第12話 哀れな小鬼たち
ティルトのボウガンがゴブリンを仕留めた事が戦端を開き、辺りから断続的に金属音とゴブリンの叫び声が響き始めた。
クロムはアラガミを開放して、その身体からは溢れんばかりの力が沸き上がってくる。
しかしサイクロプスとの戦闘の時とは違い、クロムは周囲を包む空気が比較的軽いとも感じた。
クロムが横を見ると、先程の解体時に名を教えたエスモが大ぶりのダガーを両手に持ち、前方のゴブリンと睨み合っている。
クロムはあの自己紹介と例の時とは違う戦士の横顔を見せるエスモを、デハーニには及ばないと評価しつつも、その隙の無い構えとダガー二刀流のスタイルに若干の興味が湧いた。
クロムは武器を基本的に使わない。
理由はごく単純なもので、システムを開放したクロムのパワーに武器が耐えられず、半端な耐久力では僅か数回の交戦で破壊されてしまうからだ。
前の世界では開発されていた最新式のレーザーブレードや超硬質マテリアルカッター等があれば別かも知れないが、クロムの送られる戦場の性質を考慮すると最終的に壊れずにクロムに追従可能な武器は強化外骨格で覆われた拳だった。
普段のクロムであれば敵陣に突入して、敵が壊滅するまで蹂躙し尽くすのだが今は集団戦かつ防衛戦だ。
むやみに動けば敵の利に優位に動いてしまう。
ただ不思議と目の前のゴブリンという小さな怪物は、牙を剥き出し、威嚇らしき唸り声を上げるばかりでこちらに攻撃を仕掛けようとはしてこなかった。
ゴブリンはそれぞれが腰巻を身に着け、棍棒や錆びてはいるがショートソード、手斧等で武装し、一定以上の文化的な概念を構築しているように見える。
反面、その様子からサイクロプス同様、意志の疎通は不可能な程に知性を感じられない。
「エスモ。このゴブリンというのはどのような生物なんだ?」
情報収集の為に、一度くらいその攻撃を身に受けてみようとクロムは考えたが、余計な混乱を避ける為、隣のエスモに問いかけた。
「えぁ?あー...黒の旦那はゴブリンを知らないのか?いや、馬鹿にしている訳じゃないからな。気ぃ悪くしないでくれよ」
クロムの質問に戦闘中には似つかわしくない返事を返すエスモは、クロムの実力と今の落ち着き様に対して、ゴブリンを知らないという冒険初心者の様な質問に面食らった。
「あー、ゴブリンは見た目の通り頭が悪いし残虐だ。だがゴブリン自体はそれほど強くねぇ。多少の経験を積んだ戦士や騎士、冒険者にとっては脅威にはならない魔物だな」
「魔物という分類なのかこのゴブリンは」
クロムは魔物というカテゴリがあるという事に関心しつつ、目の前のゴブリン達に向けて値踏みするような視線を浴びせた。
後方からは誰かに斬り伏せられたのか、ゴブリンの断末魔が幾つか聞こえてくる。
確かに苦労している様子はないなと、クロムはこの軽い空気感に納得した。
「ただこいつらが厄介なのは、小柄ゆえに障害物とかそれこそ森がやつらの味方に付いた時だな。しかもほとんどが10や20、もしかするとそれ以上の集団で襲い掛かって来やがるから、状況次第で不意を突かれた場合、結構危ない魔物でもあるな」
ゲリラみたいな集団だなと、感想を漏らすクロム。
「エスモ。俺が前に出て戦ってみても良いか?」
エスモからしてみれば、何故サイクロプスを素手で嬲り殺しに出来るクロムがわざわざゴブリン退治に興味を持ったのかはわからないが、特に反対する必要性も無いので適当に返事を返す。
「まぁ今回のゴブリンは飛び道具を持っている訳じゃねぇし、こっちは心配いらねーよ。代わりに暴れてくれれば多少は休める時間が貰えそうだしな。やってくれるならありがたい」
「了解した。前に出る」
クロムは単独行動が問題無いと言質を取り、僅かにその身を構えた。
解放されてからお預けを食らっていたアラガミが練り込み続けていた力が拳と脚に籠められる。
「戦闘開始」
そう呟いたクロムは大地を蹴り、一気にゴブリンとの距離を詰め、その勢いのままま頭部に廻し蹴りを繰り出した。
この踏み込みと蹴りにゴブリンが反応出来る訳も無く、瞬時にクロムの暴力の間合いに入らされた哀れなゴブリンは、その蹴りであっけなく頭部を蹴り飛ばされ、原形を留める事も出来ずに肉片と血飛沫となって宙に散った。
隣のゴブリンは突然はじけ飛んだ仲間の肉片を横から浴び、それが目に入ったようで、反応がまともに取れていない。
クロムはそんな事お構い無しで射程圏内にゴブリンを補足、次はその
拳を小さな胴体に振り切る形で繰り出す。
ドパンという破裂音とも衝突音とも聞こえる音を立てて、二匹目の犠牲となったゴブリンは今度は胴体が弾け飛んだ。
クロムの意識内では既に周辺の敵味方の位置関係は問題無く、正確に把握している。
先程のパンチで踏み込んだ脚に力を込め、次は流れるようにクロムの身体が宙を舞う。
落下地点には3匹目の獲物が未だに状況が理解出来ずに立っており、今ようやく仲間の2匹が殺された現実を理解しようだった。
