第61話 真夜中の取捨選択

 ラプタニラ西門前には警備兵の検問を待つ人や冒険者が幾分か列を成していた。


 デハーニとティルトはかなりの走行距離と年月を感じさせる馬車から降りて、その持ち主に礼を言う。

 ティルトは馬車の揺れる床よりも安心感を覚える大地に感謝を覚えつつ、目の前に見えるラプタニラの城壁を見上げていた。


「爺様よ、助かったぜ。おかげで予定にだいぶ余裕が出来た。俺の連れも上機嫌だしな」


「乗せて頂き感謝します!それと薬草買い取って頂けた事も併せてお礼を!」


 2人が礼を述べると、馬車の御者台に座っている老人が笑顔で答える。

 検問の為に首からぶら下げた、経年劣化が激しいテラ・ルーチェ王国商業許可証が鈍く陽光を反射していた。


 あの盗賊との戦闘の直後、2人の戦闘を遠くで見ていた商人の馬車が1台追いすがって来て、2人に礼を言ってきた。

 あの区域で盗賊が出るのはかなり珍しく、用心の為に2人の実力を買って護衛を依頼してきたのだ。

 2人にとっては渡りに船であった為、馬車に乗せてもらう代わりに護衛をする事をデハーニが提案。


 本来であれば護衛の依頼は冒険者ギルドを通すのが、商人ギルドの通例である為、金銭の取引無しで護衛が付くのはこの老人にとっても後腐れ無く、好都合だった。

 老人も長年、商人一筋で国を行き来していた事もあり、人当たりも良く2人との会話も弾み、先程の殺伐とした雰囲気とは一転、緑の草原と風を浴びながらの心地の良い移動となった。


 またティルトが道中で採取し、その場で乾燥させた薬草を大層気に入った老人は幾ばくかの金で買い取りを願い出て、ティルトの懐も少しばかり余裕が出た。


「ほっほ。こちらこそ助かりましたよ。品質の良い薬草も手に入ったので、知り合いの薬術師も喜んでくれそうですわ。それではまた縁があればどこかで」


 そう言って年代を感じさせる馬車の音を響かせて、門を潜っていく。


「うし。それじゃ俺達は並ぶか」


 並ぶとは言っても前に徒歩の行商人が数名、冒険者らしきパーティが2組とそこまで時間が掛かるわけでは無い。


「そうですね。それでクロムさんとは何処で落ち合う予定なんです?」


「あー、その辺りは全然打合せしてなかったんだよな。騎士団に同行してるなら直ぐにわかるだろうし、ダメならとりあえず冒険者ギルドにでも行けば、足取りくらいは掴めるんじゃねーか?何せあの姿だからな。嫌でも目立つだろうしよ」


 ティルトは最初からデハーニに繊細な行動管理を期待はしていなかったが、それでもその杜撰さに呆れて白い目で彼を見る。


「まぁ何とかなるだろうから、そんなに睨むなって」


 ティルトが自然に口にしたクロムと言う名前は今、様々な意味でこの街の話題になっている事を2人はまだ知る由も無かった。





「おお、兄さんそんな成りして領内通行許可証持ってるんだな。それとそっちの美人さんは...おお、ランク3層メディウム錬金術師か。その若さで凄いな。通って良し」


 警備兵がデハーニとティルトの検閲を済ませて、門を潜る許可を出した。


「そんな成りしては余計だコラ」


「...美人さん...まぁ前向きに受け取っておきます」


「はっはっは。まぁまぁそうカリカリしなさんなって。ようこそラプラニラへ。長旅の疲れを癒していってくれ。よし次!」


 警備兵は2人の抗議の声を華麗に交わして、業務に戻っていく。

 ラプタニラの街はデハーニにとっても久々であり、まずはどこに向かうかと思案を始める。


「まずは手っ取り早くまずは騎士団を探すか。ちょいとあの警備兵に聞いてみるか」


 そう言って、近くの警備兵が待機している詰所に向かっていくデハーニとティルト。

 詰所には数名の警備兵が交代で休んでおり、槍を片手に談笑をしていた。


「ちょっとすまねぇ。聞きたい事があるんだがいいかい?この街にウィルゴ・クラーワ騎士団がいると聞いているんだが、待機場所を知らねぇか?ちょいと騎士団長のピエリスっていう騎士と


