第36話 黒騎士と黒鬼

「後衛部隊は負傷者を回収!戦線を一時後退させる!」


 ピエリスは、目の前で起こった事に驚く事を放棄し、先程サイクロプスの剛腕によって吹き飛ばされた負傷者を回収するよう指示を飛ばした。

 戦線を後退させなければ、間違いなく被害が拡大する事は身をもって既に体験済みである。


 クロムの叩き込んだ一撃によって明らかに魔物の群れが混乱に陥っていた。

 もう片割れのサイクロプスも兄弟が一撃で屠られた事によって、驚いたのか動きを止めている。

 その他の魔物も動きを止めているが、それはクロムの影響では無い事がすぐさま判明した。


 周囲を底冷えするような濃密な魔力が包み込む。


 クロムの目線の先には、凄まじい魔力を放射している身長3メートル程の人型の魔物が立っており、こちらをどこか楽し気に見つめていた。

 しかし、クロム以外の人間はその姿とその身体から立ち上る魔力を見た瞬間、背筋に一本の氷柱が突き通された感覚を覚える。


 浅黒い肌、そして異常に発達した筋肉で覆われた体躯。

 額には2本の角が生え、燃えるような深紅の髪が魔力によって逆立っている。

 赤く塗り潰された二つの眼を爛爛と輝かせ、魔獣の革で造られた腰巻を巻き付けて仁王立ちしている鬼。


「あれはただのオーガじゃねぇぞ...ありゃぁ黒い暴鬼ブラック・オーガだ」


「ええ、この魔力の多さ...こんな規模の群れを統率出来た理由が今わかったわ。しかも群体統率者ドゥクトルとして覚醒もしてる。絶対に私達じゃ勝てない。瞬殺よ」


 冒険者達は武器をそれぞれ構えて戦う意思を辛うじて見せたが、どう足掻いても勝てない事は黒い暴鬼ブラック・オーガから立ち上る魔力を察知した時点でわかっていた。


 一撃で殺されるならまだ良い。

 もし動けない程度に遊ばれた挙句に捕獲されたら、死ぬのが救いになる程の地獄が待ち構えている事は冒険者であれば誰でも知っている常識だった。


 ブラック・オーガともなれば、冒険者ギルドが討伐隊を組み国からの依頼で、騎士団と共同戦線を張る程の魔物だ。

 そもそもブラック・オーガ自体が滅多に遭遇しない、稀に通常種の中から生まれるとされた希少種である事も知られている。


 知性もゴブリンやサイクロプス等に比べて格段に高く、それに裏打ちされた残虐性は最悪の一言に尽きた。

 それが目の前に特殊個体となって現れたのだ。

 特に魔物と戦う事に特化した冒険者が戸惑うのも無理は無かった。


「それにあの目の前の黒い騎士みたいな奴は何者?騎士達はどうやら知っている様子だけど...あの槍を投げたのアイツよね」


「信じられないがそのようだな。でも何かおかしくないかあの黒いヤツ」


 戦士と女盗賊が構えた武器を震わせながら静かに会話していた。


「あの黒い人から魔力を一切感じません...」


 3人の中では一番魔力操作に長けている弓術師が魔力枯渇寸前でふらつきながら口を開く。


「そんな事ありえるのかよ...」


「あり得ないから驚いているんです」


 この不可解と絶望が入り混じる状況の中で、何とかそれぞれが生き残る道を模索している時、負傷者を回収し後方に下がる準備が出来た騎士団から報告が飛ぶ。


「死亡者を除き、負傷者の回収完了しました!指示を!」


「よしこれより戦線を下げる為に一時後退する。機会は戦況が膠着してる今しかない!冒険者達も我らに続け!そこにいたら確実に死ぬぞ!」




 これから起こる戦闘を予想出来ているような言葉を冒険者に放つピエリス。

 そして後退前に剣を油断無く構えながら、クロムと会話が出来る距離まで近寄っていった。

 その様子をブラック・オーガは眺めるだけで、動こうともしない。

 周りの魔物の群れも同様だった。


「クロム殿。この魔物は魔力も含めてハッキリ言って異常だ。とてもじゃないが我々を含め、街の戦力をかき集めたとしても手に負えそうにない。先日の異形とは比べ物にならない位だ。それでも...貴殿はやるのか?」


