第48話 黒に倣う白の一撃

 ウィオラは目線の奥深く、茂る木々の向こうで何かが動き、その雑音に混じって届く魔物の叫び声を捉えた。


「クロム殿が手筈通りに事を進めているようだな...」


 テオドがウィオラの装備の各部を点検し、大丈夫ですと一声、小さくそしてハッキリと彼女の背後から告げる。


 盾を握るウィオラの手に力が入る。

 同時に心臓が鎧を突き上げんばかりに激しく突き上げていた。


 ― テオドを守る為に私は戦う ―


 ― 私が倒れたらデオドが死ぬかもしれない。いやそれでもクロム殿が... ―


 そう考えて、沸き上がる恐怖から逃げる為の隙間を心に作ろうとするウィオラ。

 だが、今に至るまで一度もクロムがテオドを守ると言っていない事、そしてそのクロムが彼女にテオドの護衛を命令した事を思い出す。


― 私が倒れれば、テオドは死ぬ ―


 それを改めて認識したウィオラは、一度ぐるりと左右の肩を廻して情けない程に強張っている自身の身体を知った。


 ウィオラは決してクロムに認めて貰いたいわけでは無く、ただ彼に騎士としての自分の価値を改める機会を与えてくれた事に礼を言いたかった。

 心の底から、感謝すると伝えたかった。

 でもクロムは今のままでは、その言葉すらも受け取らないだろうとウィオラには分かっていた。


 話しは後だと言ったクロムを思い出すウィオラ。


 ― そうだ。話は全部まとめて...後だ! ―


 ウィオラの心の中で、何かを縛り付けていた鎖が千切れて飛んだ。

 ウィオラは右前腕部を前に出し、盾を構える。

 半身の体勢で腰を下ろし重心を下げ、二度三度と脚で地面を踏みにじった。


 身体の芯から溢れ出す魔力が大地を掴む両脚に、大地に突き刺さる様に身体の芯を通る体軸に、そしてシールドガントレットを構える右腕に満ちていく。

 そして自由の左腕は拳を握り、腰だめで固定され、そこを起点として魔力が練り上げられていった。

 身体強化が発動し、ウィオラの肉体が軋む。


 その姿が、ブラック・オーガと戦うクロムの戦闘姿勢と重なっている事に、ウィオラは気が付かない。

 ウィオラの身体の中に、白い暴力の片鱗が産声を上げていた。






「今からそちらに行くぞ!」


 予定地点手前で、この世界で初めてクロムが声を張った。

 そして最後の藪と木々を割り開いて、森から黒い身体が躍り出る。

 その瞬間、クロムは今までにない気迫を纏い敵に備えるウィオラを見た。


 クロムはそのままウィオラとは視線も合わさずに横に並ぶ。

 その瞬間、クロムがこじ開けた森の割れ目から、2体のオークが涎交じりの叫び声を上げながら突っ込んで来た。


「1体は俺が相手する。もう1体はお前に任せた」


「わかった。任された」


 そう言ってクロムは斜め前方に飛び出しながら、左腕の鎖を一気に解きそれを横薙ぎに払う。

 その鎖はそのままウィオラを掠めんばかりの距離を通り過ぎて、オークの首を打ち付ける。

