第17話 魔が漂う内向きの世界

 ティルトによるあの一件の翌日以降も、クロムの生活は殆ど代わり映えのしないものだった。

 特に周囲がそうさせたわけでは無く、クロムが困惑するティルトを放置し、ただただ床に様々な書籍の塔を積み上げ続けていただけである。


 ティルトはこの村でただ一人、傷薬や解毒薬、消毒液等の所謂ポーションの類を錬金術と薬術にて製造、村に提供していた。

 加えて数多くの書籍や文献で得た簡易な医学知識を用い、診療の様なものも行っている為、こういった働きから以前エスモが言っていた様に、ティルトは村では失ってはいけない人材だった。


 この村では貨幣の流通は無く、経済活動は物々交換によって成り立っており加えて無償での労働その他の提供を禁じている。

 それは村人それぞれに役割を与えると共に、生きる糧を得る為に自ら意思を持って動く事。

 これが村全体の行動理念の根底にあった。


 勿論、病気やケガ、老衰などによる寝たきり等も必然的に起こりえるが、主に住んでいる場所や区画で幾つかの班に分けられ、周囲がそれを手助けし対価を分割して支払っている。


 目下、クロムに関してはサイクロプスの素材のによって、労働を免除されている状況だった。

 とはいっても、基本的に食事は数カ月単位で必要とせず、就寝する場所も選ばないクロムは、そもそも経済活動の輪に入らない存在でもあるわけだが。


 ティルトの家にも連日ポーションを買う為に、または診察を受ける為に、老若男女様々な村人が訪れているが、リビングの机で業務を行うティルトと来訪者の向かいで終始無言で本を読み漁り、積み上げられた幾つもの本の山に囲まれているクロム。


 時折、クロムは様々な種類の視線を向けられているが、全く動じる様子はない。

 ティルトが働く横から、クロムが手早く本のページを捲る音が小さく響くのみ。


 そしてそのティルトの業務の合間や、休憩時間を使ってクロムとティルトは会話を交わす。

 まずクロムが質問したのは、この世界の大まかな情報と魔法、魔力の事。


 クロムはこの段階で書籍や周囲の会話から幾つかの仮定と予測を立てているので、これはその答え合わせと足りない情報のピースの埋め合わせ作業となる。


「この世界は人々から《カルコソーマ》と呼ばれています。今はカルコソーマ創生歴1200と...えぇと...37年になりますね」

 

 そう言いながらティルトは本棚の引き出しから、使い古された地図を出して机の上に広げた。

 クロムがまず驚いた事、それは見た目的には地球の原初の大陸であるパンゲアの分離途中といった具合で、そしてあまりにも大雑把な書かれ方のした大陸や島々の絵だった。


 幾つかある国の境界線は適当に引かれたように見え、国を隔てる山脈の簡単な絵に森の絵と、その他面積等も全く考慮されていない。

 そもそも縮尺自体が明記されていない為、まず全体の大きさ自体が把握出来ない始末。


「まぁ民間に出回っている地図はこのような物ですよ。地図は国の重大機密になりますから。それに軍や国の中枢で使われている地図もこれに道や細かい町や村、軍事拠点を書き加えたこれより少し詳しい程度のものらしいです」


