第24話 喰らった前菜の正体

 先程よりも速度が格段に上がった無数の触手の攻撃を、身体強化でその身を軋ませるデハーニが迎え撃つ。

 極上の餌に向かって上下左右から繰り出される異形の食指を斬り払い、受け流し、弾き返す。

 しかし幾らそれを斬り捨てても、見る影も無い姿と成り果てたドミナスボアの腹から次々と新しい触手が湧き出てきた。


 しかもあろう事かデハーニが捨て身の覚悟で戦っている最中に、未だ動けずにいる近くの騎士に向かって触手を伸ばし、摘まみ食いを敢行しようとする貪欲さを垣間見せる。

 元より殺すつもりの役に立たない騎士達を、結果的には助けなければ生き残れないこの惨状にデハーニは更に威力が増した暴言をピエリスに投げ付けた。


「おい!さっさと撤退の号令を出しやがれこのクソアマ!クソ不味い餌にしかならない貧相な身体の役立たずでも、口くれぇはまだマシに使えるだろうが!」


「き、貴様、なんという...!」


 自身に向けられていたデハーニの殺気の標的が変わり、結果的に助けられた上で今も護られているという状況が、ピエリスに少しずつ正常な思考を取り戻させていく。

 その結果、ピエリスは自分の立場を弁えず、デハーニの物言いに苛立ちを覚え、睨み返してしまった。


「あ?先にぶち殺すぞてめぇ」


「うぐ...」


 だがそれも全身の痛みに耐えながら気が狂いそうになっているデハーニの、血走った眼と殺気を間髪入れずに叩き込まれ、速攻で涙目に変えさせられる。


「き、騎士団総員、て、て、撤退!し、死力を尽くしてでもこの場から離脱せよ!!!」


 この声がどこまで届くかはわからない。

 騎士団長としての最期の責任を果たすのであれば、この身を犠牲にしてでも団員を逃がさなくてはいけない。

 既に命令も無しで逃げている騎士もいれば、それを聞いて弾かれた様に悲鳴を上げながら森に逃げていく騎士の姿が見えた。

 そしてその敵前逃亡を目撃した他の騎士達も、横の仲間を押しのけるように逃亡を開始する。


 勢いを増す異形の攻撃を必死に迎え撃つデハーニの後姿を再び見てピエリスは、ようやく張りの帰って来た声を上げた。


「デ、デハーニ殿!私も部下を逃がす為に時間を」


「うるせぇ!クソガキは後ろに引っ込んでろ!てめぇの存在自体が邪魔だ!あと着ている物全部脱げ!今すぐだ!」


 無数の攻撃の中にデハーニを標的にせず、彼の後ろに立っているピエリスを狙った攻撃が混ざり始めていた。

 ピエリスが食われる事自体は全く問題ない。

 むしろ余裕があったら、掃除のついでに囮として食わせたいとさえデハーニは思っていた。


 だが、彼女を装備している全身鎧ごと食われ、金属を融合されるのだけは避けなければならなかった。

 身体強化を行ったデハーニがようやく傷を負わせる事が出来る異形の硬さを、これ以上硬くさせる訳にはいかない。


「なぁっ!貴様は私をこんな時に...は、はず、はずかしめ...!」


「ブチ転がすぞテメェ!」


 ガギャンッ!!


 ピエリスのトチ狂った発言に対して、突発的に噴火した怒りがデハーニの斬撃の威力を大幅に増幅させ、その結果、触手を数本まとめて斬り飛ばす事に成功した。

 その隙をデハーニは見逃す事無く、うねり暴れる触手の隙間に活路を見出す。


 地面を蹴った際にかき上げた土を、ピエリスに腹いせとばかりに盛大に浴びせると同時に、デハーニは弾丸の如く本体に突貫する。


「ぷわぁ!?」


 間抜け極まる声を背中に背負い、途中で何本かの触手を斬り払い、デハーニは全身に黒い液体を浴びながらも構わず突き進んでいく。

 本体に肉薄した時、デハーニは心臓に突き刺した槍が外れぽっかりと開いた傷口の奥で、鈍く輝く魔石の光を視認した。


「見つけたぜ!」


 デハーニは突貫の勢いそのままに剣を両手持ちに変え、突きの溜め動作で身体を捩じり上げた。

 そして身体強化の強度を無理矢理に引き上げる。

 急激な強化に身体が内部から悲鳴を上げ、耳や鼻、眼から血が噴き出した。

 それでもデハーニは眼を見開いて標的を見定める。


「我流身体強化剣技 獄突ジゴクヅキ!」


 その威力を最大限高める為、意識内では無く技名を口から叫ぶデハーニ。

 意識下での魔力の操作が苦手なデハーニの、肉体と魔力との親和性を高める為の技術の一つだった。

 捩じり込んだ上半身を弾かれた様に半回転させ、突きだした腕ごと剣を射出するように突きを放つ。


 その突きを放つと同時に、デハーニの全身から一気に魔力が両腕へと殺到する。

 そしてその魔力の奔流はデハーニを腕力を爆発的に増大させ、その勢いのまま剣刃を一気に飲み込み、異形の体内の魔石に炸裂した。


 その衝撃で耐久力が限界を迎えた剣がバラバラと折れ散る。

 だが役目を終えた剣から確かな手ごたえを受け取ったデハーニは、苦痛に耐えるその顔をニヤリと歪ませ、突きとして放たれた魔力と剣術の複合技は確実に魔石を捉えてそれを粉々に打ち砕いた。


