第60話 錬金術師は急いでいる

 デハーニとティルトはまず最短経路で森の外縁部、街道沿いを目指していた。

 道中、火傷等に効果のある薬草の群生地を見つけたりと、順調な旅の滑り出しだった。

 ティルトは取り過ぎないように注意を払いながら葉を採取し、そして新鮮なうちにと、その場で水分吸収の錬金術式が付与された小さな袋に薬草を放り込み森を進む。


「そういえばティルト、杖を使うようになったのか?今まで荷物になるって言って使ってなかっただろ?」


 魔法師であれば、思い描いたイメージと術式、魔力に明確な指向性を持たせる為に杖や魔石ロッドは必須装備言われている。

 特にロッドは装着した魔石の種類によって魔力増幅の効果等、様々な恩恵を得られる事もあり、それらを持たない選択肢はまず無かった。


 しかし錬金術師は基本的に魔法で戦闘を行うような職業では無く、どちらかと言えばインドアな作業が多い。

 その室内、貴重な薬品や器具が多数並ぶ中で、大きい物であれば自分の身長位あるロッドを扱う事を嫌う傾向があった。

 それ故にティルトも自分専用に作った小さな錬金術師の枝タッピング・シルバー等を所有している。


 だがティルトは今回、自分の身長とほぼ同じ大きさの杖を肩掛けで装備しており、その杖が森の木漏れ日を時折反射して、煌めいていた。

 製作者であるティルトによって銀世界の宿り木シルバ・ミストルティと名づけられた純銀製の杖。

 ティルトの魔力に最も高い親和性を示す純銀を、本人が数日間掛けてインゴットから魔力成型したものだった。


 ティルトの所有していた純銀の在庫をほぼ使い切る形で製作されたこの杖は、凝った装飾は一切施されていない直線的な形状で、その先端は取り付けられた青い魔石を抱える様に緩く巻かれている。

 そこには枝に止まり羽を広げている蜻蛉があしらわれ、光り輝いていた。


 ティルトはクロムが村を出発した後、殆どの時間をこの杖の作成に費やしており、魔力補充の為に、苦しげな表情でお腹をさすりながら魔力ポーションを飲んでいる姿が村で目撃されている。


