第19話 王国の先兵と中継地

 木々の切れ目から時折、地平線の彼方に天高くそびえるヘールクレス山脈がその姿を覗かせる。

 古くから精霊の住まうと言われているこの霊峰は、ちょうど中央から分断される形でほぼ同じ高さの頂きを二つ持っている。

 伝承にて邪竜の息吹がこのヘールクレスを割り開いたとされており、それぞれ片方ずつを二つの国が領有していた。


 テラ・ルーチェ王国

 ルベル・アウローラ帝国


 英雄譚に登場した英雄の末裔と言われている者達がそれぞれの国の頂点として君臨する国家であり、その国境線がこの大森林を這っていた。


 デハーニ達の村はテラ・ルーチェ王国の領土内に存在しているが、大森林の中にある隠れ里という特性上、納税や兵役義務などは背負っていない。

 王国上層部の一部にのみ、その隠れ里の存在が知られてはいる。

 ただ未だ謎が多く未踏破の領域が多い大森林の奥地、そして帝国との国境線が近い最前線、その他様々な思惑が入り混じり特殊な状況を作り出していた。


 王国内での経済活動を極小規模において認め、不干渉とする。

 ただしその森林からいかなる理由をもってしても移住、移民、避難を許可しない。

 その他、多数の制約の代わりに王国から秘匿の権利を認められ、事実上の黙認とされているのが隠れ里の実態であった。





 先程までクロム達を見下ろしていた蒼天は、深い森の木々によって遮られ、代わりに濃い森の香りを強く含む湿気が隊を包み込んでいた。

 数人の腕利きの斥候が小隊の周辺を偵察し安全を確保しているが、隊の皆の顔から緊張感が消える事は無い。


 小隊規模の集団が歩みを止める事無く、頻繁に入る斥候からの状況報告を頼りにデハーニがうねる様に隊の舵を取っていた。

 素材回収班の面々も常に動き続ける集団と見事に連携を取って、手早く薬草や木の実、有用と思われる素材を回収して回っている。


 クロムはその様子を見ながら周辺を警戒し、荷車に乗せられていく素材に目を向けていた。

 ティルトの家で収集した情報を参照し、素材の形や感触等の情報と合わせて最適化し、再びクロムの中に広がる情報の海へと還元していく。

 回収班からの情報によると、回復薬に使える薬草が一定量確保出来る群生地がその数を減らしており、それが見つかれば大きな収穫になるとの事。


 この森林自体が非常に広範囲に広がっており、未だに未踏の地の割合の方が多い。

 森の奥地、未踏破領域となると未確認の強力な魔物との遭遇も危惧され、素材が欲しいという単純な理由だけで容易に踏み込めるものでも無かった。

 そして何より面倒なのは、この森が大森林と呼ばれる程に広いがゆえに帝国との国境線がこの中に存在しているという事。


 クロムが呆れた地図の精度からもわかる様に、大森林の内部はしっかりと測量されているわけでも無く、国境を視認出来る境界標が設置されている訳でも無い。

 例え小隊規模であれ国境線が曖昧な位置で帝国軍の哨戒部隊に捉えられ、無理矢理に越境行為の罪を着せられた場合、成す術が無い事もあり得る話だった。


 クロムの意識内で現在進行形で行われているマッピングと事前に収集した情報を合わせても、帝国方面とは逆の方面に向かっているのは確かな事で、隣国に対する越境行為に限って言えば、それは起こりえない事も確認出来ていた。




 クロム達の小隊は様々な障害を迂回し、時には切り開きながら半日程を進み、本日のキャンプ地となる森が開けている中継地点に到達した。

 ここは一見すればただの森の空白地に見えるが、デハーニ達が過去に何度も村を往復しながら切り開いた中継地の一つであり、この中継地点を大森林の複数個所に設けてられている、言わばデハーニ達の生活の歴史である。


 各自身体を休めながらも慣れた動作で簡易な前線基地を作り出していると、前方を警戒していた斥候の一人がデハーニの元に帰って来た。

 その斥候からここから約700メートル程離れた場所に、王国の騎士団らしき集団を発見したとの情報を得る。

 既に何度か魔物との交戦を経ているらしく、ケガ人も複数発生し、多少疲弊した状態である事も斥候から告げられた。


 クロムは中継地の中心に居座っている岩に腰掛け、斥候と難しい顔付きで話し込んでいるデハーニの近くに寄る。


「どうした。面倒事か?」


「うん?いやなぁこの先、とはいってもかち合う事は早々無さそうな距離なんだが、この国の騎士団と思われる集団を見つけた。演習か治安維持の魔物狩りなんだろうが、特に今、周辺の外の街や村で魔物の大きな被害も聞かねぇし、演習にしてもこの時期では珍しいんだがな」


