第14話 錬金術師のタクト

 夕暮れが森の淵を彩り始めた頃に村の中央広場で始まった宴は、月が昇った今も変わらずの賑わいを見せていた。

 既に落命した戦士の火葬と弔いは終わり、旅立った戦士達への選別として簡素な木の祭壇が置かれ、思い出の品や食料、酒が積まれている。


 クロムはその宴には参加せず、近くにある建物に中でそこら中に積み上げられた本を手に取り読み続けていた。


 この村に着き、デハーニから村人へクロムの紹介の後、ティルトの熱心な勧誘もあり暫くはこのティルトの家に身を寄せる事が決まっていた。

 この村の住人は、あのクロムの苛烈な戦いを実際に見ていない事もあり、デハーニを成り行きながらも助けた流れ者という話を聞いて一様にクロムを村に快く受け入れる。


 加えてサイクロプスを単独で討伐、その素材を村に譲渡するという行動が強烈に受け入れの後押しをしたのは言うまでもない。


 村に到着した直後、ティルトは何か用事があるのか足早に自宅に戻り、デハーニ達は馬車から荷物と戦士の遺体を運び出す作業を開始した。

 物言わぬ躯になって帰還を果たした戦士の関係者とみられる者達のすすり泣く声を背中に、クロムは村を見回す。


 クロムは道中の会話で、村は隠れ里の様なものだとデハーニから聞いていたが、食堂らしき店や野菜などを軒先に置いている建物等、閉鎖環境ではあるが簡易的な経済基盤が確立されている様子だった。


 奥には煙を上げる背の高い煙突とそこから時折、金属を打ち付ける音が響いている事から鍛冶のようなものを行っている場所もあるようだ。

 クロムが特に印象を残したのは、村で見る人間の殆どが生きる意志を持って動いている事。

 戦場で“生き残る”という意思は数多く見てきたが、今を“生きる”という意思は戦乱の時代には希少なものだった。


 そんな村人の姿をふと思い出しながら、クロムは読み置けた本を脇に積み上げ、次の本を手に取る。

 ティルトが用意したランプの揺れる小さな灯が本の内容を柔らかく照らし上げる。

 クロムは暗視機能を併用しながら、本の内容をコアに転写しそれを凄まじい速度で情報化、理解していった。


 今読んでいる本は挿絵に草花が多く精密に描かれており、クロムにとっては未だ単語に理解不能の箇所が多いが薬草関連の書籍だという事は判別出来た。


 クロムが現段階で判断出来た事は、まずこの世界はかつて彼のいた世界とは基本的な成り立ちが異なる可能性が高いという事。

 この本に載っている草花の挿絵に関しても、全て該当データ無しと既にコアから返答が返って来ている。


 ただクロムの考えを混乱させる要因に、不明言語ではあるが単語の読みとその内容が前の世界と似通っているものがある。

 サイクロプスもそれに当たるが、実際、クロムのいた世界でも神話でその怪物の名は耳にしていた。


 クロムは当初、コアの言語翻訳がサイクロプスという単語を適宜、置き換えて翻訳していると考えていたがコアの回答は、こちらでもサイクロプスという単語がそのまま使われているという事だった。

 流石に今の情報量では十分な把握は出来ないとクロムは早々に思考を切り替え、まずは周囲の人間との会話、そして書籍を通じての言語理解能力の向上を目指す方針を固める。


 クロムはこちらに居候する事が決定した段階で、ティルトにも既にその事は伝えてあり会話や書籍を通じて読み書きの手ほどきをティルトに依頼していた。

 相変わらずティルトは満面の笑みでそれ快諾し、クロムは何か自分に出来る範囲で様々形で報酬を支払う事を提案した。


 最初は“命の恩人”というキーワードを盾に、無償での手ほどきを頑なに主張したティルトであったが、殊の外、クロムが無償での施しを嫌う傾向があった為に頑としてそれを譲らず、最後は項垂れたティルトが折れる事となった。


 クロムは既に今後ティルトに投げ掛ける質問の優先順位や、その結果によっての今後の行動方針や計画を様々なパターンで練ってはいるが、自身がこの世界で生きていくという核心に近い行動理念に関しては未だに輪郭すら見えてこない。