しかし眼を向けた先には既にクロムはそこにおらず、自身が影に覆われたと思った瞬間、降ってくる黒い物体。
コアによる完璧な姿勢制御で空中を舞ったクロムは、標的となった3匹目に岩をも容易に砕く踵を落とす。
強化人間である決して軽くはないクロムの体重が一点に乗ったその踵落としは、ゴシャリという鈍い音を生み出して、ゴブリンの脳天にめり込んだ。
それだけで止まらないクロムの踵が、頭のみならずそのまま小さなゴブリンの身体ごと地面で叩き潰す。
例えゴブリンが相手とは言え、クロムの一方的な虐殺を目の当たりにした周囲の人間は戦闘中という事を一時忘れ、驚愕で身体が固まる。
― 目標 完全撃破3 残存6 ―
「弱いな」
クロムは手足を軽く払い、付着したゴブリンの肉片や血糊を振り飛ばしながら一言呟く。
ようやく時間が正常に流れ始めた六匹のゴブリンが状況を把握すると、その内の二匹が早々に逃亡を図った。
すると軽く舌打ちが聞こえるのと同時にエスモが、スローイングダガーを投げ付ける。
ダガーは吸い込まれるようにその二匹のゴブリンの片方の頭部に突き刺さり、倒れ込んだまま動かなくなった。
「手出しすまない。ゴブリンは逃がすと仲間を呼んじまうんだ。逃がす訳にはいかねぇ」
「いや問題無い」
エスモに謝罪されたが、本来謝罪の必要性は全くない。
クロムは今日何回目かの短い返事を返すと、彼に倣って適当な大きさの石を拾い上げ、背中を向けて一目散に逃亡しようとするゴブリンを目標に定めると、サイクロプスの時の様に投石攻撃を行った。
それはボウガンの矢よりも速く、下手をすれば銃器から発射される物理弾の速度をも上回っている可能性がある。
クロムによって投擲された石がゴブリンの無防備な背中に命中し、パンという破裂音を響かせ、逃亡しようとした森の入り口に肥やしとして砕けた石の破片と共に飛び散った。
― 完全撃破5 残り4 ―
残りの左翼を攻撃してきたゴブリンの残りは馬車の前方に移動していたものの、気が付けば既に半数が肉塊に変えられ、その原因となった暴力の嵐がこちらに向くのも時間の問題だと悟る。
ゴブリン達はその足りない知性から来る判断では無く、野生に近い本能が告げた、自分たちに向かってくる死を運ぶ脅威に対する警告に身体を震わせた。
「ギャバッ!?」
クロムに注意が向いている隙を狙って飛んできたティルトの放った矢が、更に1匹を仕留め、またも数が減らされる。
その横やりが1匹のゴブリンの神経を逆撫でしたのか、クロムを無視して御者台でボウガンの装填をしているティルトに狙いを定め駆けだした。
「ティル坊!!」
それを見たエスモが声を上げ、ゴブリンの動きに反応が遅れたティルトが腰の短剣に手を掛け、同時にエスモがスローイングダガーを素早く腰のベルトから抜き去り、投擲の為に振りかぶった。
だが次の瞬間、御者台のティルトに襲い掛かろうと跳躍したゴブリンが爆発したかのように粉砕される。
目の前でゴブリンが四散するという初めての体験に理解が追いつかないティルト。
対してエスモは振りかぶったダガーの標的を、瞬時にまだ残っているゴブリンに変えて投げ放ち、そのダガーがまだ生き残っているゴブリンの脳天に刺さった。
「こっちは片づけた!クロムそっちはどうだ!?」
馬車の後方からデハーニの声が響き渡る。
「こっちは残り2匹だカシラァ!!」
クロムが答えるより先に、エスモが負けじと声を張り上げた。
普段から声を張り上げる事が無いクロムにとっては、これが一番の援護射撃だったかも知れない。
クロムの戦闘前の気合いを無にするような、危なげ無い戦闘は既に趨勢が決まっている。
クロムが馬車に視線を移すと、ボウガンの装填が完了したティルトと視線が交錯した。
遠めに見ても良くわかる澄んだ青い眼がクロムに何かを訴えかけていた。
ティルトがそのままボウガンを構える。
クロムは何かに納得した様子で、足元の手頃な大きさの石を一つ拾い上げる。
クロムはガシュンッというボウガンの発射音を拾い上げたのと同時に、逃亡しようと後ろを向いたゴブリンに投石。
ティルトが狙うゴブリンがどちらか確信が持てていたクロムは、迷いなくそれとは別のゴブリンを標的に据えていた。
ガギャブッ!
ギッ!
ほとんど同じタイミングで二匹のゴブリンの断末魔が聞こえ、そして矢が刺さったゴブリンはそのまま地面へ倒れ込み、そしてもう片方は下半身を残して肉片となりフラフラと数歩進んだ後に、トサリと膝から崩れ落ちた。
アラガミの解放すら必要としなかったこの戦闘は、不完全燃焼で腰に手を当てるクロムと、そんな彼に満面の笑みで手を振るティルト、そしてこの場に残されたゴブリンの死体の惨状に顔を引きつらせる男達の呻きと共に終結した。
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