第39話 願いの価値は

 クロムは仰向けに倒れたブラック・オーガを静かに見下ろしていた。

 未だに空中放電を続けるクロムの両腕から電撃音が発せられ、その閃光は全身を焼き焦がされ、無数の傷跡が走る黒鬼の身体を断続的に照らしている。

 ブラック・オーガは時折、小さくむせ返る。

 その度に口から血が飛沫となって宙を舞っていた。


 クロムはなおも無言でブラック・オーガを見下ろし続ける。

 各部出血が傷に対して少ないという状況にまるで合致しない疑問が、ようやくクロムの口を動かした。


「出血が思った以上に少ないな。治癒魔法か何かか?」


「...何を言うかと思えば...がふっ」


 既に眼から光が失われているブラック・オーガが呆れたような口調でそれに応える。


「オーガは...再生能力が...かはっ...高いから...な」


「そうか。良い情報だ。何か言い残す事はあるか」


 クロムはブラック・オーガにもう反撃能力は無いと判断すると、早々に会話を切り上げ、そばに歩み寄る。

 そして次の攻撃で敵の命を確実に奪うという意思が籠められたクロムの右腕が、黒鬼の覚悟を決めさせるように掲げられた。


「お、俺の魔石...おまえが持っていって...くれ...つよきものの糧と...なるが...オーガとしての...望み」


「貰える物は貰っておく。だがそれは明日には俺の手の中には無いかも知れない。俺はお前の望みに価値を見出していない」


「...俺を...喰らって...その魂は...お前と共に次の...」



 ― 警告 セル・コンデンサ 充電電圧最大 超高電圧発電細胞群 緊急不活性措置 ―


「死ねば皆、等しくただの肉袋だ。その先に一切の興味は無い。もし魂という概念がにあるのならば、後ほど俺に連絡をくれ。有用な情報になるだろう。では終わりだブラック・オーガ」


「...そうか...お前...そういう...ことか...」


 ブラック・オーガは最期の力で歪な笑顔を浮かべる。


 ― 警告 セル・コンデンサ 最大出力 放電準備 エレクトリック・オーガナイザ 最大稼働 ― 



 黒鬼の横にしゃがみ込みこんだクロムの両腕の稲妻が更に暴れ始め、ついにはその両腕の間で空中放電を始めた。

 その閃光は黒鬼の肌を焼き尽くさんばかりに輝きを増す。


 

