第59話 街を去る者と向かう者

 クロムが冒険者パーティ《トリアヴェスパ》とネブロシルヴァに向けて街道を進んでいる時から2日程遡ったラプタニラ。

 その夜、街の一角で慌ただしく出立の準備を急ぐウィルゴ・クラーワ騎士団の姿があった。

 魔道具の明かりと篝火に照らされた白銀の騎士達が動き回っている。


「ピエリス団長!歩兵用滑走台の装着完了しました!魔石装着完了!いつでも出立可能です!」


 1人の騎士が完全武装でピエリスに報告する。


「総員整列!」


 ピエリスの両側にベリスとウィオラが立ち、ピエリスから号令が掛かった。

 金属が擦れ、ブーツが石畳を叩く音が響き騎士達が集合し始め、それと同時に緊張感も高まっていく。

 そして騎士達が集合し一転して静寂が周囲を包む。

 篝火の木が熱で弾ける音が響く中で、ピエリスが口を開いた。


「諸君!先程ネブロシルヴァからの伝令にて、伯爵閣下より至急帰還せよとの命令が下った!これより我らウィルゴ・クラーワ騎士団は輸送任務を継続しつつ、目的地に向けて第2戦速にて帰還する!心して掛かれ!」


 第2戦速と聞いて騎士団員が少しざわつく。

 騎士団における第2戦速とは、緊急時や援軍要請時の際の行軍速度であり、通常の移動では採用されないものだった。

 既に待機済みの馬の嘶きが現場に響き、行動開始の雰囲気を煽る。


 そんな中、ベリスの気迫に満ちた声が現場に発せられた。


「道中、馬の休息及び歩兵用滑走台の魔石交換以外での休息は無いものと思え!隊列の先頭はピエリス騎士団長、殿は私ベリスが、そしてウィオラ副団長が輸送部隊の指揮を執る!未だ輸送任務は継続中である!団員各位、気を抜くな!」


「「「「はっ!」」」」


「総員、配置に付け!歩兵用滑走台の最終確認後、直ちに搭乗!出立する!」


 ピエリスの指令で騎士達が配置に付く為に駆けていき、各部から準備完了の報告が飛び交う。


「しかし何があったのでしょうか?」


「わからん。先程、緊急の伝書鳥が管理官邸にやって来てからの出立だからな」


 ベリスとピエリスが突然の緊急帰還命令に疑問を覚えつつ、篝火と魔道具の明かりで星の光が掻き消されている夜空に厳しい目を向けている。

 テオドが調整を完了させた新装備を身に着けたウィオラは、押し黙ったまま、そっと拳を握り目を伏せていた。


 ― 結局、あれから言葉を交わす事は叶わずか..いや、まだ機会はある ―


 ウィオラがこの街で短い間に起きた様々な事を思い出し、それを噛み締め、脳内にクロムの黒い後姿を描き出した。


「クロム殿には会えず、話さぬままこの街を離れる事になるとはな」


 そう言ってピエリスは、身に着けている新しく支給された鎧をコンコンと小突きながら苦い顔をした。

 完全に治癒はしているものの、あの騒動以降クロムと言葉を交わしていないという事が胸に僅かな抵抗を残す。


「クロム殿は伯爵閣下との会談に参加する為にネブロシルヴァに向かわれるのですから、機会が失われた訳ではないですよ団長。私なんてあれから殆ど接点が無かったんですよ」


 そう言って、隣で落ち着き払っているウィオラを悔しそうに見るベリス。


 ベリスの知らない間に何があったのか、ウィオラが見慣れない装備を手に入れ、クロムと森に魔物討伐に言ったと聞いた時は、病み上がりの団長に思わず詰め寄って愚痴を零す程に動揺していた。


