第32話 花園に現れた黒騎士

 夜明けまで後1ホーラの段階で総員起床の合図がキャンプ地内に響き渡った。


 騎士団長のピエリスは溜まり過ぎた疲れ、もしくは緊張の為か良く寝たはずなのだが、どうにも身体が重く感じられて朝から憂鬱な気分に陥っていた。


 あの後、クロムは失礼すると言い残して天幕を出た後、その行方を夜に溶け込ませたようで、現在もどこで何をしているかはピエリスにも把握出来ていない。

 特に緊急事態が発生した訳では無いので、心配の必要は無いと判断した。


 潤いが失われつつあるバサつく髪を丁寧に梳き、インナーを脱いで肌を水で濡らした布で軽く拭き上げる。

 冷たい水が身体と心を引き締めるが、専用の天幕内で白い肌を露出していると1人であるにも関わらず、心がどうにも落ち着かない。


《異性》と《怪物》の概念を常に行き来しているクロムの影響であった。


 その後、身支度を整え、鎧を装着し終えると天幕から出て伝令にて報告を受ける。

 魔物の襲撃や気配も無く、全体問題無しという報告の中に、伝令が異常かどうかの判断出来なかったというものが含まれていた。


 ピエリスもこの報告を聞いた時、これをどう判断すべきか本気で悩んだ。


 報告によると、副団長のベリスが自身の天幕を出て暫く歩いた辺りで槍を握り締めた状態で、身体から凄まじい鍛錬の後の“香り”を発しながら、うつ伏せで気絶したかのように爆睡していたとの事。


 鍛錬にて相当にその身体を追い込んだようで、起こしたものの鍛錬の反動で全身がまともに動かせないベリスを数人の騎士が運搬、そのまま水を頭から浴びせ、身体を拭き上げたらしい。

 そしてポーションを朝飯代わりに飲ませた事で、少なくとも乙女としての境界線は何とか守護したという。


「すまない。本気で意味が解らない。ともあれ後でこちらから確認しておく。各自撤収の最終作業に入れ。私の天幕は会議で少々使うので最後で頼む。予定通り夜明けと共にここを発つ」