 それでもウィオラは瞬き一つせず、任されたオークを睨み上げていた。

 クロムはその鎖の一薙ぎにさほど威力は込めていないが、それでもオークの巨体をぐらつかせる程には衝撃を与え、その首を視点にして鎖がさらに巻き付いた。


「お前の相手は俺だ」


 そう言い放つと、鎖を右手で掴みバランスを崩したオークを無理矢理引きずり倒した。

 ピギィと悲鳴を上げて、地面に顔を打ち付けるオーク。

 もう一方のオークがそれを見てクロムに意識を向けたその時、煙を吹く小さな灰色の球がそのオークの顔目掛けて投げ付けられた。

 それにオークが気が付く前に、その球が破裂音を響かせて小さな爆発を起こす。

 その爆発で飛び散った小さく鋭利な破片が、オークの横顔を容赦なく襲った。

 ウィオラの側にも破片は降りかかるが、事前に防御態勢を取っていた盾が2人を完全に守る。


 テオドが昨夜、試験的に作成した小型炸裂弾を投げたのだ。


 クロムと合流する前に、テオドがウィオラにこの案を持ちかけていた。

 オークの注意を惹き、ウィオラに1体を確実に向かわせる為の作戦だった。

 テオドはクロムが1対1の戦闘に持ち込む事を想定していると、武器の特性とウィオラの状態を考慮した上で作戦を考えていた。


 人を見て、人を理解し、武具を創り上げる鍛冶師の本領がテオドの思考を加速させていた。


 頬の肉を削がれ、片目を潰されたオークが憤怒の咆哮を上げ、涎を垂らしながらウィオラを血走った眼で睨みつける。

 ウィオラはそれでも全く動じない。


 オークは手に握られている今まで様々な物を叩き潰してきたであろう、汚らしい物がこびり付いた棍棒を振り上げた。

 そしてそのまま筋力に任せてウィオラに振り下ろした。


 ゴガンッ!


「ぐぅぅっ!」


 ウィオラが攻撃に備えて、身体強化を強めて構えた盾の上から凄まじい衝撃が降り注いだ。


「こんなものではこの盾は破れん!ぬあぁぁぁっ!!」


 その端正な顔からは想像出来ない程の力の籠った声がウィオラから発せられると、筋力が爆発した脚が大地を蹴り、その力は頑強に固められた胴体から盾を構える腕へと津波の様に伝播していった。

 そしてその力で盾が猛然と振り払われ、オークの棍棒を勢いよく弾き飛ばす。


 ウィオラの目の前に、身体がのけ反り隙だらけとなったオークの太った腹が露わになった。

 盾を振り払った勢いのまま、盾の先端が弧を描き右腕が肩の可動域限界まで後ろに引き絞られる。

 そして瞬時に魔力が右腕に集中されると、ウィオラは後ろに引いていた足を前に勢いよく踏み出した。


 ウィオラは強化で増加した右腕の筋力と体重移動、身体の捩じりを連動させて渾身の力で盾の先端を撃ち出した。

 奥歯を砕く勢いで噛み締め、鼻から鼻血が噴き出すウィオラ。


 ゴライアが鍛え上げた盾の先端がオークの分厚い腹、鳩尾に叩き込まれる。


 キャボォッ!


