第50話 怪物の尾と騎士の一閃

 馬車から降りてきた青年は、一般人が着ている衣装とは大きく異なる煌びやかな物だった。

 クロムは馬車の豪華さや伴の騎士を見て、上流階級の人物である事はわかっていたが、意外にもその体格は華奢では無く鍛えられたものだ。

 ピエリスとよく似た色の金髪で碧眼の青年は、礼をする事なくクロムに声を掛けた。


「君か、先日の討伐戦で戦っていた戦士というのは」


 尊大な態度な青年の傍らには、男性と思われる完全武装の騎士が油断無く控えている。


「戦士ならあの場に多数いた筈だ。要件を言え」


 クロムの敬う事すらしない静かな声が返される。


「単刀直入に言う。君の持っているブラック・オーガの魔石をこちらに渡したまえ。献上品とあれば私がその内容を保証する必要がある。得体の知れない人間が持って行って良い物では無い。例え騎士団の客人であっても対応は変わらん」


 一瞬にして、その場の空気が凍り付く。

 詳しく言えば、クロムと相対する3人以外の人間が凍り付いた。

 特にあの戦いを目の当たりにした騎士達と、運悪くこの場に居合わせてしまった警備兵の血の気が明らかに引いていく。


「なるほど。最終的にこの街の手柄として献上し、上の評価と覚えを良くするというところか。それもまた生きる為の手段だからな。立場上、仕方の無い事だろう。ただそもそもあの魔石は献上品として扱っていない筈だ。それを勝手に献上品と決め横取りとは剛毅な事だな」


 クロムの言葉で青年が顔に怒りの表情を浮かべ、供の騎士も剣の柄に手を掛けた。


「貴様。この街の管理官であり男爵の爵位を賜っているソリフ・ホウツ・ラプタニラに対しそのような態度を取って良いと思っているのか。御託は良い。さっさと大人しく魔石をこちらに渡せ。話には聞いていたが、言葉も理解出来ぬ獣ではあるまい」


