第21話 王猪が引き寄せた災難

 デハーニ達が雄叫びを上げ、ドミナスボアに総攻撃を仕掛けた。

 先んじて後方から飛来した矢が次々とその巨体に突き刺さり、その追加された痛みで覚醒したドミナスボアは口から様々な液体を吐き出しながらも、苦悶に満ちた叫び声を上げた。


 クロムの打撃を食らった側頭部は内出血で大きく膨れ上がり、直近で衝撃波を内部から浴びた眼球が、後ほんの僅かに力が加われば眼窩より零れ落ちそうな程に飛び出している。


 そんな目を背けたくなるような無残な姿になろうとも、溢れる怒りがその巨体を突き動かし、次々と襲い来る人間達に向かって巨大な牙を振るい、四肢が大地を蹴り上げていた。

 脳機能に甚大な損傷が発生している為か、時折大きな痙攣が状況構わず、その身を襲うが、憤怒の力で無理やりに抑え込んでいる。


「くそっ!腐っても王猪ドミナスか!まだこんな力が残ってやがるのかよ!」


 巨体を支える強力な筋肉から繰り出されるドミナスボアの蹴りを躱しながら、比較的防御力の低いであろう胴体腹部に潜り込み、手に持った剣の射程に収めたデハーニが愚痴を口にしながらも迷いの一切感じない洗練された斬撃を繰り出した。


 しっかりと下半身に力を込め剣を振り上げる。

 まずは下から斜めに切り上げて一撃。

 新調した剣はデハーニの力と技術によって、一閃とも言える程の美しい直線を描きながら煌めいて、硬い毛皮の下にある分厚い皮膚を切り裂いた。


 そして更に返す刀で一撃目の剣筋を寸分違わずになぞる二撃目が、傷口をより深く、皮下脂肪の層を斬り分けた。

 切り口から鮮血がほとばしる。


「うおっとあぶねぇっ!?」


 後ろに向けて蹴り上げられたドミナスボアの前脚がデハーニの左肩をかすめる。

 レザーアーマーを装備しているとは言え、あの威力の蹴りを食らえば肩が鎧ごと吹き飛ばされる未来が見えた。

 噴出した鮮血を避けようと身体を捻っていたのが幸いし、無事に回避が成功するがデハーニの額からは冷や汗が噴き出る。


 ガブホォ!?