 そしてウィオラは、人が入れ替わったのではないかと騎士達の間で噂になる程に身に纏う気配が変化している。

 これにはベリスのみならずピエリスも、たった一人との出会いが、ここまで人を変えるのかと驚きを隠せなかった。


 しかしそれをウィオラに聞いても、「少し心を鍛えて貰った」としか返ってこなかった。

 実際、ウィオラの纏う魔力の密度や質が大幅に上がり、確実に能力が成長しているのだ。


 ある日を境にウィオラが装備し始めた、従来の騎士装備とは一線を画す奇妙な盾。

 明け方、騎士団の寄宿舎裏でそれを構え、魔力を練り上げる鍛錬中のウィオラの姿をピエリスは目撃した。


 ウィオラの身に纏う魔力と気迫を目にしたピエリスは、あれを私は突破出来るのかと暫く考え込んだほど。

 そして何よりそのウィオラの構えた姿がクロムの姿と重なった事に、治療が終わったばかりのピエリスの胸が小さな痛みを覚えるのだった。


「ベリスもほどほどにな。今は任務の事を考えろ。行くぞ」


「了解しました」


「了解」


 ピエリスは停滞し始めた思考を振り払うかの様に出立の命令を下し、2人の副団長もそれに短く答えた。


「ウィルゴ・クラーワ騎士団、これより作戦行動を開始する!出発!」


「「「「はっ!」」」


 寝静まったラプタニラの街の中を、騎士団の隊列が地面を揺らし動き出す。

 幸い夜中の街道は、一部の商人が荷を運んでいるのみで隊の行く先を防がれる事も無かった。

 そして騎士団はラプタニラ東門をくぐり抜けて、警備兵に敬礼で見送られると一路ネブロシルヴァへと向かう。




 ― クロム殿、本当に世話になった。また次の機会で会えるのを楽しみにしている。ご武運を ―


 ピエリスが馬上から遠ざかるラプタニラの街を振り返った。


 ― クロム様、今回はお預けを喰らいましたが、次こそは絶対にご一緒させて頂きますよ。どうかお元気で ―


 ベリスが星が瞬く夜空を見上げた。


 ― クロム殿、ありがとう。いつか貴方の背に追いついてみせる ―


 ウィオラが拳を握り、胸にそれを添えながら目を閉じた。




 クロムにこの3人の想いは届いていない。

 だが夜更けの街を駆けていく騎士団の音は、ゴライアの工房で読書をしているクロムのセンサーがハッキリと捉えていた。

 クロムはそれに何の感情も思考も動かさなかったが、それでもページを捲る手を少しの間だけ止める。

 間違いなくクロムの中に、存在感は残していた。







 一方その翌日、底無しの大森林の奥に存在する隠れ里の入り口でデハーニが旅の準備を完了させて立っていた。

 肩に掛けている使い古された革のリュックには、ポーションや解毒薬等、1人分以上の数が詰め込まれていた。


「お、お待たせしましたー!」


 そういって村の奥から駆けてくる金髪の少年。

 白を基調とした上下の旅用の服に、黒に赤のストライプが入ったコートを羽織っている。

 首から下げた錬金術師を表わす花と天秤とフラスコの意匠が施されたプレートが、ふらりと揺れていた。


「おう。慌てなくてもいいぞ。これからちょっとした旅になるんだから今から疲れても仕方ないだろ」


「確かにそうなんですけど...へへ、久々の旅が嬉しくって」


 そういって銀色の金属で造られた杖を持ち、嬉しさで表情を崩すティルト。

 腰には様々な薬品や道具が入ったポーチを幾つか装備し、新調した黒い革のブーツも履いている。

 それと布に巻かれた荷物を入れたリュックを背負っていた。

 その荷物は厳重に魔法で封印措置を施されており、本人の血液認証と魔力が一致しなければ解く事が出来ないものだった。


「今からそんなに気合い入れてると、クロムに会えた頃にはクタクタになってるぞ」


 嬉しさを抑えきれていないティルトの姿を見て、デハーニがニヤリと笑いながら言った。


「っ!?それはクロムさんに会えるのは勿論嬉しいですけどっ...ボクは旅が久々で...あーもう!出発前からイジワルですか!?」


