第43話 煮ても焼いても叩いても
「これは鎖か」
「ああ、鎖だな」
あの後、しばらくここで休みたいと申し出たウィオラとそれを世話するテオドを裏庭に残し、クロムはゴライアと倉庫の中にいた。
ウィオラはあの時、身体強化を無意識で全開に近い形で使ってクロムに斬りかかっており、その反動が身体に返って来ていた。
熟成された埃とカビの据えた臭いと金属の錆びた棘のある香りが漂っている。
試作品の様な武器や防具、色褪せた巻物や書籍、廃棄物にしか見えない物品等、置き場所に困ったとされるありとあらゆる物が倉庫に押し込まれていた。
中には厳重に鍵が掛けられた箱などもあり、一概に不用品置き場とは断定は出来ないが。
そんな中、ゴライアがクロムに見せた物は、その倉庫の床で
置いてあるというより、打ち捨てられていると言った方が早い気もするなとクロムは呟く。
元は黒かったと思われる目測で5、6メートル程の鎖。
それはあちこちに青紫や黒、赤といった色とりどりの錆びの様な物がこびり付いている。
一部には僅かな浅い傷が無数に走る箇所が有ったり、目を移すと火で炙った様な痕跡が残る箇所もある。
「まだよくわからないが、かなりこの鎖を痛めつけようとした名残が見られるな。それで?」
クロムの独特の言い回しに、ゴライアは恥じるような表情で後頭部をさする。
「こいつは俺の爺ちゃんのそれまた爺ちゃんの、それこそ何時の時代からここにあるのか、うちの家系の誰がどうやって手に入れたかわかんねぇ品でよ。クロムの鎧を調べてるとふと思い出しちまった訳さ」
「ただの錆びた鎖では無さそうだな。先祖代々の家宝のような扱いでは無さそうだが、俺が触れても構わないのか?」
「ああ、いいぜ。別にそんな大層なもんでもねぇし、俺に言わせればむしろ邪魔で厄介なもんだしな」
クロムはしゃがみ込んで、その鎖の末端を手で拾い上げ感触を確かめる。
動くのも数十年ぶりと言わんばかりに、メキメキと小さな音を立ててそのままの形で持ち上ろうとする鎖の末端。
鎖素子の接触面から錆びの破片が床に落ち、堆積した砂埃と混ざり合っていく。
その鎖素子の太さは目算で20ミル(20ミリ)、外寸で100ミルといった所だった。
「見た目以上の重いな。なんだこの材質は」
末端を持ち上げ、クロムは見た目よりもかなり重い比重の金属だと判断した。
この鎖の長さからすると優に100ポル(100キロ)は超えている。
クロムは両手でその鎖を握り、破壊しないように慎重に手に力を込めて左右に引っ張るが、軋みはすれどそこから得た計測値は弾性限界すら示さない。
クロムに格納されている様々な金属のデータから、近似する曲線図を持つ金属の候補はあるものの、状況に合致するには至らない為、確証は得られなかった。
「まずクロムの言ったように馬鹿みてぇに重たいな。後はこの鎖、切ろうとしても道具が負けて壊されるわ、腹いせに鋳潰してやろうと魔鋼でも溶ける温度で一晩中炙ろうが、生娘みてぇにやんわり赤くなる程度にしかならねぇ」
ゴライアの目が憎々しげに鎖を睨む。
「この家を継いだ代々の鍛冶師があの手この手でぶっ壊してやろうと挑戦してるが、結果はこの通りだ。煮ても焼いても叩いてもどうにもならん」
「なるほどな。鎖の各箇所で苦労の後が見えるのはその為か。後は先祖に対する対抗心といった所か?」
「まぁな。尊敬するご先祖様でも出来なかった事だからな。まぁ俺からすりゃその間に剣の一本でも打てと言いたくなるがよ。俺も挑戦したが早々に諦めた。時間の無駄だってな」
クロムはそんな事を言いながらも、未だに心の隅では悔しさの感情が残っている事を、苦笑いを浮かべるゴライアから読み取る。
それからクロムは暫くの時間、鎖を見下ろしながらゴライアから様々な材質の事など、鍛冶師の持つ知識について聞き、情報を集めた。
