第20話 朝焼けと手負いの獣

 クロムは中継地を広く見下ろせる大木の上で、周辺を見張りの配置と連携しながら警戒すると共に、並列思考にて夜通し情報を整理、照合作業を行っていた。

 昨日の段階で、日々回収する情報の数が増え続けていく事に円滑に対応するべく、コアの記憶量量の一部を《ライブラリ》と銘打って領域を確保し、その内容の整理も行た。


 クロムはティルトの家に招かれて以降、新規取得データの多さから重要案件以外のコアからの音声伝達をカット、ログ内での文字報告のみに設定を変更している。


 太陽の頭頂部が地平線から見え、空が白み始めていた頃、クロムのセンサーが中継地に向かって急速に接近する物体を感知した。


― 未確認物体 接近中 距離200 高重量物体 振動感知 ―


 美しい朝焼けが作り出す風景に、全くもって合致しないコアからの警告。

 久しく意識内に響くコアの人工音声の伝えた内容とは裏腹に、クロムは僅かな懐かしさを感じていた。




 クロムは即座に大木の上から跳躍し、デハーニがいるテントの前まで一足飛びで着地する。

 その際、かなりの音と土煙が巻きあがったのを見て、周囲を見張っていた人員が驚き、ついでに中で休んでいたであろうデハーニが半開きではあるが、緊迫感を身に纏って剣を掴んで飛び出してきた。


「な、なんだ!どうした!」


「こちらに高速で接近する何かを捉えた。一直線でこちらに向かってきている。距離170」


「なんだと!総員起こし!各自武装を整え持ち場に付きやがれ!非戦闘員はすぐさま後方に退避しろ!」


 デハーニはクロムの報告に疑問を抱く事も無く、一瞬で全身から戦士の気迫を上げながら大声で各員に命令を下す。

 デハーニの部下達も朝の静寂が突然破られたのにも関わらず。各自が焦る事無く行動を始める。

 クロムはそんな部下たちを見て一言、流石だなと呟いた。


 この段階で、斥候の一人が指示を飛ばしているデハーニの元に駆け込んできた。


「もう感づいていやしたか!頭、恐ろしくデカい手負いのフォレストボアがこっちに向かってきていますぜ!ありゃ手負いで気がぶっ飛んじまってる!」


「おいおいおい、手負いの狂乱状態のフォレストボアかよ!一体どこの馬鹿野郎だ!トドメも刺せないのに手出ししやがったのは!!」


 デハーニが青筋を立てながらガリガリと赤髪を掻きむしる。


「どういう状況だ?」


 デハーニの激流の様な荒ぶりとは正反対に波すら立たない水面の気配でクロムが質問を投げかける。


「ああくそっ。フォレストボアは肉や素材が高く売れるってんで冒険者なんかの格好の獲物なんだがな。中途半端に手を出すと怒り狂って手が付けられなくなっちまう色んな意味で厄介な魔物なんだよ」


 ゴキゴキと首と肩を鳴らしながら、荒ぶる感情をこれからの戦闘に向けて闘志に変換していくデハーニ。


「しかも斥候の話だと、ただのフォレストボアじゃなくて王猪種ドミナスボアの可能性が高いなこりゃ。そいつが手負いで狂乱状態かよ」


 カルコソーマには明らかに魔物と分かる姿形の物の他に、野生動物が魔物化した種も数多く存在する。

 野生動物の代表である猪や鹿、鳥といった種が魔素の影響下で魔物化し、源流の種の系譜から逸脱した存在。


 その各種の中から稀に異常に体格や力が発達し、その知性によっては統率力すらも備える《王種》と呼ばれる特殊な個体が生まれる事があった。

 これらの個体は一括りに王〇種ドミナスと呼ばれ、上位の優先討伐対象として設定されている。


「なるほどな。勝手な想像だが繋がった気がするな。クロム、昨日騎士団を見たってて話あっただろ。多分そいつを討伐する為に派遣されたんだろうな。ドミナス種は優先討伐対象でもあるが、討伐自体が同時に騎士団なんかの武威や箔を付けるのに利用されるからな」