「しかしまぁクロムの影響か知らないが、人は変わるもんだな」


 デハーニは鼻歌交じりで森を歩くティルトを見て、1人呟く。

 リュックの中には、レピがデハーニに預けたお守りの組紐も入っていた。

 村を出発する直前に、目の下に隈を作ったレピがデハーニに渡したもので、クロムに絶対に届けて欲しいと言ってきた。


 レピも日々の仕事をしながら残った時間の大半をこの作製に費やしていたようで、今回はかなりの自信作だという事だった。

 村人曰く、レピの組紐は既に売りに出せる程の物になっているらしく、本人も毎日の様に練習しながら、意匠やアイデアを書き留めているとの事。


「まぁそれが良い方向に向かっているなら問題無いんだけどよ」


 ティルトは未だに良くわからないが、レピはあの年頃の独特の感情が熱意を生んでいるのだろう。

 しかもその相手はクロムとなると、その前途はあまりにも厳しい。


「おっと、考え事してると危ねぇな...って、ティルト!前に行き過ぎるんじゃねー!」


 デハーニは大声で叫びながら、今一番面倒なのはコイツだと溜息をついてティルトを追いかけていった。





 勝手知ったると言った具合で順調な歩みを見せ森を抜けた2人は、いつの日かクロムが目にした草原の風景が広がる場所に到着した。

 目の前には石畳の街道が横切っており、吹き抜ける風がティルトのローブと柔らかな髪を揺らしている。

 2人はラプタニアの街を目指し、街道の脇を歩き始めた。


「途中で同じ方向の商隊を見つけたら、ちょいと金渡して用心棒代わりで乗せて貰うぞ」


「わかりました。それならもっと早く街に到着しますね」


 いつもより歩く速度が増しているティルトが笑顔で答える。

 純銀の杖が時折何かに当たって、とても澄んだ金属音を奏で、風と草原が広がる風景をより美しいものに変えていた。


「ティルト、お前はクロムをどう思う?あ、いや感情とかでは無くその存在そのものって話なんだがな」


 デハーニの突然の質問に前を歩いていたティルトは驚きつつも、後ろを振り返り、器用に後ろ歩きしながらその質問に答えた。


「んー...この世界と存在を分かつ人...って感じですかね」


 言葉選びに少し迷っている素振りを見せながらも、そう言い切るティルト。


「錬金術師様の言葉は難しいなぁ...どういうこった?」


「多分クロムさんは、ボク達の住んでいるこの世界から透明の紙一枚隔てた向こう側の世界で生きておられるのかも知れません。錬金術師はこの世界に満ちている要素を取り出して、全く違う物に再構成する者達です。世界の構成要素を常に意識しているボクからしてみれば、クロムさんの構成要素はこの世界に何処にも存在していない気がするんです。素晴らしいですよね」


 デハーニでも視認出来る程の魔力が籠められたティルトの青い瞳が、真っ直ぐに質問してきた男を捉えている。

 氷の様な冷たささえ感じる青。


「だからこそ、クロムさんの本質には誰にも触れられないし、干渉も出来ない。もしかしたら世界がそれを許さない。だからこそあの方は永遠に孤独なのかも知れないですね。それなら...って、何言ってんだろボク」