 グロロロロロッ!!


 それでも尚も足掻きを見せるドミナスボアのなれの成れの果ては、その巨体を持ち上げる触手を滅茶苦茶に振り回す。

 その内の1本が回避が出来ない程に消耗したデハーニの身体を強烈に打ち据えた。


「ぐはぁっ!」


 両腕を防御の為に上げる事が叶わず、そのまま腹部に一撃を食らったデハーニは後方へ吹き飛ばされた。

 その一撃で即死しなかったのは、身体強化が解除されるタイミングがほんの一瞬遅れたからだ。

 それでも甚大なダメージをデハーニに与え、容易にデハーニの意識を彼岸の彼方に弾き飛ばした。


「デハーニ殿ぉぉ!うぐぅぉぉぉっ!」


 いつの間にかデハーニに言われたとおりに鎧を脱ぎ去り、上半身を薄手のインナー姿になっていたピエリスが、吹き飛ばされたデハーニを地面に落ちる寸前で辛うじて受け止める。

 だが大柄な男の重量を小柄な彼女が受け切れる訳はなく、そのまま更に後方へと地面を削りながら吹き飛んでいった。





 ウロロロロロ...


「ゴホゴホッ!デハーニ殿!無事か!...っなんだその腕は!?」


 異形の叫びの音量が下がり始める中、身体を何度も地面に激突させたピエリスは朦朧とする意識を振り払い、それでも手放さなかったデハーニの身体を抱き起こす。

 そこでデハーニの両腕を見て、息を飲み絶句する。


 不完全かつ身体の安全を考慮しないデハーニの身体強化によって全身は元より、最後に膨大な魔力を受け止めた両腕はあちこちの皮膚が裂け、血塗れとなっていた。

 腕を走る魔力回路が焼き切れ、裂けた傷口からは今も血の流出が止まらない。

 デハーニの顔からは脂汗が大量に浮き出し、その表情も尋常では無い位に苦痛に歪んでいる。


「うぐっ...くそが...おい、ポーションくらい持ってるだろ...さっさと飲ませろ...」


「あ、ああ、下級のポーションだが飲んでくれ」


 あまりのデハーニの凄惨な状態を見たピエリスは、衝撃のあまりその憎まれ口にすら気が付かない。

 彼女は慌てて腰の革ポーチから薄緑色のポーションを取り出すとその封を開け、デハーニの口に流し込む。

 するとデハーニが、更にその表情を歪ませる。


「うげぇ...なんだよこのポーション...泥水よりも不味いじゃねーか...毒じゃねーだろうな...」


 そのポーションを口にしたデハーニが、更にその表情を歪ませる。


「ど、毒なわけないだろう!仕方ないのだ!これでも我々にとっては貴重なポーションなんだぞ!」


「こんな粗悪品がかよ...全く...ふざけるのも大概にして欲しいぜ...残りは腕にぶっかけろ」


 言われるがままにポーションを両腕に遠慮なく振りかけられたデハーニは、傷口に染みる刺すような激痛に思わず額に血管を浮かび上がらせ、遠慮なく殺気を込めた眼でピエリスを睨み上げる。


「あっつぅぅぅっ!てめぇ!...うぐぉ!ぶっ殺すぞ!」


「どど、どうすればいいのだ私はぁっ!!」


 涙目で至近距離から放たれたデハーニの殺気に震えるピエリスが、悲鳴に近い叫びを上げる。


「ど、同行していた錬金術師がやられてしまって、もうこんなポーションしか持ち合わせていないのだ!本来ならもっといいポーションを」


「待て、今なんて言ったてめぇ...」


 低品質で効果は小さいが、確かな効き目を発揮したポーションで多少の痛みが和らぎ意識がはっきりしてきたデハーニは、ピエリスの口から信じたくない言葉を聞いた。


「え...だから逃げ遅れた錬金術師がやられ...いや食われて...」




 デハーニはその横たえた身に冷たい風が吹き抜けていく錯覚を覚えた。

 彼の中で今までの不可解な点がほぼ全て繋がり、それが現状で一番最悪とされる予想を導き出す。

 そんなデハーニの表情を見て、ピエリスは顔を青ざめさせた。


「い、一体どうし...」


「あいつは錬金術師を食ってたのか...この状況もお前達が引き起こした最低で最悪の事態だぞ」


 そう言ってデハーニは身体を横たえながら本来なら活動を停止し、再び地面に倒れ伏しているはずの異形のドミナスボアに目線を移す。

 その視線先には動きは無いが、未だに大地に立つ異形。


 クロロロ...

