第37話 本能と本質

 ラプラニラ西門まで無事に後退した騎士団と冒険者達は、防御陣形を構築していた。


「負傷者は街の治癒所に早急に運べ!治療後、戦線に復帰出るのであれば再度、戦列に加わるよう告げよ!伝令!至急ラプタニラ管理官に防衛隊予備役の緊急招集を提言、同時に住民の避難の準備をと伝えろ!」


 ピエリスが、最悪の事態に備えて可能な限りの対応を求めて伝令を飛ばす。


「もし、万が一クロム殿が敗北する事になれば...この街の放棄も考えなければなるまい。くそっどうなっているんだ!」


「ここはもう信じるしかないのでは?最低でもあの残ったサイクロプスとゴブリンを街に入れないように死力を尽くすしかありません」


 ベリスが妙に落ち着いた様子で、ピエリスに進言する。


 剣を鞘に納める事も忘れ、柄を握り締めるピエリスがクロムのいる場所から凄まじい魔力の波動が発生し始めた事に気が付いた。

 それはピエリスのみならず、ベリスや他の騎士や冒険者の視線をも釘付けにする。


 門前に集合している騎士や冒険者まで届く魔力衝撃の波動は、心臓の鼓動のリズムすら狂わす程の勢いの強さで到達し、一拍遅れて重い爆発音が身体を揺らす。


「ちょっと、何なんですかあれ...あ、あんなの...」


 遠見の魔力視でクロムとブラック・オーガの戦いを視界に捉えた冒険者の弓術師が、幾分戻って来た顔色を再び青く戻し、魔力波動に晒され鈍い痛みが走る胸を押さえながら声を出した。