 クロムの鉤爪の先端が器用にかつ丁寧に本のページを捲る音、薄い木の壁越しに聞こえてくる静かな森の夜に響く村人の喧騒。


 確かな時間が流れる中で、只一人クロムの時間は停止したままだった。





 クロムが薬草図鑑とおぼしき本を読み終え、幾つかある本の山の頂点に再び手を伸ばした時、僅かな軋み音と共に玄関の扉が開いた。

 森の香りと外の喧騒が、緩やかな風と共に部屋に流れ込む。


 クロムの目線が手に取った本からティルトに映った事で自分の家であるのにも関わらず、どこか他人行儀な様子でクロムの様子を伺いながらソロリと家に入るティルト。

 この短時間で幾つか本の山がクロムの右から左に移設されているのを見て、ティルトは少し困惑した表情を浮かべていた。


「すごいですね...もうその量を読破されたのですか?中身は読めましたか?」


 幾つか移設されたの山の頂上にある本を手に取り、背表紙で内容を確認すると、パラパラとページを捲りながらティルトから手元の本に視線を落とすクロムに声をかける。


「残念ながら全てを理解するには至らなかった。だが少しずつだが理解度は増している。一段落したらもう一度全て読み直すつもりでいるが」


 視線を本に固定し、そう言いながら紙擦れの音をリズム良く室内に響かせるクロム。


「な、なるほど。またわからない事があればいつでも聞いてください。ボクで良ければお手伝いします」


「助かる。言語に関しては現状では不明点が多すぎて都度聞くことになると思う。後は幾つか聞きたい事はあるが、長くなるだろうからそれは明日以降で構わない」


 ティルトは一向に目線が本から戻らないクロムをチラチラと伺いつつ、銀色に光る細い棒を手に持ったまま次にとるべき行動を探していた。


 次の言葉が上手く紡ぎだせない。


 今までこんな事無かったのにと、ティルトはクロムに出会ってからの出来事を脳内で回想させる。

 だがそんなティルトの心の中を渦巻いている焦りの風は、ただただ小さく不要な感情を巻き上げそうになるだけであった。


「あ、あの...読書に集中されているのであれば...いえ、お邪魔でなければいいのですが、少しお願いしたい事がありまして...なんかその...すみません」


 俯き加減のティルトから小さく絞り出された声は、語尾が消え入りそうになりながらもクロムの耳に届けられる。


「いや構わない。何度も言うが遠慮はしなくていい。それだけの事をティルトは今俺にしてくれている」


「...!?」


 ティルトは頬が上気する感覚をこれほどまでに感じた事は無い。

 クロムの自分の願いを聞いて貰えるという回答に喜んだのではなく、自身の名前を呼んでくれた事に対して心が高揚する感覚を覚えていた。

 この感情の発信源のズレに当のティルト本人は気が付いていない。


 目の前の黒い戦士、いや騎士との距離が僅かながらも確実に近づいたという事実に対する喜びが、本人すらも気が付かない速さでその心に小さく灯る別の感情を覆い隠した。


「それで?俺は何をしたらいい?」


 ティルトとは正反対の凪いだ声でクロムは問いかけた。


「は、はい!あのですね...ボクの持っているこのタクトでクロムさんのその黒い鎧を軽く打たせて貰えませんか?あ、いや、もし不快なら断ってくれて構いませんので!」


 ティルトは白く小さな手でクロムに銀色の細い棒を見せた。

 揺れるランプの明かりを反射するその美しいタクトは、その反射以外にも時折自ら小さく煌めいている。


「ふむ。俺自身に害を及ぼさないのであれば全く問題無い。その前にそれは何か、そして目的を聞かせて貰っても良いだろうか」


 今までのクロムであれば、目的を話すよう命令していただろう。

 ただしクロムの中にある前進目標が見えないというある種の燻り近い心情が、良いだろうかという問い掛けに変化した事、先程のティルトと同様にクロムもまた気が付いていない。


「これはボクが作って、名付けた錬金術師の枝タッピング・シルバーという魔道具です。錬金術師はこういった自分専用の魔道具を作る事が多いので」


「ほう。それは素晴らしいな。それに美しい」


「ほぇあっ!あ、ありがとうございます!そ、それでですね...ボクはこのタッピング・シルバーで打った物の情報をある程度読み取り、理解する事が出来るのです」


 その言葉を聞いて、クロムは思考を巡らせる。


 その銀の棒で叩いた物体の情報を読み取る、つまりこちらの世界の物ではないクロムの情報をティルトに漏洩する事に他ならない。

 どこまでの情報がティルトに渡るのか、大前提としてこちらとは成り立ちの異なる遙かに進んだ科学力で構築されたクロムの情報を理解出来るのか。


 クロムはこちらを見上げているティルトを見る。

 この少年は今、この場で理解出来なくてもいずれ理解する時が必ず来るだろう、クロムはそんな予感を感じていた。

 この少年と出会い、いくつか少ないながらも会話する中でクロムが感じた、探究心や欲求の有り様が根本的な部分で異なっているのではないかという疑問。


 かつてクロムが出会った研究者という人種とよく似た意識構造を、目の前で感情を揺らすティルトにも感じていた。


 そしてティルトの言った“錬金術師”という職業。


 クロムは情報の漏洩と未だ見ぬ未知の領域への侵入と天秤にかけ、結論を導き出す。


「了解した。やってくれて構わない。ただしその情報をどう読み取るのかを俺に教えて欲しい。全てとは言わない。ティルトが伝えられる範囲で構わない。俺もそちらが感じた疑問には答えられる範囲で伝えよう」


 クロムが思考する時間の経過に伴って、泣き顔に変化していきそうなティルトの顔に笑顔が無事に帰還を果たした。

 もし仮に面倒な事になればとクロムは最終手段を行使する算段も立てたが、それは結論を出す前に途中で思考回路を閉じる。


 その一方で、心の片隅でクロムはそうならない事を僅かに願っていた。


 鼻歌が飛び出しそうな雰囲気で椅子を運んでくるティルトを見るクロムの緑の双眸が、柔らかい光を放っていた。



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