第5話 舞い込んだ暴力

 ゆっくりと標的に向かって歩き出した966に浴びせられた咆哮には大量の血液が混じっていた。

 左胸の一撃で内蔵の一部も激しく損傷、その被害も未だ拡大しているようだ。

 荒い息遣いにも濁音が混じり、徐々に距離を詰めてくる「死」にまだ動く右腕を目一杯振り上げ、握られた拳を掲げると自分の強さを精一杯誇示する。


 それすらも意に介さない966の歩みが巨人の目の前で止まった。


 攻撃範囲で言えば圧倒的に巨人が優位だった筈。

 一方的に向かってくる黒いのを潰せた筈。

 何故攻撃しなかった、何故この距離まで接近を許した、何故動けない。


 巨人の単眼に焦り、後悔、恐怖、様々感情が入り混じり渦巻いている。


「やはり大きいな」


 自分の倍以上の体長を誇る巨体を見上げた966の口から、酷く冷たく平坦な感情の無い言葉が零れ落ちた。

 遥か頭上に位置する巨人の単眼がこちらを見下ろしている。


「すまないが時間が惜しい。終わらせてもらう。恨んでくれて構わない」


 おもむろに966が右足を半歩下げ、腰を落とし重心を下げ、両足が大地を掴む。

 浅い半身と共に、手刀を形成した右手がゆっくりと後方へ引き絞られていく。

 アラガミによって爆発的に増大し行き場を探し求め暴れる回るエネルギーと活性化した全身の細胞が、それらを覆い包む外骨格を無理矢理に膨張させ、各所からギチギチを不気味な音を発し始めた。


「ゴァァァッ!!」


 懐で急激に膨れ上がる強烈な威圧感。


 追い込まれた手負いの巨人はその身に巻き付く呪縛を引き千切るかのように叫び声を上げ、振り上げていた右腕を、血が滲むまで握り込んだ拳を全力で振り下ろした。

 洗練された拳打では無く、握り拳を叩きつける事による只の打撃、殴打。

 それでもその筋力と拳の強度から、どこに当たろうと只では済まされない程の威力。


 まさしく渾身の一撃。


 ドガァ!!!!


 遠くに避難し、震えながら固唾を飲んで様子を伺っていた人間たちが思わず顔を顰めてしまう程の衝突音。

 その斜め上から振り下ろされたその一撃は966の左肩に直撃し、上半身から下半身、そして地面へと凄まじい衝撃を伝え両脚を中心に地面に放射状のひび割れが発生、966の脚が僅かにめり込んだ。

 だがその渾身の一撃ですら966の装甲を傷つける事はおろか、体勢を崩す事すら叶わない。



― 攻撃確認 各部損害無し 衝撃吸収 問題無し ―



 防御態勢すら取らず平然と攻撃を受けた事、そしてその攻撃すら全く問題になっていない事。

 目の前で起こったその現実を即座に受け入れる事の出来ない一部の観客は顔色を変え、膝から崩れ落ちていた。

 それは攻撃を繰り出した巨人も同じ。


「面倒だから動かないでくれ」


 未だ左肩口から離れない頑強な巨人の腕を、966は左腕を外側から回して無造作に掴み引き寄せた。

 それだけで肩口と左手で固定された巨人の右腕は、966の左手と肩に挟まれた形となり万力で固定されたように動かなくなる。


 自分よりも遙かに小さな敵から感じ取れる力に、前屈みになったまま動けなくなった巨人は単眼を驚きで大きく見開かせた。

 次の瞬間、引き絞られていた966の手刀が放たれ、それは巨人の破壊された内出血で膨れ上がった左胸を大きな衝撃を伴って穿つ。


 鋭く尖った手刀の先端はグチャリという音と共に難無く巨人の身体に潜り込み、千切れた大胸筋、その奥にある砕け散った胸骨を切り裂き、更に奥まで突き進む。

 966の右腕が半分以上巨人の体内に潜り込み、手刀の先端が何か硬い感触のある物体に触れた。


「アアァァァァゴァァァァーーーーーー!!」


 巨人は半ば白目を向きながら全身を震わせ、頭部を半狂乱で振り回し、顔から様々な液体を振り散らして苦悶の叫びを上げた。

 そして次の瞬間、その叫びによって大きく開かれた巨人の顎が966の無防備な首筋に向かって繰り出され、硬い物体同士の衝突音が響き、966の肩と首筋に巨人の歯が突き立てられた。

