第22話 恥の上塗りと溢れる怒り

 デハーニはこれから先に待ち構えているであろう面倒事への焦り、そしてそれと同じ位の憤りを感じていた。

 間違いなくこの王猪種ドミナスボアを手負いにし、取り逃がすという失態を犯したのが、この連中だと確信していたからだ。

 その時点で、騎士団と思われる集団の、すなわちまともな話し合いが高確率で望めない事を示していた。


 相手の出方と要求次第では、一戦交える可能性すらあった。

 クロムの力を借りたとはいえ、ほぼ無傷に近い形で思わぬジャイアント・キリングを勝ち取り、喜びに沸いた心が急激に冷えていく。

 加えて、ここから先はクロムの力を借りる事も望めない。


「コイツの後で、無能の騎士団共を相手に死人を出しちまった日にゃ目も当てられねぇ。疫病神が」


 今のうちに少しでも毒を吐いておくつもりで、デハーニはドミナスボアによって大穴が穿たれた森に向かって吐き捨てた。




 掻きわける草木が根こそぎ失われた森の暗い大穴の奥から、金属の鎧がこすれ合う音が複数向かってきた。

 近づくにつれて、その音と共に僅かな木漏れ日の光を反射する全身鎧姿の騎士が4人程現れる。


 ただ全身鎧にて隠れてはいるものの、中身の人間の体格は細い印象を与え、隠す努力はしているものの、足取りや纏う気配に疲れが見えていた。

 そして鎧の胸元に飾り付けられているレリーフに刻まれた紋章を凝視して確認するが、デハーニはその紋章に全く見覚えが無かった。


 各騎士団にはそれぞれ創設時に王家より紋章と騎士団旗が預けられる。

 その紋章には王家の威光を示す太陽、守るべき臣民を表す大地と草木、そして騎士団の誇りと象徴となる花がそれぞれ描かれていた。


 太陽と草木が描かれている時点でテラ・ルーチェ王国の騎士団であることは確定したが、先述の通り、デハーニはその紋章に刻まれた花の騎士団に覚えが無い。

 デハーニは少なくとも《四色のバラ》に連なる紋章ではない事に安堵を覚える。


 ― 万に一つも、あんな体たらくを見せる騎士団が近衛騎士団の幕下ではないわな。全員まとめて即斬首程度じゃとてもじゃねーが収まらねぇ ―


 白、赤、橙、紫の四色のバラをそれぞれ紋章に掲げる騎士団は、テラ・ルーチェ王国において王家直属の王家近衛騎士団煌花筆頭ソラリス・ユースティティアエに位置する精鋭部隊であり、王国の武威の象徴として名を連ねていた。


 数多くある騎士団の中から数年十数年単位、場合によっては世代単位で厳しく選抜された英傑の集まりであり、不名誉を含めどんなに些細な汚点であっても、それは全て一族含めて平等に、そして即座に与えられる死をもってのみ償われる。


《王国最強最高の栄誉と共に、この世で最も死に近い怪物の集団》


 デハーニはそう認識していた。

 一瞬、最強という言葉にデハーニの脳内でクロムの黒い後姿を垣間見た気がしたが、それは目の前に現れた騎士の声によって掻き消された。


「このような場所で突然の接触、本当に申し訳ない。少しで構わないのだが我々の話を聴いてくれないだろうか」


 ― 女騎士か ―


 その声色は威厳を出すために低く発せられていると思われるが、明らかに女性の声である。

 そう言って騎士は胸に手を当てて礼を示し、後ろに控えている部下を目線のみで制してデハーニに歩み寄ろうと歩を進めた。


「止まれ。こちらに近づく事をまだ了承していない。見た所、王国の騎士団とお見受けする。王家より賜った騎士団名を告げて貰いたい。話はそれからとなる」


 デハーニがその歩み寄りを強く拒絶する意思を示し、その右手が腰の剣の柄に添えられる。

 明確な徹底抗戦の意思を見せるデハーニの行動に、後ろに控えている騎士が剣に手を掛けて声を荒げた。

 デハーニの右手に緊張が走る。


「貴様!平民の分際で騎士に対し、しかも騎士団長殿に向かって何たる言いぐさであるか!しかもあろうと事か剣を向けようとするなど言語道断!この場で切り捨てられても文句は言わせんぞ!」