― 腕部 強化細胞 耐電変性 セル・コンデンサ 放電回路 全開放 ―



「セル・コンデンサ 完全放電」


 クロムの両掌がブラック・オーガの肉体に触れた瞬間、眩い閃光が周囲が白く染め上げられ、その光は空に浮かぶ太陽の姿をも塗り潰した。

 同時に一番近くにあった城塞にヒビを入れる程の地響きと轟音と化した雷鳴。


 クロムを中心に半径数十メートルの空間内で、ブラック・オーガの肉体を起点としてセル・コンデンサ内で無理矢理に閉じ込められていた電気エネルギーが一斉に解放された。

 それは瞬時に膨大な熱を発生させながら稲妻と化し、狂喜乱舞しながら黒鬼の肉体を蹂躙、触れるものを全て焼き焦がしながら地面に次々と吸われていった。



 ― セル・コンデンサ 完全放電 超高電圧発電細胞群 逆変性 開始 エレクトリック・オーガナイザ 稼働停止 ―



 瞬間的に収まった閃光の後に残されたのは、あのエネルギーの解放でも塵と化さなかった一部の炭化寸前の骨と、超高熱で炙られ一部がガラス化した焼け焦げた地面のみ。

 肉体は灰も残さず消滅していた。

 パリパリと稲妻の小さな片鱗が、周辺を名残惜しそうに飛び交っている。


 感慨に耽る様子も一切見せず、立ち上がったクロム。

 あの中でも傷一つなく残ったブラック・オーガの魔石が転がり、クロムの脚先に当たって止まった。


「ブラック・オーガの魔石か」


 クロムが拾い上げたその魔石は、サイクロプスとあまり変わらない程度の大きさの球体。

 その色はかつてのブラック・オーガが湛えていた瞳の様な深紅。

 辛うじてクロムの金属ポーチに入る大きさという事がわかり、クロムはそれをそのまま無造作に放り込む。


「そろそろ背嚢の調達も考えなければいけないな」


 そう呟いたクロムは街の門がある方向へ歩き出した。

 未だに白黒混ざり合う煙を上げ続ける地面と残されたブラック・オーガの残骸。

 ただクロムは二度と振り返る事は無かった。






 ピエリスは心の奥底では期待をしていた。

 願っていたといった方が良かった。

 こちらの陣営にはクロムがいるという事実が、小さく蠢く敗北という二文字を常に駆逐していた。


 しかしピエリスはクロムと多少なりとも心を、意思を交わしたと思い、安心していた事が間違いだったと思い知る。

 傲慢だったというのが正解だろうか。


 気絶したベリスを背負い、互いの鎧を擦り合わせながら仲間の元に戻る最中、クロムはブラック・オーガをもはや蹂躙というべき力量差で戦っていた。

 もし仮にクロムからの要請があったとして、あの荒れ狂う稲妻と絶え間ない雷鳴が轟くあの空間に、彼を信じて飛び込む勇気が私にはあるのだろうか。

 あの力がこちらに向かないという保証は今でもあるのだろうか。


 背中に感じるベリスの重みが増したような錯覚に襲われるピエリス。


 ピエリスはこの街でクロムと別れ、別行動をとるという選択肢も考えなくてはと今後の方針の転換を視野に入れる。

 ただもう一つ、気になっている事がある。


 それはデハーニそしてクロムと出会う一連の出来事を経て、極めて短期間の間で特にピエリスとベリスの基礎能力が大幅に上昇しているのだ。

 最初は、ちょっとした身体と魔力の馴染みが良いなという程度の者だったが、先程のサイクロプスとの戦いで確信した。


 彼らとの出会いが、確実に己の強さを引き上げている。

 その実感は一方で快感となって、ピエリスやベリスの小さくひび割れた心に染みる様に流れ込んでいた。


 弱き者を助ける為、忠誠を誓う主の為、騎士としての道を信じて進む彼女達は、目の前に開いた新しい道の存在にまだはっきりとは気が付いていない。


《誰かの為では無く、己の為に強さを追い求める》


 それは騎士の道からは大きく外れる邪道とも言えた。

 ただピエリスは強さ無き正義があまりにも脆い物だと、クロムを通じて思い知らされている。

 今のピエリスの強さでは、クロムに貫ける正義など欠片も存在しない。


 強者の正義と弱者の正義。


 耳にクロムの雷鳴が飛び込んでくる。


「力無き正義は...」


 ピエリスの騎士としての矜持が、その先の言葉を吐く事を許さない。

 その言葉の先を肯定してしまうと、言いきってしまうと自分自身を保てなくなる。

 そんな確信がピエリスにはあった。


 丁度その時、クロムの纏っていた稲妻の勢いが一気に膨れ上がった。

 背中に白炎を背負い、両腕から今まで以上に凄まじい威力を感じさせる稲妻を発生させているクロムは、神話に出て来る雷神と姿が重なる程の威容を放っている。


