第10話 かつて見た人種
クロムは次々と男達の手によって刃物が突き立てられるサイクロプスの脇に身を屈めていた。
そのすぐ隣には指を差し、時には解体された部位を手に取りクロムに言葉を紡ぐティルトの姿もある。
解体が始まる前、ティルトは戸惑いながら、加えて機嫌を伺うような表情でクロムにある提案を持ちかけた。
解体で人が集まる前に、身を屈めて自分と同じ目線で隣にいて欲しいとの事だった。
理由を尋ねると、ティルトは先程のたどたどしい要請とは打って変わったハッキリとした口調で答える。
「今、デハーニさんとボク以外の皆は貴方に怯え、未だ敵かも知れないという恐怖で身動き取れていません。ここでボクの隣でクロムさんが目線を合わせているという姿が見えるだけでそれも和らぐかもしれませんので」
どこまで見通しているのかわからないティルトの瞳がじっとクロムを見つめていた。
「それにクロムさんの身長が高すぎて...ボク男なのに小さいですから…」
先程の似合わぬ力強さから一転、恥ずかしそうに眼を逸らすティルト。
クロムは、特に考えるまでも無くその要請を受諾し、サイクロプスの横で身を屈めた。
「うぅ...しゃがんだクロムさんでようやくボクと同じなんて...」
顔を両手で覆い、嘆くティルトを他所にデハーニが大声で離れた所で未だ怯えながら様子を伺っている仲間を呼び集める。
「おおい!このサイクロプスはこの黒い戦士からの友好の証、手土産と言ってくれた!これから速攻で解体し、持てるだけ持って村に帰るぞ!牙は早い者勝ちだ!!」
その言葉にようやく呪縛が解けたのか、一人また一人とこちらにゆっくりと向かってくる姿が見える。
ティルトは小声でサイクロプスの牙は、お守りとして戦士に人気の素材なんですよとクロムに伝えた。
そこからしばらくして解体の準備が始まり、最初は警戒心が消え切らず武器を振るう利き腕が常に緊張していた男達も、ティルトとクロムがサイクロプスの亡骸の横で会話している姿を見てそれぞれが動き出した。
そして解体が始まり、次々と貴重な素材が自らの手によって確保されていくと、次第にクロムへの怯えの意識が滅多に手に取る事の出来ない素材への興味と喜びに変わっていく。
「なるほどな。目線か」
「え、すみません。聞き取れませんでした」
その移り行く男達の感情の変化と状況に思わず呟いたクロムにティルトが謝罪するも、クロムは問題無いと短く返した。
クロムはこの隣にいる少年の有能さに少々驚いていた。
デハーニとのあの短いやり取りでどこまで状況を理解したのかは不明だが、それからの行動は的確以外何物でもない。
次々と素材として分解されていくサイクロプスの巨体をクロムの隣で眺めながら、クロムの目線の先にある物の名称を何度か端的に繰り返す。
時にはその素材を手に取り、クロムの目の前で名称とその素材の使い道、処理方法等を言葉を選び、身振り手振りで説明した。
それ以外にもサイクロプスの体内が露わになった時は、そこから沸き上がる血生臭く生温い蒸気に気後れする事も無く、近づいてその部位の名前を呼び、いつの間にか手にした使い込まれた小さなノートに次々と情報を書き留めていく。
クロムはそれを見て数はまだ少ないが、単語も覚え始める。
その横顔は真剣そのものであり、もしかすると隣のクロムの存在すら若干忘れているのではないかと思える程。
クロムはこの横顔と発せられる雰囲気に多少の覚えがあった。
幾つもの機器類を手に取り、クロムの身体に装着していく人間達の姿が思い浮かぶ。
それは次々と機械からはじき出されるデータを食い入るように見つめ、歓喜し、時には落胆の表情を浮かべる者達。
クロムを造り上げ、そして更なる先の禁断の扉を開こうと日夜、狂気に没頭する研究者達の姿だった。
