第26話 事態の収束と失態の沙汰
活動を停止した異形の怪物の肉体が、その身体を魔力結晶へ変えていく。
急速に分解されていく魔力が魔素となり、その魔素を魔力結晶が吸収し結晶化を加速させていた。
瞬く間に、そこには巨大な魔量結晶の塊が形成され、薄紫色の水晶が乱立したような幻想的な光景を生み出した。
その幻想的な輝きを放つ結晶を背景に、黒い戦士がデハーニとピエリスに向かって歩いてくる。
クロムの右腕の周囲は、未だ冷却が完了していない事を表す陽炎が立ち上り、透過する景色を歪ませていた。
恐怖が全く抜けきれないピエリスは、そこから立ち上がる事が出来ずその瞳を右往左往させていた。
ただ先程の戦闘でデハーニを庇う行動を起こしていた事をクロムは思い出し、ピエリスは彼から敵として認定する事は避けられている。
ピエリスはここに来てようやくクロムの姿を完全に視認する事が出来、そしてその異様な気配を放つその姿に背筋を凍らせる。
先程まで灼熱の右腕を振り回し、今は陽炎を纏う漆黒の全身鎧の騎士。
決して口には出さないが、ピエリスから見たクロムは悪魔か魔王にしか見えなかった。
クロムはピエリスが極度に緊張した表情を浮かべながら、クロムに向かって手で何かを遮る動作をしている事に気付いた。
「流石にまだ熱を出し過ぎているか」
そう言うと、クロムはその場で歩みを止め金属製のポーチから退避してきた仲間から手渡されたポーションを手早く取り出し、ピエリスに投げた。
ポーチ内は完全密閉され断熱処理も施されているので、ポーションの熱による劣化や破損は無い。
「これをデハーニに使ってくれ」
「うわっ!とっとっと!!」
突然クロムにポーションを投げ渡されたピエリスは、慌てた様子でそれを受け取り、割れずにキャッチ出来た事に深いため息をついた。
クロムが聞いた話によると、ティルトが素材を厳選して作成したハイポーションらしく、効き目はかなり良いとの事だった。
「こ、これは!ハ、ハイポーションではないか!?こんな濃密で安定した魔力を含むとは...作成者は相当な技量とお見受けする」
クロムには魔力を視認する手段や能力を持ち合わせていないので、ピエリスの言っている事の確認は出来ない。
ただその言動から、ティルトはかなりの実力者だという事をクロムは再認識する。
「ポーションの使い方はそちらに任せる。俺はデハーニの仲間を呼ぶ為にいったん離れる。彼を頼んだ。尋ねるがお前はデハーニの敵か?」
クロムの言葉がピエリスの心を瞬間的に凍て付かせた。
ピエリスにデハーニを害するつもりは全く無く、ただ一言、敵ではないと答えるだけで構わないはずである。
敵だと答えれば、確実に殺される確証だけは持てたピエリスは、ハイポーションを大事そうに抱えながら、ただ首を左右に高速で振るだけしか出来なかった。
「では頼んだ」
そう言って、クロムは瞬く間に森の中へと戻っていく。
「はぁっはぁっはぁっ...!死ぬかと思った、いや死んだと思った!何なのだあの男は...い、いやそれよりもポーションを!デハーニ殿、しっかりするのだ!」
ピエリスはハイポーションの封を開け、そっとデハーニの口に飲み口を当て、中身を流し込む。
するとデハーニの全身の魔力活性が急激に上がり始めると、腕の傷口の出血も収まり、その傷もまた徐々に塞がり始めた。
ハイポーションの効果に驚きつつも、ピエリスは慎重にデハーニの様子を伺う。
そしてデハーニの回復を見守っていると緊張が徐々ほぐれ、死の運命から逃れられた実感をようやく得ることが出来たピエリスがふと考えた。
― これから私はどうすればいいのだ? ―
ピエリスは焦りの表情を浮かべながら周囲を見渡してみるが、既に騎士団の騎士達は散り散りになって撤退という名の逃亡を果たしている。
― 私はこれから森の中をたった一人で撤退した騎士達を探し出しながら、王都に帰還しなければならないのか?しかも何の成果も無く? ―
今までとは違う意味で、ピエリスの顔から血の気が引いていく。
「いつつ...ああ...誰かからポーションでも受け取ったのか...」
「デハーニ殿!気が付いたか!そうだ、デハーニ殿と面識のある黒い全身鎧の人物からハイポーションを受け取って飲ませたのだ!私が!」
妙に気合いの入ったピエリスの声を聴いて、デハーニが心底面倒な表情を浮かべる。