 そこからは一瞬だった。

 ピエリスはああ、もう終わらせるんだなというどこか達観した気持ちを心の端に置いている。


 ブラック・オーガの腕に閃光と稲妻が放たれた。

 ピエリスは思わずその光と音に思わず眼を閉じてしまい、ゆっくり視界を取り戻した時にはブラック・オーガの腕が吹き飛ばされているのが見えた。


 そしてその無慈悲な力がブラック・オーガの身体に炸裂し、周囲の空気を震わした時、ピエリスは思わず呟いた。


「思い描いた結果を確実に手に入れる。これが強さ、力なんだな」






 戦士、女盗賊、弓術師の冒険者3人は騎士団とは少し離れた場所で、ブラック・オーガが稲妻に焼かれ、倒れるのを目撃していた。

 そこには生き残ったという実感も無く、本来であれば報酬の予感に歓喜する場面なのだが、そこにあったのはただ畏怖のみだった。


 ピエリスが口にした《黒騎士》という言葉。

 彼らはそれを名声と強さから来る二つ名だと思っていた。

 だがそれは間違っていた。

 もう一つ覚えがある黒騎士という名は、二つ名では無く、存在そのものの名。


 英雄譚の黒騎士。


 だがもし本当にピエリスの口にしたその名があの黒騎士であるならば、彼らは今この目で伝説の黒騎士の戦いを目にしている事になる。


 伝承の黒騎士は御伽噺。

 今は存在しない、もしくは伝承の中だけに存在する騎士の名。


 とてもじゃないが素面で信じられる話では無かった。

 それでも今、現実主義の冒険者達の前で繰り広げられている戦いは、既に人の枠組みを逸脱したものだった。


「あれは...人間が出来る戦いなのか?」


「無理ですよ。人間があの場に立っているだけで死にますよ」


「あの騎士団、何であんな化物を連れてるのよ...国1つ潰すつもりかしら...?」


 金の管理にうるさい女盗賊は、今普通なら戦闘で失った装備の金額と報酬、移動費等の金感情に頭を回している頃である。

 だが、今は自分の命をこの先、どう生かそうかという思考が頭を支配している。

 あの黒騎士が味方であるという確実な保証をピエリスから貰えなかった事実が、必要以上に女盗賊を追い詰めていた。


「しかし本当の所、どうなんだ?」


「そんなの確かめようないですよ。だったら貴方が聞いてきます?あの伝説の黒騎士様ですか?って」


「絶対やめてよねそれ...それをするならまず冒険者ギルドでパーティ解散届けを出してからにして頂戴」


 そんな会話を交わしていたその時、既に倒れたまま動けなくなったブラック・オーガの横に跪いたクロムが、その雷電で輝く両腕を軽く掲げる姿を見せる。

 そしてその両手がブラック・オーガの身体に触れた瞬間、騎士団、冒険者、その他周囲にいた全員の視界を白く塗り潰した。

 反射的に眼を閉じても、まだ眩しさが緩和出来ない。


 身体を貫く轟音。

 鼓膜を抉る雷鳴。


 思わず驚きで身体を竦ませ、眼を閉じる行動をその場にいた全員が起こしてしまう。

 中には頭を抱えてうずくまる者もいたほどだ。

 冒険者にとってまず克服しなければいけない筈の、落命に繋がる致命的な反射行動。

 だが冒険者達はその反射を起こしてしまった未熟を悔やむ余裕など無い。


 そしてその閃光と轟音の饗宴が終わった後に残っていたのは、平然と立ち上がり何かを無造作に拾う黒騎士。

 周囲を乱れ飛ぶ稲妻の残滓と焼け焦げた地面。

 そして灰燼と化したブラック・オーガの地面に刻まれた影とほんの少しの骨だけだった。


「ありゃぁ..だわ...どう考えても人間じゃねぇ」


「ははは...私達、絵巻の一幕を見てるんですかね...」


「ああ...お願いだから味方でありますよう...いいえ、私達なんか見向きもしませんように...」


 そしてこちらに歩いて向かってくるクロムを見て、報酬も貰わずに逃げようかという思いが冒険者3人に共通して浮かんだ。

 だが、脚に力が入らず立ち上がれないという現実。

 それに反して、あの黒騎士と呼ばれたモノをもっと近く感じてみたい、存在に触れてみたいという、良くも悪くも冒険者の本質が3人の心に鎌首をもたげ始めていた。


 そして3人がまず大前提で願った事は“味方でありますように”という切実な願い。

 ただそれは冒険者達以外の者、騎士団を含めた全員の願いでもあった。


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