 鈍い衝撃音が響き、オーク口から形容し難い悲鳴と共に、血の混じった物が噴き出した。

 盾の先端が皮膚を裂き、肉を引き裂き、衝撃と共にオークの体内に突き刺さっている。

 それでも軽減出来なかった勢いが、そのままオークを後方へ押し出し、その脚が地面に二つの溝を作っていた。


 しかしウィオラも急激に肉体が強化された反動と、体内の魔力回路に許容量を超えた魔力が瞬間的に流れた事による焼けつくような痛みで、意識が飛びそうになっていた。


「うぐぅぅ...まだ...まだだ...倒れる訳にはいかな...いっ!」


 そしてオークもまた口からありとあらゆる吐瀉物を垂らしながらも棍棒を握り締め、もはや本能のみがウィオラを叩き潰そうと、脚を前に動かしていた。

 歩く度に大きく抉られ、陥没した鳩尾から体液が噴き出している。

 オークの執念が憎悪の火を更に燃え上がらせていた。


 ウィオラがいつ意識を失ってもおかしくない霞む視界の中で、接近してくるオークを睨みつけていると、後ろから口に小さな瓶が差し込まれた。


「うむぅっ!?もがっ!?」


「飲んでください!」


 テオドが自身の掌よりも小さく、人差し指程の瓶に入っている青い液体をウィオラの口に流し込んだ。

 それは冒険者ギルドに立ち寄った時に、受付の担当に頼んで売って貰った《魔力反動軽減薬》だった。


 これはその名の通り、使い過ぎた魔力や身体強化の代償として身体を襲う反動を一時的に軽減し、少量ではあるが魔力の補充を行う高級薬剤である。

 テオドの飲ませた一番内容量が少ない物でも、通常のポーションの数倍の価格であり、テオドはこれを今まで使わずに貯めていた金で1本だけ、万が一の為に購入していた。


 今までテオドがこれの存在を明かさなかったのは、これを使用する前提とした戦いを避けたかったからに他ならない。

 あくまでも一時の命を辛うじて繋げるものだからだ。


 一瞬、ウィオラの視界が光に包まれすぐに意識が明瞭になってくる。

 身体に走る痛みは変わらないが、それが今は逆に意識を保つ為の鞭になっていた。

 オークが徐々に近づいてくる。

 ウィオラは動かない。

 その時間を使って先程と同じ構えを取りながら、薬剤によって僅かに回復した魔力も総動員しかき集め、全身に行き渡らせるウィオラ。

 今までの彼女では、近づいてくる敵意の恐怖に耐えられなかっただろう。


 ― 待つ。そして受け止めて見せる! ―


 既に眼の生気が失われたオークが再び棍棒を振り上げた。

 先程よりも威力は落ちているとはいえ、それでも直撃すれば鎧越しでも叩き潰される攻撃。

 ウィオラはオークの振り下ろされた棍棒を、その構えた盾で迎え撃つ。

 ここで致命傷を負ったオークの一撃がふら付いた事と、ダメージが蓄積したウィオラの不完全な迎撃態勢が偶然嚙み合わさり、一つの現象を引き起こした。


 棍棒の打撃が盾に垂直に入らず、尚且つ盾もまた僅かに角度がズレていた事により、棍棒が盾の曲面を滑る様に流されていった。

 これが最高のタイミングでオークの攻撃をいなす形となり、そのままオークの身体が勢いに耐えきれず前のめりに倒れ込む。


 ウィオラはそこを逃さず攻撃に転じた。

 盾を撃ち出す力はもう残されていない。

 彼女は左手で突鉈を鞘から引き抜くと、盾に施された輪郭の凹みが生んだその隙間から、鋭い一撃を放った。

 ウィオラが今まで迷いながらも振り続けた、細剣で鍛えた真っ直ぐな刺突。

 その鍛え上げられた鉈の先端は、抉られた鳩尾から斜め上へと突き入れられ、オークの心臓を正確に刺し貫いた。

 その一撃は確実にオークの命を刈り取り、その身体が一度大きくビクリと震えると、そのまま地面にゆっくりと倒れ伏す。


 それと同時に、ウィオラの身体に抗う事が不可能な程の強烈な虚脱感が襲い掛かる。


 ― だめだ...ここで意識を失う訳には...っ! ―


 ウィオラに任せると言ったクロムの姿が脳裏に浮かぶ。

 震える膝に手を突っ張らせて、何とか倒れまいと姿勢を維持しようとするウィオラの身体から力が抜けていく。

 彼女は自分の不甲斐なさに顔を歪ませていた。

 そんな中、ウィオラの意識にハッキリと響く声があった。


「ウィオラ。後は任せろ」


 その声を聞いた瞬間、ウィオラの全身の力が一気に抜け、そのまま尻もちをついて座り込む。

 そしてその姿勢すらも維持出来ない程に消耗したウィオラは、そのまま後ろに倒れるが、その彼女の背中をテオドが歯を食いしばって支えていた。


 そしてウィオラの視界がクロムを捉えた。

 その時、クロムが鎖で自由を奪ったオークを一気に引き寄せ、あの時ので拳打を放つ姿が見えた。

 彼女が放った一撃とは比べ物にならない威力で放たれた拳が、一瞬でオークの命を絶つ。


 ウィオラは意識を手放す寸前に、クロムの残心を見て思った。


 ― なるほど。ああやって身体を使うんだな。いつかは私もあのような美しい一撃を放ちたいものだ ―


 そう脳裏に残して、ウィオラはその顔に僅かな笑みを浮かべ、完全に意識を失った。

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