第63話 黒翼の化物と命知らず

 ― なんと禍々しい姿なんだ ―


 レオントは戦闘開始と否が応でも納得させられるクロムの動作に戦慄する。

 それはまるで神聖なる太陽の光の元に突如現れた黒い翼の怪物だった。


 レオントは相対するこの黒い冒険者のプレートを疑いはしなかった。

 ランク4層スプラー・メディウムは、伊達や酔狂で気軽に認定されるランクでは無い。

 もし偽造してランクを騙ろうものなら、世界中の冒険者から命を狙われても文句は言えない程の価値がある栄光の証。

 それ故にこのクロムという冒険者の実力はまさしく強者に相応しい物。

 レオントは一切の油断はせずに、殺すつもりで挑む決意を固めた。


「では行くぞ!覚悟!」


 そう叫ぶとレオントはハルバードを肩担ぎで振りかぶると、挨拶代わりとばかりに全力でクロムに振り下ろした。

 空気を斬り裂くハルバードの斧刃がクロムの肩部目掛けて振り下ろされるが、右脚を半歩引いて身体を半身にしたクロムがそれを造作も無く回避する。

 バガンという音が響き、石つぶてを豪快に周囲に撒き散らしながら石畳を叩き割り、斧刃の大半が地面に埋没した。


 その隙を突く様にクロムが距離を詰めようとするも、レオントはそれを見てハルバードを力任せに引き抜くと、距離を保つ為にバックジャンプする。

 その際に身体を1回転させ、今度は横薙ぎの回転斬りを放った。

 遠心力を最大限活用したその一撃は、並みの騎士では鎧ごとその身体を両断する程の威力が籠められている。


 しかしクロムはその一撃を腰を落とし、掲げられた右腕で正面から受け止めた。

 凄まじい衝撃音が響き、石畳に2本の溝を作りながら1メートル程クロムの身体を動かした。


「ぬぅ!これを正面から受け止めるか!」


 レオントが驚きで目を見開いた。


 ― 警告 右前腕部 第1装甲 1層 損傷 ―


「傷を付けられたか。素晴らしいな」


 クロムはハルバードの斧刃を垂直で受け止めながら呟く。

 それと同時に受け止めた右腕を防御状態のままハルバードの柄を擦りながら、再び距離を詰める為に前に突進した。

 レオントはハルバードを振り上げる事も、引く事も出来ず、押し込む事も叶わない。

 右腕で柄の表面をガリガリと削りながら懐に入り込んだクロムは、ハルバードの柄を上に跳ね上げる様に、右肘をかち上げる。


「ここでやり合ったら石畳が壊れて迷惑が掛かるな。移動しよう」


「なにっ!」


 そう言って、クロムはレオントの胴体、脇腹に蹴りを叩き込んだ。

 鈍く重く大きい音、そして着弾点に舞い散る青い魔力火花。


「うぐぉっ!」


 魔法防御で致命的なダメージは避けられたものの、それでもその一撃は鎧を歪ませ、衝撃に耐えきれなかったレオントの身体は街道脇の草原まで吹き飛ばされた。

 草の上を騎士の身体が転がる。

 レオントの鼻に地面に叩き付けられた事を証明するように、土と潰れた草の匂いが入り込んで来た。

 未だ衝撃を処理しきれていない鎧が小さく火花を散らしている。


「この化物が...なにっ!?」


 レオントの視界が一気に暗くなる。

 太陽を背に外套を翼の如く広げたクロムが、倒れているレオント目掛けて跳躍してきた。

 空より迫りくる怪物の影。

 その右手が空中で引き絞られ、間違いなくそれはレオントを狙っていた。


 その影がレオントに着地した瞬間、轟音と衝撃が大地を震わせ、爆発したかのように土煙が巻き上がった。

 その威力は、離れた所からその戦闘を見ていたトリオヴェスパの頭上にも土くれを存分に降らせる。

 流石にこの騒動に驚いた騎馬が、後ろ足で立ち上がり嘶いた。


「ぷわっ!もう滅茶苦茶よ!これ一応模擬戦よね!?クロさんあの騎士さんを粉微塵にする気なの!?」


 綺麗な赤髪が土まみれになり、慌ててそれを手で落としながらフィラが叫ぶ。




