第42話 その一撃が壊すもの

 ゴライアに連れられてやってきた裏庭。

 彼は案内の後、待っていてくれと再び店内に戻っていった。

 店舗に鍛冶場、倉庫と全てに通じている中庭は荷物の搬入で訪れたであろう馬車の轍が残る広い空間。

 往来の妨げにならない場所には、錆びた騎士鎧が着せられた簡素な木人形が3体程並び、その他、試し斬りされたであろう切り傷だらけの丸太等が雑多に置かれている。


「ウィオラは何故その細身の剣を使う?」


「何故...そうだな。どうにも感覚というか、これ以外の種類の剣ではうまく扱えないような。何故そのような事を?」


 唐突な質問に困ったような表情で答えるウィオラ。


「さっきも少し話したが、あの時感じたお前の力と今の装備にかなりの違和感がある。少し良いか?」


「え?あ、ああ、ってクロム殿!?」


 ウィオラの返事を待たぬまま、クロムはウィオラの二の腕や前腕、そして怪我の為、軽装備であるが故に鎧に囲まれていない腰にその黒い手を当てて、軽く力を込める。


「ク、クロム殿!?戯れか!?」


 ウィオラはクロムの外套を両手でしっかりと持っている為、手でクロムの謎の行動を妨害する事が出来ず、成すがままにされている。

 ウィオラは突然襲い掛かって来た羞恥心に顔を耳まで赤く染めていた。

 勿論、そんな事に構うクロムでは無く、特別な意識も当然無い。

 そんなクロムの魔の手は乙女騎士の肉付きの良い太腿、脹脛ふくらはぎまで伸ばされた。


「やはり、どう考えてもお前の肉体構造とその剣とは相性が悪すぎる。先程、剣の修理の機会も多いと言っていたが、原因はそれだろう」


 クロムの見立てでは、ウィオラの筋肉や関節、腱を含めてピエリスやベリスには備わっていると思われるが大きく欠けている。

 ウィオラの筋肉は大地を掴み、洗練された大きな一撃を繰り出す方に特化していると言っても差支えが無かった。

 女性ながらも、その素養は《重装歩兵》のそれなのだ。

 そんな肉体構造では、当然、繊細な扱いが求められる細剣に空い筈も無く、その力が徒に剣の摩耗を速めているだけだろう。

 もし仮にうまく扱えるまで修練したとして、そこに至るまでの努力の総量を換算すると、斧や槌等の技術を習得してもお釣りがくる。


「はぁはぁ...クロム殿、出来れば返事を待って欲しかったな...」


 淡々と語るクロムと目線を合わせられずにいるウィオラが、緩い抗議の声を上げた。


「クロムさん、何というか色々と凄いですね...」


 その横でテオドが呆れている。

 するとゴライアが1本の剣を手に持って戻ってきたが、ウィオラの顔の様子を察したのか、本気かどうかも分からない軽口を叩く。


「何やってんだ?気持ちはわかるが、イチャコラするのは後にしてくれねぇか?」


「何もわかってはいない!そして断じてそういう物では無い!」


「それは同感だ」


 全く方向性の異なる抗議の声を上げる二人だった。





「んで?ここでやらせて貰えるのか?止めたとかは無しだぜ。こんな機会もう無いからよ」


「やるさ。ところで使う剣は持って来たのか?」


「おうよ。これだ」


 そう言って、手に持っていた直剣をクロムに手渡す。

 クロムはその手に掛かる重さを計測しながらも、武骨な鞘から感じる確かな重み。

 クロムは納められている剣に込められたその威力を確かに感じた。


「これは俺が今打てる中でも最高の出来栄えと思えた剣だ。切れ味は保証する。騎士兜を両断する程だ。試してみるか?」


「いや、その必要は無い」


 クロムはその剣を鞘から抜かぬまま、視線を外套を持って未だ熱の冷めやらぬ顔で立っているウィオラに向けた。

 当のウィオラはそのクロムの視線を受けて、目を丸くする。


「ウィオラ、この剣を持て。外套はすまないがテオドに頼もうか」


「え、あ、ああ、わかった」


「はい!お預かりします!」


 対称的な反応を見せる両者。

 いつの間にか丁寧に畳まれたクロムの外套をウィオラから受け取ったテオドはうわぁとまたしても嬉しそうな表情で目を輝かせている。

 一方のウィオラはゴライアの自信作であり、普段扱っている細身の剣とは全く違う直剣を手にして困惑していた。


「ゴライア、方法は任せてもらっていいか?もし不満が残るならこの後で付き合おう」


「いや、そこはクロムに任せる」


 ゴライアと会話を交わした後、クロムは未だに困惑しながら手にある剣を見つめているウィオラに声を掛けた。


「ウィオラ、剣を抜いて構えろ」


「え、いや。一体何を」


「二度言わせるな。剣を抜いて構えろ。騎士ウィオラ」


 クロムが読んだ名が“騎士ウィオラ”になった事、そして有無を言わせないかつてない迫力が籠るその声にウィオラは恐怖を覚えつつも従う。


「構えろ。そして俺に打ち込んで来い。勿論殺すつもりでだ」





 これには他の2人も驚きを隠せない。

 だがゴライアは口から出そうになった言葉を無理矢理飲み込み、静観を決めた。