 ソリフ管理官の言葉に対してもクロムは全く雰囲気を変える事はない。


「まずウィルゴ・クラーワ騎士団団長ピエリス・アルト・ウィリディスに問う。貴殿はこのソリフ管理官の立場側に立つという認識でいいか」


 急に会話を振られた驚きよりも、クロムの問いの恐ろしさにピエリスは心臓を掴まれた気分に陥っていた。

 それはピエリスの隣に立つベリス、そしてクロムの後ろで状況の急展開に息を飲むウィオラも同じ。


「わ、我々はオランテ・ファレノプシス・ソラリス・オルキス伯爵閣下の指揮権に帰属する騎士団であり...ソリフ管理官と権限を...同じくする立場に...ある」


 絞り出すように答えるピエリス。

 騎士団の長として当然の回答ではあるが、それでも周囲はざわつき始めた。


「ではソリフ管理官。貴殿は武力行使も含め、俺から魔石を回収するという意思を持っているという認識で構わないな」


「そ、そうだ。大人しく渡せば何も問題無いのだ」


 周囲のざわつきと、自身の立場を表明しても全く動じないばかりか、声の迫力を増しているクロムに気圧されるソリフ。

 そして静かにクロムの口から、その返答がソリフに言い渡された。


「魔石の譲渡は断る。もし殿が武力行使に出るのであればそれに即座に対応させて貰う。そして明確な敵対意思を認めた場合、先制にてこちらから攻撃を開始する」


 ピエリスはクロムの“貴殿側”という言葉を聞き逃さなかった。

 この時点で、あの返答の時点で騎士団もクロムの攻撃対象に入っている事実にピエリスは戦慄した。

 何とか収めようとピエリスが声を上げようとするが、それは遅かった。


「貴様ぁ!」


「賊として斬り捨ててくれる!」


 クロムの実態をまだ知らない騎士2人が一気に抜剣し斬りかかる。

 だが、そこに響いたのはクロムの悲鳴でもなく、クロムの身体に剣が当たる音でも無かった。

 騎士の踏み込みよりも早く前に出たクロムが、一瞬でその刀身を両手で掴み取り、ベキリという音と共に木の枝のようにへし折る。

 砕けた剣の欠片を振り捨てたクロムの開かれた両手が、驚きで声も出ない騎士達の頭を掴み取った。


 その瞬間、クロムはその頭部を掴んだまま、騎士2人を地面に叩き伏せた。


「ごがぁ!」「ぐぶぅ!」


 兜越しとは言え、クロムの力で地面に叩き付けられた騎士が悲鳴を上げ、その後頭部を地面にめり込ませた。

 それだけでは終わらない。

 ウィオラの時とは比較にならない程の握力が騎士の頭部を襲い、兜ごと頭部が圧縮され始める。

 瞬く間に歪みひしゃげていく兜から、いつか見た赤い魔力の火花が一気に弾け、騎士の兜に施されていた付与された術式が引き裂かれた。

 クロムはそのまま立ち上がり、騎士達の頭部を握り潰しながら片手でフル装備の騎士を宙吊りで持ち上げる。


 尋常では無い攻撃を受け、空中で脚をバタつかせる騎士。

 既にくぐもった悲鳴しか上げられず、あまりの苦痛と恐怖により片方の騎士の脚の付け根からは黄色い液体が零れ落ちていた。


「クロム殿!」


 誰かが叫ぶが、それで止まるクロムでは無い。

 クロムはソリフ管理官の乗って来た馬車に標準を合わせると、もがき続ける騎士達をそのまま馬車に投げ付けた。

 全身鎧の騎士が宙を舞い、馬車に激突、見事な装飾の客室を内装もろとも破壊する。


「ソリフ・ホウツ・ラプタニラ男爵。今一度問う。貴殿は敵か?」


 騒動前と全く変わらない口調と雰囲気のクロムの無機質な視線を浴び、ソリフは自分の置かれている立場をようやく理解した。


「ひぃ!く、来るな化物め!この無礼者がぁ!」


 恐慌状態に近い状態に陥ったソリフは、腰の剣に反射的に手を掛ける。


「管理官!剣は絶対に抜くな!死ぬぞ!」


 ピエリスは管理官の行動を止めようと、大声で叫ぶ。

 クロムが敢えてソリフを爵位で呼んだ意味を唯一理解出来たピエリス。


《敵意を持つ物は等しく敵として平等に対処する》


 ― 間違いなく殺される!爵位や身分等この男の前では何の役にもたたない! ―


 鞘に収まった剣から音がする程に震えるソリフに、ゆっくりと歩み寄るクロム。

 そして騎士を頭を握り潰したその凶悪極まる黒い手で、騎士よりも幾分小さなソリフの頭部を同じように鷲掴みにした。


「ふ、ふぐぅ!」


 クロムが僅かに力を込めるだけで、生身のソリフの頭部から頭蓋骨が軋む音が聞こえてくる。


「っ!かっ!」


 必死にクロムの手を引きはがそうとするが、叶う訳はなかった。

 クロムの親指と人差し指の隙間から、苦痛と絶望の染まったソリフの見開かれた目がクロムの目と合う。


「もう一度問う。は敵か?」


 問いの答えを聞く間もなく、更に力を込めるクロム。

 その手と顔の隙間から鼻血と思われる血液が、滴り落ちて来た。

 その時点でソリフの目が白目を向き、全身から力が抜ける。


 クロムは興味を失ったように手の力を緩め、ふとピエリスの方に向くと、おもむろに力の抜けたソリフを手加減付きで投げ付けた。

 突然の出来事だったが、何とか身体強化を駆使してそれを受け止めるピエリス。

 それでも金属の鎧を身に着けた騎士に激突した事には変わりなく、激しい音を響かせた。




 耳と鼻から血を流すソリフを騎士団員が、後方へ連れていき治療を始める。

 ピエリスは剣の柄に手を掛ける寸前で踏みとどまりながら、全身から冷や汗を流していた。

 既に鎧の下のインナーは汗が絞れる程に濡れている。


 ― 次は...私、いや我々か... ―


 ピエリスは怪物の尾を踏んでそのまま終わるとは思っていない。

 あろう事か踏み抜いてしまった。

 すると攻撃より先にクロムの声が飛んできた。


「ウィルゴ・クラーワ騎士団 騎士団長 ピエリス・アルト・ウィリディスに問う。貴殿らはこれより騎士団の役目である治安維持行動として俺に剣を向けるのか。俺を処罰の対象として行動を開始するのか。答えよ」