 クロムが巻き起こした土煙が風に吹かれて、視界が晴れてくる。

 そこには地面に直径3メートル程のクレーターを作った拳を引き抜き、再び握り締めたクロム。

 対して直撃寸前で身体を転がし、間一髪で攻撃を躱しつつ何とか立ち上がったレオント。

 先程のクロムの攻撃ではっきりと自身に迫る死の足音を聞いたレオントが、額に冷や汗を浮かべ、肩で息をしながら憎々しげに吐き捨てる。


「正真正銘の化物だな...間違いなく俺を殺す一撃だったぞ...」


 冷や汗に吹き付けるそよ風が、レオントの身体と精神を冷やしていく。

 その言葉を聞いてクロムが軽く返事をした。


「何を言う。お前の最初の一撃も殺すつもりで来ただろう?これでおあいこだ」


「どう考えてもお釣りが来るくらいの差があったがな...」


 絞り出すような愚痴を口にした後、レオントは再び斧の刃先を上に向けた状態でハルバードを下段に構えた。

 そしてふぅと息を短く吐くと、腰を低くそして丹田に力を集中するように魔力を錬磨し始める。

 陽光の下でも3人の冒険者がその身体を纏う魔力を視認出来る程の魔力量。

 それがやがてハルバードの柄を伝い、穂先にも到達する。


「一先ず待ってみたが、そろそろ来るのか?」


 その言葉を聞いて、レオントの額に血管が浮き出た。

 ハルバードを持つ両腕、そして今や装備で隠れている両脚が一気に魔力強化を受けて膨張する。


「すまんが殺す気でいく。後悔するなよ」


 並みの兵士なら視線で殺してしまいそうな、殺気を込めた眼をクロムに向けるレオント。


「最初からその気だろう。御託は良いからさっさと来い」


 そう言って、クロムもいつも通りの構えで迎え撃つ動作を見せる。

 本来の精神状態であるならばクロムの様子を伺うはずのレオントは、その言葉を聞いて冷静さを失い一気にクロムに向かって駆け出した。

 完全武装の騎士とは思えない速さで、レオントがクロムに迫る。


「剛体式騎士斧槍術 風斧天槌アンヴェラータ


 クロムの身体をハルバードの有効射程に収めた瞬間、レオントの左脚が大地を大きく踏みしめて前方への勢いを止め、斜め上方へ蹴り上げる様に太腿から腰、上半身から腕へと力を伝える。

 その強引とも言える強烈な踏み込みで地面が抉れ、ズドンという音と衝撃が周囲に広がった。


 レオントの繰り出した力で魔力を纏った斧刃と穂先が、クロムの身体を下から斬り裂く軌道で跳ね上がる。

 クロムは最初から避けるつもりは無く、威力を計測する為にそれを左前腕で受け止めようとするも、その攻撃は巻き付けた鎖を半ば斬り飛ばす程の勢いでクロムの左腕を弾き上げた。


「!!」


 ― 左前腕部 第1装甲 1層 微損 問題無し ―


 そしてハルバードの先端が、左腕が弾かれた衝撃で僅かにのけ反ったクロムの身体の寸前を通り過ぎ、ハルバードが大空を突き上げた。


 ― 貰った! ―


 レオントが心でそう確信する。

 クロムの頭上でレオントが強化された全筋力を総動員し瞬間的に穂先を停止させ、今度はレオントの全体重と筋力、そしてハルバードに込められた魔力と共にクロムに叩き下ろされた。

 斧の反対部分の魔力で強化された槌がクロムの脳天を襲う。


 離れた所に居たトリアヴェスパ3人が耳を抑える程の音が響き渡り、音の発生源から魔力波動が放射される。

 音と波動の影響で思わず目を閉じた彼女達の頭上から、先程の土とは異なる何かの欠片が降り注ぐ。

 それは粉々に砕けたハルバードのヘッド部分の残骸だった。

 金属の欠片が周囲に舞い散り、銀色の雨を降らせている。


 そしてトリアヴェスパと、黒い化物の前に立つレオントが見たものは、右拳を頭上に撃ち出してハルバードのヘッドを真正面から迎え撃ち、それを粉々に打ち砕いたクロムの姿だった。


