第56話 乱気流と煌めく暴風
グラモスの縦横無尽に振られるファルシオンから繰り出された無数の斬撃が、クロムに襲い掛かる。
現状、直撃したとしてもクロムに実質的な損害は及ぼさない。
勝利という目標であれば、クロムはこのまま立ったままで相手の魔力切れを待ち、一撃を叩き込めばそれで終わる。
ただそれではグラモスを審査官としてこの場に引き摺り出した意味が無いと、クロムは考えていた。
まずは両腕を使い、コアにて斬撃の軌道と着弾予測を算出し、最適かつ最小限の手数にて防御を試す。
次第に結晶斬撃をクロムが叩き砕く破裂音の間隔が狭まっていく。
その度に舞い散る結晶の破片が周囲に舞い、それが陽光と合わさり美しい光景がクロムの周囲に発生していた。
それがクロムの漆黒をより際立たせる結果に繋がり、いつの間にか付けられていた黒騎士の二つ名の印象を大きくしていく。
クロムはグラモスの攻撃を弾きながら、結晶斬撃ともう一つ、現状では気流可視化でのみ探知可能な攻撃の考察を続けている。
着弾した際の破壊力は結晶よりも僅かに劣るが、着弾時に発生する風にも相応の攻撃力がある。
実際にその攻撃に衝撃によって、装甲に傷は付かないものの、着弾点を中心に表層の対光学兵器用防御被膜が片っ端から剝がされている。
― これは風属性の魔法かも知れないな。斬撃と似た性質の魔法と現段階で仮定しておこう ―
クロムは過去にティルトが解説した魔法の属性の情報を参照して、風魔法の一種であり、尚且つ装甲表面に走る衝撃の計測値から風の刃と言うべき現象を飛ばしていると推察した。
離れれば飛来する無数の斬撃、接近すれば中途半端な防御では完全に防ぎきれない剣撃が来るとすれば、普通の相手ではかなり対処が困難だった。
しかしながら、ギルドのロビー内でゴライアとの会話にあったように、武器の素材や魔力量、剣技等による攻撃は威力に明確な限界点があり、クロムの装甲を突破出来ないという事は、グラモスはこれ以上の戦果は望めないという事でもあった。
ただしこれはあくまで力量審査である。
クロムの強さを冒険者としてランクで表した場合、どの位置に属するのかを決めるものであり、勝つ必要は無い。
言い換えれば審査官のグラモスか立会人のゴライアが、終了を宣言すればこの場は終わってしまう。
― それは困るな。早急に次の検証に移るか ―
今まで防戦一方に見えていたクロムの動作が変わり始める。
「流石はギルドマスターだな。黒いの防戦一方で手も足も出てないじゃないかよ。やっぱオーガの噂は嘘か誇張なんじゃねぇか?」
「でも見ろよ。黒騎士は全くダメージ受けてねぇぞ。むしろ何か遊んでる様に見えるのは気のせいか?」
今まで声が出なかった一部の冒険者、特にクロムとグラモスとの間で何が起こっているのか十分に理解出来ていない者達がざわつき始める。
その殆どが、理解を超えた戦いを見て何故か自分がギルドマスターと同等の実力を持った気になっている者達。
グラモスとその強さへの憧れが歪んでいる為か、一様にクロムを身の程知らずと口々に言い始めた。
「...ホント、冒険者ってバカしかいないのかしら」
そんな冒険者達を見てフィラが、心底嫌な顔で言葉を吐き捨てる。
「ガハハ、言うじゃねぇか嬢ちゃん。ではお前さんはこの戦いどう見ている?」
「鍛冶師さん?アタシはフィラって名前があるのよ。まぁいいけど。どう考えてもギルドマスターに勝ち目がないのがわからないのかしら。最高の切れ味の鉄剣で幾ら斬りつけてもミスリルの板は永遠に斬れないわよ」
「ゴライアだ。わかってるじゃねぇかフィラ嬢。恐らくクロムは最初の接近戦をワザと喰らってグラモスの剣技の正体に速攻で気が付いてる。次は距離を離したどうなるか試して、今はその攻撃の正体に朧気ながら感づいているな」
その言葉を聞いてフィラは、ゴライアのその観察眼に対して僅かに尊敬の眼差しを浮かべる。
彼の胸元には3層プレートが光っていた。
「でもどう考えても、そんな戦法取れるのって桁外れに硬そうな黒騎士さん以外に居ないでしょうに。黒騎士さん、完全に対人戦特化の戦闘狂なのかしら」
