第4話 交戦開始

 戦闘現場から約300メートルの距離から駆け出し、瞬く間にその手前まで到着した966は物陰から状況を伺う。

 やはり戦っているのは巨大な人型生物と見た目だけで判断すれば近接武器で武装した人間の集団だった。


 性別も体格や声色から推定できる程に「人間」と酷似した生命体だ。


 何人かは既に事切れているのか血溜まりの中で倒れ伏しており、生きているものの中には致命傷に近い傷を負って悲鳴を上げている者もいた。

 対して大きな口から涎を垂らし、低い唸り声を発し周囲を威嚇する単眼巨躯の緑の巨人。


 武装こそしてはいないが、その異様に発達した手足から繰り出される肉弾戦闘は、容易に周囲の人間を屠る事が可能だろう。

 その体躯にはいくつもの切傷が走り、多少の出血が認められたがそれを意に介する素振りすら見せない。

 当然、966の中に該当するデータは無く、視界に正体不明の文字が浮かび上がっていた。




 コアが外見の情報から脅威度判定に始まり、骨格や筋肉を中心に構造を解析、そこから発生する攻撃に対し966がどれだけ損害を受けるか、絶えず演算を続けている。

 それに対する人間の集団は刃渡り1メートル程の直剣や手斧の近接兵装が中心で構成され、包囲の後方からは木製と思われる弓で遠隔武器で援護する布陣となっていた。


 仮にこちらが敵対した場合は巨人よりも楽に、問題無く「対処」が可能。

 巨人に正面から直剣で相対する剣士の男が何やら指示を叫んでいるが、その顔面からは血の気が引き、絶えず震える剣先からして恐慌状態に陥る寸前といった所か。


 巨人が目標を近くで傷を負い動けなくなっている別の男に狙いを変え、凶悪な前腕を振り上げた瞬間、男が裂帛の気迫と声を発し直剣で胴体脇腹に斬りかかった。

 だがその斬撃も浅い傷を負わせる事しか出来ず、それが逆に巨人の怒りに更なる火を付ける。


 振り向きざまにゴウという音を発し、怒りに任せた凄まじい力で振り回された巨人のの裏拳が、回避が遅れた剣士に直撃。

 剣士は直前で直剣の腹で防御したが、凄まじい膂力が生み出すその一撃が直剣もろとも胸に直撃、それに耐えきれず短い呻きと吐き、数メートルほど空中に放り出され後、地面に叩きつけられた。


 男は衝撃で折れ曲がった剣を杖に震えるその身を起こすも口から大きな血の塊を吐き、その姿は最早戦える状態に無く、明らかに致命の一撃を食らっていた。

 その様子を見せつけられた周囲の男達と奥に見える馬車のような物の中から悲鳴にも等しい叫び声が聞こえる。

 複数の人間が武器を構えつつ男に駆け寄り、男の崩れ落ちそうな身体を支え、何やら薬剤を飲ませていた。


 一様に浮かべるのは絶望の表情。


「頃合いか。介入する」


 966が物陰から姿を現す。



― 戦闘開始 アラガミ5式 システム解放 言語予測翻訳を起動 データ収集開始 ―



「なんだそれは?そのようなシステムに覚えはないぞ」



― 連邦軍追加改造手術 ユニット966 追加機能 言語学習予測解読 ―



「コア演算割合10%を限度とする 優先順位下層に設定」


 まずはこちらに注意を引き付ける。


 966は手頃な大きさの石を拾い上げ、おもむろに全力で巨人の顔面に向けて投射した。

 単純な投石だが、それを行ったのは強化改造された怪物であり、その腕から投射された威力は投石のレベルを遙かに超えている。

 弾丸と化した石は巨人の側頭部に着弾、盛大な破裂音を響かせ粉々に砕け散り、その破片は削ぎ落とした巨人の皮膚と血飛沫と共に宙を舞った。


「血液は人間と同じく赤か」


 966の小さな独り言は、突然の衝撃と耳を含めた側頭部の皮膚が毟り取られる激痛によって発せられた巨人の絶叫で掻き消える。

 何が起こったのか理解が出来ず、片耳を失った単眼巨人が両腕を滅茶苦茶に振り回す。


 周辺の人間は一瞬の出来事に呆然とし、そしてゆっくりとその投石の主に向かって視線を集める。

 不意の攻撃を食らった巨人も激痛を怒りで上書きした単眼を血走らせ大きく見開き、その身体を966に向け、容赦無い威圧と殺意を放射した。


 強制的に意識をこちらに向ける事に成功した966は、言葉が通じない以上ジェスチャーで意思疎通を試みようと、未だ驚愕の束縛から解放されていない周囲の戦士に向かって人差し指を突き付けた。