 ― 強化細胞 活性化 右腕部 損傷無し ―


 4人が驚きで身動きすら出来ない中、クロムが一瞬で間合いを詰めてレオントの鳩尾に廻し蹴りで右踵を叩き込んだ。

 1本の巨大な杭を打ち込まれたようなドゴンという音が響き、レオントがくの字で後ろに吹き飛ぶ。

 穂先を失ったハルバードが主の手を離れ、その重量を感じさせない位に大きく宙を舞い、フィラの前に突き刺さった。

 肺の空気が一瞬で押し出さたレオントは呻き声すら上げられず、再び街道まで蹴り戻され、石畳の上を転がり何度も火花を散らしながらその身体を叩き付けられる。


 やがて石畳の上で倒れ伏せて動かなくなったレオントの姿を確認したクロムは、外套に付着した土埃と金属の破片を払いように、一度大きく外套を跳ね上げレオントに向かって歩き出す。

 ハルバードを砕いたクロムの拳は硬く握られ、水平に軽く構えられたままだった。





 そのクロムの姿を見て、トドメを刺す気満々だと感じたフィラは焦って大声でクロムに駆け寄っていく。


「ちょーっと待ってぇ!勝負あり!勝負ありだから!クロさん、ねっ!もう拳はしまっちゃおう!そうしよう!」


 褐色の肌を白くさせ、冷や汗をかきながら、クロムの黒い右腕にしがみつくフィラ。

 ふんぬーと言いながら、右腕を掴んで今度は逆に顔を真っ赤にしながら脚を突っ張り、必死にクロムの歩みを止めようとする。

 恐らくクロムに出会った頃であれば絶対に出来なかった行動だった。

 そもそも未だ戦闘継続中のクロムに接近し、あろうことかその一番の凶器である右腕にしがみ付くのは、もはや自殺行為に等しい。

 クロムがこの世界にやって来て以降、彼に対しここまで暴挙に出た人間はいない。


「なんつーバ...い、いえ凄い力なのよ!もう!ほら2人もクロさんを止めて―!」


 フィラが今度はクロムの正面に周り込んで、両手でクロムの身体を抑え始める。


「無理に決まってんだろ!俺はまだ死にたくねーぞ!」


「やだやだやだ!」


 残りの男2人は全力でそれを拒否する。


「この薄情者共がー!クロさんは優しい人だよね!?だからもう終わりにって、きゃぁぁ!」


 クロムが歩みを邪魔するフィラを肩に担ぎあげて、頑強に拘束した。


「え!?ちょっとクロさん!?バカ力って言おうとした事は謝るから!降ろして!ぶたないで!?」


 クロムは無言のまま、小さな拳で必死の抵抗をしている半泣きのフィラを無視して担ぎながら、うつ伏せで動かないレオントの横に立った。

 そして足先を引っ掛けて無造作にその身体をひっくり返した。

 レオントの鎧は被弾部分が大きく歪んではいるが、まだ火花が紫である事から防御魔法が辛うじて全開で発動し致命傷を避ける事が出来ていた。


「ピエリスよりも性能の良い鎧を支給されているようだな。完全破壊するにはもう少し力が必要だったか」


「これは模擬戦でしょうがっ!完全破壊は必要ないでしょ!?てゆーか降ろしてよぉぉ!」


 クロムの不満げな呟きが聴こえたフィラが、脚を必死に振りながら肩の上から涙声の大声で叫ぶ。


「状況終了 戦闘システム解除」


 クロムはそう告げると、フィラを荷物を下ろす感覚で石畳に放り出した。


「ちょっ!ふぎゃ!」


 突然の解放に対処できなかったフィラが石畳に尻から落ち、形容し難い悲鳴を上げた。

 尻を両手で押さえ呻きながら、石畳の上を芋虫の様にうねり、転がるフィラ。


「扱いが酷すぎない!?」


 尻をさすりながら、フィラが涙目でクロムの抗議するもクロムは気にする素振りも見せない。

 するとレオントの状態に気が付いたフィラは、慌ててポーチからポーションを取り出して彼の口に流し込んだ。

