第35話 群体統率者の軌跡
魔物はその魔力を追っていた。
あの巨大な猪の魔石を食えば、今よりも大きく成長出来ると信じていた。
強くなればその魔物が共に過ごしていた家族を襲い、平然と平らげたあのドラゴンも倒せると。
魔物はあのドラゴンに恨みはない。
弱肉強食の世界。
喰われた家族が弱かった。
父も死んだ。母も死んだ。兄も死んだ。妹も死んだ。
ただそれだけの単純な出来事。
だからこそ、その魔物はそのドラゴンを殺し、喰らい、より強くなりたいと願う。
あの襲われた時の底知れぬ絶望を味わった後、更にその願いが欲望に変わり、ただひたすらに森で狩りを続けていった。
襲い、殺し、喰らう。
自身の身体の中で、喰えば喰う程に魔力が大きくなっていくのを感じていた。
でもまだ足りない、喰い足りないとその魔物は自身とあのドラゴンとの強さの差を考え始める。
どうすれば良いのか考え始める。
黒い鬼が、いつもと同じように獲物に喰らい付きながら思考を巡らせていた。
最近はこの考えるという行動が好きになると同時に、自分の弱さを再認識させる事に焦りを覚えている。
目の前に小さい鬼の集団が現れた。
弱く不味い、強さの足しにもならない黒い鬼にとって価値の無い小物。
その有象無象が黒い鬼の前で震えながら皆、跪いていた。
そして暫くして、黒い鬼はあの巨大な猪を追い込んでいた。
あれから周辺のゴブリンやコボルトの群れをいくつも《接収》していった鬼は、いくつもの夜を超えながら思考を巡らせ、予測を立てて、群れの長として立っていた。
何度も失敗し、あの大猪を取り逃す。
その度に弱い配下達に絶望し、怒りを理不尽にぶつけた。
ある日、狩りにて良い働きをした1匹のゴブリンを初めて称賛した。
褒美に黒い鬼は、面白半分で自身の魔力を分け与える。
ほんの些細な遊び心のようなもの。
暫くして身の程知らずのサイクロプスの兄弟の襲撃を、そのゴブリンはその身一つで短い時間だが食い止めた。
負けるはずの無い黒い鬼にとって全く無意味な時間稼ぎ。
腕が噛み千切られ、脚が捥がれても、そのゴブリンはサイクロプスの脚に歯を突き立てながら絶命した。
そのサイクロプスを配下に加えた頃、黒い鬼は良い働きをした配下には褒美で自分の魔力を与えると宣言。
魔力は命であり、強さを得る為の財貨のようなもの。
配下達は我先にと戦果を求め始める。
魔力を与え強くなった配下たちは、次第に黒い鬼と意思を交わし合うようになる。
黒い鬼の野望を叶える為に、力を与えてくれた黒い鬼への忠誠と感謝の証の為に、命を賭けて戦場へ飛び込んでいく。
それでもあの大猪には勝てなかった。
出会う度に強くなっていく大猪は、こちらが傷を負わせる度にその怒りの濃度を上げ、魔力を成長させていく。
ある日、あの大猪の強大な魔力の気配が突然消えた。
僅かに残った気配を辿り、その跡を追う。
道中に出会った有象無象の愚か者共を群れで襲い、喰らいながら森の中を歩き続けた。
そして大きな魔力の気配が漂う場所にようやく辿り着いた。
間違えもしない、あの濃密な魔力。
暫く見ないうちに、より一層凶悪な、それでいて旨そうな香りを発するようになっていた魔力。
追い詰めたと黒い鬼は笑みを浮かべる。
だがそこにあったのは、あの大猪の魔力を染み込ませた黒い地面が残されているのみ。
誰かが喰ったのか?
この自分を差し置いて、獲物を掠め取ったのか?
黒い鬼は心に穴が空いたような感覚に襲われ、かつてない程の怒りを込めて吠える。
そして何やら騒ぎ始めた鬱陶しい“新入り"達を何個か怒りに任せて捻り潰した後、冷静な思考を浮かべた。
あの大猪を倒したヤツがいる。
間違いなく強い筈。
だったらそれを喰らえばいいだけだ。
長い間、思考というものに身を置いていた黒い鬼は、この基本原則を改めて再認識したのだった。
魔力の匂いの反応は2つ。
互いに正反対の方向に、一方は森の奥深くへ、もう一方は未だ見ぬ森の外へ向かっていた。
森の奥に向かった大きい方の魔力の気配は、想定以上に早く遠ざかっていっているようで、匂いが既に薄まりつつあった。
このまま大きい方を追うか。
今の群れで追いつけるか、そして見失わないか。
これがただの黒い鬼なら迷わず大きい魔力の匂いのする方へ向かっただろう。
だが
小さい方は進みが遅く、その魔力の匂いに混じって鼻を突く様な不快な香りを嗅ぎ取った。
それに加えて察知したメスの匂い。
多数のメスがいる。
喰らうも良し、嬲るも良し、配下に与えるのも良いだろう。
鬼の股間を大いに刺激する原初の欲求。
そして更に思考を回転させた黒い鬼は、新たな欲が盛り上がるのを感じた。
森を出た先には何があるのか。
この森には無い、旨い魔力があるのではないか。
向こうに比べて小さいが確実に魔力を喰らう事が出来、メスも大量に手に入れられる。
そして森を抜けたその先で未だ見ぬ餌場が見つかるかも知れない。
合理的。
判断材料に合理と利益を混ぜ合わせ始めた黒い鬼の思考からは、既にただ大きいだけの魔力の匂いの事など消え失せていた。
小さい方の魔力の残滓を追っていた黒い鬼は、次第に強くなる不愉快な花の様な香りに参っていた。
