第29話 混ざり込んだ黒一点

「クロム殿!きゅ、休憩は取らなくても大丈夫か!?」

「クロム殿っ!辛ければ我々も助力は惜しまないぞ!」

「クロム殿ぉ!?肩に当たっている結晶が削れて...え?削れて?」

「ク、クロム...殿...?身体は大丈夫なのか...?足が地面にめり込んで...」

「クロム殿...貴殿は...」


 馬車のある目的地に向かう道中、ピエリスは魔石結晶を担ぐクロムに向かって事ある毎に、心配そうな声を掛けていた。

 その度にクロムはただ一言、問題無いと返すだけでそれ以降は行軍速度は緩まるどころか、僅かながらではあるが速度が上がっていった。


 そのピエルスの声掛けも、一切休息も摂る事無く歩み続けるクロムを前に次第にその覇気が失われていき、目的地の近くまで来る頃には周りの誰よりも色濃い疲れを顔に映していた。


 魔力結晶に分厚い革紐を幾重にも巻き付け、一際大きい結晶の突起を肩に引っかけ難なく担ぎ上げたクロム。


 その姿を最初は怪物を見るような目で見ていた騎士達も、中盤ではクロムの歩みを妨げないよう、各員が率先して進行方向の障害物や小石に至るまでを排除していく。

 周辺警戒を担当するする騎士達も、蟻一匹通すまいとまるで国の重鎮の警護と見間違う位の気合いを見せ、クロムを中心に陣形を組んでいた。


「報告!キャンプ地周辺、待機要員、物資共に異常無し!帰還に向けて準備中との事!」


 先行していた偵察要員の騎士がピエリスに報告する。


 既に先触れを1時間前(1ホーラ前)に出していたピエリスは、クロムに背負わせた重荷を到着と同時に、即座に降ろせるよう手配を掛けていた。

 また道中、魔物の襲撃を想定していたがそれも一切無く、クロムの要求した行軍時間より30分(30モメント)早い到着だった。


 ピエリスと騎士団員はそれに関して疑問を持ちつつも、全員の心の中にある「一刻も早くこの地獄の森から脱出したい」という願いがそれを忘れさせていた。

 実際の所、クロムの現在位置周辺を縄張りにしておる魔物達は、その殆どが昼間のドミナスボアの出現により既に逃亡を果たしていた。


 そして更にはクロムが運搬する魔力結晶から常時発せられているドミナスボアの魔力の残滓が、今も尚、魔物達の帰還を思い留まらせている。


「キャンプ地の明かりが見えてきたぞ!クロム殿、あと少しだ!」


 ピエリスが先程までの暗い表情を明るくさせて、クロムに向かって声を上げる。


 夕暮れの色が濃くなり始めた頃、クロム達の前方、森の切れ目から篝火の明かりが漏れている。

 騎士団の帰還に対応すべく、キャンプ地の方面から慌ただしい雰囲気がクロムに伝わって来た。


 そして縦に伸びていた騎士団の先頭がキャンプ地の入り口に到着し、待機していた騎士達が帰還を労い休憩所に案内しようと行動を始める。


 だが、帰還した騎士達は一切の休息を取ろうとせず、そのまま各々が馬車の準備や周辺警戒、撤収状況の確認等、その表情を一切変えないまま動き始めた。

 現在の騎士団の状況を知らない待機要員の騎士達は、その様子を見てあっけに取られているが、これは任務を遂行した騎士団長を迎える為の行動だと勘違いを起こす。


 そしてピエリスの姿を確認すると、何も知らない騎士団は一斉に歓声を上がる。

 中にはあの現場から一心不乱に逃走した騎士達もいて、ピエリスの無事の帰還を心から喜んでいた。


 だがその歓声を早々に絶ち切り、ピエリスは表情を崩さず、共に帰還した騎士らに荷物搬入と積み込みの指示を出し始める。