 信じられない事にこちらも女の声だった。


 ― こちらも女か?ただやはり程度は知れるな。部下がこの様子では俺の予想もそれなりに当たっているかもな知れねぇ ―


 より一層謎の深まる目の前の騎士団の謎に若干思考が乱れるも、何も問わずとも怒りで情報を相手に渡す愚かな騎士に活路を見出し始めるデハーニ。

 だがこの場で身分持ち出し、人を見下した物言いによって沸き上がった苛立ちは別問題だったが。


「黙れ!貴様の発言を許可した覚えはない!」


 騎士団長と呼ばれた女騎士が即座に口調を強め、左手を大きく横に振り払う。

 ウグと息を飲み込んだその騎士はそのまま黙り込んだ。


「愚かな部下がすまない。そちらの言い分も最も。しばし時間を頂く」


 そう言って女騎士は首の手を掛け、カチャリと兜の留め金をいくつか外し始めた。

 そして両手で兜を包み込むように持ち、脱ぎ去った。


 兜からサラリと薄い茶色の髪が零れ、汗を含んだ髪が新鮮な空気を吸うように広がる。

 髪型はティルトに良く似たボブカット風。

 総じて甘く幼い顔立ちではあるものの、その眼は流石に騎士らしい鋭さを持っていた。

 そして瞳が、気を付けて見れば分かる位にうっすらと緑色が混じっている。


緑の末裔ウィリディスか」


 緑の末裔ウィリディスとは、テラ・ルーチェ王国の初代女王《大樹の英雄ミラビリス・テラ・ルーチェ》の血が極々稀に発現したとされる国民の呼び名。

 女王ミラビリスの湛えた深緑の瞳を最上と位置付け、男女問わず身体の一部分が緑に染まる事でその発現が認められていた。


 ただその発現の仕組みは長年の謎とされている。

 特に頭に近い程にその価値が高まり、色の濃淡と合わせて待遇の差はあるものの、その希少性とその背景から国から相応の暮らしと地位が保証された。


「そうだ。もっとも色は限りなく薄いが。血を賜った場所が良かった為、何とかこの地位に据えて貰えたというところだ」


 自嘲気味に薄く笑う騎士団長は、兜を正面に向かたまま小脇に抱え、改めて胸に手を当てた。

 揃えた左右の踵を互いに当て鳴らすと姿勢を正し、透き通った視線を真っすぐにデハーニに向ける。

 先程の略式礼では無く、正真正銘の王国騎士の騎士礼。


「私はテラ・ルーチェ王国 《ウィルゴ・クラーワ騎士団》 騎士団長 ピエリス・アルト・ウィリディス。貴殿に対する先程までの無礼、この名において謝罪する」


 その騎士団名を聞いてデハーニが紋章を再度確認する。

 花からは全くその種類が分からなかったが、よく見るとその花の根元に小さく群れるクローバーの葉の意匠が確認出来た。


 ― 純白のシロツメクサか...ただどこの騎士団の流れを汲んでいるんだ?団長はウィリディスを有する貴族の家系だろうが、アルトという家名の貴族にも全く記憶にないぞ ―


「俺はデハーニ。平民であるがゆえ名乗れる家名は持ち合わせていない。王国の冒険者として籍を起き、同時にこの大森林を主として活動する旅団の長をやっている。礼節を伴った名乗りに感謝する。言葉遣いとこちらの先程の無礼は戦場の習わしとしてご容赦願いたい」


 滅多に使わない、所々間違っている文法で構成された丁寧な言葉を紡ぐデハーニ。

 あまりにも普段のデハーニに似合わない口上に、自分の言葉ながら背筋が痒くなってくる。

 確実に後で部下にからかわれるのが容易の想像出来た。


「デハーニ殿の名乗り感謝する。不躾な問いで申し訳ないが、こちらのドミナスボアは貴殿らが討伐したものだろうか」


 そういってピエリスは、目線を未だ大地に血を吸わせているドミナスボアの死体に目を向けた。


「そうだ。ここに休憩拠点を構築中に、手負いでこちらに向かって来たので総員で対処、討伐させて貰った。かなり危険な状況だったという事は是非とも理解して頂きたい」


 一部の言葉を故意に強調したデハーニの言葉に、ピエリスは奥歯を噛んだような表情を浮かべた。

 ただそれは嫌味に対する苛立ちでは無く、不甲斐無さや己を責める表情であるという事はデハーニでも理解得来た。


 先程、クロムに対して一瞬見せたデハーニの表情を同じだったからだ。

 そして、ピエリスは僅かに肩を震えさせながらデハーニに頭を下げるのだった。


「恥を承知でデハーニ殿にお願いしたい事がある。そのドミナスボアを我ら騎士団に譲っては貰えないであろうか。理由は話す事は出来ない。だが相応の礼は我が名において必ず支払うと約束する。どうか。」


「断る。手負いのボアを取り逃がした事を謝罪もせず、その理由も話さず、戦果のみを欲する為に下げた頭に何の価値も感じない。当然、その名における信頼も今は無い。それはピエリス殿にもよくわかっている筈だ。ただし礼を尽くそうとするその心だけは貴殿の名誉の為に受け入れる」