 思わず漏れ出たクロムの呆れの感情を感じ取ったのか、困り顔でティルトが説明した。


「一般人のみならず、高い地位にいる人達でも、王家や支配層からの許可なく地図を作成する事は国家反逆罪が適用される恐れもありますので注意が必要です」


 人間種以外にも数多くの種族が住み、魔物というモノが常時身近に存在する世界。

 幾つかの大国と小国家群が点在し、それらの統一もなされていない世界。

 クロムにとっても国家構造に関しては、ある程度馴染みはあるがそれでも疑問を持たざるを得ない。


 ― あまりに進歩が遅すぎる。ここまで来ると進歩を拒絶しているとも思えてくる ―


 クロムは現状、文化的な営みをこの村でしか見聞きしていない状態であり、情報自体も限定的ではある。

 ただその生活様式等を垣間見るだけで、それなりの文化進行は推察出来た。


 結論としてこの世界で生命体が自我を持ち、文明の幕開けから現在までを数えてきたであろう創生歴の年月と比較すると、文化レベルの進展があまりにも遅すぎる。


 そのクロムの疑問は次の質問である《魔法》と《魔力》に関する事で一つの答えを導き出せた。


 ― この世界には魔法が存在するのか ―


 この質問をそのままティルトに問おうとして、クロムは思い留まる。

 まだ世界の外からの来訪者である事は、極力隠しておかないと面倒になると判断したからだ。


「魔法と魔力について教えてくれないか」


 クロムは様々な思惑と想定を覆い隠して、端的に問いかける。


「簡単な説明になるかと思いますが」


 そう前置きしてティルトは魔法と魔力そして新たに《魔素》という言葉を用いてクロムに説明し始めた。


 魔法とは、この世界の空気中や食物、様々な物に含まれる魔素を体内に吸収し蓄積、それを体内器官で魔力に変換した後、魔法式の構築によって、この世の理に介入する技術。

 これがこの世界で認識されている魔法というものだった。


 そして魔法を行使する為に必要な魔素や魔力はこの世界の生命体にとって、生命活動を継続する上で非常に重要なでもあり、枯渇は死に直結する。

 勿論、クロムの世界の大半の生命体と同じく空気中の酸素も必須であるが、やはりこの世界に酸素の概念は無く、大気成分等も認識されていない。


 クロムが当初この世界で感知していた謎の大気成分は、この魔素でほぼ間違いはないだろう。

 この魔素は未だにクロムの中では謎の物質として分類され、使われる事無くそのまま体外に排出されていた。


 コアの情報によると、この魔素と思われる物質がクロムの身体を構成している強化細胞に蓄積されようとしていたが、細胞自体がそれを受け付けなかったようだ。


 そして魔法の行使に必要な魔法式は、基本的に魔法師が書き残した魔導書と呼ばれるものに記載されている魔法陣を脳内に記憶する。

 魔法陣は単純なもので1層、高度になるにつれて層が増えていく魔法式が刻み込まれた積層構造体である。


 仮に火を起こす、水を掌に溜める、そよ風を起こす等と言った生活する上で利便性の高いかつ簡単な現象を具現化するのであれば、単純に知識として1~2層の魔法陣を記憶するというもので実現が可能であった。


 しかしながら、より大きな現象を引き起こす為には層を多く重ねた魔法陣を、記憶では無く深層意識に半ば焼き付ける程の事が必要であり、魔法師と呼ばれる者達はこれを人生の大半に費やしながら、自身の研鑽に日夜意識を潜らせていた。


 通常、魔法陣が3層で構成された《深度3魔法》を行使出来れば、一般社会では魔法を用いた専門職として様々な分野で魔法師を名乗れる。


 そしてクロムが最も注目した魔法の理論は、《魔法は神の力の模倣》という点だった。

 魔法技術は神がかつてこの地上に存在し、行使していた力の一端を再現するという理念の元で開発が進んでいる。

 魔法師が神の力を様々な角度から想像し、その現象を魔法式に書き上げて魔法陣に組み込む。


 物理現象自体の解明が満足に行われていないこの世界で、神の力を想像するという1点から始まり、この世界を構成する物理現象の理に介入しているのが魔法だった。


 ただあまりにも常識外れの、神の力とはいえ人知を超えた現象を実現する魔法の行使は不可能に近かった。


《神はその身を瞬間移動させる事が出来る》

《神の振るう剣はあらゆる物を切断する》

《神の治癒魔法は死者を復活させる》


 神であればこれも実現可能だろう。

 神であれば。


 だが、これらの神の力をこの世界の生命体がとして認識出来ないのであれば実現は不可能。

 物理現象にてその仕組みを理解しなければならない。


 単純な火や水、風であれば日常生活で熱い寒い涼しいと五感を用いて身をもって体験し、その現象も容易に意識に刻み込めるだろう。

 だが、核理論における核爆発や次元を跳躍する空間転移から始まる次元理論等はまず実現出来ない。


 強大な攻撃魔法も単純な基本現象を延長し強大に作用させたもの。

 それゆえに今のクロムが持つ、この世界の物理現象を解き明かす知識は非常に危険な、この世界の構築を根底から崩壊させてしまいかねない。


 その中で大規模な攻撃魔法も、一般人の使う生活魔法もその他一切の魔法は等しく《神の恩恵》であり、より層の積み上げられた魔法を行使する魔法師は神の力の代行者として認識される。


 魔法至上主義の元で、物理現象を理論化せずに神の力を得ようと突き進む魔法技術が生んだ歪な世界。


 魔法技術は文明の進歩の為に磨かれるのでは無く、神の力を借りて他者よりも上に立ち支配する力の根源。

 魔法師が権力を維持する為に、力を誇示する為に秘匿され、力無い者達は強大な力である魔法を神の力と畏怖し、日々魔物の脅威に怯えて暮らす。


 この世界が一向に進展しない理由。

 生活魔法で竈に小さな火を灯す生活が末永く続く事を、平和と安寧と呼んでいるこの世界。


 クロムは改めてこの世界における自らの存在が《異物》であると強く認識した。


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