 クロムはレオントの顔色や出血の状態から、深刻なダメージは負っていないと判断しフィラに彼の治療を任せる事を決める。


「フィラ、お前戦闘中のクロムさんに飛びつくとか命知らずにも程があるぞ...」


「心臓が止まるかと思った...」


 飛ばされたレオントのハルバードを持って、ロコとペーパルが戻って来た。

 そんな2人を睨みつけるフィラは小刻みに震えている。


「アンタ達、後で憶えてなさいよ...あの時は必死だったのよ。今になって震えが止まんないわよ!」


「流石に敵味方の区別は付けている。巻き込まれて犠牲になるのは知らないが」


 その言葉を聞いて更に震えるフィラ。

 その時、レオントが意識を取り戻しゆっくりと起き上がった。

 ただまだクロムの蹴りが聞いているのか、鳩尾に手を当てて痛みで顔を盛大にしかめるレオント。


「生きていたか。やはり騎士は丈夫だな」


天星の都ステラカエルムの入り口は垣間見たがな...完全に負けだ...ぐぅっ」


 鳩尾を抑えながら、俯くレオント。

 そんなレオントに、ようやく尻の痛みが和らいだフィラが声を掛ける。


「騎士さんさぁ、慰めにはならないと思うけど、手加減有りとは言えこの人相手に戦って、これで済んでる時点で結構凄いからね。まだ腕も脚も取れてないし、粉微塵にもなってないでしょ。それにまだ生きてる訳だし」


「う、うむ、そうなのか...」


 フィラにそう言われて、レオントは改めて自分の身体が五体満足である事を確認する。


「フィラ、お前は俺を何だと思ってるんだ」


「女の子を石畳に放り投げる常識外れでとんでなく強い黒騎士さんよ!」


 フィラが顔を真っ赤にしてクロムに怒鳴ると、ロコとペーパルがフィラとは対照的に青褪めながら言う。


「お前まじですげぇな」


「後で粉微塵にされても知りませんからね...」


 そんな中、騒動の最中、爽やかな風の中で草原を自由に散歩していた騎馬が戻って来て一声嘶き、その場の空気が一気に沈静化の方向へを舵を切った。





 レオントは自前のポーションを騎馬の荷袋から持って来て欲しいとペーパル頼み、それを受け取ると一気に飲み下し、暫くして何とか立ち上がった。


「騎士さんよ、忘れ物だぜ」


 ロコがそう言って、回収した穂先の砕けたハルバードをレオントに手渡した。

 レオントはそれを受け取ると、改めてその先端をしげしげと眺めながらため息を付いた。


「これも長く使ってきたが、よもやこんなタイミングで武器の再支給の申請書を書く事になるとはな」


 苦笑するレオントにフィラが質問をぶつける。


「再利用しないの?騎士団ってやっぱお金持ってるのね。騎士さんって見た感じ上級騎士団みたいだし、そりゃそっか」


「レオントだ。騎士団は基本的に一度壊れた武器は廃棄と決めている。戦場で不測の事態を限りなく無くし、安定した戦果を挙げる為も再利用はしない。修理やメンテナンスは当然するがな」


 その辺りの考えを聞いて、クロムは騎士団も軍隊と同じ扱いなのかと、過去を思い出していた。

 少なくとも資源不足が原因で劣勢状態に追い込まれる前は、クロムの所属していた帝国も基本的に軍は大破した武器は再利用をせずに、回収した後、製造し直して支給という形を取っていた。


「そのハルバード、少しいいか?」


 突然クロムはレオントに要求する。


「あ、ああ。構わない」


 戸惑いながらもレオントは手に持ったハルバードをクロムに渡す。


「これは廃棄予定なのだな」


「そうだ。こうなってしまったらだからな」


「「「あ...」」」


 3人の冒険者の声が見事に重なった。

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