 軍務経験や所属年数の関係で、今回待機要員となっていた後輩とも言える騎士達は状況を理解していない。


 その時、行軍の最後尾付近の集団がキャンプ地入口に差し掛かった。

 既に暗闇が森に満ち始めている中、篝火の明かりを反射して薄紫色に煌めく魔力結晶。


 見た事も無いような大きさの魔力結晶に、待機していた騎士達は驚きと感嘆の声を上げる。

 その結晶から受ける衝撃もあり、黒い森の背景に溶け込むクロムに誰もが気が付かない。

 それを担ぐクロムの脚が大地を踏みしめる音が近づいてくる。


 その様子を不思議に思い集まってくる何も知らない騎士達が、それよりも先に帰還した騎士達により強引に押し戻された。

 張り倒されるような勢いで圧された後輩達は、抗議の声を上げようとするもその騎士達が纏う気迫に声を詰まらせる。




「総員持ち場に戻り、役目を果たせ!積み込み作業開始する!クロム殿にこれ以上手を煩わせる事、騎士団の恥と知れ!急げ!」


「「「了解しました!」」」


 ピエリスの気迫の籠る号令が下され、騎士団各員が弾かれた様に動き出す。

 まるで何かに恐れる様に各所へ散っていく騎士達。

 それを不思議に思った者達は、直後にその理由を思い知ることになった。


 各所に設置された篝火の光を反射する漆黒の全身鎧を来た者が、数人では抱えられない様な魔力結晶を担いでいた。

 それもちょっとした革袋を肩にかけるような感覚で、ただ平然とキャンプ地に侵入してくる。


 一瞬、魔力結晶の大きさに対してその重量は実は大したことないのではと、錯覚を覚える騎士もいたがその者が歩を進める度に、地面にめり込むクロムの脚を見て顔色を変えた。


 あの現場から直接逃げ帰って来た、その後の事情の知らない騎士達から沸き上がる底知れない恐怖の雰囲気。

 その雰囲気に当てられた待機要員の一人が、剣の柄に思わず手を掛けた。

 しかしそれを察知した騎士の一人が、その者の顔面を強烈な裏拳で打ち据える。


 裏拳を放ったのは、クロムに槍を渡した騎士であった。

 突然沸いた底知れぬ恐怖と、仲間からの鬼気迫る打撃に混乱の極みに陥る騎士。

 ただその打撃音が周囲の混乱を鎮める切っ掛けともなる。


「クロム殿、積み込みの準備が出来た。こちらに置いてくれたら助かる」


「わかった」


 了解したとは言わないクロムは、結晶を馬車の荷台の専用に用意された空間に置こうと無造作に結晶を持ち上げた。


 その勢いにピエリスが息を飲んだ事を察知したクロムは、馬車の強度を失念していたと珍しく反省の意識を走らせ、結晶が荷台に置かれる直前に全身の力を操作して、勢いの大半を殺す。


 騎士団保有の馬車は木製ではあったが、各所に金属の補強が入るかなりの耐久性を誇る特注品であったが、それでもその魔力結晶の重さは馬車の全体を軋ませ、部品の各部に悲鳴を上げさせる。


 結晶の設置完了を確認した騎士達が、手早く結晶を固縛し外から衝撃保護と魔力遮断の効果がある分厚い布を覆い被せた。


「クロム殿。道中本当に助かった。貴殿の助力無しではこんな短時間での輸送は不可能だった。礼を言う」


 あっけに取られてその積み込み作業を見ていた周囲の者達の前で、この場で最も地位が高い騎士団長であるピエリスが、クロムに深く頭を下げ礼を言った。

 それと同時に共にキャンプ地までクロムと行動を共にした騎士達は、一斉に胸に手を当て同じくクロムに敬礼を行う。


 事情を知らない、理解の追いつかないこの状況に混乱する者達は、クロムとピエリス、そして共に行動していた騎士達の纏う気配の影響で、一切の言葉を発する事が叶わなかった。