この世界の金属には、鉄や鋼といったクロムの世界でも存在していた鉱石類が多数存在している。
それでも解明されている鉱石は、前の世界に比べてごく僅かであった。
存在は判明しているが近寄ったら死に至る、毒性がある等と言ったあくまでそれにまつわる現象や表面的に現れる事象を記録されているに留まり、中には名前すら持っていない物質もある。
魔法が存在する世界での、優先順位と価値観の差で生まれた知識の歪み。
その中でもクロムが一番興味を抱いたのが、《魔性金属》と呼ばれる金属類だった。
魔性金属は、一般的な鉄や鋼等の鉱石が数百年に渡り自然の魔素を取り込み融合した金属。
呼び名も魔鉄、魔鋼と呼ばれ、その中にはミスリル魔鋼、
産出自体が極々希少で、ゴライアの小指の爪の大きさ程の鉱石で屋敷が建つほどの価値がある鉱石もある。
この世界では、魔法師や錬金術師が人工的に魔力を親和、定着させたものが、広く一般的に高級武具等で普及している。
ピエリス等が身に着け、クロムが握り潰した鎧も人口魔性金属製であった。
しかし天然の魔性鉱石から作られた魔性金属は、長い年月を経て、魔力が融合に近い形で親和している為、魔力の伝導効率やその容量、材質その物の耐久性、それらが人工物を遙かに凌ぐ性能を有している。
それらから作られた武具は最上位の
「この鎖はな、更に厄介な事に何故か魔力を全く通さねぇんだよ。魔力が通れば多少は溶ける温度や性質も改変出来るが、こいつには全く通用しねぇ。鍛冶師殺しもいいとこだ」
この世界に存在する魔力という物は、ここに差はあるが金属に限らず物質の性質を変えるという特徴がある。
鉄やその他一般的な金属であれば、単純な耐久性や魔力親和性を上げ、その純度や魔力の属性によってはそれ以上の効果を持つ物に生まれ変わる。
一般人が目にする機会がある金属の中では最高峰とされるミスリル魔鋼となると、素体のミスリルでさえ魔法出力の増大等の効果があり、魔鋼化すれば膨大な術式容量が必要な深度3以上の上層魔法の魔法陣を刻むこむ事が可能になる。
ゴライアの口にした改変。
鍛冶師が受け継ぐ能力のうちの一つに、魔力による金属性質の改変というものがあった。
保有している魔力量や出力量に効果の差はあるが、魔力を浸透させる事により、金属の融点に始まり弾性やぜい性、延性、魔力伝導率、親和耐久性等をその金属や鉱石の持つ許容限界を超えない範囲である程度の操作が出来るというもの。
ただし同じ鉱石、金属でもその性質にはバラツキがあり、魔力浸透量や親和耐久を超えた物は、一気に劣化し粉々に砕け散ってクズ物と化してしまう。
鍛冶師として、その限界点を見極め素材の性能を最大限引き出した上で、最上の武具を作る。
これが鍛冶師の追い求める理想像であった。
「なるほど。それでも使い道はありそうなものだがな。それにまだ溶かせないと決まった訳でもあるまい。憎らしい程に丈夫で重く、耐久性があるならゴライアの腕があれば、それこそ武器くらい造れそうに思うが」
「簡単に言ってくれるなよ。これでも俺の工房の鍛工炉は王都の鍛冶所にも引けを取らない代物なんだぞ。それでもコイツをどうにも出来ないんだぜ。それに武器っていってもこんな代物を素材にした武器をマトモに扱える奴、ましてや使おうとする奴なんざ、そうそう居る訳ないだろうが」
鍛冶師の相棒でもある自分の炉を、クロムに低く見られたと勘違いしたゴライアがムスッとした表情で抗議する。
対するクロムはその言葉に違和感を覚え、僅かに首をかしげた。
「なんでわからねぇんだよお前さんは。あのな、そもそも...ん?...あー...今わかったわ。確かにお前さんにそれを理解しろっていうのが土台無理かも知れねぇな」
「どういうことだ」