魔力の匂いを辿れば、もれなく鼻を刺激してくるこの香り。
それでも黒い鬼の集団は次第にその距離を縮めていく。
この先で止まっているようだ。
そして追い詰めたと言える距離まで近づいた時、幾つかのゴブリンの集団を予め周囲を取り囲むように向かわせた。
もう逃がしはしない。
全て奪い喰らい尽くす。
しかしその日の夜、向かわせていた配下達の気配が瞬く間に消え去った。
全て黒い鬼が魔力を分け与えた配下達。
魔力で繋がりが出来ていた事によって察知出来た、全滅の知らせ。
そんな簡単に全滅するほど弱くは無かった筈だと、予測と思案を巡らせる。
確実に言えるのは、それよりも遥かに強い者の存在。
だが、鬼の鼻をもってしてもその存在の魔力は感知出来なかった。
忌々しいこの花の香りが無ければと、奥歯を噛み締める。
それでも全く気配が読めない謎の存在に黒い鬼の脳内で進化した予測が、警報という名で予感走らせ、明日の行動を思い留まらせた。
夜明け直前に、鬼は価値の一番低いコボルトの集団を一つ同じ場所に向かわせたが結果は同じだった。
瞬く間に消え去った部下の気配を感じながら、未だに鬼は思考を巡らせている。
これまで記憶と経験、実際に存在した事を当て嵌めながら行動してきたが、ここにきて全く正体が掴めない《不確定要素》という物を思考に組み込んでいた。
それにより確率と可能性という概念に囚われてしまった鬼は、時間の経過すら忘れて思考の海を漂う事になる。
そこから浮上した時には、既に魔力の匂いの集団は森の外に出て、先日とは比べ物にならない速度で遠ざかっていた。
鬼は久しく感じていなかった焦りを心に浮かべ、配下から特に移動速度に優れた者達を選抜、更に2体のサイクロプスに魔力を分け与えその能力を強化した後、その行方を追い始めた。
そして鬼は追うのではなく、立ち塞がるという選択を思い付くと時折止まっている魔力の元を追い越す形で予測される行き先に進軍する。
小高い丘で移動に差がある遅れたサイクロプスを待っている鬼。
眼下には石の崖で囲まれた巨大な集落が見え、その中に小さな魔力の匂いが大量に存在している事を確認する。
あれだけ喰らえば多少は満たされるだろう。
そう考え笑みを浮かべていると、集落の入り口付近が慌ただしい動きを見せ、小さな獲物がこちらに向かっているのが見えた。
鬼はそれを見ながら、目的の魔力は間違いなくここに向かっていると確信すると、配下の集団に喰らい尽くせと一言添え、進軍を命じる。
やがて配下と獲物達との戦が始まった。
後は鈍間なサイクロプスを待つのみだと、黒い鬼はその場で腰を下ろし、これから先の戦果に大いに心を躍らせていた。
鬼の眼と鼻が、ようやく追い続けた魔力の大元の集団を遠くの平原で捉えた。
待ちに待った獲物の姿に、鬼は思わず歓喜の声を上げそうにある。
その集団は煌めく鎧を身に纏い、二手に分かれ一つはこちらに向かって、もう一つは魔力の匂いを強烈に発しながら、眼下の集落の方へ向かっていった。
風があの忌々しい花の香りと、思考を鈍らせる生臭いメスの香りを運んでくる。
鬼は先程合流したばかりのサイクロプス達を指一本で戦線に投入し、2体は咆哮を上げて戦場へ駆けて行った。
鬼は戦線に加わった白銀の集団が、一気呵成に配下を葬っていく強さを見て興奮を覚えた。
強いメスが餌場に、それも大量に現れた。
戦の雰囲気がそのメスの香りをより一層強くし、その匂いがあの花の香りを上回った瞬間、思考が飛びそうな程の欲望の感情が溢れ出す。
喰いたい。貪り喰いたい。あの身体をゆっくりと噛み締めたい。
その情景を思い浮かべ、股間を怒張させる黒い鬼の熱い興奮は、魔力の塊が街に逃げ込もうとしている事も忘れさせる。
そして、戦線に加わったサイクロプスが敵集団を吹き飛ばす光景、魔力の塊が集落の中に逃げ込む様子、そしてその後方から得体の知れない気配が立ち上ったのを鬼が認識したのはほぼ同時だった。
大地を抉り、黒い鬼の耳に衝撃音が届いた瞬間、サイクロプスの片割れが吹き飛んだ。
小さな配下を巻き込み潰しながら、大地に血の筋を描き出す。
胸を大きく抉られ槍が突き立てられているサイクロプスは既に息絶え、動かない。
そして先程サイクロプスの立っていた場所に、轟音と共に土煙が舞い上がる。
その中から闇夜をくり貫いたような黒い姿の人型が姿を現した。
鬼は瞬時に確信する。
こいつがあの正体が見えなかった《不確定要素》だと。
こいつこそがあの追い続けた大猪を喰らった存在だと。
黒い存在の身体からは、あの大猪の怨念に近い気配を放つ濃密な魔力の残滓が匂い立っていた。
「こいつを喰らえば、俺は更に強くなる」
目の前の黒い存在に更なる強さを感じる歓び、メスの匂いが突き上げた欲望、全てを噛み千切り、喰らうという本能。
その全てが黒い鬼を高みへ押し上げる。
過去の強者等、もはや思い出す価値も無い。
強者なら今、目の前に立っている。
喰らい尽くす。
もはやその眼には、眼前の黒い強者しか映していなかった。
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