 ピエリスはこのクロムの質問に対し、心の中で叫んだ。


 ― 答えられる訳ないじゃないか! ―


 クロムはこの街の管理官と騎士に対し危害を加えた事により、治安維持規定における明確な処罰対象である。

 剣を向けなければ、騎士団の存在意義と共に騎士としてのピエリスは死ぬ。


 騎士団の団員を含めて命を優先するのであれば、剣を絶対に向けてはいけない。

 剣を向ければ騎士団が死ぬ。

 ピエリスも含めて。


 ピエリスは僅かながらでも、クロムは今までの様に平坦な口調で事態を収めてくれると願っていたが、相対するクロムから発せられる濃厚な死の香りは彼女の願いを無慈悲に切り裂いた。


 そして更に発せられたクロムの言葉がトドメを刺す。


「現刻をもって俺は騎士団と別行動を取る。以降、その一切の関係性を破棄するものとする。また騎士団の名で、この街の鍛冶師ゴライアに騎士団が管理している魔力結晶の一部を贈呈する事に同意してもらう」


「なっ!?」「そ、そんな!」


 驚くピエリスとベリス。

 そしてクロムの後ろで何も言わずに背中を見つめ続けるウィオラ。


 その声を無視して、クロムがいつもの彼女達が耳にしていた落ち着いた静かな声で続けた。


「ピエリス、騎士団長として剣を抜け。職務を全うさせてやる」





 クロムの言葉を聞き、ピエリスは迷うことなく剣を抜いた。

 これがクロムの心遣いだと信じたからだ。

 ピエリスはクロムから一騎打ちを持ちかけられた。


 そもそもクロムはこの国に籍を置いているわけでは無く、当然ラプタニラの住人でもない流浪の旅人だ。

 そして領主である伯爵が絡む、れっきとした客人である事には変わりはない。

 そこに事情を知らないとはいえ、権力で他人の所有物を奪おうとしたソリフ管理官に非があるのは明白だった。

 しかしクロムは管理官であり爵位を持つ人物に危害を加えてしまった。

 それに関しては、例え如何なる理由があろうとも騎士団は動かざるを得ない。


 一騎打ちにてピエリス1人が命を使い、他の騎士達の助命に繋がるのであればそれが最善だった。


 ― 結局、私の運命は決まっていたのかも知れない ―


 ピエリスが、自分でも意外な程に心が落ち着いている事に気が付く。

 するとクロムの口からまたしても予想しない言葉が告げられた。


「副団長べリス・プレニー、同じく副団長ウィオラ・トリコ。ピエリスの後ろに距離を開けて立て。一度しか言わない。機会を無駄にするな」


「え、クロム様、一体何を...」


 突然フルネームで呼ばれたベリスが驚き、クロムの敬称を間違える。


「了解した」


 反して、一切の疑問を持たずクロムの後ろから出て、ピエリスの後ろに歩いていくと、言われたとおりに立つウィオラ。

 その様子を見て慌てて行動するベリスは、先日までのウィオラとは全く違う雰囲気に、そして見慣れない装備に驚きを隠せない。


「テオド、貨幣は持っているか。持っているなら合図で上に投げてくれ」


 初めて体験する武力衝突の状況と、何よりクロムの見せた圧倒的な力に呆然としていたテオドにクロムが声を掛ける。


「わ、わかりました。銀貨で良ければ...」


「頼む」


 そういってクロムは剣を抜き、油断無く構えているピエリスと改めて相対する。


「では行くぞ。ピエリス・アルト・ウィリディス」


「...ああ、クロム殿」





 クロムがテオドに合図を送ると、銀貨が空中に投げられた。

 緩やかに放物線を投げられた銀貨が回転しながら夕暮れの光を反射し、キラキラと輝いていた。