 パキパキパキ...


 異形の全身から細かい水晶のような物が生え始める。

 生えてきたのは魔力の結晶体。

 全身を魔石として再構築している異形の姿。


 コロロロロロ...


 そして頭部にひと際大きな魔力の結晶体が生成され、魔力感知が苦手なデハーニですら寒気を覚える程の魔力がそこから周囲に放射された。


「あぁ、これはもう駄目だな。限界だ」


「そ、それはどういう...一体なにが...デ、デハーニ殿、ど、どうすれば...」


 デハーニですら寒気を覚える異形の魔力放射は、それ以上に扱えるピエリスにとってもはや絶望を通り越す程のもの。

 彼女の全身がガタガタと震え始めた。


「おい、この状況が解決出来るなら...てめぇはどれだけの代償を払う事が出来る?」


「え、何を言っ...ひぃ」


「答えろ」


 打って変わって、デハーニの冷たく静かな地を這うような低い声と鋭い視線がピエリスを刺し貫く。

 その声は何かの覚悟を決めた戦士の声。


「答えろ」


 再度問われるピエリス。


「わ、私に出来る事なら!この名に、か、賭けてっ要求は、可能な限り飲むと、ち、誓う!」


「その言葉、忘れるなよ。もし約束を違えば...俺はどこまでも追いかけてお前も、その家族も皆殺しにしてやるからな」


「...っ!!!」


 声にならないピエリスは何度もコクコクと顔を縦に振った。


 デハーニは未だ激痛で満足に身動き出来ない身体に力を込める。


 ― ちくしょう...結局、俺は...俺は...俺は!! ―


 デハーニが悔しさで噛み締めた奥歯がゴリゴリと削れていく音がする。


 ― クロムに頼らなきゃダメなのかっ!! ―


「デハーニ殿!どこか痛むのか!?ポ、ポポ、ポーションを...」


 デハーニの思考が読めないピエリスが慌ててポーチの中をひっくり返す。

 その時、デハーニから咆哮にも劣らない怒号が発せられた。






「まずいな」


 一言、森の中からその一部始終を観察し情報を集めていたクロムが一言呟いた。

 隊のメンバーは既に一か所に集合しクロムよりも更に後方に避難、別命あるまで待機している。


 状況が悪い方向へと転がり続けている事は、その場を支配してる気配から容易に察する事が出来た。

 最悪のケースと想定すれば、確実にデハーニはここで命を落とす。

 クロムはその結果の後に取るべき行動まで思案の対象に入れていた。


 それでもクロムは動かない。


 ― どうかご無事で ―


 左腕に巻かれた組紐が森を吹き抜ける風になびくと同時に、クロムはレピの言葉を思い出した。

 クロムはデハーニからの要請が無ければ、例え彼が死亡し、隊が壊滅したとしても動く選択肢は無い。


 クロムの現段階での戦闘への参加は、想定される今後の行動の中では優先順位が下の方に位置している。

 よって“デハーニからの要請”という条件をクリアしないのであれば、行動の全てはそれに優先された。

 もし仮に隊が壊滅する事態になれば、情報操作も含めて目撃者を全て消去する事すらも想定の中に入っている。


 だが、ここでクロムは声を聴いた。

 クロムが興味を持つに至った、強い意志の籠った剣士の声。


「俺はデハーニだ!これを見ている黒き戦士に今一度助力をここに請う!代償はこの俺の剣士としての生涯!それを黒い戦士の為に捧げるものとする!!」


 クロムは無言で森を出て、近くに置き去られた一本の鉄製の槍を手に取った。

 軽く振ると槍はしなって少々頼りない印象を与えたが、“一度の攻撃”には耐えられると判断する。


「了解した。これより状況を開始する」


 ― 戦闘システム 起動 コア出力制限解除 ―


 クロムは手に取った槍を握り締め、最高効率で全身の関節と筋肉の連動させた。

 握り締められたクロムの手の中で、鉄製の槍の柄がゴリゴリと削られ、鉄粉が風に舞う。

 そしてその槍を全力で、遙か前方で蠢く黒い異形の物体目掛けて投擲する。


「戦闘開始」


 その超速度で放たれた槍に追いつかんばかりの速度で、クロムは猛然と戦場に向かって突撃を開始した。

 駆けるクロムの後方に噴き出す土煙が狼煙の様に空へ立ち上る。


 再び戦況が動き出した。


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