第49話 感情の無い称賛
ウィオラの一撃がオークに炸裂したのを横目で確認し、問題無いだろうと判断したクロム。
その左手から伸びる鎖の先には、首を巻かれたオークがようやく立ち上がれたのか、鼻息荒くクロムを睨みつけていた。
棍棒を振り上げて襲い掛かってくるオークの攻撃を、右腕で難無くいなしたクロム。
鎖の張力が無くなった事で、オークの首に巻き付いた鎖が解けるも今度は勢いで態勢を崩した隙を突く形で、その腕に鎖を引っかけた。
オークが慌ててそれを引っ張るも、クロムの膂力には到底及ばず逆に鎖から伝わる力でいい様に振り回されてしまう。
クロムは鎖の張りが緩むと鎖を持った右手を、上下左右に振る。
コアによって動きを計算、制御された鎖が蛇や百足の様に波打ち、跳ね、動き回っていた。
オークの動きに合わせて鎖の先端が打つ、逃げれば巻き付き、抵抗すれば引っ掛ける。
クロムはオークとの距離を調整しながら、こちらもオークの足掻きに合わせて次々とステップを踏むように位置を変えていた。
オークは成す術も無く、まるで操り人形の様に踊らされ、転ばされている。
― なかなかに面白いが、やはり長さが足りないか。だが長いと取り回しや持ち運びに難有りといった所か ―
今までの戦場にて敵一般兵士の殲滅や大型兵器の撃滅等の戦闘しかしてこなかったクロムにとって、こういった緩やかに流れる戦闘はとても新鮮だった。
戦闘時間が経過するにつれ、クロムはそのオークの操縦に攻撃を組み込み始める。
クロムに向かって態勢を崩させたところに、カウンターで軽く拳を、転んだところに蹴りを、徐々に関節部への攻撃や掌底等のバリエーションも追加していく。
タイミング良く悲鳴を上げるオークを完全に弄びながら、その時々で最適な攻撃を手加減しながら叩き込んでいくクロム。
気が付けば、オークの身体は全身痣だらけで腫れ上がり、鎖が噛み付いた箇所にはその跡がクッキリと残っていた。
既に牙もへし折られ、口からは泡と血が混じった物を垂れ流していた。
その時、横から2度目の衝撃音が響く。
ウィオラがオークの攻撃を偶然いなし、左手の突鉈の一撃で見事オークの殺害に成功したのを見て、今回の狩りに満足感を覚えたクロム。
今にも倒れそうなウィオラに、一声かけるとクロムはオークに視線を戻した。
「では終わらせるとしよう。良いデータが取れた」
そう言って、クロムは右手で今度は円運動も混ぜながら鎖を躍らせる。
オークは咆哮を上げながら、破れかぶれの攻撃を加えようと棍棒を振り上げたが、その前に再び首に鎖が巻き付いた。
クロムはそのまま鎖を今までよりも強い力で引く。
オークは抵抗を見せるも、それは叶わずクロムに向かって倒れ込むようにたたらを踏み、自らクロムの射程圏内に侵入する。
そこには既に腰を落として構え、力を溜めているクロム。
クロムは今までとは違い、明らかな殺意を持ってオークの胸にカウンターで掌底を放った。
掌底を叩き込まれたオークの胸部から骨が粉々に砕ける鈍い音がして、ボコンと凹む。
その掌底の衝撃は、内部破壊を容易に引き起こしながらオークの分厚い胴体を横断し、背中へと突き抜けていった。
ウィオラは意識を失う直前に拳と勘違いしていたが、クロムは素材の破損を抑える為に掌底を選択していた。
オークは喉を昇ってくる大量の血液で満足に断末魔を上げる事も出来ず、その代わりに大量の吐瀉物を吐き出しながら、息絶えた。
「状況終了」
― 戦闘システム 解除 アラガミ5式 システム再構築 開始 即時復旧 不可 ―
「今後の参考になればいいが」
クロムはそう言って、手で持っている鎖をジャラリと鳴らした。
鎖を倒れたオークの死骸から外し、左腕に巻き付けているクロムにテオドが声を掛けた。
「やっぱり凄いですね。オークをこんな簡単に...」
「そこまで戦闘能力は高くないみたいだな。まぁ力はマシな方ではあるかも知れないが」
「ウィオラさんが必死に追いつこうとしている理由がわかりました」
そう言ってテオドは、未だ彼に背中を支え続けられながら意識を失っているウィオラを見る。
「周辺に他の反応は感じない。ここで暫く休息を取るとしよう。その間にこのオーク共を纏めて解体するか、そのまま持ち帰るかの検討もしなくてはいけないな」
「それなら一応、荷運びに使える魔道具を持って来ているので、そのまま持って帰れればと。ただクロムさんのお力が必要になりそうですが、構わないでしょうか。それにここで解体すると、血の匂いで他の魔物を呼び込む可能性もありそうですから」
「そういうのも含めて依頼になっているのだろう。この程度の量なら問題無い。俺は向こうで倒したもう1体のオークを回収して来よう。すぐに戻る」