 国に所属する騎士団という事を聞き、クロムは自身の現在の立場と状況を元に今後予想される事態を想定し始める。

 事実上、俗世と隔離されたと言えるデハーニ達にもクロムの正体を明かしてない以上、国に所属する騎士団にその存在を知られるのは好ましくない事は明白だった。


 貴重かつ精度の高い情報を得る為となれば、国の中枢に接近する事自体は最善の策の一つではあるが、現状においては危険度が高すぎた。

 ただしその危険度はクロムに対する物では無く、敵となった場合に相対する相手側に対してではあるが。

 今はむやみに敵を増やす事は得策ではないと、クロムは判断する。


「もし仮にその騎士団とやらがこちらに接触してくるのであれば、俺は後方に下がり身を隠す。それでも構わないか?」


「ああ、それならこちらとしても助かる。言い方は悪いが俺もあいつらにお前の事を聞かれたとして、どう答えていいかわからねぇのが現実だからな。秘密の多いクロムを責めてるわけじゃねぇからな。そこんとこはわかってくれよ」


「理解している。大丈夫だ」


「ただ、もしもの時は...っていってもそりゃ考えるだけ時間の無駄か」


 デハーニは思案の片隅で燻っていた悩みの一つを解決出来た事で、斥候に新しい指示を飛ばす。


「初日から面倒事みたいですまねぇがそのまま監視を続けてくれ。交代要員はこちらから回す。接近してくるようならまた知らせてくれ。後、あまり近づきすぎるなよ。例え温室育ちの騎士団でも中には稀に侮れねぇ奴も混じってるからな」


「わかった。どうにも連中の熟練具合と一部の騎士の装備の良さのバランスがチグハグで何か妙な感じなんだよな。そこんとこも一応報告しておく」


 斥候の男はそう言って素早く、再び森に潜っていった。


 デハーニ達自体は違法行為をしている訳では無く、仮に騎士団と接触したとしても怪しまれはするが、後ろめたさは全く無い。

 それよりもその騎士団の所属先が階級の低い貴族や、更にはほぼ末端に近い扱いの存在だった場合、デハーニの存在自体を知らない事も大いに有り得た。

 そこから騎士団の特性上、デハーニ達に対して事情聴取という名の拘束に発展する可能性が高い事から、面倒事に変わりはなかった。

 騎士団というのは、色々な意味で面倒な存在なのだ。


「まったく。初日でこれかよ。面倒な事にはならなきゃいいが」


 そう呟いてデハーニは手に持った村謹製の干し肉を乱暴に噛み千切った。




 その日は前哨基地を作成しながら、一日が過ぎていった。

 クロムは周辺で素材を探したいとデハーニに要請した数名の非戦闘員の護衛という形で、騎士団がいる方とは反対側の森に入っていた。

 護衛の報酬代わりに数は少ないが次々に採取される草花やキノコ類、それらを一つ一つ彼らから効能や特性等の説明を受ける事で、クロムの中の“図鑑”の情報が充実していく。


 兵器として戦場を跋扈していた頃とは全く違う状況に、時折クロムは森の風景と瓦礫に埋まる荒野の風景を重ねていた。

 確かに今、現実に存在するこの大地に立っているクロムであったが、その実感がうまく掴めない。

 まるでここに存在する事を否定されているような、言い換えれば許されていないと言い換えても問題ない程に。


 クロム自身は過去の自分の行動について、決して後悔はしない。

 許さない許されないという感情もあくまで他人の物であり、贖罪や懺悔を行う感情も一切持ち合わせていなかった。


 存在の固定。


 この感覚の原因もある程度、クロムには予想が付いていた。

 過去の自分は、軍上層からの命令によって動き、その命令自体がクロムの生かし続ける呪縛の様なモノ。

 その鎖こそが、あの世界のクロムの存在を固定していたものであり、クロム自身が存在を証明出来るただ一つの要素であった。


 命令を受けてそれを実行し、達成する。

 その単純なルーティーンがクロムの全てであり、その過程で発生した事象はただの付属品に過ぎず、それ故にクロムの中に何も残さない。


 ただ今は違う。

 クロムに命令する者は最早存在せず、撃破すべき目標も示されていない。

 暫定的に指針として定めた情報収集という漠然とした行動方針があるだけのクロムが、自身の存在の認識を霞ませるのは当然の事なのかも知れない。


 生きる事、幸せを求める事という人間の原初の渇望を失った改造人間は、命令無き今、どこに向かっているのか。


「俺がただの一発の弾丸であれば、敵を一人殺してそれで目標達成だったんだがな」


 森の中で佇むクロムを見下ろすように生えている大木だけが、その小さな呟きを聞いていた。


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