 相変わらずその手の軽口には滅法弱いティルトは青い瞳に怒りを浮かべながら、顔を赤くして小さな拳を振り上げる。

 デハーニはその姿を見てワザと怖がるような素振りを見せた。


「わかったわかった。恥ずかしがらずに素直に喜んだ方が得だぜ。俺だって嬉しそうなティルトを見てる方が良いに決まってるんだからよ」


「んー...何か勘違いというか...釈然としないんですけど、まぁいいです。いきましょう!」


 そう言って、デハーニにとっての護衛対象が先陣を切って森に入っていく。

 その姿を見てデハーニが呆れた表情でそれを追いかけた。


「ちぃっとばかり先行きが不安だなぁこりゃ。ちゃんと合流出来ればいいんだけどな」


 そういって、デハーニは腰に吊り下げている剣の鞘の固定を再確認し革紐をきつく縛る。

 入念に手入れが施された剣が鞘の中でカチャリと音を立てた。


「まずは最短距離で街道に出て、ラプタニラを目指すか。途中で馬車でも拾えれば有難いんだが...ってティルト、あんまり先に行くな!」


 デハーニは気苦労がしばらく続く事を確信し、大きなため息を付いた。

 自身の立場を忘れて先に進むティルトが見ている森の風景は、いつもより明るく緑が色鮮やかに見えている。


 ― クロムさん、早く追いついて色々とまた話がしたいなぁ。ボクの事忘れてるとか...流石にないよね? ―


 ティルトはクロムのあの無感情な声を思い出して脳内に一瞬、忘れられているという最悪の光景を思い描き、それを振り払うように首を振った。







 デハーニとティルトが村を出た頃、ゴライアの工房で武器の設計に関して工房主と意見を交わしながら読書に勤しむクロムがいた。

 一方で店舗には3人の冒険者が訪れていた。


「こんにちはー。ちょっと武器のメンテナンスをお願いしたいんだけど―。ランク3層の鍛冶師さんのお店ってここだよね?」


 盗賊のフィラが店の中に入り、店番をしながら武器の手入れをしていたテオドに声を掛けた。


「はい。師匠、いえ鍛冶師のゴライアさんは裏の工房に居ます。呼んできましょうか?」


「大丈夫ーこっちから出向くから。裏に回ればいいのね?」


「はい。裏の工房で多分煙が出てたら中にいると思います」


「りょーかい!ありがとねー」


 そう言い残してフィラとロコ、ペーパルは一旦外に出て裏へと回る。

 庭の短く刈り込まれた芝生の踏まれる音が、天気の良い昼下がりの庭に響く。


「良い品が揃ってたな。腕は流石に一流だな」


「あの壁に掛かってた魔法弓って幾らぐらいするのかなぁ」


 そんな会話をしながら歩を進めると一行は裏庭に辿り着き、煙突から薄い煙を出している工房と思われる建物を発見した。

 周囲を見渡すと、少し窪んだ地面を中心に強い風が吹き荒れた形跡と、地面に刻み込まれた一本のひび割れの様な溝が見えた。


「んー...何か既視感がある光景...」


 フィラの直感は既にその既視感の正体に気が付いているようで、危険は察知していないものの緊張感を沸き上がらせた。

 耳を澄ませると工房の中から、訓練場で聞いた野太い声が耳に入って来た。


「あのー...すみませーん...ってやっぱり黒騎士さんいるじゃないの!」


「おおん?なんだなんだ騒がしい客だな。ってお前さん達あの時の冒険者じゃねーか。確かフィラだったか?すまんが残りの2人の名前は知らんぞ」


 ゴライアが図面を棚に収めながら奥から出て来る。

 クロムは本から目を離し、その声の方向に目を向けるとデータ内からオーガ戦の時の冒険者の情報を引っ張り出した。


「あのオーガの時の冒険者か。そういえばギルドの時も居た気がするな」


「そうそう。オーガの時はホントに助かったわ。改めてお礼を言わせて。ありがとうね。おかげで3人共無事に生き残れた」


 そう言って3人が頭を軽く下げた。


「特に感謝はいらない。だが気持ちは受け取っておく。とは言ってもあれは成り行きだったが」


「それでもよ。感謝はちゃんと伝えとかないと運が落ちるっていうのがうちらのジンクスみたいなもんだから」