「おい、俺はそこまでよく見えて無いが...あのブラック・オーガとド正面から殴り合ってやがるぞ!」


「は、ははは...もしかして勝った方がアタシ達の敵になるとか...ないよね...?」


 ピエリスとは違った方向で最悪の事態を想定した女盗賊の目線が、自然とピエリスの方へ向いた。

 尚も厳しい視線を戦場に向ける女騎士の表情を見て、先程の会話を思い出して事態を曲解する。


「え...ホントに大丈夫なの...アタシ達...」


 鳴りやまない轟音に身体を震わせながら、女盗賊は本格的に脳内で敵前逃亡の算段を立て始めた。





 ラプタニラの街に魔力結晶共々、逃げ込む事に成功した輸送隊のウィオラは、広場に馬車を止め部下の騎士達とラプタニラ治安維持警備隊にその厳重警護を厳命した。

 そして数名の人員を連れ、城壁の角にある物見櫓まで馬を走らせる。

 その手にはクロムに預けられた外套が未だに抱え込まれていた。


 途中、街を囲む石の城塞を飛び越えて届く、ピエリス達が耳にしていた爆発音を耳にしたウィオラは馬に拍車をかけ、その速度を増加させる。

 そして息を切らしながら、物見櫓に上ると眼前には地平線にまで広がる平原と鬱蒼と茂る森林地帯が目に飛び込んできた。


 そしてその手前で舞い上がる土煙と爆発音を放射状に撒き散らしながら、戦闘を繰り広げている二つの黒い点を発見する。

 ウィオラは備え付けられていた遠視の魔道具を掴み、そこに眼を向けると信じられない光景が目に入った。


 その光景を見て、ウィオラは誰に言うまでも無く吐き出した。


「あの拳が、あの力が私に向けられていたのだな...」


 そして自分があの力に殺されずに、今と実感したウィオラ。

 ここまで届く魔力衝撃が彼女の身体のみならず、その心を振動させた。

 あの夜、天幕でヒビを入れられた彼女の騎士の心が、静かに砕け始めているのを周囲の部下達は知る由もない。






 度重なる衝撃で互いが立っている地面がひび割れ、硬さを失いつつある。


 その場から一歩も引かず、殴り合うクロムとブラック・オーガ。

 クロムの右拳をブラック・オーガの右拳が正面から受け止める。

 遠目でも目視でわかる程の凝縮された魔力を乗せて放たれた左拳打を、クロムが左拳で迎撃する。

 強烈な威力が籠めたれた拳打の応酬が、常人では捉えきれない程の速度で繰り出されていた。


 二人の拳と拳が硬質な衝突音を発生させ、その度にブラック・オーガの練り上げた魔力が爆散し衝撃波となって放射状に解き放たれる。

 ドガンドガンという殴り合いに不釣り合いな轟音が響く度に、互いの両脚が大地に沈み亀裂を広げていく。


「凄まじい力だな。このまま撃ち合うのは得策ではないか」


 ガスンッ


「お前は本当に人間か?角無しの同胞と言われたら信じるぞ」


 ズガンッ


 会話を噛み合わせようとせずに、二人は延々と拳を激突させる。






 ― 警告 両腕部先端 第一装甲 1層~3層 損傷拡大 関節部 負荷蓄積 増大中 ―



「流石に限界か」


 黒鬼の拳を迎撃しながら、コアの警告と戦闘モニターに映し出されている自身の身体情報に並ぶ赤文字を確認し、クロムは一言呟いた。


「あきらめたのか?」


 カウンターで放たれたクロムの拳打に合わせて、拳を繰り出すブラック・オーガ。


 ガシンッ


 ここで互いの拳をぶつけ合ったまま、時が停止したかのように動きを止める両者。

 その場の雰囲気を一掃するように吹いた風が、周囲に巻き起こった塵を攫い視界が復活する。


 ブラック・オーガの拳から赤い血が滲み、それがクロムの拳を伝って前腕部に一筋の赤い線を描いた。

 彼もまた自身の力の反動とクロムの拳の攻撃を受け止めきれず、決して無傷では無かった。


「俺の魔力を込めた拳と打ち合うとは。一体どれほどの...」


 そこまで言葉を口にして、黒鬼は今更ながらに気が付いた。

 本来の目的よりもクロムが発する強者の気配が、それを忘れさせていた。


「...お前から魔力を感じない。ふ、ふは...ふははははは」


 黒鬼が未だ力を抜けない身体から血管を浮かび上がらせながら大声で笑う。

 ブラック・オーガは強くなる為に、本能に従って他者の魔力を喰らい、より強さの高みへと昇ろうと戦い続けていた。

 そしてその果てに、今クロムと互角に拳を激突させている。


 クロムは黒鬼にとって間違いなく強者だ。

 その事実に気が付かない程に、その心を猛り狂わせる程の強者だった。

 だがしかしそのクロムに魔力を感じない。

 魔力を纏わせた自身の拳を真正面から受け止めるクロムの拳に、魔力は乗っていない。


 魔力を喰らい強くなれというオーガの本能。

