第23話 王猪の還り咲き
「まぁ薄々こうなる事は予想は出来てたからなぁ。こうなっちまった以上、まとめて魔物の餌か森の栄養になって貰おうかね。騎士団長さんよ、恨むならそこの馬鹿を恨みな。あの世で仲良くキッチリ処罰してやってくれや」
デハーニの怒りが急速に収まり始め、代わりにその気配がより冷たく容赦の無い殺気へと変換されていく。
「う...あ、ああ...」
自身の身に確実に訪れる結末をデハーニの言葉と気配から感じ取ったピエリスは、地面に膝から崩れ落ちた。
ピエリスの口からはもう言葉は出てこない。
デハーニは決して善人ではない。
物乞いに施しを与える事もあるが、それはあくまで気まぐれの延長線上にある。
人を助ける事もあるが、それもまた自分や仲間の利益によってその是非を決めていた。
デハーニや仲間、村の為となるならば命も賭ける。
恩義があれば全力でそれに相応しい恩義を返す。
それがデハーニの行動理念の根底にあり、決して譲らない矜持でもあった。
その逆も然り。
デハーニは悪人にもなれる。
デハーニの行動理念を害するものであれば、彼は一切の容赦はしない。
例えそれが騎士団であろうとも、ただ一つも躊躇わずに斬り伏せる。
《生き残る為に、敵は一切の慈悲無く殺す》
デハーニの“悪”は決して自ら表に出ない。
彼の悪が目を覚ますのは、相手がそれを呼び起こしたからである。
デハーニ達と騎士団が対峙するこの戦場は、そよ風一つ吹き抜けるだけでも決壊する程の緊張と殺気に満ちていた。
ただ既に趨勢が決まっているとデハーニは確信している。
それでも騎士団の始末を考え直す事は無い。
デハーニが戦端を開く為に、剣の最初の目標を放心状態のピエリスに定めた時、不意に何か不自然な音が聞こえてきた。
クロロロロロロ
あまりにも不自然な、抑揚の無い、揺らぎも、強弱も無い声とは言えない音。
発信源はデハーニの視界の端に入っていたドミナスボアの死体。
その死体がモゾりと動いたのが見えた。
その瞬間、デハーニの中の本能が最大級の警報を鳴らす。
デハーニは即座に地面を蹴って、その死体から距離を取って叫んだ。
「総員退避!後ろの森まで一気に走れ!振り返るな!いけぇぇぇぇ!!!」
あっけに取られている部下達は、そのデハーニの尋常ならざる声色と表情を見て即座に我に返り、命令を実行した。
そしてそれを見届け、ドミナスボアの死体に再び眼を向けた瞬間、その死体が倒れた状態のままドンという音と共に跳ね上がる。
クロロロロロ!
赤黒い臓物の様な大小様々な無数の触手が、ドミナスボアの心臓目掛けて槍で穿たれた穴とデハーニが切り裂いた腹の傷から溢れ出した。
やがて全身に残る小さな傷跡からも、細い触手が突き破る様に飛び出してくる。
「ふざけるなよ...いくら何でも早すぎる。一体何があった...最悪にも程があるぞ!」
デハーニの顔から噴き出した冷や汗が顎から数滴、地面に滴り落ちる。
その音に不快な濁音が混ざったか思うと、ドミナスボアの頭部に開いている穴という穴からも赤黒い液体が零れ落ち始めた。
そして丁度、クロムが一撃を叩き込んだ側頭部、未だその拳の跡が残っている部分がメキメキという音を立てて膨張し始める。
ドミナスボアの無残な状態の頭部が更にその状態を悪化させていった。
既に眼球は零れ、音を立てて歪み続ける頭部の変形に耐えきれず、ゴキリと顎の関節が砕けてそのまま下に外れ垂れ下がる。
常人の神経ならば卒倒してもおかしく無い、悪夢の様な光景が目の前で続く。
即座に退避したデハーニ達とは対照的に、騎士団の騎士達はその光景に耐えられずあろう事か気を失い、倒れている者すらいた。
中には立ったまま失禁している者もいる。
騎士団長であるピエリスですら、腰が抜けたのか地面に座り込んだままその光景を呆然と眺めているに過ぎない。
既に原形を留めていない頭部の口から謎の液体を溢れさせながら、腹から飛び出た臓物の触手が激しくうねり始めた。
その液体から発せられる、強烈でむせ返る程の生温い悪臭が周辺に立ち込め、デハーニは思わず顔を顰めた。
するとその液体で艶めかしく光る触手の一つが、異形の一番近くで座り込んだままのピエリスへとゆっくりと伸ばされていく。
「ああ...あああああ...いや...いやぁ...」
目の前で起こっている事を精神が拒否しているのか、まるで子供の様に首を横に振りながらへたり込んだままのピエリス。