 それにクロムに任せると言った以上、もはや自分では覆せないというクロムに対する畏れもある。


「何を言っているのだクロム殿!?これはゴライアの自信作なのだろう!?それをクロム殿に向ける等...何かあったらどうするつもりだ!?」


 先程とは違う意味で顔を赤らめて反抗する。

 そしてそのクロムの求めた事の先にある結果を思い描くウィオラ。

 その構えた剣の剣先が震え始める。


 殺すつもりで打ち込め。

 ウィオラはこの言葉を訓練の胸を借りる意味では無く、そのままの意味で受け取った。

 手に持っているのが真剣なのだから、慌てるのも無理はない。

 でもそれは騎士の取るべき行動ではなかった。


 恐らくこの震える騎士は誰かを守る為に剣は振るえるが、誰かを守る為に剣で命を奪う事に大きな抵抗を感じている。

 そしてそれが意図的なのか、本能的に身体が避けているのかはわからないが、細身の剣以外があまり満足に扱えない理由もクロムには見え始めていた。


 熟していない技術で振るうウィオラの細身の剣は、殺傷能力が低くのだ。

 剣が摩耗すれば猶更であるが、それは命に係わるもの。

 だがウィオラはそれを騎士道にありがちな、守りの果ての自己犠牲とでも置き換えているのかも知れない。


 ― 全く騎士道というのは、本当に扱いが難しい物なんだな ―


 クロムはその様子を見て、思った以上にその《道》が複雑かつ裏を返せば不安定である事を再認識した。


 ウィオラは何かを守る為に魔物を斬って殺したとしても、その心には殺したという事実を騎士の道義で都合良く覆い隠し、そして“守った”という事実のみをその戦果として己に積み上げてきた。

 守る為に命を奪う、命を奪わなければ守れないという他者を殺傷する武器を握る者にとって、決して逃れられない事実を受け入れる事が出来ずにいる。


 魔物や他者の悪意、敵意が身近に存在するこの世界において、戦う者として致命的とも言えた。





 敵に対抗する為に磨かれた守りは、敵を倒す事でしか成し遂げる事が叶わない。

 武力を持つ者に課せられた宿命。

 それから目を逸らしながら剣を振るうなど、クロムにとっては何よりもタチが悪い惰弱の発想だった。


 剣を向けて戦わずに勝てる者。

 それは既に勝者の持つ生殺与奪の権利を、一方的に相手に突き付ける事が出来る圧倒的な強者である。

 それならば、こんな些細な事に気を回す必要も無い。


「何かあったらだと?お前は何を勘違いしている?よもやあの時の経験をもってしても俺とお前の差を理解出来ていなかったのか?」


「い、いや...そういう事では...ない!」


 あの時の痛みと恐怖が脳裏に蘇ったウィオラの身体が震える。


「だとしたら何だ。その剣さえあれば、俺に傷を負わせる事が出来ると本気で考えているのかウィオラ。随分と下に見られたものだな」


「ち、違うのだ...違う...」


 どうしてこんな事にと、いつかのピエリスと同じ事を脳裏に浮かべるウィオラ。

 震える彼女の赤かった顔は、今や白くなっていた。


「騎士ウィオラ、これが最後だ。殺すつもりで打ち込んで来い。ましてや迷い、手加減するなら、俺は二度とお前の存在を認識する事は無い」


 そういってクロムは掌を広げて、その凶悪な黒い鉤爪を黒く煌めかせながら、右腕を掲げてウィオラへとゆっくり近づいていく。

 クロムの地面を踏みしめる音が、次第に大きくウィオラの耳に入り込んでいった。


「うぁ...うぁ...」


 ウィオラはあのクロムとブラック・オーガとの戦いの一部始終をその眼で見届けた数少ない目撃者である。

 それ故にあのクロムの掲げられた右手に秘められた、絶大な力を誰よりも知り、誰よりも恐れていた。


 殺される。

 無造作に、無慈悲に、今ここで殺される。


 ウィオラのアメジストのような紫の瞳が涙で潤み、目尻から涙が零れ落ちる。


 ― 美しい瞳をしているのだな ―


 ウィオラに歩み寄っていくクロムはこんな場面にも関わらず、率直な感想を思い、ウィオラの特徴としてそのデータを格納していた。


「うぁ...う、う、うあぁぁぁぁぁ!!!」


 クロムの戦う姿を見たからこそ、人一倍感じる死の恐怖と緊張、絶望がウィオラの感情を塗り潰し、生存本能が彼女の震える身体をついに動かした。

 騎士として必死に身に着けた構えや剣の技術、経験はもはや跡形も無く、追い詰められた獣が最期の足掻きに見せる攻撃。

 剣を両手持ちにしたウィオラが剣を振り上げながら、涙と鼻水で顔を汚し泣き叫ぶ。

 あの時クロムが感じた手の力以上のもので、柄が握り締められていた。


 効率など全く考えられていない、恐怖によって解き放たれたウィオラの全身全霊の剣はクロムの掲げられた右腕を斬り落とそうと振り下ろされる。

 だが黒い右腕がその剣によって斬られる事は無かった。


 剣がその右腕を捉える直前、クロムは腕を瞬時に降ろしたのだ。

 ウィオラや他二人にも捉える事の出来ない刹那。

 その刃の先に差し出されるように据えられたのは、クロムの首筋だった。





 バギャン!!!