「敵であれば潰す」


「...我々はこれより負傷者と共に戦線を段階的に下げ、門前まで下がる事になる。必要無いとは思うが援護は出来ない...とはいっても逃がしてくれるかといった感じだが...」


 ピエリスは震える剣先をブラック・オーガに向けて、可能な限りの気力と精神力で目線を合わせようとした。

 既にピエリスはブラック・オーガの異常な魔力放出の影響で、魔力飽和の症状が出始めている。


「援護の必要はない。もし俺の戦闘を妨害するのであれば敵とみなす。それにあの魔物はそもそも俺以外は眼中にないようだ。周りの魔物共は必要に応じてそちらで対処すればいい。俺に構うな、邪魔だ。後退しろ」


「そうか...わかった。せめて邪魔だけはしないよう最大限努力しよう。すまないクロム殿。ご武運を...」


 そう言ってふらつく脚に、気合いを込めながら後退していくピエリス。


「冒険者達よ!後退する!一度しか言わない!そこから離れろ、確実に殺されるぞ!最後の忠告、いや警告だ!」


 もしこれでいう事を聞かないなら、いっそ斬り殺してやろうかと心の中で付け加えるピエリス。

 騎士団は消耗しきった防衛隊を守る様に展開し、なおも動かない魔物達に武器を向けながら後退を始めた。


「騎士さんの言う通り下がるわよ」


「くそっ!役立たず扱いかよ!」


「だったら残って一人であっさり殺されてください」


 三者三様の言葉を口にしながら、騎士団の援護の元で後退を始める冒険者達。

 その際にピエリスに質問をぶつける女盗賊。


「ねぇ騎士さん。あの黒い騎士みたいなヤツはアタシ達の味方なの?正直どっちが魔物かと聞かれたら、どっちも魔物ですって答えてしまいそうなんだけど...」


「話の通用しない魔物と常識が通用しない化物。どっちを味方だと思うのか、それを一度考えてみるといい。一つ言えるのは、あそこに留まっていたら両方から殺されるだろうな」


 彼に関わるなと暗に警告するピエリスの頬から汗が一筋流れ落ちる。

 そしてそのピエリスの薄緑の瞳に、まだ希望の光が残っている事に気が付く女盗賊。


「あの黒い...騎士かしら?あれは何者なの?」


佇むクロムの後姿に、女盗賊の危険察知が未だ最大限の警報を出している。


「まだわからないのか。知らない方が良い事もある。ただその眼で見た事だけを信じればよい。ただ命が惜しければ彼の邪魔だけは絶対にするな。それが如何なる理由であってもだ。もしそれでも何かするというなら...」