「ん?お前ピエリス騎士団長を知っているのか?騎士団なら2日前だったか、真夜中に緊急だか何だかでこの街を離れたぞ」


「そうかわかった。すまねぇ邪魔しちまってよ。これで仕事上がりに一杯やってくれ」


「おお、すまねぇな兄さん。有難く頂くぜ」


 デハーニは話を聞いてくれた警備兵に白銅貨5枚、5人分程の酒代を渡してその場を離れる。

 傍から見れば買収とも取れるが、これも大事な情報収集の一環である。

 この投資の差は、デハーニの後姿を見送る警備兵達の眼の様子にも表れる。

 周囲の眼は好意的に越した事は無い。


「となると冒険者ギルドに言って直接話を聞くのが一番だな」


 デハーニはそう言うと、ティルトを連れ立って街の中央に向かう。

 以前来た時に比べて警備兵の数が増えているとデハーニは感じたが、街の住民に目立った焦りの様な物は感じ取れない。

 露店で怪しい素材や宝石売っていたり、採れたての薬草を売っていたりと街のあちこちで活気が溢れているのは以前来た時と変わりは無かった。


「どこも冒険者ギルドは大きいですね」


「まぁ俺はあまり好かんが、それでも無いと困るからな」


 冒険者ギルドの入り口を潜る2人の前を、受付嬢なら冒険者にさぞかし人気が出るであろう容姿の女が、エプロンを身に着けて掃除道具片手に走り回っていた。

 奥から結構な勢いで叱責が飛び、その女は悲鳴に近い返事で奥に消えていく。


「冒険者ギルドってなんか大変そうだなぁ」


 それを見ていたティルトがのんびりとした口調で呟いた。




「デハーニさんですね。クロム様より伝言をお預かりしております。こちらに到着したらまずはランク3層鍛冶師のゴライアを訪ねて欲しい、との事です。ゴライアさんの店の場所はこちらになります。あとクロム様は既にネブロシルヴァに向かっていると伺っております。詳細はゴライアさんに聞いて頂ければと」


 受付嬢がそう言って、ゴライアの店のある場所を書き示した街の簡易地図をデハーニに手渡した。


「...クロム“様”?アイツ一体何をやらかしたんだ?ゴライアってあのゴライアか?」


 デハーニがクロムに敬称が付いている事に驚くと同時に、その名を口にする際、受付嬢本人のみならずその言葉を聞いた周囲の人間に緊張感が走った事を敏感に察知した。

 受付の奥でバケツを落とした音が聞こえる。


「クロム様はこの冒険者ギルド発足から初めて冒険者登録の力量審査で、ギルドマスターよりランク4層スプラー・メディウムに即日認定されました。今や黒騎士、暴風などの二つ名はこの街では有名ですよ。ゴライアさんとも短い間で親交を深めたとの事です」


「あ、あいつ一体何やってるんだ...あー何か頭痛がしてきたぞ」


 デハーニは急に頭の奥に鈍い痛みを感じ始める。


「ふわぁ...ランク4層なんて...流石クロムさんだ!」


 ティルトはデハーニの心境等お構いなしで、まるで自分の事の様に喜んでいる。

 デハーニは一気にやって来た疲労で霞む視界を何とか復活させ、地図に記されているゴライアの店の場所を確認した。

 ここからそう遠くは無いようで、デハーニは受付嬢に礼を言うと、満面の笑みを浮かべているティルトを引き摺る様連れて、冒険者ギルドを後にする。


 クロムの名が出た時にデハーニが察知した緊張感は尋常では無かった。

 受付嬢は賞賛交じりの言葉を使ってはいたが、実際は脅威、恐怖を感じる緊張感がギルド内に走っていたのだ。

 そして親交を深めたゴライアと言う鍛冶師の名はデハーニでも聞き覚えがあった。

 かつてランク3層冒険者でかなりの実績で名を上げていたはずだ。

 魔物との戦いで脚を負傷して以来、元々の鍛冶師の家を継いだとデハーニは聞き及んでおり、彼の作る武具はかなり評価が高い。


「一体何がどうなってるやら...ティルトすまねぇ。俺は今日は疲れた。宿を取って休みたいがいいか?」


「え?はい、大丈夫ですよ。それならボクも今日はゆっくりします」


「すまねぇな。ゴライアの所で情報を仕入れたらすぐに追いかけるぞ」


「気にしなくても良いですよ」


 そう言って、2人はギルド前で宿泊客を探している宿屋の呼び込みに声を掛けて、今日の宿に向かう。

 デハーニとティルトの足取りはまるで正反対だった。






 ティルトは宿で出された簡単な食事を終えて、部屋に戻っていた。

 街の本屋で見つけて来た古書を数冊読み耽り、静かな時間を過ごす。

 そして寝る直前の真夜中に、ベッドに腰掛ながら目の前に不可思議な正八面体の物体を浮かべて、深刻な表情でそれを見つめている。


 その正八面体はティルトの頭程の大きさで、半透明で青白く輝き、中心部では青い魔石の様な球が形を変えながら回転している。

 その物体に両手を掲げて、指先で突いたり、なぞったりしながら独り言を呟いていた。


「この盗賊のは絶対にいらない。お爺さんも申し訳ないけどいらないかな...ごめんね。もし出会った時の良い訳も考えておかなきゃ...もう少し捨てて広さを確保出来ないかな。あーもう困ったなぁ...」