 突如、ドンという重い音が響き、ドミナスボアの口から爆発に似た炎が噴き出した。

 咆哮を上げようと大きく口を開けた瞬間、その口腔内に斥候の一人が着弾と同時に爆発する投擲物を投げ付けた。


 加えて着火した燃料はそう簡単に消えない特殊な代物で、口を閉ざしてもなお燃え盛り、口の端から小さな炎を煙、肉が焼け焦げる臭いと噴出している。

 あまりの衝撃と苦痛にドミナスボアが横倒しに倒れ、四肢を無茶苦茶に動かしてその巨体を捩じって暴れだした。


「一旦下がれ!隙を見てトドメを差すぞ!後わかっちゃいるだろうが毒薬は一切使うんじゃねーぞ!」


「わかってまさぁ!」


 流石に体中に傷を負い、腹部の深い傷からは夥しい出血を強いられている為か、時間経過で蓄積されていくダメージがドミナスボアの自由と力を急速に奪っていく。

 先程まで怒りと狂気に満ちていた叫び声も徐々に弱まり、断末魔の様相を呈してきた。


「よし!そろそろ仕上げに取り掛かるぞ!槍を構えろ!一気に行く!」


 既に横たえた巨体を反転させる力も残されていないドミナスボアの無防備になった腹部が晒されている。


「油断してあの蹴りを食らうんじゃねーぞ!いくぞ!」


 デハーニがドミナスボアの頭部へ、槍を構えた戦士3人が腹部に突貫した。


「うおおおぉぉ!!」


 デハーニが叫び声を上げながら、大きく跳躍し空中で剣を逆手に構え直す。

 そのまま全体重を乗せて、剣先をドミナスボアの眼窩に突き立てた。

 剣先は眼窩を突き破り、その奥にある脳へと達してそのまま脳幹を抉る。

 ドミナスボアがビクリと一際大きく痙攣した。


 そのタイミングに合わせて腹部に突貫した戦士たちが、こちらも全身全霊の力でドミナスボアの心臓部目掛けて槍を突き立てた。

 長い槍が1/3ほど標的の体内に埋まり込むと、男達は最後の抵抗による二次災害を避ける為に素早く槍を手放し退避する。

 槍を突き立てた傷口から鮮血が間欠泉の様に噴き出すのを見て、3本の槍のいずれかは確実に心臓に達していると判断出来た。


 ドミナスボアは断末魔の代わりに、力を失い支えきれなくなった自重によって潰された肺から押し出される空気を口から盛大に漏らす。

 そして大量の吐血と共に、ついには絶命に至った。


「うらぁぁぁぁ!!」

「っしゃぁぁぁぁ!!」


 ドミナスボアの討伐を確信したデハーニが、その場で握り拳を天に掲げた。

 その姿を確認すると、周囲から勝利を祝う雄叫びが次々と上がる。


 その怒号にも似た歓声の中、その中心で横たわるドミナスボアの毛皮の色が、先程まで強烈な野生を感じさせる焦げ茶色から、次第に白みを帯びた薄茶色へと変化していった。

 これはドミナスボアの体内を循環していた魔力がその形態を維持出来ず魔素に分解され、、絶命し拘束力を失った身体から大気中に抜けていくからだ。


「はぁぁ何とかなったかぁ...総員被害状況を報告しろ!」


 緊張を解いて、先程のドミナスボアとよく似た深いため息を吐いたデハーニは、動かなくなったその骸の頭部から剣を引き抜くと周辺の状況を確認した。


「重傷者無し!軽傷者3名!ポーションを持って来てくれ!」


 部下の一人が手早く状況を報告し、後方へ避難していた非戦闘員が要請に応じてポーションを抱えながら座り込んでいる怪我人へと駆け寄っていった。

 デハーニも腰に引っ掛けていたボロ布を手に取り、剣にこびり付いた血糊や体液を拭いながらクロムのいる所へ戻って来る。


「はぁ、ドミナスボアを相手取ってこの被害なら奇跡に近いかもな...クロム、サイクロプスの時もそうだが、本当に助かった。礼を言う」


 剣を状態を目視で確認した後、鞘にそれを収め、デハーニはクロムに頭を下げて礼を言った。


「礼は受け取っておく。討伐も無事成功したな。被害の内容も許容範囲内だろう」


「許容範囲内どころか大戦果だ」


 ニヤリと嗤ったデハーニがクロムの肩にコツンと拳を当てた。


 通常種のフォレストボアですら、皮に肉に牙、骨と全身を余すこと無く素材に出来る上等な獲物だ。

 それが王猪種ドミナスボアともなるとその価値は何倍、何十倍にも膨れ上がる。

 サイクロプス以上の収穫が期待出来るともなると、皆が喜ぶのも無理はなかった。

 しかも普通では考えられない位の軽微な被害状況ともなるとその喜びに一層磨きがかかる。


 しかしその一方で、デハーニはこの状況を手放しに喜べない側面も持ち合わせていた。


「まぁクロムの力があってこその戦果だしな。逆に俺達の弱さを改めて実感したな」


「何を言っている。金を使ってもっと上質の装備を配備すれば良い。この隊の練度なら戦力自体は十分に底上げ出来るだろう」


「確かにそうなんだがな。やっぱここは剣士としてのくだらないプライドもあるわけよ」


 苦々しい表情を浮かべながら、自らの弱さをかみしめる様に息絶えたドミナスボアを見つめるデハーニ。


「俺は通りすがりの災害みたいなものだ。凍えて死にそうな程の寒い夜に、偶然にも近くの木に雷が落ちて火が付いた。だからそれで暖を取り、肉を焼いて食った位に思えばいい」


「なんつー例えだよ」


 近年稀にみる多さでため息を付いているデハーニがクロムの隣で呆れていた。


「これも今更だが俺に与えられた試練みたいなものかね。悔やむなら修練の足りねぇ俺自身を恨むさ」


 そういってデハーニは腰に下げた剣の柄をポンと叩く。


「さて解体の準備を大急ぎで済ませなきゃな。まだ心配事が完全に無くなった訳じゃねぇ。おいてめぇら!準備が出来次第大急ぎでコイツを解体するぞ!そんでもって出来るだけ手早くここから離れる!」


 デハーニは腰に手を当てて、脳内で今後起こりうると思われる懸念を再確認すると、部下達に号令を掛けた。

 それに応じて周辺がにわかに慌ただしく変化する。


「騎士団の事か?」


 クロムはデハーニの顔に僅かな焦りの色が浮かんでいるのを察知した。


「騎士団の事もあるんだがな。今回はそれに加えて別の...」


― 未確認物体 接近中 距離80 数量不明 推定 小隊規模 ―


 コアから無情な報告がデハーニの言葉を遮る様に、クロムの意識内に響く。






「デハーニ、小隊規模で接近する反応を確認した。どうやら反応が遅れたようだ」


 クロムはデハーニの言葉を遮る様にコアからの警告がクロムに届けられると、即座にそれを隣の男に伝達する。

 普段の表情に戻りつつあったデハーニの顔が再び無残にも苦々しいものに変わっていった。


「血の臭いを嗅ぎつけたゴブリン共だよな?そう言ってくれねぇかクロム」


 慈悲を求めて縋るような口調のデハーニが、クロムの肩にそっと手を置いた。


 クロムのセンサーは小隊規模の複数の反応を捉えていた。

 数個の反応が一組として、それが六組。

 等間隔で中央の反応を護る様に配置された輪形陣を形成し、等速度で前進している。


「そうだと言いたいところだが、明らかに訓練された部隊の動きだ。複数一組が合計六組。何かを護衛しながら向かってきている。目的地は間違いなくここだ」


「だぁー!ぜってぇあの騎士団じゃねーか!!クロムは後方の森に退避してくれ。緊急事態で無ければ俺だけで対処する。何かが起こるとすれば戦闘しかありえねぇが...」


「了解した。非常事態であれば俺を迷わず犠牲しろ。隊の生存を最優先にしてくれ」


 そう言い残してクロムは地面を抉り取る程の脚力で土を跳ね飛ばし、土煙を残して後方に広がる森の淵まで一気にバックジャンプをすると、そのまま森の中に消えていった。


「ぷはっ!ほんっとにめちゃくちゃだなあいつは!!」


 デハーニは非常識な挙動を繰り返すクロムに恨み節で抗議すると、舞い上がった土煙が口に入ったのか、ペッと唾を吐き捨てる。

 そして腰に吊るした剣の固定を確認し、前方の森を睨みつけた。


「作業中断しろ!総員戦闘待機!俺が合図するまで絶対に武器を抜くなよ!」


 突然の号令に慌てつつもそれに従い、緊張を高める隊の構成員。

 デハーニはまたもや小さなため息を付きながら、運命の女神のタチの悪い悪戯かと思いながら、既に明け切った朝が広がる空を見上げる。


「馬鹿野郎。今更お前を犠牲に出来るもんかよ...ふざけんじゃねーぞコラ」


 デハーニの小さな声が空にかき消えていった。


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