 少々心は痛んだが、クロムを見かけたらピエリスの天幕まで来てもらうよう伝えるよう、伝令に命令を下す。

 その時の伝令の顔は、とてもじゃないが騎士団長に向ける顔ではなかった。


 もう片方の副団長ウィオラも衛生兵の診断では、意識もはっきり取り戻し、右手の回復もポーションが良く聞いたらしく問題無いとこ事だった。

 ただまだ剣を握れる程にはやはり回復していないらしく、加えて精神がまだ若干の乱れがあると報告を受けた。


「まぁあのような体験をすればそれも致し方ないだろう。更に追い込むように処罰を加えなくてはならないのが辛い所ではあるが、致し方あるまい」


 昨夜寝る前に、あのプエラの処断をどのように処理するか大いに頭を悩ませたピエリスは自然と寄ってしまう眉間の皺を指で揉み解した。


「失礼致します。ベリスです。各員順調に作業中。予定通り夜明けと同時に出立が可能です。それと昨夜言われていた物を準備致しました」


「ご苦労。入って良いぞ」


 夜中に一人で謎の行動を起こした副団長が、平然とピエリスの天幕を訪れる。

 天幕の中に入って来たベリスは、あのような状態だったにも関わらず非常に晴れやかな表情を浮かべていた。


 そんな様子の副団長に、先日から胃薬が手放せないピエリスは寝不足という事もあり、若干心のざらつきを覚える。

 ただこれからの予定を考慮し、体力、精神力の温存を優先したピエリスは、その苛立ちを手にした干し肉を噛み千切る事で何とか消化した。


 その後、ピエリスとベリスは簡易地図を広げ、現在位置や行軍経路、道中の補給等、帰還の為の会議を行った。


「予定通りに事が進めばいいのだが...」


「そういう言葉はあまり縁起が良くないかと思いますが?」


 ため息をつくピエリスと機嫌の良さげなベリス。





 会議を締めくくった辺りで、天幕の外から昨日と比べ覇気を大幅に減らした声が入って来た。


「失礼します。ウィオラ参りました。入室の許可を」


「...入れ」


 未だ肩と右手に包帯を巻いた副団長ウィオラが天幕に入る。


「まずは昨夜の失態、申し訳ございません。如何なる処罰も...」


「まずはクロム殿に頭を下げるのが順序というものであろう。あれだけの事をやらかしながら、一晩経ってもまだわからぬのか」


 ウィオラは室後、即座に頭を下げピエリスに謝罪をするも、その言葉を終わらせる前にピエリスの厳しい叱責の言葉が被さってくる。


「貴様の処罰はその後だ。クロム殿がどのような判断を下すかは私にもわからん。それなりの覚悟をしておけ」


「...はっ」


 ベリスが冷たい視線をウィオラに向け、何か言おうと口を開けたその時、天幕の外から声が掛けられた。


「失礼します!撤収準備完了!残りはこちらの天幕のみとなりました!総員集合済みです!」


 天幕の中から3人の騎士が姿を現すと、その前に集合し隊列をなしていた騎士達が一斉に背筋を伸ばす。


「総員傾注!」


「楽にしろ。現刻を持って討伐遠征の終了を宣言する。これよりこの森から脱出、途中ラプタニラを経由した後、我らが本拠地ネブロシルヴァへ帰還する」


「「「はっ!!」」」


 その時、騎士達の気合いと緊張が、怯えと動揺に一気に塗り替えられていった。

 ゆっくりとした足取りで、いままで行方が分からなくなっていたクロムが森の方面から現れたのだ。

 クロムを知る知らないに関係無く、昨日の天幕での騒動を知った団員達がざわつき始める。


「騒ぐな!クロム殿、昨夜はどちらに?姿が全く見えないと報告を受けていたのだが?」


「何か俺に用事でもあったのか?ただ周辺を歩いていただけだ。途中いくつかゴブリンの集団を見つけて殲滅したくらいだな」


 散歩の延長線上の出来事の様に話すクロムに、ピエリスは軽い頭痛を覚えるが今更何も言うまいと、場を仕切り直す。


「総員!こちらはクロム殿だ。今回、積み荷にある巨大結晶は、このクロム殿の多大なる貢献と助力で手に入れる事の出来た戦果である。そして数多くの騎士の命を救った恩人の一人でもある!クロム殿に対する不敬な言動は、私に対するもの、騎士団に唾するものと同等と思え!」


「「「了解しましたっ!」」」


 そのタイミングで、ベリスが折り畳んだ黒い布のような物を持ち、クロムに歩み寄って来た。


「団長殿。こちらお持ち致しました」


「うむ。クロム殿、我が騎士団を代表してささやかではあるが礼の品を送らせてくれないか。どうか受け取って欲しい」


「俺に渡して大丈夫な物なのであれば、ありがたく頂くとする」


 クロムの言葉を聞いたピエリスは、ほっと安堵した溜息を吐いた。


「ベリス、クロム殿に説明を」


「はい」


 ベリスがクロムの前に立ち、その贈り物を差し出した。

 そしてその青髪の頭を恭しく下げる。


「こちらは魔法が込められた外套で魔法武具職人が作った逸品と団長殿より伺っております。害意はありません。どうか私に着用のお手伝いのご許可を」


「問題無い」


「ありがとうございます。では」


 そう言って、ベリスは手に持っていた折り畳まれた外套をクロムを覆うように一気に展開した。

 あくまで190㎝程のクロムと比較して小さい170㎝程の身長のベリスは、精一杯の背伸びと伸ばした両手で、最大限に粗相の無い様、気を使いながらクロムに外套を着付けていく。


 その黒い外套は、表面がシルクのような光沢を持つ厚手の物だったが、不思議と見た目よりも重量を感じない。

 黒一色に染め上げられ、正規の装着位置だと左胸の辺りに位置するように小さな緑のクローバーの刺繡が施されていた。


「とても良い物だ。有難く使わせて貰う。感謝する」


 クロムがピエリスに礼をいい、礼として軽く頭を下げた。


「こ、こちらは職人手作りの見事な逸品なのだが我々には少々扱いが難しい物で、半ば死蔵品となっていた。良く似合う所有者に引き合わす事が出来、その外套も喜んでくれている筈だ。使ってくれると有難い」


 突然、思いもよらぬタイミングでクロムに頭を下げられたピエリスは、若干焦りながらも言葉を返す。


「クロム殿に対する恩に比べれば、感謝の内に入るか心配なのもあるが。主を持つ騎士団の立場では、主やその意向を飛び越えた目立った報酬の授与は出来ないのでな」


「いや十分だ。もう恩は気にしなくても良い。いつまでも気にされては話が進まなくなる」


「心遣い、心より感謝する」


 ピエリスがクロムに礼の姿勢をとった。


「では、クロム殿。最後にこちらを」


 ベリスはそう言って外套の端を指で摘まみ、クロムの右胸上方部分に持っていく。

 そして深く澄んだ緑の宝石があしらわれた銀のブローチで、外套を固定した。

 外套の切れ目から右脚が露出している以外は、完全にクロムの身体が覆われて

いる。


「こちらは若木でありますが、木の魔物エルダートレントの魔石を加工したブローチになります。少量ずつ外套に魔力を供給します。そして...」


 そう言いながら、ベリスは背伸びをしてクロムの首に両手を廻し、余らせていた外套をクロムの頭部覆う形でフードの様に被せる。

 そのクロムに抱き着く様な仕草を見せたベリスに騎士達は、一瞬どよめいたが早合点を認識し、即座に鎮まる。


「魔力が通っている状態ですと、このようにお顔を覆っていても内側から外側のみ透けて見えるという特徴がございます。防御面に関しましては、あくまで布製の外套の範疇を超えないものですが、多少の雨風、熱冷気に関して緩和する効果もあります」


 皺や折り目の影響もあるが、完全に眼を覆われた状態でも外部の様子が透けて見える。

 その不可思議な効果にクロムは感心し、即座にコアに視界補正の演算を行わせた。

 徐々に視界の小さな歪み等の視覚情報が補正されて、景色がよりクリアになっていく。


「素晴らしい代物だな。大事に使わせて貰う」


 そう言って、クロムはおもむろに腕の振り等に対する干渉を確認する為に、その黒い腕を横に撫いだ。

 腕の勢いが強すぎたのかバサァと豪快な音を立てて黒い外套が、偶然吹き抜けた森の風の助力もあり翼の様に大きく広がる。


 滑らかな光沢を放つ黒い外套が舞い、その下からクロムの漆黒の外骨格が露わになった。

 そして、ちょうど姿を現した太陽の光がその黒い姿を際立たせ、それはまるで伝承に伝わる黒騎士を絵巻から浮かび上がらせたような光景を生み出す。


「これはまた...」「ふわぁ」「っ!?」


「「「おおぉ...」」」


 騎士達が口々に畏敬の念が籠った感嘆の声を上げた。


「黒騎士...」


 その中の誰かが一言呟く。


 シロツメクサの名を冠する白銀の騎士団の中に黒く、そして一際異彩を放つ黒騎士が立っていた。

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