「その戦闘狂にあの時の俺は何を考えたか、新しい玩具を与えてしまったんだよなぁ。おっと、そろそろ終わらせるつもりだな。危なくなったら逃げろよ。下手すりゃ死ぬぞ」
「え...?どゆことなの?新しい玩具って、黒騎士さん徒手格闘でもあれなのに武器も扱えるの?」
フィラが顔を引き攣らせて戦いに目を向けると、ちょうどクロムの左腕に巻かれていた鎖が、防御行動の合間を縫って解放され始めていた。
「うわ、アタシの予想が当たってるなら...あれやばくない?」
その時、訓練場の中心にギャリギャリという鎖の擦れる音が発生し始めていた。
「さてグラモス殿。途中で降りられても困るので、そろそろこちらから行かせて貰う」
「どうせそうだろうと思ったよ!どう考えても今の俺じゃお前は倒せないみたいだからな!探られるだけ探られてこれかよ全く!」
諦めた口調とは裏腹に、グラモスの剣舞の速度が上がり始め、防御に必要な手数とその攻撃力が上がり始めている。
グラモスもギルドマスターとして、元ランク4層冒険者としての意地があった。
コアの報告も一定以下の損害は全て記録は取っているが、途中から報告を切り捨てていた。
新たに報告が来ないという事は、いずれにしても脅威では無いという事。
― コア出力50% 遊撃鎖連携格闘プログラム 実行中 ―
左腕の鎖と徒手格闘を連携させようと組み上げた戦闘プログラムが、開始時に実行したは良いが今までその本領発揮の機会が無く、お預けを喰らっていたがようやく役目を与えられる。
数と勢いを増していく攻撃を両腕で防御しながら、左腕の鎖が徐々に解けていく。
やがてそれはクロムの防御行動と鎖の操作を融合させていく左腕の動きに合わせて生き物の様にうねり始め、そこから左手を中心に回転しながらグラモスの攻撃を弾き始めた。
両腕の防御に鎖が加わり始め、やがてクロムの左手の動きに合わせて角度を次々に変え、鎖は風の魔法斬撃をクロムに着弾する前に迎撃し始める。
クロムの周囲を風魔法の余波と鎖が巻き起こす暴風が合わさって、暴れ始めた。
既に尋常では無い速度で回転する鎖によって訓練場には聞いた事の無い様な、斬り潰される空気の悲鳴が響き渡っていた。
その音だけで先程までクロムを見下していた冒険者は及び腰になっている。
あの鎖に触れたら間違いなく粉微塵になるという予感だけは、経験の浅い彼らでも分かっていた。
そしてグラモスの攻撃は既に全て鎖だけで防御され、もはやクロムの身体に届きもしない。
粉砕された魔力結晶の粒子を巻き上げた暴風が訓練場の中心に吹き荒れた。
「うわぁ...これやばいなぁ...逃げた方がいいよね?でも、でも見ていたい!」
「これはもう冒険者の枠組み超えてるぞ!新人の力量審査だよなこれ!」
「ああ...やっぱりこうなるんですね...し、死ぬかもしれない...」
「お前らまだ見るってんなら俺の近くに寄ってろ。アイツの戦いの中に元より戦友なんて言葉は存在しねぇんだ。あれが俺達に当たらねぇ事を祈るしかねぇぞ」
その言葉を聞いたトリアヴェスパの3人は慌ててゴライアの周囲に集まった。
グラモスは既に戦意は喪失していたが、まだ剣舞を止める気にはなれなかった。
黒騎士の二つ名を聞いた時、大げさな名前負けした新人と気にも留めなかった事を後悔し始めている。
そして改めてバカな冒険者と受付の失態によって、危うく冒険者ギルドとこの怪物が敵対寸前までいっていた事を再確認し、背筋が凍り付く。
しかもそのせいで自分がこんな事に巻き込まれている事実に、苛立ちを抑えきれない。
― こんなふざけたペテンの様な強さがあってたまるかよ!何なんだこいつは!くそったれが! ―
クロムが鎖を振り回しながらゆっくりと距離を詰めてくる。
既にグラモスの剣の射程内に鎖の先端が入り込んでいて、下手に剣とかち合えば間違いなく剣が持っていかれるか、無残に砕け散るかの2択だった。
剣技を繰り出し、ステップを踏みながらギリギリの位置で、それでもグラニスは攻撃の手を緩めない。
「!!?」
グラモスの元高ランク冒険者の勘が、瞬間的に危険という文字を脳内に描いた。
すると一瞬、鎖の唸り声が途切れ、刹那の静寂が訪れる。
クロムは左腕の動きと身体の捩じりを使い、豪速で回転する鎖を縦割り軌道に乗せた。
