的に潰される。

 ボンというちょっとした大砲の様な音が鳴り、振り下ろした先にあった雑草達が恐怖で身を屈めるように放射状に倒伏した。


 クロムはその振りでも歪みが出ない事を確認すると、今度は右手首のスナップを効かせながら上下左右に次々と振り回す。

 空気が潰されて、斬り裂かれる重い音が連続で聞こえ、離れていた場所にいる冒険者と騎士はその音だけで僅かに構えを取ってしまう程。

 地面の草達は頭上で振り回される金棒の余波で、揉みくちゃにされ無残にも千切れ飛ぶ。


 そして、満足した様子で戻ってくるクロムを無表情で迎える4人。


「今、五体満足で生きている事を神に感謝したぞ」


 レオントは自身の身体を再確認して安堵の息を漏らしていた。


「でしょ?この人に戦闘で関わった人は、多分、一度は心を壊されると思うから」


 フィラが何かを悟った様な顔で空を見上げている。


「レオント、これの譲渡は可能か?もし手続きが必要なら用意して欲しい。対価も必要ならば物によっては用意する」


「そうだな...出来れば、後ほど騎士団名義で簡単な譲渡証を渡すから、そこに一筆頼む。閣下との対談の時で構わない。対価は要らない。戦いに負けた相手に壊れた武器を譲渡して、対価を受け取った日にはもう俺は騎士として生きていけん」


 そういって苦笑を浮かべるレオントが、更に言葉を続けた。


「対価と言うのであれば...出来ればで良い。伯爵閣下の力になって欲しい。可能な限りで構わない。命令では無く強制でも無い。俺の極めて個人的な“願いだ”」


 そう言って、クロムに頭を下げるレオント。


「伯爵に伝えておいてくれ。先程も言ったが、俺は現状において誰の命令も受けない。そして俺は敵意には敵意をもって、武力には暴力をもって対応する。それがどんな相手でもだ。その上で俺の意思と判断で行動する」


「...わかった。必ず伝えておく。それとそのハルバードはこの場で譲る。それが我々に向かない事を切実に願っている」


 そう言って、レオントは背を向けて歩き出すと、今も大人しく草を咀嚼しながら待機している騎馬に向かい、頬をひと撫でするとその背に乗った。

 そして、手綱を操りクロム達の横に付ける。


「ネブロシルヴァの冒険者ギルドに通達を出しておく。まずはそこに向かって欲しい。滞在場所はこちらが準備しておく。今はそれだけで十分だ。邪魔をして悪かった。後の3人も詫びとして何らかの形で対応させて貰う。ではさらばだ」


 馬を転回させて、ネブロシルヴァの方面に向き直ると最後に付け加えた。


「そういえばピエリス騎士団長も貴殿を高く評価していた。何があったかは知らないが騎士団自体の雰囲気も変わっていたな。機会があれば顔を出してやってくれ」


 そう告げて、騎馬に拍車をかけるとレオントは街道を駆けて行き、やがて見えなくなった。




 それを見送っていた4人だが、急にフィラがしゃがみ込んで溜息を吐く。


「疲れた...ちょっと休憩しない?もう色々あり過ぎて今動きたくないわ。お尻も痛いし」


 そういってクロムをジト目で見るフィラ。

 クロムはそれを無視するように、今からやりたい作業に対して3人に協力を申し出た。


「少し協力して欲しい。このハルバードの反対側を強く握って持っていて欲しい。やってくれるか?」


「うん。全然いいけど...何やるの?」


 トリアヴェスパの3人は特に意見を合わせる事無く、それを快諾するとクロムが差し出したハルバードの端をそれぞれ握る。


「よし。そのまま抜けないように頼む」


 クロムがそう言うと、右手で3人が持っている箇所のすぐ近くをかなりの握力で握り込み、左手は可能な限り離れた位置を同じく握る。

 そして右手を、時折捩じりを加えながらスライドさせていった。

 ゴリゴリという音を立てながら、柄の表面をクロムの掌が金ヤスリの様に削ぎ取っていく。

 その表面に施された意匠や塗装にも魔力が籠められている為、色の付いた金属粉に混じって魔力もこそぎ取られて空中に霧散していった。。


「うわぁ...アタシ手だけで人を初めてみたわ...」


「初めて以前の問題と思うがな...」


「もう驚きませんよ...」


 それでも柄を握る手の力は緩めず、頼まれた仕事を全うしながらも、3人は呆れを通り越して、引いている。

 何度かそれを繰り返していると、その柄は全体で地金が露わになり一部では剥き出しの地金の表面に酸化のようなが始まっているのか、薄紫色の錆びの様な物が浮かび始めていた。