 デハーニは昨日の斥候の話で騎士団の熟練と一部の騎士の装備に違和感があるとの報告を思い出して、単純な討伐だけが背後関係にあるとは思えなかった。


 ― こりゃ上手く討伐して切り抜けても、場合によっちゃその後の方がヤバいかもな ―


「俺は周辺の警戒を行う。戦闘に関してはデハーニに任せる。場合によっては手を出すが可能であれば避けた方がいいだろう」


「お、おう。そうだな。てかクロム、お前さんそこまで先を考えていたのかよ」


 デハーニはこのドミナスボアの討伐はクロムの手を借りねば無傷の勝利の可能性は低いと判断し、参戦を要請しようと考えていた。

 だがドミナスボアを追って騎士団が現れた際、クロムの尋常では無い攻撃の跡を見られると追及は避けられないだろう。

 そこの着地点を悩んでいたが、クロムが思考を先回りするような提案を出してきたことに驚きを隠せなかった。


「いや、正直にいうと手負いのドミナスボアは今の戦力だと確実に死人が出ちまう。勝つことは出来ると思うが、それは俺以外の仲間の死体を積み上げた上での話だ」


「討伐するのは大前提。出来れば無傷での勝利。そして俺の痕跡を可能な限り残さず...か」


 デハーニの自分の力量を過信しないその正直な意見に、クロムは改めて好感を覚えつつデハーニの求める条件を羅列する。


「ああ、そうだな。あー、出来ればついでに...」


「素材も欲しい。喉から手が出る程に」


 クロムとデハーニは顔を見合わせて互いの会話を繋ぐ。

 焦りや怒りはもう完全に抑え、その闘志を漲らせる赤髪の剣士がニヤリと人懐っこい顔に笑顔を浮かべた。


「了解した。もしこちらにやってきた場合、最初の一撃を弱らせる程度に入れる。勿論、手加減はする」


「...ドミナスボア相手の話で手加減って言葉を聞くことになろうとはなぁ」


 デハーニは虚ろな眼で、今の状況を嘲笑うかの様な心地の良い朝焼けを見せる空を仰いだ。



― 未確認物体 推定ドミナスボア 接近中 距離100 ―



 クロムの感知している大地から伝わってくる振動が次第に大きくなってくる。

 ユニット付属に音響センサーが破損しているが、既にクロムの感覚器官は軋み、薙ぎ倒される木々の悲鳴を感知していた。


 現時点で収集可能なデータだけでも、こちらに向かってくるドミナスボアと推定される魔物の脅威が予測された。

 恐らく数トン以上の体重を誇る魔物。


「距離70、いやもう50に差し掛かる。本当に猪突猛進だな。デハーニ、来るぞ」


「おう!各員散開!持ち場と装備を確認しろ!まずはクロムが一撃入れる!弱らせた所を一気に叩くぞ!死ぬなよテメェら!!」


「おうっ!!」


 既にざわめき始めた森の暗い入り口を出現地点と推測し、かなり広めの間隔で戦闘配置に付くデハーニ達。

 弓は既に引き絞られ、中には何かの薬品の投擲準備に入っている者もいる。


 非戦闘員は遥か後方で、防壁の様に配置された荷車の陰に隠れながらも、ポーションや包帯などの準備を完了させている。

 この時点でセンサー等に頼らなくても問題無い程の振動と音が前哨基地全体に伝わり、戦闘準備が完了した戦士達の身体を振動させていた。


 シャラリと鋭い金属の擦過音を響かせて、デハーニが新調した剣を抜き放ち、正眼に構え前方を睨む。

 その動作で周囲の部下たちの気迫と緊張が一層引き締まった。


「戦闘システム 起動 コア出力60% アラガミ5式 システム待機」


 クロムが戦闘状態に意識を切り替え、緑の双眸に更なる光が宿る。


 クロムはこの狩りの行動中に自身の戦闘に関する設定をいくつか変更を加えていた。

 中でも一番大きな変更は《アラガミ5式》のシステム解放のトリガーと権限を最大レベルの緊急時以外ではクロムに完全委譲した事。



― コア出力65% 補助システム 分配5% ―



 その他、情報処理の最適化を図っていたクロムは通常時、戦闘時含めて各システムのコアの演算分配の見直しも行っている。

 命令言語の簡略化や音声伝達の省略等、システムの統廃合も含めてこの世界と自身の状況に合わせたカスタマイズにかなりの時間を費やしていた。






 深い森の入り口に熱源センサーが真っ赤な熱源を感知するのと同時に、クロムが包囲の中心地位置に歩を進め配置に付いた。


 ブオオオオォォォォッ!!!


 周辺の大気を震わせる獣の雄叫び。

 爆砕するように弾け飛ぶ目の前の木々。


 それと同時にクロムが半身で腰を落とし、大地を掴むが如く態勢を整え一言呟いた。


「戦闘開始」


 轟音と弾け飛ぶ木々の破片、そして土煙から現れた巨大な猪。

 見事という他無いその体躯。

 ただその身体には数十本に及ぶ矢と、背中に浅く突き刺さった数本の槍の様な物が突き刺さっていた。

 ドミナスボアが大きく息を吹き出し、ブルリと大きく震わされた身体から血が飛び散る。


「くそが、中途半端な手傷を追わせやがって!手負いでも一番厄介な状態じゃねーかよ!!」


 デハーニが吐き捨てるように叫んだ。


 ブフゥゥ!ブフゥゥゥッ!!