 ピエリスはその銀貨の煌めきを見て、何故かあの時、クロムに掛けられた言葉を思い出した。

 関連する記憶はあまり思い出したくない物だったが、それだけは違った。


《美しい気配を放つ見事な一振りだった》


 ゆっくりとゆっくりと落ちていく銀貨、そして出会った時と一切変わらない気配を放つ黒騎士クロム。


 ― ああ、そうか。私は今あの伝説の黒騎士と一騎打ちしているのだな ―


 ― そういえば、あのデハーニ殿との再会も叶わずか。剣を交えてみたかった ―


 ピエリスの喜びと後悔の思考が、緩やかに流れる時間の中で浮かんでくる。

 研ぎ澄まされるピエリスの五感。

 魔力が全身を包みこみ、その身体能力を一気に高めた。


 チャリーン


 石畳に銀貨が落ちて跳ね上がった。


 瞳孔が見開かれたピエリスが、刹那の時間を生きる。

 石畳を蹴ったピエリスが瞬間的に前進し、踏み込みと同時に身体を回転させた。


「抜剣式騎士剣術 回華一閃タラクサカム


 他にも使える剣技はあった。

 だがピエリスはこの剣技を選んだ。

 これでなくてはならなかった。


 クロムは動かない。


 ― ならばこのまま!! ―


 ピエリスの剣が身体の回転と共に横一文字に薙ぎ払われ、剣閃とも呼べる美しい直線を描き、一筋の光となってクロムに走る。

 だがその刃がクロムの首に届く事は無い。


 キーンという、その場に似合わない澄んだ音色とも言える美しい金属音が、その場に響き渡り、ピエリスの剣の折れた刀身が宙を舞っていた。


 「やはり美しいなお前のその剣技は」


 クロムはそう呟きながら右腕を立てて、その剣閃を真っ向から受け止めていた。

 そしてそのままピエリスに密着とも言える距離まで踏み込む。

 その瞬間、クロムとピエリスの目が合う。


 ピエリスは今までにない程の澄んだ瞳をその眼に湛えていた。


 踏み込みと同時に剣を防御した右腕を振るって、クロムの肘がピエリスの胸部に瞬間的に突き出された。

 ズドンという踏み込みの音、そしてゴガンというピエリスの金属鎧を破壊する音が重なる。

 ピエリスの胸部から赤い火花が大きく舞い散った。

 クロムの踏み込んだ脚は石畳を砕き、踏み込みの勢いと全体重が掛かった肘先が1点集中で鎧の付与魔術を完全に突き潰す。


「がふっ!」


 クロムの当て身の衝撃を受けてピエリスは肺の空気を全て吐き出しながら、後方へ吹き飛んだ。

 この時点で意識は既に体と共に吹き飛ばされている。

 その後ろには疲労困憊ながらも、身体強化を不完全ながら身体強化を受け止める体勢を整えているウィオラ。

 ベリスも真剣な表情でそのウィオラを庇うように構えていた。


 ガシャンと鎧同士が激突する音。


 ピエリスを何とか受け止めた2人は、余った衝撃で後方へ吹き飛ぶもピエリスは離さなかった。

 石畳を背中で滑るベリスとウィオラ。

 その二人に抱き留められたピエリスの鎧は胸部が大きく凹み、小さな赤い火花を一筋最後に放出した。


「これで済ましたのは騎士団への礼だ。もし次に俺に敵意を向けるのであれば、次こそは容赦しない」


 クロムはそう言って、静まり返るこの場を後にして街へ入っていく。


「あ、ク、クロムさん、僕はオークを処理してから帰ります!」


 クロムが片腕を上げてそれに応え、やがて街の中に消えていった。


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