そのまま鎖はグラモスを一刀両断する軌道で彼の頭上から襲い掛かる。
グラモスは全力で回避行動を取り、今度は間一髪という意味で鎖の一撃を紙一重で回避する。
訓練場の石畳に鎖が叩き付けられ、周囲の人間の鼓膜を破らんばかりの破裂音を発生させた。
石畳が一直線に大きくひび割れる。
あまりに大きな衝撃が鎖に加わった為、鎖自体もダメージを受け、その反動で付与されていた魔力が周囲に魔力波動となって放射される。
その放射だけで鍛錬の足りない1層冒険者は、魔力飽和で胸を抑えてうずくまった。
グラモスは至近距離で轟音と魔力放射を浴び、魔力制御に依存している剣技に障害が発生し始めていた。
ファルシオンに付与された術式が魔力放射によって魔力の過剰供給を引き起こし、魔力回路が焼き付き始めて青い火花を発生させている。
グラモス自体も衝撃と音で三半規管をやられ、視界が若干ふらついていた。
クロムは何らかの影響で剣技を妨害出来たと考え、そこから追撃を開始した。
鎖を引き戻し、その勢いのまま回転を加え両手をあらゆる方向に動かしながら、鎖を意のままに操り始める。
横薙ぎ、殴打、叩き付け、巻き付けと息をする間もなく変化する鎖の軌道。
先日のオークを手玉に取った時以上に、命を宿したかに見える鎖は変幻自在にグラモスに襲い掛かっていく。
クロムは鎖にグラモスのファルシオンを破壊する程の威力は込めていなかった。
仮に直撃しても彼の命には届かないと予測していた。
既に興味はグラモスがどこまで防御出来るかというものにシフトしている。
グラモスも元とは言えランク4層の実力は確実に持ち合わせており、ファルシオンへ負荷を下げながら剣技を織り交ぜ、未だ鎖を弾き返していた。
ただ鎖は単純な軌道を描かず、中途半端に防御すればそこを視点に軌道を変えて予想外の方向から襲い掛かってくる。
グラモスは剣による防御に身体操作を加えなければ、防御と回避が間に合わない状況まで瞬く間に追い込まれていった。
そこで更にクロムがその隙を狙って踏み込み、拳打、掌底、手刀による突き、蹴りまで織り交ぜ始める。
鎖を防御し剣が弾かれ、その隙間を縫ってクロムが波打たせた鎖が直撃し体勢を崩すと、その不安定な所にクロムの徒手格闘が撃ち込まれる。
その上からその隙を突く様に、完璧に操作された鎖が視界の外からグラモスを打つ。
一度決壊し始めた防御を復旧する術は無く、後はただひたすらにクロムの攻撃の衝撃で躍らされるのみであった。
「感謝するグラモス殿。俺にとって今までで一番実りある戦いが出来たかも知れない」
「く...はっ、そ、そうか。それは、何より...だっ!」
その会話を交わした直後、クロムが2メートル程後方へジャンプした。
それと同時にグラモスの身体に鎖が巻き付き、彼の動きを封じるとクロムが瞬間的に鎖を引き、体勢を手前に崩す。
そこにクロムがカウンターでグラモスの空色の軽鎧の胸部へ巻き付いた鎖越しに掌底を叩き込んだ。
ズドンという鈍い音が響き、グラモスの鎧の魔力回路が悲鳴を上げて火花が散った。
クロムの掌底と鎧に挟まれた鎖からも火花が散っている。
「ぐ、は...くそが。最後...これ...いらねぇ...だろう...がっ!」
その言葉を最後にグラモスは倒れ、クロムに抱き留められながら意識を失った。
「それまでだ!」
ここでようやくゴライアの力量審査の終了の宣言が訓練場に響く。
ゴライアは立会人として指名された事をすっかり忘れて、戦いに見入ってしまっていた。
間違いなく当事者のグラモスからすれば、遅すぎる終了宣言。
その為、止まらなかったクロムの余計な最後の一撃で意識を吹き飛ばされてしまった。
宣言後、クロムの隣に歩み寄っていったゴライアは地面に寝かされたグラモスの顔を覗き込んで言った。
「死んでねぇよなコイツ」
「殺したつもりはない。間違い無く手加減はしてあるぞ」
この2人の会話を耳にして、逃げずに残っていたトリアヴェスパの面々は心底呆れる。
その後、訓練場は大慌てでポーションを運んできたギルド職員と緊急で招集された治癒術師達で暫くの間ごった返していた。
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