 通常では聞こえてこない様な、金属音が響き渡る。

 巨人の口端から流れ出た涎と血液が、噛み付いた黒い身体を流れ落ち、地面に滴り落ちていた。


「破壊力の検証完了。損害無し」


 巨人の右腕を拘束していた左手を今度はつるりとした後頭部に添えると、966は力を込め、そのまま巨人の頭部を肩口に巻き込み、押し付けた。

 巨人が突き立てた歯は966の外骨格傷一つ負わせる事が出来ず、凄まじい力によって口腔内に肩が押し込まれ、顎が割り開かれていく。


 やがて増大していく966の腕が頭を巻き込む力に耐えられず、巨人の口端が裂け始め、限界を超えて力が加わった顎関節が遂には鈍い音と共に外れ砕けた。


「グモォォォッ...!モガァッ!!モガァッ!!」


 既に致命傷を負い、頭部と胸部を内側から掴まれ固定された巨人に抵抗する力は残されておらず、今出来る事はただくぐもった悲鳴を上げ、ありとあらゆる体液を垂れ流す事のみ。

 人間とは比較にならない程大きな巨人の歯が、966の膂力と規格外の強度を誇る外骨格装甲で擦り下ろされ次々と砕け散り、頭蓋骨も過度な圧迫によって歪んだしまった巨人の力が痙攣と共に抜け落ち始める。


 やがてその叫びも悲鳴から呻きへ、そして消えていく。

 966は先程、巨人の胸部内で触れた硬質の物体を右手で掴んだ。

 大きさは掌に同程度の硬質な球体の様だ。


 掴んだ物体の正体が分からない以上、今後の調査も含めて破壊する事は得策ではないと考えた966はそのまま引き摺り出す事を選択し、多少の抵抗はものの殆ど引き千切る形でその物体を巨人から無理矢理引き摺り出す。


 巨人の身体が最後に大きく痙攣し、短く息が口から洩れると同時に膝から崩れ落ち、そして完全に沈黙した。

 そのまま966に覆いかぶさり、その身を押しつぶそうと倒れ掛かって来た巨人の躯を無造作に跳ね飛ばし脇にひっくり返す。

 穿たれた胸部の穴からはゴボリと血液が溢れ出し、地面に血溜まりを作り出した。


「状況終了 戦闘システム 解除 偶発的な戦闘に備え待機状態に移行 アラガミ5式 待機」



― 状況終了 コア出力60% 維持 ―



 徐々に広がっていく血溜まりと物言わぬ巨人の死体を見下ろしながら、966は戦闘状態の解除を宣言すると、コアもそれを了承し赤い光を失った仮面が小さな音を立てて外れ、巻き戻るように後方へと戻っていく。

 右腕のみならず、全身に浴びた返り血や体液が混じった液体が静かに佇む966の肉体の凹凸に合わせて伝って落ちていった。





 まだ戦闘状態が継続する可能性は残されているが、状況的に致命的な問題に発展する気配は見えない。

 966を支配していた冷たい思考回路が急激に切り替わり、体内を暴れるように駆け巡っていたエネルギーが沈静化していくのを感じた。


 今回の戦闘でこの巨人の身体的特徴から放たれる物理攻撃の威力が判明し、以降、敵の脅威度を測る判断材料としての一つの基準となる。

 勿論、あくまで数少ない実践データの一部に過ぎないのだが、それでもこの未知の世界で最初に収集が出来た非常に価値のある情報だった。


 対象の殺害という結果に対する交換条件として全く問題の無いものである。

 966が戦闘結果に感情を伴った満足感を覚える事は無いが、それでも戦闘によって明確な成果を得たという事実が、戦闘の跡を色濃く残す身体に僅かな高揚感に似たものとして広がっていった。


 そして思い出したかのように、血まみれの右手に掴んでいた物体に目を移す。

 血液や何かの肉片を張り付かせたその物体は、その右の掌の中で静かに陽光を反射していた。




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