 ティルトの指先が物体の中にするりと潜っていき、中に浮かぶ無数の泡の様な物を1つ、又1つと指で突いて潰していく。


「クロムさんのこれは絶対に捨てられないし...クロムさんのでボクの中が一杯になっていくのにどれも捨てられない。これ以上広げるのはかなり大変だし...んー」


 ティルトの目の前に浮いている、この宝石の様な正八面体の物体の名は追憶の回廊ブルー・アーカイバと名付けられた、彼が幼い頃に独自に造り出した記憶集積結晶体である。

 彼が錬金術師としての能力に目覚めた時、取り込んだ知識を“忘れる”という現象に人一倍恐怖を感じ、その結果生み出されたティルトの頭脳を司る物体。


 記憶を情報化して集積し、それを任意で選択、脳内で見る事が可能でティルトの脳と魔力回路で繋がっていた。

 ティルトは6歳の頃より錬金術に目覚め、世界に満ち溢れている知識を貪欲に欲した結果、限界を感じた彼は自らの脳に錬金術を施すという、狂気もしくは禁忌に等しい方法でこれを生み出した。

 これにより通常の脳では蓄積出来ない程の膨大な量の情報を記憶として残している。


 ただし、日々の生活の記憶や、例えば森を歩いていて目の前を横切った小さな蟲は本人は全く気が付かず認識もしていないが、それすらも記憶映像として明確に残してしまう。

 それ故に、定期的にティルトは不必要と感じた記憶を潰して消し、容量を確保する必要があった。


 これが満タンになれば、下の古い情報から順に潰されて消えてしまう。

 ブルー・アーカイバを脳から取り出さなくても、その場で要不要の振り分けは可能だが、完全な消去はこの状態で無いと出来なかった。


 既にティルトは生まれてから6歳までの記憶は失っており、すらも消去されていた。

 現在、14歳のティルトはこれから先も膨大に積み重なっていく情報をこのように取捨選択しながら歩み続けなければならない。

 しかも性格や肉体、精神の成長も過去の経験等が大きく作用する為に、消す記憶によっては性格、果ては性自認すら変わる危険性を孕んでいた。

 既に言い訳が効く範囲で、デハーニや村の仲間との記憶も消去候補として目印を付けている。


 しかし最近のティルトには悩みがあった。

 それはクロムとの出会い以降、彼との記憶、思い出をどうしても削除出来ないでいたのだ。

 クロムとの出会いは今までとは違う新しい知識の予感を感じ、そして何よりもこんな自分を理解してくれるかも知れないという願望をティルトは持っていた。

 そしてクロムの事は何一つ忘れたくないという一心で、毎日の様にクロムとの会話等の記憶を確認し、情報を振り分けていた。


 当然の事ながら情報は蓄積の一途を辿っている為、残すはブルー・アーカイバを錬金術で更に拡張するか、それともクロム以外の記憶に優先度を付けて消していくか。

 まだしばらくは余裕があるものの、このままクロムと交わりを続けていけば間違いなくティルトの頭はオーバーフローを起こしてしまうだろう。


「もう1個クロムさん専用の回廊を作るかなぁ。でもボクの頭が錬金術に耐えられるか心配だし、最後の手段かなこれは。でもそれがあればもっとクロムさんを記憶出来るよね...」


 一先ずは、記憶の整理に満足感を覚えたティルトは、追憶の回廊を脳に収納し、そのままベッドに倒れ込んだ。

 そして眠る前に夢の内容を設定するティルト。

 魔力を帯びた青い瞳が暗い部屋で光り輝いている。


「今晩見る夢はやっぱりあの時のクロムさんとの会話かなぁ。これとこれとこれ。あの時のクロムさんの言葉はどういう意味だったんだろう。ボクの気が付いていない理論や現象がまだあるっていう事かな」


 独り言を呟いて、ティルトは服を脱ぎそのままベッドに潜り込む。

 ティルトは素肌に触れる清潔で冷たいシーツの心地良さを感じ、ゆっくりと目を閉じた。


「明日は追いつけるかな...それにしてもランク4層かぁ...やっぱりすごい人だなぁ」


 そう言ってティルトは夢という名の記憶の回廊に意識を沈めていった。

 誰も知らない、彼だけの世界。

 そこには彼だけの夢幻の黒騎士が立っていた。

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