 まだ動けそうな二人を選別し、人差し指をそれらに向けこちらを認識させる。

 目を丸くしている二人を指刺した次にその指を、ゆっくりと荒ぶる巨人の近くで動けずにいる負傷した男へ移動させた。

 それをもう一度、明確な意思を乗せてそれを行うと、どうやら二人はそれを理解したようだ。


 2人は巨人の動きを警戒し、接近するタイミングを伺い始めた。




 966はそれを確認すると、投石を無造作に再開。


 同じように全力で今度は大きな胴体に狙いを定めて拳大の石を再び投射した。

 音速を超えんばかりの速度で投射された石をこの距離で瞬時に回避出来る訳もなく、巨人の左胸に石が着弾、今度は砕け散る事は無くガボンという鈍い湿った音が響き血肉がまたも飛び散った。


 石は半分ほど巨人の左胸にめり込む形でささくれ立ったクレーターを形成、停止。

 巨人の大きく開かれた太い牙の並んだ口から、今度は血反吐と絶叫が溢れ出す。

 やはり構造からして各部筋肉が異様に発達している為、それが致命傷に至るのを防いだようだが、着弾の衝撃は防ぎきれず内部構造には深刻な損害を与えたようだ。


 先程の一撃で大胸筋が大きく損壊したようで、左腕がダラリと垂れ下がり攻撃手段としてはもう役に立たない事が見て取れる。

 結果、左腕を破壊した事による衝撃と苦痛は、巨人の攻撃範囲と警戒網に大きな隙を生んだ。


 二人の男がそれを察知して負傷者の元に急行、抱え上げて素早く後ろ歩きで危険領域を離れていく。

 こちらを見る負傷者を含めた三人の顔は未だ驚愕と大きな衝撃が抜け切れていない。


 激痛と損傷で巨人も当然その行動に気が付いてはいるが、目の前にいる謎の黒い脅威から意識を外せる訳も無く、逃亡を意識するも先程の投石の脅威からそれも選択出来ずに居た。


「グ...グォォォォォォォォォォッ!!」


 涎と血反吐を吐き散らしながら、大きく開いた口から966に向かって咆哮が絞り出される。

 その声は既に圧倒的強者のそれとは程遠く、この場から逃げる事も叶わない、確定した死の恐怖と絶望に塗り潰された慟哭にも似たもの。


 966はその声を聴き、同じような声が幾つも響いていたかつての戦場を思い出す。

 命が消える寸前の戦友を庇い、血に染まった966の拳を見上げ、必死の助命を嘆願する敵兵士。

 ただ今の殺戮機械と化した966にはそれに対して哀れみも慈悲も、どのような感情も沸き上がってこない。


 沸き上がるのは明確な殺意とその結果を生み出す為の行動予測のみ。


 そんな過去の情景を思浮かべていると、視界の端に先程吹き飛ばされたリーダー格と思われる剣士の男が入って来た。

 先程の状態から回復したように見えるが、あの口にしていた薬剤がその原因だろうか。

 966はこの剣士に攻撃意思があるなら、即座に対応するよう僅かに向きを変えた。



― 脅威判定 問題無し ―



 即座にコアがそれを否定する。


 完全回復には程遠い様子ではあるが、構えた剣は明確に巨人に向かって向けられ恐怖と戸惑いが混じる視線がこちらに向けられていた。

 この機を逃さず966は人差し指をまず自分に刺し、それからゆっくりと目の前の恐怖の呪縛から抜け出せずにいる巨人に向けた。


 そして再び指を戻し、今度は親指で首を掻っ切るジェスチャーを行う。

 966が動きを見せると最大級の警戒をしていたのか男の身体がビクリと大きく震えた。


“こいつは俺が殺す”


 966の緑の双眸に射すくめられている男の反応も意に介さず、もう一度、再び明確な意思を乗せてゆっくりとジェスチャーと繰り返す。


 本当は殺害の許可もしくは是非を求める方が正解なのだろうが、端的に行えるジェスチャーではどうしても伝わりそうになかった。

 この状況で疑問符を表すのに可愛らしく小首を傾げる訳にもいかない。


 後、僅かな可能性の話だが問答無用で殺害した場合、この巨人がこの地域での重要な立ち位置に居る存在、保護対象や所有物に指定されているならば殺害は明確な敵対行為になり、そして人間側がこの場で敵として相対するならば皆殺しを選択する必要が出て来る。

 この状態の966に敵対すれば、問答無用で敵には分け隔てなく「殺されるとういう現実」が待っているのだ。


 ジェスチャーと966の意思を向けられた男の眼が大きく見開かれ、痙攣にも見える程に素早く顔が縦に振られた。


「脅威度判定にて情報収集を行った後、対象を殺害するものとする 戦闘システム 防御態勢」



 ― 外骨格装甲 各部 異常無し ―



 緑の双眸と無数の明滅する赤い眼を揺らしながら966は眼前の排除対象に向かって歩き始める。

 緩やかに接近する確実な死を予感したのか、巨体を震わせた目標から絞り出された特大の咆哮が966に向かって放たれた。




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