 その本質は相手に勝ち、その魔力を喰らう事。

 本能の定める絶対不変の理。

 強者の魔力を喰らい、そして次の強者を喰らう為に練り上げ続ける魔力。


 ― 魔力の無いこの強者に勝ち、喰らうのか? ―

 ― 魔力を喰わねば強くはなれない ―

 ― それならばこの戦いを今すぐ中断し、全てを蹴散らして集落の魔力を喰らい尽くせばいいだけだ ―


 オーガの本能が、急速に黒鬼の闘争意義を削り取り始める。

 本能で理解する魔力の価値とその目的の優先順位が入れ替わり始めたその時。


「ぐおぅっ!」


 ドズンという音と衝撃がブラック・オーガの鍛え抜かれた筋肉を避けたように横腹から斜め上に響き、そこにはクロムの拳がめり込んでいた。

 その一撃はブラック・オーガの肋骨の1本にヒビを入れる。

 瞬間、黒鬼の魔力至上の本能にもヒビが入ったように、その思考が切り替わる。


 この強者に勝たねばならない。

 次の魔力を喰う為に、生き残らねばならない。

 生き残らねば、喰らえない。


 クロムのこの一撃によってオーガの強さを求める本能を、より原始的な生存という本能が飲み込んだ。





「考え事をしているのか?」


 たたらを踏むブラック・オーガにクロムが静かに声を掛けた。


「いや、この戦いを危うく小鬼のクソのようなものにするところだった。一撃に礼を言う」


 終始浮かべ続けていた笑顔が消えていた。

 そして眼下の騎士団と街の方向を指差し、部下に命令を下すブラック・オーガ。


「お前たちは下の人間共を始末し、俺の食事の準備をしろ。俺はこいつを殺してから向かう。行け」


 サイクロプスは未だ兄弟を殺された恨みを晴らさんと、クロムに怒りの眼を向けているが、それも黒鬼の威圧で潰された。


「身の程知らずが。さっさと行け鈍間が。ぶち殺すぞ」


 殺気交じりのその一言で、怯えた表情のサイクロプスが即座に向きを変え、ゴブリンの残存兵力を率いてラプタニラ西門に向かって進軍を開始した。


「待たせたな。追わせはしない。お前は俺とここで戦って死んでもらう」


 腰を落とし両手を広げて再び魔力を練り上げるブラック・オーガ。

 その握られた両拳からは未だ血が滴っている。


「気にしなくていい。それに先程も言ったが俺には関係の無い事だ。もし生き残れたら好きにするがいい」


「さぁ戦いの続きを始めようか。強き者。オーガの本能を変えた者よ」


 そう口にして、戦いを再開するべく全身で闘争の歓喜を表現する黒鬼にクロムは答えた。


「戦いの続きでは無い。これからは違う戦いが始まる。ブラック・オーガ、今後の為にも簡単に死なないでくれ」






 クロムが前傾姿勢になり俯いた。

 黒鬼と同じように腰を下ろし重心を下げ、広げた脚の裏で大地を2回程踏みにじる。

 俯いたまま、両腕をだらりと垂らし脱力していた。



 ― 戦闘システム 最適化処理 完了 アラガミ5式 システム解放 50% ―


 ― 戦闘強化薬 投与準備 1番シリンダー装填 残量500ml 投与量 150ml ―


 ― コア出力 上限解放 80% エネルギーバイパス 解放 ―


 ― 戦闘強化薬 150ml 投与開始 ―



 コア出力の上限解放によるエネルギー放出と投与された強化薬が、クロムの肉体を内部から急速に造り替え、肉体を再構成していく。

 少しばかり丸めた背中の、肩甲骨の位置に相当する装甲の下端が大人の握り拳一つ分ほど跳ね上がり、そこから余剰エネルギーが白いプラズマとなって大気に放散され始めた。

 クロムの視界内で展開していた戦闘モニターが激しいノイズに晒されながら、肉体の変質のモニタリングを続けている。

 その警告交じりの文字列は、クロムの身体に相当の負荷を負わせている事を表示していた。


「サンダーボルト・ペネトレイション 起動準備」



 ― 腕部 強化細胞 変性開始 エレクトリック・オーガナイザ 起動 ―



 パシリと小さな音がクロムの下げられた両腕から聞こえてくる。

 ゆっくりと構えられていく両腕が、その動作に合わせて徐々に青白い稲妻を各所から放出し始めた。



 ― 腕部 強化細胞 変性完了 超高電圧発電細胞群 セル・コンデンサ 接続 ―



「待たせたな、ブラック・オーガ」


「お前は一体何者なんだ?」


 眼前で魔力が無い上に、両腕に眩い稲妻を纏う黒い敵。

 全く未知の状況に、ブラック・オーガはその尊大な口調を忘れてクロムに問いかけた。


「そこは、気にしなくていいと言って欲しかったがな」


 クロムはそう呟くと、背部からプラズマを噴射しブラック・オーガに

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