自身を造り出し、メンテナンスという名の人体実験を行った後に実証試験と称してして再び戦場へ送り返す、そんな彼らに対してクロムは何ら特別な感情を持ち合わせていなかった。
今も感謝の気持ちや、それに相反する憎しみも持ち合わせていない。
それは研究者達からしても同じことなのだが。
突き詰めて考えてみれば、その間には裏表のない探究と欲求に裏打ちされた信頼の様なものがあったのかも知れない。
だからこそクロムは彼らを最後まで敵とは認識しなかった。
そんな事を考えながらも、クロムはコアの能力で実現される並列同時思考で情報を処理していく。
目の前で次々と解体されていくサイクロプスに没頭しているティルトとは既に会話と呼べるものは無く、彼が隙間無く吐き出す言葉をクロムが淡々と回収するという時間が過ぎていく。
するとクロムの眼に、ティルトの頬に付着した割と大きなサイクロプスの血の塊が映った。
解体で飛び散った血だろう。
ただティルトは全く気が付いていない様子で、その血は彼が言葉を紡ぐ度に動かされる頬の筋肉によって次第に重力に従って頬を伝って落ちていく。
その先には尚も言葉が止まらないティルトの、若干乾き始めた小振りの唇の端。
クロムは何も言わず、その黒く大きな指の鉤爪の背をそっとティルトの頬に当てて血の行き先を遮った。
行き先を防がれたその血は方向転換し、クロムの鉤爪を伝っていく。
なおも赤い道を作りながら落ちてくる血をそのままゆっくりと迎え、拭い去る。
そのクロムの姿を当のティルトよりも先に何人かの男たちが気が付き、一瞬動きを止めた。
その様子を視界の端で捉えたのであろうティルトが、やっと頬に硬い感触がある事に気が付いて、瞬時に我に返る。
「え、あ、す、すみません!!つい夢中になってました!!」
必死に握りしめていたノートとペンを放り出す勢いで、慌てるティルトとその光景を見て呆れた表情を浮かべる解体作業中の男達。
「落ち着け。責めてはいない」
クロムが短くティルトに告げると、冷静になった彼は頬に付着した血糊を胸ポケットから取り出した布で拭い、そして先程、クロムの鉤爪が当てられた箇所に指をそっと当てた。
「あ、あの...」
「垂れた血がお前の口に入る可能性があった。他者の血の摂取はどのような事態になるかわからない。気を付ける事だ」
頬に指を当てたまま、顔を赤らめたティルトが何かを言おうとしたが、クロムの平坦な言葉の羅列が覆い被さった。
かなりの言語情報を得たクロムの言葉がどこまで正確に伝わっているかは、今のティルトの表情からは読み取る事が出来ない。
クロムはティルトに対し、優しさや思いやりでそのような言葉を掛けたわけでは無く、デハーニとのやり取りでティルトがこちらに派遣されてきた以上、この少年はクロムにとって限定的にはなるが庇護対象という認識があった。
クロムは指に付着した血を素早く地面に振り払いながら言葉を続ける。
「出来ればこのサイクロプスの血を少しばかり欲しい。回収を頼めるか?」
摂取した血からそれを構成する成分、更にはそこに含まれる遺伝子情報を抜き取る事が出来れば、自身の遺伝子情報からこの世界と元の世界との関連性が分かるかも知れない。
そしてサンプルとして、他の生命体も同様に遺伝子情報を収集し蓄積すれば、種の起源やこの世界の成り立ちを推測できる可能性もある。
それに大前提として今、この場でマスクを外す訳にもいかず、また血の摂取に関してティルトに警告した手前、目の前で血を口に運ぶわけにはいかない。
「あ、は、はい。大丈夫です。空の薬品瓶をいくつか持っていますので、それで構いませんか?あ、ちゃんと洗浄済みなので安心してください」
「大丈夫だ。宜しく頼む」