ゴライアのクロムを見る目に何故か非難めいた気配が籠るが、クロムは未だにそれを理解出来ていない。
「あのな、そもそもこの魔物やクズ共がウヨウヨいるこの世界でそこらを1人でほっつき歩く奴なんざ居ないんだよ。わかるか?街や村の外は魔境と同義なんだよ」
その言葉を聞いて、クロムはようやく理解した。
この世界の人間は、必ず複数で行動するのが鉄則。
人間族の個々の能力や強さは、魔物や他種族に比べて低い。
その代わりに他種族には実現出来ない文明の構築や発明、技術を生み出す力に優れていた。
そして個々の弱さを群れる事で補う。
一個人の武力より、集団のそれが優先、評価されるのが人間族の世界であった。
それでも限度いうものがあり、クロムの様な規格外をその枠には当て嵌められないのも事実ではある。
「いくら武器に出来ると言って、そんなものパーティの戦闘中にぶん回した日にゃ魔物もろとも仲間までミンチにしちまうじゃねーか。歩く棺桶製造機だぞそんなの。人間はオーガじゃねーんだよ」
「確かにオーガの方が似合っていそうではあるな」
ブラック・オーガがこの鎖で戦う姿を想像して、納得するクロム。
「納得するのそこじゃねーんだわ」
クロムはその声を聞き流しながら、再びその鎖を手に取った。
ゴライアがクロムの外骨格と同じ謎と呼んだ金属。
「なんだよ。それが気になるのか?それなら試しにクロムが、そいつにどんな使い道を考えたか俺の前で見せてくれよ。俺にとっても何か良い閃きが生まれそうな予感がするぜ」
「とは言っても、俺が考えうる使い道は武器としてくらいだぞ。俺はそれ以外の才は持ち合わせていない。ただ良いのか?それでも貴重な品には変わりないんだろう」
「何言ってるんだが。150年以上倉庫で置きっぱなしのそれに貴重も何もあったもんじゃねーよ」
その言葉を所有者の許可と判断し、クロムはその何重にも重なった蜷局を巻く鎖をつかみ取って立ち上がる。
100年以上数回ほどの移動以外、完全に放置され全身を錆びやら何やらで覆われた黒い鎖。
それが突然クロムによって掴まれ、その黒い手で吊り下げられると普通の鎖とは違うバキバキといった音を奏でた。
一気に体重が増えたクロムを支える木の床が悲鳴を上げる。
「まじかよ。街で買い物するみてーにそれをひっ掴んで立ち上がるなよ。それを工房まで持っていくだけで、どれだけ苦労すると思ってるんだ」
「文句の多い奴だな、まったく。多少の重さを感じるが、見た所では150kg(150ポル)をちょっと超える位だろう」
「今更驚いても仕方がないがな...良し!今日は色々面白れぇ事起こる日だな!久々に心が躍るぜ」
そういって満面の笑顔を浮かべるゴライア。
「ゴライアの暇つぶし位になれば良いがな」
クロムはそう呟くと、意識内で鎖を取り扱った戦闘シミュレーションのデータを幾つか引っ張り出していた。
倉庫の外に出るクロムとゴライア。
裏庭では転がった丸太の上で、ウィオラとデオドが座ってカップを手に談笑していた。
ウィオラもそれなりには落ち着いてきたようだ。
その二人は倉庫からジャラジャラという異音を奏でるクロムが出てきた事に気が付くと、その異音の正体を見て驚きの声を上げる。
「クロム殿、それは一体何だ?鎖?」
「師匠、それってまさかあれですか!?てか片手ぇ!?」
クロムの後から出てきたゴライアが、それぞれ別の反応を示す二人を見てニヤリと笑う。
「面白い物が見れるかもしれねぇぞ」
師匠と同じくらい楽しそうに目を輝かせる弟子に対して、嫌な予感を全身で感じるウィオラ。
「もう祈り疲れた...」
その彼女の呟きは、誰の耳にも入らずに、街の空に吸い込まれていった。
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