 そう言って途中で言葉を切るとピエリスはそれ以降は口を噤み、女盗賊もその雰囲気に気圧され、それ以上の質問は口に出来なかった。






 その場に残ってるのはクロムとブラック・オーガ、そして片割れを屠られ怒りの眼をクロムに向けるサイクロプスと15体ほどに数を減らしたゴブリン達。


 クロムがおもむろにブラック・オーガに声を掛ける。


「言葉は理解出来るのか?」


 暫くして多少聞き取りにくいが、同じ言語の言葉が返ってきた。


「わかる。強者よ。お前があの大猪を喰らったのだな」


「喰ってはいないが、殺したのは俺だ」


 その言葉を聞いたブラック・オーガは歓喜し、放出されている魔力の勢いが増す。

 魔力を感知出来ないクロムにはわからなかったが、それでも相対する黒い鬼の気迫が高まったのは理解出来た。


「あの街を襲うのか?」


「目の前に餌があるのに襲わないのは有り得ない。お前はあの集落を守っているのか?」


「いや。俺には関係の無い事だ。もう一つ聞く」


「何だ」


 クロムが緑の双眸の光を強めながら戦闘態勢を取り、黒い鬼に問いかける。

 クロムの拳が軋む。


「お前は俺と戦いたいのか?」


 ブラック・オーガが両手を広げて、腰を落として重心を下げた。

 肩の筋肉が盛り上がる。


「それ以外に何がある?」


 世界に取り残された様に、魔力の気配を感じさせない静かな黒い騎士。

 世界に存在を誇示するように、魔力を爆発的に高める荒ぶる黒い鬼。


「そうか。敵あるならば俺はお前を...」

「そうだ。強き者だからこそお前を...」


「潰す」

「喰らう」





 ― 戦闘システム コア出力75% アラガミ5式 待機 ―



 ブラック・オーガが気炎の様に魔力を纏いながら、クロム目掛けて一直線に駆けていく。

 クロムは防御態勢を取り、最初の一撃を受け止め敵の戦闘力評価を行う事を選択した。



 ― 耐衝撃 防御態勢 カウンターショック 発動準備 ―



 クロムが現状、自発的に戦いに挑むたった一つの理由。

 ただこの世界を知る事、その為に状況に応じて敵を作り、敵を倒す。


 クロムだからこそ可能な、はた迷惑この上ない傍若無人の権化のような行動理念。


 背後の戦士たちが黒い暴鬼ブラック・オーガと呼んだ魔物。

 ピエリスがあの異形よりも異常だと評価した魔物。

 あの大猪の異形では、この世界におけるクロムの強さの評価が出来なかった。


「お前はどうだ。ブラック・オーガとやら。お前の強さを教えてくれ」


「お前を喰えば俺はもっと強くなる。喰ったら次は女共と集落の全部を喰らい尽くすだけだ」


 噛み合わない言葉を交わしながら、ブラック・オーガが生まれながらに持ち合わせた身体強化を行って、クロムに真正面から砲弾の如く拳を撃ち込む。

 生物同士の闘争が生み出す音とは到底思えない衝突音が響き、その衝撃が二人の足元の大地を砕く。



 ― 警告 表層被膜 着弾範囲 全喪失  右前腕部 第1装甲 1層から2層 損傷 カウンターショック 発動 ―



 鬼の拳がクロムにこの世界で初めての物理的損傷を与えた。

 衝撃吸収機構が発動し、更に衝撃を大地へと逃がすが、それでも軽減しきれなかった鬼の力がクロムの漆黒の装甲に小さな悲鳴を上げさせた。


 痛覚を元より遮断しているクロムは痛みの代わりに、コアから装甲に損傷が発生したという警告を受け取る。

 意識内で展開される戦闘モニターに人体投影図と損傷個所を指し示す赤文字が映し出されていた。



 ― 警告 敵攻撃 被弾角度 垂直 非推奨 ―



 ブラック・オーガの拳を、クロムは曲面で構成される前腕部装甲で狂いも無く垂直方向に受け止めた。


 眼前の敵の打撃力を計る為には最も正確なデータを得られるものの、未知の敵に対する最適な行動では無い。

 コアが改めて非推奨と叱責するように警告をしてくる程に、危険かつ選ぶべき選択ではなかった。


 だがクロムは、純粋にこの黒い鬼の拳を受け止めたかったという想いが僅かながらにあった。

 情報を求めるという目標の拡大解釈であると言われれば、クロムはそうだと答えるだろう。


 ブラック・オーガが群体統率者ドゥクトルとして覚醒し、合理と利益の思考を獲得したのと同じように、クロムもまたこの世界で感情の伴わない欲求という未知の概念の扉を開きつつあった。


「おお、俺の拳を正面から受け止めてくれるとは」


 未だ拳を離さず、押し込み続けているブラック・オーガが笑顔で牙を剥き出した。

 拳と前腕部装甲の間で、魔力の紫電がバチバチと散っていた。

 互いの顔を至近距離で突き合わせ、その火花の閃光で互いを彩りながら言葉を交わす。


「受け止める必要があった。それだけだ」


「避けもしない。逃げもしないのだな」


「その必要はない」


「そうか」


 2人が同時に握り締めた拳を振り上げた。

 黒い異物がぶつかり合う。

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