「わかったから喚くな。鬱陶しい。しかも生意気にもしれっと自分の働きを主張してるんじゃねーぞ。ほら残りも使うから寄こせ」
「うう...そ、それは事実なのだが...?」
ピエリスは釈然としない気持ちで目線を不自然にデハーニから外しながら、中身が残るハイポーションの瓶を手渡した。
「いってぇなチクショー...まぁこれで二度と剣が触れないって事は無さそうだな」
ハイポーションを少量ずつ、丁寧に傷口に垂らしていくデハーニ。
ティルト謹製のハイポーションはかなりの効果で、深い傷もゆっくりではあるが確実に治癒させていった。
「ほ、本当か!?一時はどうなるかと思ったが...本当に良かった」
ピエリスはデハーニの言葉を聞いて、心の底から安心した様子でため息を吐いた。
するとデハーニは中身の少し残ったハイポーションをピエリスに差し出す。
「ほれ。お前も飲め。残り少ないが効き目は保証する。多少は体力の回復も期待できるはずだ」
「え...い、いやそんな貴重なポーションを貰う訳には...それに...」
「心底悔しいが、お前が飲ませたあのクソ不味いポーションで俺の命が繋がったのは事実だ。本当に悔しいがな」
「二度もいう事か?」
あのピエリスに飲まされた低品質のポーションの味を思い出したのか、デハーニは苦々しい表情を隠しもせずに浮かべた。
ピエリスはデハーニからの呼び名が“てめぇ”から“お前”に変わっている事に気が付いていない。
そしてデハーニ自身もそれに気が付いていなかった。
ピエリスはハイポーションを受け取りはしたが、飲む様子が無い。
「早く飲みやがれ」
イラつき始めるデハーニ。
「い、いや...その...」
「何だ。毒の心配か?出来る事なら腹いせに一服盛ってやりたい気分ではあるがな」
ピエリスはデハーニの毒のある言葉を受け流しながら、俯いてボソボソと飲まない理由を告げた。
「い、いや...このまま飲んだら...か、か、間接キ...あいったぁぁぁ!?」
デハーニの手加減無しの無言の手刀が、問答無用でピエリスの側頭部に炸裂する。
そして怪我が治りきっていないデハーニは、因果応報を体現するように手刀で跳ね返って来た激痛に悶絶した。
「くっそぉ!いってぇぞコノヤロー!頭打ったのかお前は!ぶん殴るぞ!」
「今頭を打たれた!そしてぶん殴られた!一応私もお、おと、乙女なんだぞ!」
「さっさと飲んでさっさとこの場から消えやがれ!」
「ひ、ひどいな全く!」
ピエリスは会話の勢いに任せてハイポーションを一気に飲み下す。
彼女の魔力循環の効率が飛躍的に上昇し、小さな傷を含めて瞬く間に治癒していった。
デハーニとピエリスがそのような下らない言い争いをしていると、さっきよりも熱気が随分抑えられたになったクロムが帰って来た。
それでも近くに寄ると体感温度が数度上昇する。
そしてクロムが開口一番、二人に掛けた言葉が「仲が良いなお前達」だった。
二人とも、特にデハーニが全力で否定したのは言うまでもない。
「後暫くしたら、退避していた連中もこちらに戻ってくる。全員無事だ」
「そうか...すまねぇ。また世話になっちまった。何個作っちまったかわからねぇが、この借りは...」
「デハーニ殿...」
自分を責める悔しそうな表情でデハーニが言葉を絞り出すが、それにクロムが言葉を被せてくる。
「必ず返す...か?借りの内容は俺には心当たりは無いが、まぁ期待せずに待っておく」
そしてピエリスはこの会話を聞き、この状況は自分が率いていた騎士団が原因だという事を再認識する。
デハーニの腕の未だ治りきらない傷を見て顔を下に向けた。
このデハーニの傷は間違いなくピエリスと騎士団の責任だと心の中で己を責めた。
もしデハーニの治療が間に合わず、剣が二度と握れない身体になっていたら。
そう考えるとピエリスの身体が後悔と恐怖で震えてきた。
「それで今回のこれは一体何だったのだ?普通の状況では無い事はわかるが」
クロムが戦闘の説明を請うと、デハーニは表情を歪めてピエリスを睨み、そしてピエリスは震えながら地面に顔を向けたままで固まっている。
「まずは
「全て騎士団が原因だという風に聞こえるが?」
「そう聞こえているならお前さんの耳は正常だな。全部ひっくるめて騎士団が全ての元凶だ」
それまで顔を俯かせて震えながら無言でそれを聞いていたピエリスが、突然その場で額を地面に叩き付ける勢いで土下座した。