そう言ってクロムは一番最初に倒した頭の無いオークの回収に森へと再び戻っていった。
テオドはそれを見送ると、一先ず地面にウィオラを寝かせ、リュックから《荷運びの敷革》と呼ばれるものを取り出して広げた。
これは一般的に広く流通している荷運び用の魔道具で、その広げた上に荷物を載せて引き摺る為の物。
魔力によって地面との接触面の摩擦を軽減し、それなりに力は必要だがそれでも普通の倍くらいの重量を引っ張る事が出来るようになる。
テオドはその魔道具に牽引用のロープを取り付けたりと、準備をしながらクロムの帰りを待つ。
クロムから気配は感じないという言葉は貰っているものの、ここに残されているのは意識を失ったウィオラと戦闘力の無いテオド、そしてオークの死体が2体。
周辺を森で取り囲まれ、何が起こるか予想が出来ないテオドはその心細さに少し震えていた。
― もし今、魔物に襲われたら ―
― もし、クロムさんがいなかったら ―
― もし、ウィオラさんが死んでしまっていたら ―
考える必要が無いたらればが、今になってテオドの心に黒い焦燥感と恐怖感を伴いやってくる。
ここでテオドは倒れているウィオラが装備しているシールドガントレットのシールド部分が、軽く凹んでいるのに気付く。
― この防具が壊れていたら ―
直接的に人の死を想像出来なくとも、慣れ親しんだ武具を介せば容易に浮かぶその惨状。
戦闘前、人の命を左右する選択を迫られ、自分自身の意思でそれを決定していた事。
そして自分の手がけた武具の出来次第では、ウィオラが死んでいたかも知れないという事。
今までに無い大きな責任を背負っていた事を再認識し、泣いてしまいそうになる程の負の感情に襲われた。
「うぅ...今...どういう...」
すると横で寝かされたままだったウィオラが小さな呻き声を出しながら、意識を取り戻した。
「ウ、ウィオラさん!気が付いたんですかっ!」
暗い世界に一筋の光が差したような感覚を覚えたテオドは、思わず叫んでしまった。
「ああ...どれくらい倒れていたのだ?くぁっ!...まだあちこちが痛むな...」
「いえ、そこまで時間は過ぎていません。今撤収の準備をしています。クロムさんはもう1体のオークを回収すると。今それを待っています」
ウィオラはハッとした表情で周囲を見渡すと、オークの死体が2体並んでいる事に気が付き、自身の曖昧な記憶との整合性を確認して溜息を付いた。
「何とか生き残ったんだな。テオドの装備のおかげだ。オークの攻撃を受けて骨も折れず、流血は...ああ、みっともないな、鼻血が出ていたようだ。はは...いっつぅ!」
鼻の下で乾いて張り付く血を確認したウィオラは笑うも、未だ軋む全身から返ってくる痛みに顔を顰めた。
「そんな!凄かったですよ!オークと1対1で戦って勝ったのですから!」
「そうだな。だがそれで勝ってもその後、あっけなく死んでしまう現実もあるんだテオド...私はまだ弱いんだ。だが一歩は踏み出せた。クロム殿とテオドとこの装備のおかげでな」
そういってウィオラは気丈に振舞おうとするテオドの頭をそっと撫で、そしてシールドガントレットをコンコンと小突いた。
「は、はい!クロムさんが戻る頃には、ウィオラさんも沈痛剤とポーションが受け付けるようになる頃合いなんでクロムさんの提案に従って、しばらくここで休息した後、街に戻ろうかと思います」
「わかった。世話をかけるな。だがこの大きさのオーク2体、いや3体か...《敷革》を使ったとして運べるのか?」
それを聞いたテオドが、何とも言えない表情を浮かべる。
「あー、冷静に考えたら無理なんじゃないかと思ったのですが、クロムさんが問題無い...と」
「あー...なるほどな。クロム殿の無茶苦茶具合はやっぱり慣れないな...」
「はは、そうですね」
そう言って、2人で笑い合っているとクロムが消えた方向から、木々をかき分ける音が聞こえて来た。
2人は表情を固め、もし魔物であれば、自身の今出来る事は何かと瞬時に考え始める。
だが、それに混じった何やら聞き慣れた金属音を聞き分けた2人は、それに妙な安心感を覚えた。
それでも油断無くその方向を見つめていると、森から鎖で雁字搦めにした頭部の無いオークを平然と引き摺っているクロムが姿を現した。
「ウィオラ、気が付いたのか」
ドズンとオークの死体を無造作に置いて、クロムがウィオラに声を掛ける。
「あ、ああ。今しがた目を覚ました...その...すまない。勝つには勝ったが、クロム殿がいなければ私は今頃死んでいただろう」
痛む身体に構わず頭を下げるウィオラ。