「問題無い。これ以降の行動が決まればまた連絡を」


 クロムはその身を一切動かす事無く、ピエリスにそう告げると、キャンプ地の入り口に向かっておもむろに歩き出した。

 このクロムの行動に一瞬思考が停止したピエリスであったが、何とか思考能力を取り戻し慌ててクロムを追いかける。


「ク、クロム殿!?一体どちらに向かわれるつもりか!?」


「そんなに慌ててどうした。ここは騎士団のキャンプ地。まだ作業も残っているようだ。それなら俺は外で周辺の警戒をしておく。俺が徒に混乱を呼ぶ必要もないだろう」


 歩みを止めたクロムは、さも当然かのような口調でピエリスの問いに答える。


「いやいやいや!貴殿は何を言って...あのような働きをした貴殿をそのまま周囲警戒に送り出すなんてありえない!どうかこのまま私の天幕でしばし作業と今後の方針が決まるまで休息を取ってくれないか!頼む!」


 再び頭を下げそうな勢いでクロムに休息を取るよう願い出るピエリス。

 何もかもがおかしく見えるこの構図に、現場の作業が一瞬止まる。

 すると、一人の騎士が問答している二人に歩み寄り、跪いた。


「失礼致します。我々としましてもクロム殿には英気を養う意味も込めて、しばしの休息を取って頂きたく思います。ご不快に思われる提案で無ければ是非ともこちらに。ご案内致します」


 兜を小脇に抱えて頭を垂れ、長髪の先端を下に落としながら女騎士がクロムに休息を願い出る。

 ピエリスはよくぞ言ってくれたとばかりに、首を縦に振り、半ば懇願するような目線をクロムに向けた。


 長時間の兜の着用で汗で僅かに湿る青い長髪が、篝火の明かりを反射して薄く輝く。

 クロムは回答を得るまで動きそうにないその騎士の姿を見て、応答した。


「わかった。では心遣いに甘えるとしよう。案内を頼む。ピエリス殿、では後ほど」


「よ、良かった...いや了解した、クロム殿。後、公式の場以外では私の事はピエリスと呼んで頂いて結構だ。その辺りも出来れば一考して貰えると有難い」


「善処しよう」


「こちらの我が儘を聞いて下さり感謝致します。ではクロム殿こちらへ。騎士団長殿、それでは失礼致します。私はクロム殿をご案内した後、会議に合流致しますので」


 そういって立ち上がり、乱れた長髪を手櫛で整えた後、軽く腰を折りながらクロムをエスコートする女騎士。

 その騎士の部下と思われる者が、中身の正体が想像し難い、棒状の布に包まれた大きな荷物を手にクロムに怯えながらも駆け寄って来た。


「預かりご苦労。では行きましょう」


 その荷物を受け取ると、それを大事そうに手で持ち奥の天幕に歩を進めた。


「申し遅れました。私はべリスと申します。ウィルゴ・クラーワ騎士団の騎士団長補佐、副団長を務めさせて頂いております。以後お見知りおきを」


 クロムはその声を聞いて、過去に聞いた声の周波数と一致する人物の情報を掘り起こす。


「べリス殿...確か槍を借り受けた騎士だったか。とするとそれはあの時の槍か?廃棄せずに持ち帰った所を見ると、貴殿にとって大事にしていた装備と思われる。破壊してしまってすまなかった。埋め合わせは考えておく」


 そのクロムの言葉を聞いて、べリスと名乗った騎士は嬉しそうに布に包まれた歪んだ鉄の槍を胸に抱える。


「い、いえ...まさか覚えて頂いているとは光栄です。ただあのような醜態をお見せしてしまい情けない限りです。クロム殿からの謝罪は一切必要ありません。むしろ謝罪してもし切れず、感謝してもし足りないのは我々の方なのですから」


 しばらくべリスと歩き、途中作業している騎士達の畏怖が混じる視線をいくつか受けながらも天幕の前に到着すると、べリスはクロムと改めて向き合う。


「クロム殿。今更ながら私からも心よりの感謝を。そしてこの槍は“大事にしていた”のではなく、“大事な物になった”というのが正解です。それではまた後ほどお迎えに上がりますので、それまではしばしの休息を。あと出来れば私の事もベリスと呼び捨てで呼んで頂ければ...嬉しいです」


 そういって頭を下げて礼をして、クロムから離れていくべリス。

 その僅かに紅潮で染まる彼女の頬は、周囲に設置された篝火の熱と明かりが上手く消し去ってくれていた。

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