 この錆びのような物は、大気中に存在する魔素が魔鋼と反応して結晶化したもの結晶錆びと呼ばれている。

 ただ結晶とは言え不純物を多く含む為に価値は全く無く、この世界の武器全般は魔素の結晶錆び防止剤等を塗布している事が多い。

 特に鞘に納める武器は、放っておくと完全に固着して抜けなくなる為、必ず防止剤が必要だった。

 勿論、酸化による錆びも存在してる。


「結局、全部剥かれてしまったわね。確かに棒だわ、うん。それで綺麗な柄を何でまたこんなにしちゃったわけ?」


 良くわからない納得を得ながらも、フィラがクロムに疑問をぶつける。


「どう対応しても騎士という生き物の邪魔は入りそうだからな。これもそのまま持っていれば色々と憶測で突っ込んでくる奴もいるだろうと想定した」


「なるほどね。確かに他の騎士それを見たらどうなるかって簡単に想像出来たわ。でもこれはどうするの?」


 フィラはそう言って、石突に付いている金色の小物を指差した。

 そこには騎士団の紋章が彫り込まれた金属パーツが付いており、一際目立つ輝きを放っていた。


「面倒だな」


 クロムは一言呟くと、右手でそれを握り、そのまま捩じり取った。

 何かが潰される音が聞こえ、そしてクロムの開かれた掌の上には、原形を留めていない紋章が空しく揺れている。


「これあの騎士さんの前でやんなくてよかったわ」


 フィラが手を額に当てて、小さく声を零した。






 レオントは街道進み、止まる事無くネブロシルヴァの西門を通過し、騎馬を休み無しで走らせた。

 本来であれば、騎馬を労わって一度は門付近の休息所にて脚を止めさせるのが普通だったが、レオントは主である伯爵への報告を最優先とした。


 ― これはいち早く伝えねば駄目だ。対応を間違えれば最悪の事態になりかねない。ピエリス騎士団長、君の意見は正しかった ―


 レオントは若干の焦りを覚えながら、半ば要塞化されている伯爵邸の門を潜った。

 息の荒い愛馬を労い、待機していた馬番に預けると早々に邸内に居た執事に伯爵への報告の為の面会を願い出る。

 1階のロビーで待機していると、侍従の一人がレオントを迎えにやって来た。


「レオント騎士隊長様、伯爵様がお呼びです。どうぞこちらに」


 深々と頭を下げた侍従の案内で、豪華な装飾が施された両開きの扉の前まで連れられる。


「伯爵様、レオント騎士隊長様をお連れしました」


「入れ」


 失礼致しますと侍従は一言断りを入れて、静かに扉を開いた。


「レオント・アルピーヌ、閣下に報告に上がりました」


「ご苦労だった。レオント以外は席を外せ」


 閣下と呼ばれた壮年の男は、片手で合図すると側用人達はすぐさま部屋から退出する。

 僅かな衣擦れの音が遠ざかり、部屋は異様な程の静寂に包まれた。


 ペンを置き、書類が幾つか並んでいる執務机から離れ、ソファーに身を預ける伯爵。

 その顔には長らく張り付いて取れない疲れの表情が浮かんでいた。


 オランテ・ファレノプシス・ソラリス・オルキス伯爵。

 直系では無いものの王家の血筋を引く家系としてソラリスの名を受け継ぐ、テラ・ルーチェ王国上級貴族の1人。

 胡蝶蘭の花を紋章に掲げるファレノプシス伯爵家現当主である。


「それで件の冒険者とは接触は出来たのか?結果報告とお前の率直な意見を聞かせてくれ」


 レオントはソファーに座るオランテに向き直り、そのまま報告を続ける。


「はい。まずその冒険者を急ぎこちらへ招聘する事は叶いませんでいた。この失態の罰は如何様にも」


「構わん。続けろ」


 ファレノプシス伯爵家は建国当初から今に至るまで、諜報機関として暗躍し続けてきた家系である。

 オランテ自身も徹底して無駄な行動を嫌い、無意味な処罰は決して行わない。

 任務失敗に対する処遇に対しても、得られた結果次第ではそれを失敗と見做さない合理性を持ち合わせていた。


「その冒険者クロムですが、間違いなくランク4層スプラー・メディウムの実力者、もしくはそれ以上かと。ただし帰還したピエリス騎士団長の言葉の通り、決して飼い慣らせる者ではございません。あまりにも危険過ぎます」