「生きるか死ぬかは、その時の運命の噛み合わせ次第だ。結果を見れば今日死ぬ運命だったかも知れないが、そこには俺がいた。だからお前は勝利した上で生き残った。それだけだ」
クロムの感情の感じられない言葉。
だからこそ、抵抗無くウィオラの心に入り込んでくる。
「よくやった」
ウィオラの両肩が大きく跳ねた。
少し間を置いてクロムの口から出た称賛。
クロムに何か特別な想いがあったわけでは無い。
それが真実であるから、クロムはその言葉をウィオラに送った。
「...は...はい...っ...」
頭を下げたままのウィオラが言葉に詰まる。
ウィオラの瞳から溢れた涙がシールドガントレットの上に落ち、オークの攻撃で出来た傷に沿って流れていった。
クロムはテオドの指示を受け、オークの死体を3体、敷革の上に積み上げた。
ふと戦時中の狩猟の事を思い出したクロムは、血抜きの必要性をテオドに問うが、街に帰るまでの時間なら品質には全く問題が無いとの回答が返って来た。
そして、クロムがその敷革に取り付けられたロープを引っ張ると、流石にオーク3体分の重量はロープ1本では役不足な事が判明。
そこでクロムが装備していた鎖をオークの各所に巻き付け、ロープと併用して引っ張ると問題無く移動が出来た。
「オーク1体を運ぶだけでも、大人数人の仕事なんだがな...」
テオドから各種ポーションを受け取り、戦闘は無理だが動けるまで回復したウィオラが、顔を引き攣らせながらその作業を見守っていた。
「ウィオラ、移動速度に付いてくるのが困難であれば、そのオークの上に座っていればいい。1人分重量が増えても問題無い」
ウィオラをオークと同じ荷物扱いしそうになるクロム。
うら若き乙女の体重を暗に指摘された上、オークと同列の荷物扱いされたという事実を認識する前に、オークの死体の上に座って運ばれるという光景を思い浮かべたウィオラは、意地でも歩くと宣言する。
「それでは街に戻るぞ。道中、魔物の気配は避けながら進むが、戦闘になる場合は俺が全て対処する」
「すまない。世話をかける」
「宜しくお願いします」
クロムの号令で一行は街の方向へ進み始めた。
地面を引きずる音はするものの、身体が感じる地面との摩擦が思った以上に軽い事にクロムは感心する。
― これは前の世界でも役に立ちそうだな ―
衛生兵が負傷した兵士を運んでいる光景が、沈痛な面持ちの兵士が巻き込まれた民間人の遺体をまとめて運ぶ光景が、クロムの意識内に浮かんでいた。
あの地獄の様な本土決戦の中で戦い続けたクロム。
ただ敵を撃滅せよという命令で戦い続けた日々。
《守れ》という命令では無く、《殺せ》と命令された強化改造人間。
それが世界は変われど、結局今も戦い続けているかと思えば、決戦兵器であるにも関わらず女性と少年を連れて森の中で怪物の死体を運んでいる。
― 生きる意味か ―
未だにこの世界でクロムは何のために動いているのか、その完全な答えを見つけていない。
ただ命令無く、敵となった者を殺しているだけの生体兵器。
飽きや葛藤、悩み等とは無縁なクロムは、コアの演算でも答えを導き出せない問いを意識内に浮かべながら歩いていた。
魔物の反応は無く、荷物の関係で迂回する必要があったものの、無事に日が沈む前に街に戻る事が出来た。
ウィオラは流石に肉体的にも精神的にも疲労の色が濃く、街の北門に近付いた頃には彼女の足取りがふらつきを覚えたくらいだった。
彼女は明日、運良く休暇の番が回ってきているとの事で、明日は1日ポーションを飲んで安静という予定だった。
「最近あの苦手だったポーションの味にも慣れてきてしまった」
そういってウィオラは苦笑いを浮かべる。
そして北門の前まで辿り着いた時、街の方から騎士団の騎士数名と豪華な馬車が向かってきている事に気付く。
警備兵も何やら慌てているようだ。
「あの馬車は...」
ウィオラの顔が疲労よりも苦々しく歪んでいく。
端正な顔に思わず浮かべてしまった険悪な表情を戻すように、こめかみを指で揉むウィオラ。
「何か問題か?」
「クロム殿。出来れば今から相対する人間は殺さないでくれたら有難い。可能な限りで構わない。嫌な予感がする」
「なんだそれは」
そしてクロム達の前に集まった中に騎士団長のピエリスがいる事を確認するクロム。
その近くに止まった凝った意匠で飾り付けられた馬車から、1人の青年が降り立ち、ピエリスの騎士団員とはまた別の数名の騎士を供に連れてこちらへ歩いてきた。
― 殺すな...か ―
クロムはただ静かに成り行きを見守るだけだった。
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