第15話 錬金術師が奏でた音色
「このタッピング・シルバーにボクの魔力を注いで物体を叩くと音が鳴るのですが、この音は物体の材質によって音色が異なるんです」
クロムは魔法という非現実的な言葉を知った上で、更に魔力という新しい単語に真っ先に意識が反応したが、その件に関しては翌日以降にティルトに尋ねるものと思考を一巡させた。
「あまり複雑なものにはほとんど効果は無いですが、単純な金属や鉱石等は高確率で内容を言い当てられますね」
「驚異的な技だな。その内容はどこまで把握が可能なのだ?」
クロムは前の世界でも極々稀に強化すらしていない人間が、五感を研ぎ澄まし金属の歪みや成分の偏り等を判別する技術を持ち合わせていた事を思い出す。
それよりも更に遥か過去の世界では伝承と継承を重ねながら、長い時を技術の絶え間ない研鑽に身を置いた、そういった能力を持つ人間も数多くいたという。
目の前のティルトもそういった類の人間なのだろうかと、クロムは改めて目の前の少年の潜在能力に驚く。
「そうですね。鉱石なら中に含まれる成分等が、過去に書き溜めた資料があれば産地なんかも特定できます。精錬された金属や武具であれば、素材の配合率や強度等もある程度は」
「なるほど。その対象が発する音の微細な違い等で判別しているのか。凄まじい才能だ」
クロムの脚色の無いストレートな賛辞に、ティルトが恥ずかしそうに眼を逸らした。
「い、いえ...本来の錬金術師であればこのような事はもっと簡単に出来ると思うのですが、ボクは音の微細なズレや違いを把握出来るっていうだけです...」
「それでもその技術はティルト独自のものだろう。もっと誇るべきだ」
先の戦闘と通じて驚異的な戦闘能力を見せつけたクロムのこの言葉は、聴き様によっては傲慢と捉えられるかも知れない。
だがクロムは科学の力で突然与えられた自身の力を全く誇ってはいない。
むしろクロムの中ではティルトやデハーニの様な、研鑽の果ての技術、もしくは生まれ持った才能というものに対してこそ称賛されるべきだという想いがあった。
過去が積み重ねた自分自身の事ですらもはや記憶に無く、改造手術で与えられた力を振るい敵を蹂躙する戦場の日々は、こういった形で歪みを生んだ。
クロムはそれ故に自己評価が出来ないのだ。
過大評価や過小評価も含めて。
過去の自分自身はもう存在しない。
力を与えられ、名前ではなく番号を割り振られた兵器としての人生が始まりであり、そこからの積み重ねた過去が、今のクロムの全てであった。
決して自らを誇らず、褒めず、自らの行いに後悔をしない。
与えられたその人間の枠を超えた力をただ振るうのみ。
その中に僅かながら過去を積み重ね、努力し、研鑽する人間への憧れがあったのかも知れない。
「は、はは...そういって貰えたの初めてです。ありがとうございます。嬉しいです。へへ...」
ティルトは銀のタクトを見つめた後、クロムに少しだけ涙目を携えた微笑を返した。
「それでは椅子に座って頂いて、どちらかの腕を前に出して貰えますか?」
上質な素材に見える服の裾でそっと目の端に浮かんだ涙を拭い、一転して真剣な表情でクロムに願い出る。
クロムは特に考えるまでも無く、ティルトに近い右腕を差し出した。
ティルトは改めて目の前に差し出された、あの戦闘で存分に振るわれたクロムの右腕を見てごくりと喉を鳴らす。
あの膂力を生み出すとは思えない太さの腕。
あの強い剣士のデハーニと同じくらいか少し細いくらいか。
そしてその腕に装着された艶やかで傷一つ無い漆黒の腕防具。
少なくともティルトにはそれがクロムの肉体と融合した外骨格だとは、予想すら出来ないだろう。
ティルトが見つめるクロムのその腕は、あれだけの戦闘を終わらせてきた筈なのに、傷はおろかまるで降ろしたての新品の防具の様に黒く輝いていた。
「で、では...失礼します!」
ティルトが意を決して、まさに指揮者のように親指と人差し指で摘まんだタッピング・シルバーに魔力を注ぎ込んだ。
クロムの目に映る銀のタクトが更に輝きを増す。
「おお」
その美しさにクロムが思わず感嘆の声を上げた。
「いきます」
ティルトが静かに告げると、トンと軽く、クロムの予想外の軽さでタクトが黒い右腕に振り下ろされた。
次の瞬間、
キィィィィィィ――――――――ンッ!