その言葉を言い終わる前に、ティルトは腰のポーチから取り出した空き瓶片手に身を乗り出し血の採取を開始する。
「新鮮な...血...固まって...うーん...」
ティルトの感情の起伏の波形をどうにも上手く読み切れないクロムが、その姿を見て珍しく呆れの感情を少しばかり表に漏らす。
そしてクロムの発した僅かな呆れの感情に気が付いたのか、そのやり取りを見ていた男の一人がクロムの目線が合わさるのと同時に肩を竦めた。
「おいティル坊、この辺まだ固まってないぞ。これでいいんじゃねぇか?」
直ぐに視線を外した男は手に持ったナイフの先端を揺らして、ティルトに問いかける。
ぱぁっと表情を明るくしたティルトが小瓶に血を収集し始めた。
「これでいいですか!?お役に立てたでしょうか!?」
「十分だ。感謝する」
何故かやり遂げた顔付きで小瓶を見せて、クロムの感謝の言葉を受け取るとむふーと鼻息を荒くするティルト。
それを受け取り、クロムは自然な動作で、尚且つティルトには見えづらい角度で素早くポーチに収納する。
クロムは彼から研究者と同じ臭いを感じ取り、不意にこちらの世界では存在しないであろうポーチの中身を見せる事を避けた。
先程の血の一件よりも何が起こるか想定が出来ない。
案の定、クロムの装着する見た事のないような造形と素材で出来たポーチに興味津々といった表情を見せるティルトは、良く見えなかった事に若干の落胆の色を顔に見せた。
でもしつこくここで聞いてこない所を見ると、自分自身の欲求を上手く自制出来ているのか、それともデハーニの言った言葉を僅かでも頭の片隅にまだ置いているのか。
それでもクロムの中では、目の前の少年が優秀な人間だという評価を保っていた。
すると突然、解体中はクロムに対し避けるような態度を取っていた男達の一人が目線を合わせず、解体作業をこなしながら声をかけてきた。
「すまねぇな、黒い旦那。まだ礼すらも言えてなかった。旦那のおかげで助かった。皆の命を、デハーニの頭やティル坊の命を繋げてくれて感謝するぜ。あ、ありがとうな」
気恥ずかしさがあるのか、それとも初めて声を掛けた事による緊張か、少々言葉に詰まりながらも礼の言葉をクロムに送る。
「デハーニの頭もティル坊も、俺達や村の皆にとって無くしちゃいけねぇ人間なんだ。だからよ礼はハッキリ伝えてぇ。あと俺はエスモだ。名乗りが後回しになっちまってすまねぇな」
エスモと名乗ったデハーニよりも少し年上の年季を感じる男は、すっかり毛髪が抜け落ちた頭を搔きながら表裏無さそうな笑顔で名前を名乗った。
「礼は確かに受け取った。エスモか。俺はクロム。まだ言葉が不自由だと思うが許してくれ」
そんな会話を交わしながらも解体はそれから数時間に渡り続き、時折他の男達からもクロムは言葉数は少ないが次々と礼の言葉を送られた。
そして解体が終了し、持ち帰らない臓物の一部等は地中に埋められ処理されると、クロムは男達と共に素材と共に馬車の近くまで戻る。
最初はこちらに向かってくるあの黒い戦士を見て、鳴りを潜めていた恐怖を再び覚え姿を隠す者達もいたが、予めデハーニが説明し、そして妙に黒い戦士との距離感が近くなっているティルト、そして既に恐怖を感じていない表情の他の男達を見て落ち着きを取り戻していった。
そして、奥に控えていた馬車に細かく分解されたサイクロプスが積み込まれると、その馬車の様子を見て小さな笑顔を浮かべたデハーニが声を掛けてきた。
「なぁクロム。これからどこに向かうんだ?行く当てはあるのか?」
そう問われたクロムは周辺の景色をぐるりと眺める。
そして先程の笑顔が消え、それでいて何かに期待する眼をした真剣な表情のデハーニと視線を合わした。
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