「くそが!ここまで役に立たねぇ騎士団なんざ初めてだぞ!」
デハーニが地面を蹴ってピエリスに向かって突進する。
剣先を地面に触れる直前まで下げながら、一瞬でその距離を詰め、彼女の眼前迄迫っていた触手を一刀にて斬り上げた。
見た目と動きからは想像出来ない、ギャリンという金属同士が擦れ合うような響きながらも触手が斬り飛ばされて宙を舞う。
切り口から零れる悪臭。
この期に及んでも身動き一つ取れないピエリスに対し、顔を歪ませながら隠しもしない盛大な舌打ちをする。
デハーニは未だに掴み処が見つからない己の中の魔力を何とか搔き集め、火事場の何とやらで腕に強引に集中させた。
彼女のチェストプレートの首元を強引に引っ掴むと、歯ぁ食いしばれと一言呟く。
そして全身を最大限使い、ピエリスを後方へ投げ飛ばす。
デハーニに掴まれた箇所は嫌な音を立てて歪み、装備で重量が増えている彼女の身体がいとも簡単に投げ飛ばされた。
そのままの勢いで宙を舞ったピエリスは、受け身も満足に取れないまま背中から地面へ叩き付けられる。
「ぐぁは!ゴホッ!」
苦悶の声が背後から聴こえるが、完全にそれを無視したデハーニは先程の身体強化で既に痛み始めた自分の腕を憎らし気に睨む。
斬り飛ばされても尚も暴れ、デハーニを狙い続ける触手を二回三回と斬り付け隙を突いて後方にジャンプし、再び距離を取った。
「す、すまな...ゴホッ!助けてくれて...」
「誰がてめぇみたいな能無し助けるかよ!さっさと他のゴミ騎士共を逃がせ!小便漏らしてピーピー泣いてる暇あったら、爪の先程でも良いから役に立ちやがれ!」
デハーニはあらん限りの憎しみを込めて女騎士団長に向かって怒鳴る。
「っ!!い、一体何が...」
「想定より早い、いや早過ぎる“還り咲き”が始まりやがった!てめぇらアイツに何を食わせやがったんだ!」
“還り咲き”
その肥大した魔石は、サイクロプスの様な生粋の魔物の魔石のような安定感が全く無く、言い換えればいつ爆発しても不思議ではない爆弾の様なものだった。
肉体が死に魔力が魔素となって放出され始めると、肉体の死に追いつかない不安定な魔石が限界を超えた力で魔力を補充しようとする。
過剰に放出された濃密な魔力は、その死肉を溶かし融合し始め、やがてそれは異形となり果てて再び動き出す。
既に死んだ肉体が魔力を魔素に分解し、外部に放出し続ける。
常に失い続ける魔力を、限界点を突破した魔石が崩壊するまで補充し続ける。
そして何より厄介なのは、それでも追いつかない魔力の供給が生物由来の飢餓感に置き換わり、魔力を保有する全ての物に襲い掛かり喰らい付く。
喰らった獲物は体内で魔力を吸いつくされ、残りの搾りかすは有機物無機物問わず分解されて、融合し異形の肉体となって再構成される。
デハーニは決してピエリスを助けたわけではなく、役に立たない無抵抗の騎士一人が餌食になる度に、目の前の異形が孕む危険性が大幅に上がるからである。
そして相対するデハーニの死の可能性も。
デハーニは全力で逃亡すれば確実に生き残れる算段はあった。
だがこの還り咲いたドミナスボアの魔石が崩壊するまでにどれほどの時間を要するかが全くわからない。
行く先々で全てを食らい成長したこの異形が引き起こす損害は計り知れなかった。
これが偶然にでも村に現れれば...。
それだけは絶対に阻止せねばならない。
「くそが!身体強化なんていつぶりだ!?頼むから耐えてくれよ俺のポンコツの身体!」
デハーニがこれから訪れる地獄の様な痛みへの覚悟を決めて、不得手な魔力操作でその肉体に魔力を飲ませ始めた。
急激に力を内包し始め膨張するデハーニの筋肉が、自身の骨や関節、腱、内蔵に至るまでを締め上げ悲鳴を上げさせた。
握る剣の柄がギシリと軋む。
― クロムをここで引っ張り出す訳にゃいかねぇ!あいつを今、国に知られると絶対に面倒な事になる! ―
不得手な身体強化の代償が、既に痛みとなって全身を駆け巡り始めた。
― クロムを知られれば村があぶねぇ!かといってクロムを村から追い出す事なんか絶対にさせねぇ!アイツは俺達の仲間なんだからよ! ―
そのデハーニの強い気迫を背負った姿は周りから見れば、さぞ頼もしく見えただろう。
だが目の前の飢え続ける異形から見たデハーニは、この上なく旨味が香る極上の餌でしかなかった。
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