「そうか」


 そう言って再び読書に戻るクロム。

 そのやり取りを見て、妙に感心したような口調でゴライアが訪問の要件を聞いた。


「明日か明後日、依頼を受けにネブロシルヴァに向かうからその前に装備をメンテナンスして欲しかったんだけど、受けて貰える?」


 そう言って3人はそれぞれの武器をゴライアに見せた。


「うちはその場での受付はしないんだが、お前さんらは何かの縁だ、明日の昼まで待てるなら一通り見てやるぞ。料金は武器一つに付き銀貨最大で8枚ってところかね」


 この世界では王金貨1枚が金貨100枚、金貨1枚が銀貨10枚、銀貨1枚で白銅貨10枚、白銅貨1枚で黒銅貨10枚の貨幣構成となっていた。


 銀貨1枚で程度の良い宿屋1泊3食付き、食事だけなら酒付きで3日は過ごせる。

 新人冒険者が素材採取で1日に稼げる金額が多くて白銅貨5枚程である。

 一般的な鍛冶師の武器メンテナンスは研ぎとコーティングで高くても銀貨2枚かからない。

 それを考えるとゴライアの示した料金はかなりの金額と言えた。


「うぅ、流石にこの街一番って紹介された3層鍛冶師のメンテナンスはお高いわね...」


「あー、俺ん所のメンテナンスは研ぎとコーティング以外に曲がり歪みの修正やら魔法の再付与、魔力の再充填までがセットだからな。だから最大で銀貨8枚なんだよ。悪いが料金の値引きはしないぜ」


「そんなのするわけないでしょ。アタシ達の命を預けている武器を手入れしてくれる鍛冶師の値段にケチつけるなんてありえないわよ。いいわよしっかり払うからお願い出来るかしら」


 クロムはその会話を聞きながら、フィラの言葉に少々感心した。


「いいねぇ。気に入ったぜお前さん達。それなら明日の昼まで武器は預からせてくれ。もし代わりの武器が必要ならそれなりのヤツ貸してやるから使ってくれて構わん。もし新しく武器を買い替えるなら値段は張るが、バッチリ調整してやるからよ。そん時は店番の小僧に連絡入れてくれ」


 そう言うとゴライアは壁際に置かれた魔法施錠が可能な武器の収容棚を開けて、彼らに武器を収納するように促した。

 武器の盗難や第三者への不用意な武器への接触を防ぐ為の措置である。

 そしてゴライアの魔力認証を施して施錠する。

 この収納棚自体が非常に高価で、持っている鍛冶屋は少ない。


「ああ、そうだ。なぁお前達、ネブロシルヴァに向かうって言ってたな。もし良ければ俺の依頼を受ける気はねぇか?もし受けるなら依頼料代わりにメンテナンスフルコースで料金半分の銀貨4枚にしてやるが、どうだ?話聞くか?」


 早速一番大きなロコの大斧を手に取り、歪みや劣化を調べ始めたゴライアが唐突に3人に依頼の誘いを持ち出した。


「え?なになにその話。是非とも聞かせて頂戴。聞くだけならタダだし、実質1人当たり銀貨4枚の報酬でしょ?3層鍛冶師メンテナンスフルコースで銀貨4枚になるなら大助かりよ」


 速攻でゴライアの話に食いつくフィラ。

 他の2人も興味津々でその話を聞いていた。


「おうよ。実はな、そこで本を読んでいる黒騎士も近日中にネブロシルヴァに向かう予定なんだが、どうにもコイツはイマイチ常識が足りない部分があるんだわ。そこでだ、俺の依頼はコイツを冒険者の常識を教えながらネブロシルヴァに連れて行ってくれねぇか?」


「はぁ!?アタシ達がこの黒騎士さんを!?大丈夫なのそれ?その依頼に対しての報酬は破格だけどさ」


「いや別に少し会話しながら同行させてくれるだけでいいんだ。その他の責任は俺が取る。いやコイツ常識外れの強さなんだが、世界の常識もあまり通用しないフシがあってだな。行く先々でやらかしそうな気がして仕方ないんだよ」


 クロムが何処か不満があるような視線をゴライアに向けるが、ゴライアの心配そうな顔はかなり真剣みを帯びていた。

 フィラ達は提示された報酬的にも、そして何よりクロムに対する興味も含めてこの依頼を断る理由は全くなかった。

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