 レオントは続けて、クロムの提案で模擬戦を行い、遊ばれた上で完膚無きまでに敗北した事、そしてクロムが伝えろと言った言葉、それらをそのままに伝えた。

 オランテ伯爵は情報に余計な飾り立てや表現を加える事を特に嫌っている。

 情報の精度が著しく落ちるからだ。


「暴力をもって...か。そこまでの冒険者なのか。しかし一切の命令を受け付けない怪物となると厄介だな。それを一緒に寄こすとは。デハーニは今回の件に関して、相当に腹に据えかねているという事か」


 オランテは顎に手をやり、思案を巡らせる。

 レオントはデハーニという人物の名前は知っているが、それがどのような人物なのか、オランテとどのような関係があるのかは知らない。


「レオント、単刀直入に聞く。その者を必要に応じて抹殺する事は可能か?」


 害があるなら消す。

 オランテの眼から光が消えた。


「恐れながら、それは現状ではまず不可能かと。失礼ながら一介の騎士隊長としての意見を言わせて頂くと、オルキス近衛騎士団全軍で挑んだとして、あの者に勝てる未来が私には見えません」


 間髪入れずにレオントはその言葉を否定する。

 本来、主の言葉を否定する等はあってはならないとレオントは考えているが、この件に関しては、例え不敬であろうとも否定しなければならかった。


 伯爵家直轄のオルキス近衛騎士団は、領内のみならずテラ・ルーチェ王国内でも屈指の強さを誇るオルキス領内最高戦力である。

 テラ・ルーチェ王国王家の直轄騎士団である王家近衛騎士団煌花筆頭ソラリス・ユースティティアエの次席としての評価も受けていた。


「そこまでか。ピエリス騎士団長が単機で国家を渡り合える戦力と言っていたのも、乙女の世迷い事では無いと?ピエリスが持ち帰ったあの魔力結晶も、その冒険者から譲られたと聞いているが」


「それに関しましては、ピエリス騎士団長の感じている恩義に影響を受けた過大評価も疑われますが...それでもその可能性が有ると考えた方が宜しいかと。しかもその性質は強さに慢心した獣ではありません。あれは間違いなく理性と知性を持ち合わせた怪物です」


 レオントの言葉を聞いて、オランテは小さくため息を付くと、机のガラス製の水差しからグラスに水を注ぎ、一口唇を濡らす。

 柱時計の歯車と振り子が奏でる音が、執務室内に響いていた。


「それであれば他意を持たず、無駄な刺激しなければ良いという事だ。まず懐柔は不可能と見て間違いあるまい。その報告だと明後日には到着するであろう。それまでに対応に間違いが無いよう徹底しておけ。私からも根回しに何人か動かす。それと万が一の為に全騎士団に緊急招集に備えよと通達せよ」


「承知しました」


 レオントが報告を終えようとした時、頭の中で思い浮かんだ言葉を口にするか迷った。

 オランテの心情を理解しているからこそ、それは言っても良い事か判断出来なかったのだ。


「レオント、構わん。言ってみろ」


 レオントの表情と迷いを一瞬で看破したオランテが彼に発言の許可を出す。

 許可が出てしまった以上、口に出さねばならない。

 そしてそれが表情に出てしまった事、主に疑問を抱かせてしまった事を後悔するレオント。


「はい。僭越ながら申し上げます。あの冒険者クロムであれば、ヒューメ様の件を解決に導ける...そのような予感がするのです。何者にも縛られない、あの者の強さは間違いなく本物です」


「そうか。心に留めておこう。しかしお前がそこまで惚れ込むとはな」


 オランテがレオントの言葉を受けて、僅かに笑う。


「わかった。下がれ。先程の件を進めろ。これに関しては失敗は許さん。失態は厳罰に処すと心得よ」


「仰せのままに」


 レオントは最敬礼にてそれに応え、気配を外から察知した侍従が静かに扉を開けて一礼した。





 再び扉が閉まると、執務室は再び冷たい静寂が訪れる。

 廊下から流れ込んで来た空気の流れの余韻を肌で感じながら、オランテはソファーに深く背を預けた。


 もし本当に解決出来るのであれば、何を対価に支払えばいいのだろうかとオランテは考える。

 魔獣に生贄は必要だろうか。

 命の様な価値の無い物、魔獣は受け取らないだろう。


 ならば、後はファレノプシス伯爵家として用意出来る最高の褒美は何か。

 その答えはもう既に決まっていた。

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