タクトを振ったティルトですら思わず耳を両手で塞ぐほどの高音、いや高周波に近い程の音が部屋中に爆音となって鳴り響いた。
その音は家具や窓ガラスを震わせ、ガラスの部分に小さな亀裂を走らせる。
それでも尚、その音は部屋の中を暴れまわっていた。
「な、なにっこれ!こ...んな音っ聞いた事が...っ!今すぐ鳴りを...納めます!」
片方の耳を塞ぐ事を放棄し、その耳の側の表情を苦悶に歪めながら、ティルトはその手で未だ轟音を発しているクロムの右腕を指で撫でた。
すると音はゆっくりとその音量を下げていき、次第に部屋には静寂が訪れる。
それでもヒビの入った多数のガラス製のものからは、断続的に小さな悲鳴を上げられていた。
「はぁはぁっ...だ、大丈夫ですかクロムさん!」
未だに耳鳴りが収まらないティルトは、大層心配した表情を顔に張り付かせ、自身の事を放り出してクロムに声を掛ける。
「ああ。問題無い」
今まで以上に距離を縮めたティルトの整った顔がクロムに迫る。
そもそも破れる鼓膜を過去に除去しているクロムには全く影響はなかった。
この状況下でも、単なる音のサンプルとして先程の轟音も情報として即座に格納している。
「心配しなくても問題無い。それよりも何か情報は得られたのか?」
被害が皆無であるクロムの淡白な言葉に驚きつつも、なおも心配するティルトは慌てながらクロムの顔や身体の異常を探している。
「あんな音をまともに浴びたのですからっ!そ、そうだ!クロムさんの耳はだいじょ...って耳見えていませんね...」
近くに寄るだけでもあれほど緊張していたティルトの両手が、思わぬ状況に焦っているのかクロムの耳を確認する為に彼の顔を挟んでいた。
「落ち着けティルト。問題無い」
クロムを傷つけてしまったと思い込んでいるティルトの小さく震える手を、黒く硬い手がそっと添えられる。
クロムは傷つけないよう、そっとティルトの手を取り顔から離す。
「ふぇあらっ!?すみません!」
今日何度か聞いたティルトの奇妙な悲鳴。
赤面させたティルトがさっと手を引いた際、クロムは鋭利な鉤爪で流血していないかだけ即座に確認する。
「ふぅぅぅ...っ...いえ本当にすみませんでした。まさかあんな音が鳴るとは予想もしていませんでしたし、それにあんな音初めて出ました...」
手に持つ銀のタクトをぼんやりと見つめ、ティルトの頬に汗が伝っていく。
「そうか。後何度かやればわかる事もあるんじゃないのか?問題無いから何度か試してみても構わない」
そういってクロムは再び右腕をティルトに差し出した。
それを見てティルトは顔を青ざめさせながら、慌てて両手を前に突き出す。
「い、いえっ!もう十分ですっ!また今度しっかり準備出来たら万全の態勢でお願いします!これ以上はボクの家が壊れてしまいます!」
「そうか。また言ってくれれば協力する。それで今の事でティルトが分かった事は何かないのか?」
ティルトは目の前の男と絶望的な程に認識の差がある事に、冷や汗を滲ませながらも先程の現象から真剣に推論を立ててみる。
しかしながら叩いたものも材質に加えて、そもそもクロムの存在自体が謎であり、そこから発せられた音も不明となるともお手上げ状態といって良かった。
「かなり乱暴な推論になりますが...まずクロムさんのその黒い鎧は、その...ボクが今まで叩いてきた物とは比較にならない位の強度があるという事...だと思います」
熟考してみたは良いが錬金術師として出して良い答えとなっていない事に不満があるのか、時折その声に悔しさを滲ませるティルト。
「あと本来なら分る筈の素材等の事も全くわかりませんでした...」
結局の所、室内に爆音を響かせてガラスにヒビを入れたという現実のみが残ったという、ティルトにとっては少し可哀そうな状況に、それに返答するクロムも多少は言葉を選ぶ。
「素材云々に関してはまだ俺も知らない知識がまだある故に、答える事が出来ない。ただし強度に関して言える事は、俺のこの全身を覆う防具はあのサイクロプスとやらの力の数十倍程度ではまず目立った傷すら与えられない。それは確認済みだ」
ティルトはそのクロムの一切迷いや飾り気の無い言葉を聞き、あの時遠目から見ていたクロムとサイクロプスの一方的な戦いを思い出し戦慄した。
「な、なるほど...あ、あの...貴方は...」
この思わず口にしてしまったクロムへの質問を、ティルトの心が途中で圧し潰した。
これは聞いてはいけない気がする。
もし最後まで訪ねてしまったら、クロムが目の前から霧が晴れるように消えてしまうのではないか。
もしくはティルトが、デハーニが、関わった皆が消えてしまうのではないか。
久しく噛み締めていなかった無知の恐ろしさに心が締め付けられるティルト。
そんな彼にクロムが再び言葉を掛けた。
「ティルト。理解出来ない事はまだこの世界には無数に転がっている。問題はそれを何時誰がどうやって拾い上げるかだ」
クロム自身にも当てはまるこの言葉が、ティルトの中にスルリと入り込む。
「...そうですね。いずれもっとクロムさんの事知れるように精進します。それこそ...錬金術に頼らずとも...」
ティルトの最後の言葉は消え入りそうな程に小さく弱々しいものだったが、静寂を取り戻した室内ではそれも確実な意思を伴ってクロムに届けられた。
「そうか」
短いクロムの言葉にティルトが再び微笑で返答する。
「あ、ちょっとお水汲んできます。明日の分も用意しなくてはいけないので。クロムさんはそのままで結構ですよ」
そう言って、玄関の扉を開き外へ出ていくティルト。
どうやらあの爆音で扉の建付けが悪くなったのか、入った時よりも軋み音が大きい。
「やはり研究者というのは探究心が凄まじいな」
最後にティルト言った何か決意のようなものが混じる言葉を思い出しながら、再び本を手に取り開いたクロムの口から出た独り言は、やはりどこかズレた台詞だった。
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