 ゴライアもテオドもこんな音が鳴り響くとは予想すら出来ていなかった。

 剣が出せるような音では無い。

 ウィオラの放った剣戟は、地面から土埃を巻き上げる程に強烈な一撃だった。

 だが、それでも無防備に晒されたクロムの首筋を傷付ける事は叶わない。


 ― 頸部 対光学兵器用防御被膜 1~3層 完全剥離 再生 5m13sec ―


 だがコアからの損害報告の内容で比較すると、その一撃は異形化したドミナスボアの触手の一撃よりも僅かに上回るものだった。


「あ、あああ...そん...クロムど、わた、私は...私は...」


 ウィオラが漸く己の振り下ろした剣がクロムの首を捉えていた事に気が付く。

 力の抜けたその手から、刃が一部砕けた剣が地面に落ちて音を立てた。


「ク、クロム殿...何てこと...私は...ご...ごめんさ...あぁぁぁぁ」


 ウィオラは大粒の涙で血の気を失った頬を濡らしながら、そのまま地面に力無く崩れ落ちる。

 クロムはへたり込むウィオラの前に跪いて、その絶えず溢れる涙で歪む紫の瞳を真っすぐに見た。


「騎士ウィオラ、素晴らしい一撃だった。今どんなに無様と思える姿であろうとも、それでも、お前は誇って良い」


「あぁ...あぁ...」


 クロムは一つの壁を越えたであろうウィオラの震える白い手を、黒い手で取った。

 ウィオラの手よりも一回りも二回りも大きい、彼女のとは似ても似つかない禍々しい手だった。


 それでもウィオラはその手が暖かいと感じた。


 その力が抜けた手を、クロムは先程剣戟を正面から受け止めた首筋へゆっくりと誘う。


「残念ながらそれでも俺に傷は付けられない。だがここに一撃を加えたのはお前が初めてだ。それがどんな形であろうともな」


「あ、あ...傷...怪我...」


 ウィオラはその触れたクロムの体温によって、次第に現実に意識と精神を戻してくる。

 その首筋の傷を確かめようとする、ウィオラの手に力が戻って来た。


「傷...怪我...クロム殿...本当に大丈夫なの...か...」


「あまり舐めて貰っては困るな。あんな攻撃で傷などつく筈もなかろう。さあ立て騎士ウィオラ。騎士がいつまで腰を抜かしているつもりだ」


 クロムの平坦な言葉が、顔を彼の首筋に触れんばかりの距離まで近づけ眼を凝らしているウィオラに浴びせられる。

 そこでようやく自分の置かれた状況を多少は確認出来る程には、ウィオラの意識が帰って来た。

 あまりに近いクロムの首筋、そして未だこの世界で曝露されていない顔が下に潜むクロムの黒い戦闘マスク。

 未だに添えられ、僅かなぬくもりを感じるクロムの黒い手。


 その状況の衝撃が、ウィオラの抜けきっていた足腰の力を復活させた。


「うひぁ!す、すまないクロム殿、そ、その...そういう、どういう...っ!」


「落ち着け。何が言いたいのかまるで理解が出来ん」


「り、理解はしなくても良い!って、うわぁ!」


 クロムは埒が明かないと悟り、ウィオラの手に添えていた黒い手に力を込めて立ち上がると同時に野菜を引っこ抜く様に無造作に、無理矢理に立ち上がらせた。

 しかしその勢いが少々あり過ぎたのか、軽装備でもそれなりに体重があるウィオラの身体が立ち上がるだけでなく、脚が宙に浮くほどに引っ張り上げられた。

 ウィオラの騎士としての肉体が、肩が外れる事を拒否したが、それでも多少の痛みと驚きは当然ある。


「いつつ...す、すまない...まだちょっと整理が付いていないが...感謝す...いや、ありがとう、黒騎士クロム殿」


 目線をクロムと合わせてはいないが、あの時に引き続いて彼女の運の無い肩に再び走った痛みで、完全に正気を取り戻したウィオラがクロムに礼を言う。


「礼を言うのはまだ早いな。これからだぞ」


「あ、ああ、そうだな...ん?」


 クロムの言葉を完全には理解しきれていないウィオラに疑問符が浮かぶ。


 その二人の様子を視界に入れるも、途中からあっけに取られて、現実に追いついていないゴライアとテオドは未だに一言も発せないでいた。

 ただウィオラが何かを捨てて何かを得た様に、彼らもまた自身の中の何かが変化し始めている事に徐々に気が付き始めていた。


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