「本当にすまない!謝罪して済むような状況では無い事は承知している!赦して貰えるとも思ってはいない!ただまずは私の謝罪だけでも受け取って欲しい!頼む!」
その様子を冷ややかな眼で見るデハーニと、何の感情も抱いていないクロムが見つめる。
「それで?デハーニはその騎士を始末するのか?」
クロムの口から平然と、さも当然の様に“始末”という言葉が飛び出る。
その平坦な、ピエリスに何の感情も持ち合わせていない声を聞き、ピエリスは土下座のままその身を大きく震わせた。
あの悪魔のように戦うクロムの姿が、彼女の脳内にフラッシュバックする。
「っ!?...いや、もはやこの命失ったも同義。もし殺すのならこのまま一思いに...さ、最期の慈悲として、く、苦痛無く首を刎ねて...欲しい...っ!」
ピエリスの震える声は途切れ途切れとなるが、その覚悟は明確に示された。
「最終的に事態を収拾した功労者の意見も俺は聞いてみてぇんだが」
デハーニが何故かクロムに意見を求める。
何故俺に聞く?と小さく呟きながらもクロムはそれに応えた。
ピエリスはこの無慈悲を体現したような存在に、失態の沙汰の判断が委ねられた事がわかって絶望する。
「そうだな。今回の失態が全て騎士団にあるのは明白なのだろう?それなら無駄な遺恨や面倒事を残さない為にも始末するべきだな。勿論、逃げた騎士も含めて皆殺しだ」
地に額を当てているピエリスの震えがより一層大きくなる。
「だが、その失態があれを素材として入手出来る切っ掛けとなったという事を考慮し、多少は前向きに捉えても良いだろう」
クロムは離れた所で完全に全身が結晶化した異形化ドミナスボアの残骸を指差した。
「そしてデハーニが今も生きているのは、瀕死時にポーションをその騎士が飲ませたからであり、そして俺の戦闘で巻き起こったその余波からその身を挺してデハーニを常に庇っていたからだ」
「ウグ...くそっ俺が弱いばかりに...てか、何でお前さんは俺がポーション飲まされた事知って...あぁ、くそが!全部遠くから聞いてやがったなてめぇ!」
「当たり前だ。正体が完全に判明していない者と身動き出来ないお前をそのまま何もせずに放置するとでも?雑音交じりで聞き取れたのが只の痴話喧嘩だったから安心はしたが」
「すまん。もういい。その件は二度と聞きたくねぇ」
デハーニはクロムに今まで見せた事の無い、言葉では表現できない様な表情で天を仰いでいた。
ピエリスはいつ気を失っても、失禁してもおかしくない程の絶望と無力感で尚も震えながら土下座で沙汰を待っていた。
いつあの黒い禍々しい拳が振り下ろされ、自分の頭が地面に薄汚い花を咲かせる事になるのか。
祈る気力すらピエリスには残っていなかった。
「そうだな。悔しいが命を救われた部分は事実だしな。このバカ騎士はこのまま見逃す」
「っ!で、デハーニ殿!そ、それは本当か!?」
ピエリスが安堵とあの絶望からの解放感で先程とは逆の要因で、危うく失禁しそうになるのを本能で防ぎながら、涙目でデハーニを見上げる。
「うるせぇ!黙って聞いてろ!あと俺を庇っていたのは知らなかったからな。どうせとんでもねぇ規模の戦闘だったんだろうよ。戦闘の跡を見りゃわかる。それも考慮してあの魔力結晶は俺達とこのバカ騎士で分ける。勘違いするなよ。“騎士団”と分けるんじゃなくて、あくまでお前個人で分けるんだからな」
「そ、それは...っ!」
「黙って聞けと言わなかったかこの
「ド、ドミナスバ...く、首の件は間違いなく私が自らの手で。し、しかし私があれを貰う権利は...」
結晶を分配される事に騎士としてのプライドが邪魔するのか、受け取りを躊躇するピエリス。
そこにクロムが割って入る。
「今ここで貰う貰わない権利とやらを問答し、デハーニの心遣いを蹴るのであれば、今この場で俺が一撃でお前を処分してやろう。苦痛も伴わないと約束しよう。一瞬だ。今までの事実を考慮しないのであれば、お前と騎士団全員を殺害するのが一番の解決だからな」
拳を握り込むクロムの無慈悲極まる言葉に、ピエリスは顔面蒼白で額を地面に打ち付けるピエリス。
「あ、ありがたく頂戴致します!デハーニ殿と黒い戦士殿に心からの感謝をっ!!」
「はぁ...決まりだな」
デハーニのため息交じりの短い言葉で、事態はようやく収束に向かっていった。
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