 はははと照れたように微笑むティルトは前に向き直った。


「...もしクロムがの敵になった時、ティルトお前はどうする?」


「そうですね。そうなったら...」


 その時のティルトの顔見たデハーニは、思わず息を飲んだ。


「ボクはその結末を見届けた後、最後にクロムさんの手で天星の都ステラカエルムへ送って貰います。その時にあの人が何だったのかわかる気がするんです」


 愛らしさと妖艶さが混在した表情で微笑むティルト。

 純朴な少年の仮面を外した、青く瞳を輝かせる錬金術師のその本性を垣間見た気がするデハーニだった。






 暫くの間、無言の時間が過ぎていき、2人の間には風を受けた草の音と石畳から響く大小の足音が聞こえるのみ。

 先程のやり取りなど、すっかり忘れた様に陽気な雰囲気で前を歩くティルトを、デハーニが呼び止めた。


「おい、ティルト。止まってこっちに来い。今すぐだ」


「え、は、はい」


 その声で振り返ったティルトがデハーニの顔を見て、一瞬でその雰囲気を察知し、デハーニの背後に回る。


「ここで出くわすとは珍しいな。追われて切羽詰まっているか、それとも新参者かどっちだこりゃ」


 デハーニがそう呟き、腰の剣を早々に抜き放つ。

 周囲を確認するが、街道上には馬車や他の通行人の姿も気配も無い。

 あるのは森から出て来た数名の男達のものだけだった。


「へへっ。良い場所見つけたなと思ってたら、速攻で獲物が捕まったぜ」


「だな。えらい可愛らしいお供も連れて羨ましいこったな。俺達も混ぜてくれよ。最近、碌に女抱いてねぇせいで気が立っちまってしょうがねぇ」


「おいおっさん。死にたくなけりゃそこの女置いていきな。俺達が代わりに可愛がって、飽きたら売っ払ってやるからよ」


 盗賊の割りには旅の汚れが少ない事に気が付いて、恐らく街道に沿って別の所からやって来た新参者の集団だと判断するデハーニ。

 デハーニの眼前を塞ぐように立ちはだかる4名の盗賊達は、碌に掃除もされていない剣や手斧を突き付けながら距離を詰めてくる。


「はぁ。どっかから追い出されたか何だか知らねぇが、ここらで盗賊ごっこするなんざ命が惜しくないのかね?」


 この街道は領主のオランテ伯爵が時に治安に力を入れている区域で、盗賊行為の処罰も他に見られない程に苛烈な物だった。


「また女の子と...そんなに女の子がいいんですかね...」


 背後で小さい声でデハーニには理解が及ばない不満を漏らすティルト。


「んだおっさん!剣を捨ててそこの女置いて土下座でもしやがれ!そうすりゃ命は助かるかも知れねぇぞぉ!」


「まぁ俺は殺すけどな!俺はお前のその眼が」


 手斧を持った男の言葉がそこで途切れ、首が宙を舞っていた。




「うるせぇんだよクズ共が」


 全く警戒もせずにデハーニの剣の間合いに入り、後ろのティルトを見て下品な笑みを浮かべていた1人の盗賊の首が、その顔のまま血を撒き散らして石畳の上を転がっていく。


「て、てめぇ!よ、よくも!」


 デハーニは盗賊の首を斬り飛ばした勢いのまま身体を回転させた後、次の標的を定めてその身体をネコ科猛獣の様に低く構えた。

 静かに曲刀を鞘に納めると、標的に向かって一気に踏み込んだ。

 その踏み込み速度と全く一致しない、静かで小さな足音を残して驚きで剣すら構えていない盗賊へ剣を抜き放つ。


 ― 抜刀式曲刀我流剣技 薄撫手切ススキ・ナデギリ ―


 デハーニは標的の横を通り過ぎる様に踏み込むと剣を一閃、そしてすぐ後ろに居た別の盗賊も流れる様に返す刀で袈裟斬りを叩き込む。

 当然の如く、1人目の首が宙を舞い、切り離された胴体からも鮮血が噴き出し、2人目の盗賊はレザーアーマーごと斬り裂かれて断末魔の声を上げた。


 瞬間的に3人の命を奪われた盗賊の残りが、慌てた様に指笛を鳴らすと森の陰から見張り要因の盗賊が4名現れ、その場の盗賊の数が5名となる。

 その中の1人はボウガンを持っており、ティルトを標的にされると面倒な状況となった。


「ボウガンかよ。めんどくせぇな」


 盗賊達が何やら汚らしい言葉を口々に吐いているが、それに耳を貸さずに冷静に殺す順番を見定めていくデハーニ。

 その時、デハーニの背後でいつの間にか銀世界の宿り木シルバ・ミストルティを構えていたティルトが不意に魔法を発動させた。


「深度1魔法 水球アクア・スパエラ


 これは一般的な生活魔法の1つである水属性アクア系の魔法で、これはその名の通り水球を場に生み出すもの。

 主に大気中の水分を凝縮する為、飲料水には適しておらず生活用水として使われる事が多い。


 ティルトは拳大の水球を盗賊の数である5個、手元に浮かべ始めた。


「デハーニさん今から10秒お願いします」


「おうよ。任せろ」


 2人は盗賊に聞こえないよう小声でやり取りを交わし。デハーニはボウガンからティルトを庇うように立ちはだかり、その背に隠す。


「こちとら仲間をやられたんだからよ...簡単に死ねるなんて思うなよクソが。おっさんの目の前でその女を滅茶苦茶にしてから殺してやっからなぁ!」


 その盗賊の叫びと同時にボウガンから発射された矢がデハーニに撃ち込まれるが、既にボウガンの先端の方向からその軌道を見切っていたデハーニは、難無くその矢を斬り払って撃ち落とす。