 尚も頭を下げ続け、デハーニの不敬とも言える言葉を黙して聞くピエリスの態度でデハーニは確信した。

 間違いなくこのドミナスボアを手負いにさせて、取り逃がしたのはこの騎士団だと。


 するとここでデハーニの太くも無い、耐久性皆無の堪忍袋の緒を引き千切らんとする怒声が響き渡った。


「き、貴様ぁ!騎士団長殿が下げた頭になんという言葉を吐くのだ!我ら騎士団の頼みとあらば、平民である貴様らが頭を下げ、その栄誉に歓喜しながらこれを差し出すのが道理というもの!」


「や、やめんかプエラ!この愚か者が!今すぐその口を閉じよ!」


 ピエリスがその顔を歪ませ、青ざめさせながら部下を叱責する。

 しかし、この愚かな女騎士の口は止まらない。


「いえピエリス団長!何故このような下賤な男に我々の、栄誉ある騎士団長である貴女様の頭を下げる必要があるのですか!一言そちらのボアを献上しろと命令すればいいのです!大体、こ奴らが仕留める事が出来たのも、我々が先に手傷を負わせていたからです!横から卑怯にも戦果を横取りしたからに過ぎない!」


 この叫びはデハーニのみならず、周囲で臨戦態勢を取っていた部下達の心も逆撫でし、静かな殺気が周囲を包み始める。


「もはや開いた口が塞がらん。ピエリス殿、話は終わりだ。“手負いのボアは絶対に逃がすな”こんな常識すら理解出来ない馬鹿共の話を聴こうとしたのが間違いだった。そんでもって...そこの馬鹿な小娘は八つ裂きにしてやっても怒りが収まらんぞ!!!」


 デハーニの中から膨れ上がった怒りは、その語尾を普段のそれに戻し最後は怒声へと変えた。

 その怒声と共に放射されたデハーニの魔力を帯びた殺気は、その波動を視認出来る程の物だった。


「ま、待ってくれデハーニ殿!この愚か者は責任をもって処罰する!だから怒りを収めてくれ!」


 先日相対したドミナスボアよりも強い殺気を感じたピエリスは、慌てふためいてデハーニに許しを請う。

 だが、ブチ切れたデハーニも最早止まれない。


「責任とは何だ!愚かな部下もまともに制御出来ねぇ騎士団長が責任だと!そんなケツを拭く紙にもならねぇ薄っぺらなもんに何の価値があるんだ!突然やって来て盗賊まがいの物言いで獲物を掠め取ろうとしやがって!」


「ち、違う!私は決してそのようには!!」


 騎士団長という立場をも忘れた様な所作で、ピエリスは何としてもデハーニの怒りを鎮めようと許しを請う。

 原因となった愚かな女騎士はデハーニの怒り混じりの裂帛の気迫、そして魔力を伴った殺気を受けて腰を抜かして震えてたが、既にデハーニの眼には入っていない。

 腰の剣を一気に抜き放ったデハーニが吠える。


「てめぇら!準備は出来てるな!今から俺達は愚かにもの討伐を開始する!まだ森の中に隠れてやがる連中も絶対に逃がすんじゃねーぞ!」


「おおおっっす!」


 周辺の部下達も一気に各々の武器を抜き、同じく殺気を宿した眼で気合いの声を上げた。


 その騒ぎを聞きつけて、ピエリスの背後の森の中から別命あるまで待機してたであろう残りの騎士達も慌てた様子で飛び出してきた。

 しかし、状況が把握出来ていない上に、《戦場》と誤認する程の殺気が充満するこの場所に飛び込んでしまった騎士達は一瞬でその空気に飲まれて脚が震えだす。

 そこにデハーニの発する一際濃密な死の気配が、トドメとばかりに騎士団全体の気勢を根こそぎ刈り取っていく。


「あ、ああ...そんなつもりは...待ってくれ...お願いだ...」


 ピエリスは絶望で崩れ落ちそうになる身体を、何とかその場に立たせていた。

 騎士団長として、ただ一人の部下を御せなかったばかりに生み出された最悪の状況。


 そしてこの場所は《底無しの大森林》である。

 犠牲を無視して勝利したとしても、傷付きながら生き残った者だけでの脱出は不可能に近い。


 仮にこの場を運良く無傷で逃げられたとしても、この森を庭として日夜魔物と戦っているデハーニの集団からはまず逃げられないだろう。

 そして何より絶望的なのは怒りに満ちたデハーニが、想定以上を超える強さの気配を見せた事。




 しかしここから、デハーニもピエリスも全く想定していなかった方向に事態が動き始める。


 デハーニ達の殺気が立ち込めるこの場所で。

 ピエリス達の恐れが地を這うこの場所で。


 そこにもう一つの勢力の気配がのそりと沸き上がって来た。

 それは一瞬でこの場の形成を全く異なる構図へと塗り替える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る