 ドミナスボアは鼻息を荒げながら前足で地面を勢いよく地面を蹴り、体内で荒れ狂う痛みと怒りを前方の敵への打撃力に変換している。

 血の涙を流さんばかりのその充血した眼には、既に本能ですら覆い隠さんばかりの強烈な殺意と狂気が渦巻いていた。


 デハーニもその部下達も、改めて目の前に立つ脅威に身を震わせた。

 脅威は十分に理解しているが、それでも背筋を伝う冷や汗は止まらない。


 圧倒的な暴威と殺意が周囲に振り撒かれている。


「来い。ケダモノ」


 クロムは挑発するように声を発し、構えを維持したまま左手を広げて前に突き出し、右手は腰溜めの状態で拳を握り込んだ。

 荒れ狂う暴威の前に立つ黒い戦士は、そのドミナスボアとは正反対に静かに、そして整然と構えている。

 その光景は激流の川の中で悠然と泳ぐ魚がイメージされた。


 バオオオオオォォォォォッッッ!!!


 衝撃波と勘違いしてしまう程に大気を揺らす咆哮を上げたドミナスボアが、その蓄積された怒りのエネルギーを一気に開放し、涎をまき散らしながら目の前に立ちはだかるクロムに牙を突き立て、吹き飛ばさんと一気に突進する。


― 耐衝撃 防御態勢 カウンターショック 発動準備 ―


 その勢いにも一切動じないクロムは、小細工無しでドミナスボアの突進を真正面から迎え撃つ。


「お、おい!クロム、無茶だ!避けろバカヤロー!!」


 デハーニの叫びは、それと同時に巻き起こった凄まじい衝突音と衝撃波で掻き消された。


 ドミナスボアの突進を受け止めたクロムの左手に伝わる大きな衝撃が、クロムの全身をギシリと軋ませる。

 その瞬間、力の伝達される方向とは逆方向から順番に、外骨格のパーツが流れるように絞られていく。


 形容し難いギュムギュムという超高密度の流動体が発する音。

 堅牢な外骨格を力の流れに反する形で流動的に収縮させ、受けた衝撃に対してカウンターを当て相殺する《カウンターショック》が発動した。


 流石のクロムと言えど、受け止めた衝撃で砕けた大地では踏ん張りが効かず、余りに余ったドミナスボアの突進力が相殺しきれず、3メートルばかり大地を抉り、二本の溝を作った所で停止した。


 突っ込んできた金属の様に硬化し、鍛え上げられたドミナスボアの鼻先を左手一本で止めたクロムは、そのまま鼻の穴の間の肉を唐突に握り込む。

 クロムの人知を超えた握力で掴まれた鼻の肉は、それでも潰れる事は無かった。


 ギャブゥゥゥゥッ!!


 しかしその強度が仇となり肉が千切れることは避けたものの、急所に等しい鼻を強烈に掴まれたドミナスボアは閃光の様に全身を駆ける激痛に硬直、身動きが取れなくなってしまう。



― 防御態勢 コア出力65% 強化細胞 活性化開始 ―



 未だドミナスボアのパワーと重量を抑え続けている左手が膨らみ、レピが巻いた組紐の繊維が悲鳴を上げていた。


「すまんが、引導を渡すのは俺ではないのでな」


 口を半開きで涎を垂らし、半ば白目を向きながら鼻から発せられる激痛に身体を硬直させているドミナスボア。

 それを見つめているクロムの感情無き眼の光に、力が籠る。


 クロムはドミナスボアのこめかみ付近に、今まで待機させていた右の拳を無造作に叩き込んだ。

 手加減を考慮したとは言え、それなりの速度と威力で放たれた超硬度の拳がドミナスボア側頭部に叩き込まれ、パァンという破裂音が発せられる。


 クロムは拳をめり込ませるのではなく、打撃が通った瞬間に拳を引いた。

 それによりドミナスボアの側頭部から反対側に向けて、内部破壊すら容易に起こす衝撃波を炸裂、伝播させる。


 ブシッという何かが噴き出る音が響き、クロムに得体の知れない液体が降りかかった。

 クロムはそれを気にする事も無く、大地に立ちながらもカタカタと不規則に身体を痙攣させているドミナスボアの鼻から左手を放し、その場を離れた。


「おいデハーニ。あとは任せたぞ」


 クロムのその一言で、目の前で起こった戦闘によって彼岸に彼方に意識を飛ばしていたデハーニは我に返り、即座に号令を掛けた。


「お、おおぅ!行くぞてめぇら!一斉にかかれ!流石に少しは働かねぇと面目丸つぶれだぞチキショー!!」


 デハーニが絞り出した掛け声の最後の方は何やら恨み節にも聞こえたが、役目を果たしたクロムは平然とその光景を眺めるのだった。



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