 ― これでティルトに手出しは出来なくなったな。馬鹿で助かったぜ ―


「馬鹿かてめぇら。熟練の剣士相手に目の前でボウガン撃って、当たる訳ねーだろ。そういうのは臆病者らしく草葉の陰から射るもんだ。勉強になったなクズ共」


 ボウガンは一度撃つと装填に非常に時間がかかる上、装填中は隙だらけになる。

 開幕のデハーニの動きから装填の隙を晒せない盗賊は、矢が装填されていないボウガンを向ける事しか出来ずにいる。


 その間、ティルトは腰のポーチから予め取り出していた、金属製の注射器の様なシリンダーから液体を水球に手早く打ち込んでいた。





「デハーニさん、行けます」


 そういってティルトがデハーニの陰から飛びだして、5個の水球を盗賊目掛けて撃ち放った。

 その速度は意外に速く、能力の低い一般人だとまず避けられない速度である。


「うぶぁ!?」「ぷわぁっ!?」


「ゲッ、ゴホッゴホッ!?」


 水球を顔面に喰らった盗賊が鼻や口から水が入り、咽て咳き込む。

 デハーニはこの時、そのまま斬り込んで全員仕留めようと考えたが、先程も言ったように草場に隠れたボウガンの存在を想定し、動かずにいた。

 今のデハーニの仕事は、身を挺してティルトを護る事という原則は忘れない。


 それに終始女性扱いされ、更に下種な感情を投げ付けられていたティルトが、単純に水球を当てるだけで終わらせるとも思えなかった。


「ボクは男ですっ!」


 そう言い放ってティルトは魔力が籠められた純銀の杖を盗賊に突き付けると、錬金術を発動させる。


 ― 深度2錬金術式 水変質オルタレーション 氷晶の輝きアイス・シャイン ―


 純銀の杖からティルトの魔力が放出され、装着された青い魔石が輝く。

 錬金術と純銀の魔力が共鳴を起こし、ガラスのコップを打ち鳴らしたような高音が響き渡った。

 本来であれば錬金術は離れた相手に効果は無いが、親和性を高めた高濃度の魔力を宿す銀世界の宿り木シルバ・ミストルティがそれを可能にする。


 杖の先端から魔力波動が放出され、盗賊の顔に付着した水にその魔力が触れた瞬間、その水が一気に凍り始めた。


「ひぐぃ!」「ヒァアガゴッ!?」


 予め水球に打ち込んだ性質変換剤がティルトの魔力に反応して、液体から固体への性質変化を引き起こす。

 そこに錬金術の物質の温度を下げる術式である冷却クーリングを加える事で、その変質は瞬間的に効果を表わした。


 盗賊達の顔に、そして鼻や口から入り込み体内に浸透した水がティルトの魔力波動を浴びて瞬間的に凍結していく。

 当然、水に触れた眼も、そして服を通して肌に染み込んだ水も例外では無く、盗賊の上半身から皮膚を引き裂いた血染めの氷の結晶が成長していく。

 盗賊達は上半身を襲う、未体験の激痛に全員叫び声を上げて地面をのたうち回っていた。


 この間に太陽の熱で蒸発した水球の水分も、魔力波動を浴びて空気中で氷結し、小さな氷の結晶となって陽光を浴びながら、キラキラと輝き舞い踊る。

 美しい風景の中で繰り広げられる地獄絵図。


「やっぱティルトは怒らせちゃなんねぇな」


 周辺に盗賊の仲間がいない事を確認すると、森の茂みに対する警戒は維持したままで剣を抜き、季節外れのダイヤモンドダストが舞う中を歩いていく。

 そして苦痛で転がる盗賊を踏みつけて地面に縫い付け、胸を一突きした後、その首に剣を振るった。

 デハーニによって流れ作業の様に、盗賊の首が地面に転がされていき、やがてその場は静寂に包まれた。


「全く嫌になりますね。ボク達は急いでいるのに」


 5名の盗賊に地獄を味わわせた少年は、純銀の杖を背に戻して苛立ちを露わにしていた。

 だがそのティルトの中には盗賊の記憶はもう欠片も残されておらず、予定を邪魔されたという苛立ちのみが残されていた。


「さぁ行きましょうデハーニさん」


「ああ、そうだな。ちょっと待っててくれ」


 デハーニは盗賊達の死体を脇に移動させながら、無表情でその声に答えた。


 白く輝く氷の結晶が寿命を迎えて消えていく。

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