第3話 駆け抜ける黒い兵器
尋常ならざる脚力を駆使した跳躍で高台から一気に飛び出したその第一歩は、軽く200メートルを超える大ジャンプとなった。
戦闘システムの根幹を担うアラガミ5式がその稼働率を上げ、空中での完璧な姿勢制御を行い、コアは着地予測の演算を開始する。
黒い身体が大気を切り裂き、風切り音が耳を鋭く撫でる。
手を大きく広げ、空中で姿勢制御を取りながら落下、そして着地。
その着地の衝撃は大地に大きなひび割れを残し、そして間髪入れずに前方へと駆け出した966の踏み込みによって粉砕された。
目標地点手前1キロまで猛然と駆け抜ける966。
966の取り巻く環境は何一つ変わっていないが、前に動く事が出来た事、そんな些細な事に僅かな高揚感を覚えてしまう。
ほんの前まで死刑に近い刑罰を何の躊躇いもなく受け入れたのも関わらずだ。
「感情と思考の制御が前より甘くなっているのかもしれないな」
気を抜けば大地を蹴る脚に更なる力を込めてしまいそうになる事に気が付いた966は思わず呟いてしまった。
思考制御を強めて限りなく感情の発露をフラットにする事も可能だが、そこには明確なデメリットも存在する。
思考制御開発段階で判明したのだが、感情を完全に抑制し続けた被検体が完全に無気力化、その果てに廃人化する事例が高確率で発生するという実験結果が出ていた。
感情の他、食事や普段の何気ない仕草や行動等、日常生活の中で行う行動を過度に抑制した結果、精神や自分自身の自我の認識に齟齬が発生するという。
勿論、それを克服する形で強化改造に成功し、アラガミ5式という狂気の産物を身に宿した966のような成功例もあるが、たった一人の完全無欠の兵士よりも複数の安定感がある程度保証される優秀な兵士が戦争で好まれるのは、当然の事だった。
966にとってもより長期間安定した作戦行動を実現するためには、多少の思考制御の甘さは受け入れるべきと判断していた。
独り言も口にするし、多少の感情の発露も許容する。
それが戦場で殺戮を繰り返し、生き抜いてきた966の最終的な見解だった。
― 目標地点 残り1キロ 周辺に接近反応 無し 目標地点 戦闘音 確認 ―
急制動で踏ん張った脚がまたも大地を傷付ける。
集積した音声データを解析すると、金属音と叫び声、唸り声に似た波長の音が目標地点付近で断続的に発生しているようだ。
コアは高確率で戦闘が発生していると判断し、コア稼働率を50%から70%まで上昇させ、戦闘システムの演算を優先させる為、各種解析によって発生した負荷を増やした余力に逃がし始めた。
「戦闘状態を目視出来る地点まで前進 情報収集に必要であれば戦闘に介入 接触を図る」
― 了解 コア稼働率分配 自動制御 戦闘準備 ―
コアの戦闘準備の宣言に反応して全身に僅かな脈動が始まり、四肢の末端まで伝わっていく。
強化外骨格がこの時を待ち焦がれたかのように、全身の各部位を引き締め、戦闘を予感した筋肉や骨格を縛り上げる。
966の感情発露が完全にフラット化され、心無き完全な戦闘兵器として、ここに兵士の一つの完成形とも言えるモノが出来上がる。
「行動再開 前進」
再び966は地面を蹴り、駆け出した。
ここからは可能な限り、存在感を抑えながら木々を躱し目標に向かって速度を上げていく。
目標地点に近づくにつれて、音響センサーの拡張が出来ない966の聴覚にも金属音や衝突音が感じられ、やはり何かと何かが戦闘状態にあるようだが、詳細は不明のままだ。
この速度で前進すれば到着まであと数分といった距離まで接近した所で、嗅覚センサーが懐かしい臭いを捉えた。
血の臭い。
解析するまでもなく、断言できる程に嗅ぎ慣れた臭い。
意識内にスキャンに映し出される光点も情報も解析と共にその数と正確性も増えていき、そこには何らかの生命体が大小合わせて10体以上存在してることもわかった。
周辺の地形情報からそれらを安全に見渡せる場所を探し出し、目標から300メートル程離れた場所に岩場の高所を発見。
まずはそこに陣取る形で隠れ、その様子を伺う事にした。
「人間に見える生物と...なんだあの生物は」
そこには人間と外見が似ている生物が12体。
加えてそれらが身長4メートルはあろうかという1体の巨大な人型生物を取り囲んでいる。
漂う戦場の臭いと喧騒が戦闘状態であると確信出来た。
衣服を身に着け、手には近接武器らしき物で武装する集団は明らかに966の知る人類であったが、それに相対する薄緑色の体表をもつ巨大な人型生物は今まで見た事も無い。
巨体と全身を包う発達した筋肉。
一目見てわかる高い戦闘力を誇るであろう肉体構造。
頭部には頭髪は無く、大きな一つ目に発達した犬歯が覗く口。
966はその悍ましい姿を見て、かつて所属していた帝国軍の新型生物兵器、もしくは実験失敗による奇形生物を即座に予想した。
― 中型生命体 発声言語は不明 知的生命体であると予想 生命体A ―
― 大型人型生命体 該当データ無し 正体不明 生命体B ―
帝国が誇る最高峰の生物兵器である966の全身を覆う強化外骨格は、旧世代の火器を例に挙げれば、例え戦車砲の砲弾の直撃でも損傷させる事は困難。
勿論、直撃すれば衝撃は加わるがコアの演算とアラガミ5式であれば衝撃を逃がす以前にまず当たらない。
科学技術の発展で生み出された強化改造人間に対して射撃兵器は有効手段にはならず、接近戦闘における肉弾物理攻撃が最も有効という、最終的に技術進歩に対して反比例した太古の戦闘方法に帰結していった。
実際に強化人間同士が戦場で戦うと、周囲に瓦礫と巻き込まれた兵士の死体を積み上げながら三日三晩殴り合うという、馬鹿げた現象が引き起こされる。
戦闘での損害発生は極めて低い事が判明し、後はどのような形で介入し交渉と情報収集の可能性を見出すか。
最悪の場合、もの言わぬ死体からでもある程度の情報は入手が可能。
まずは知的生命体と思われる生命体Aと接触を試みる。
その為に戦闘に介入、その後、生命体Bを状況によっては殺害する。
以上。
「これより戦闘に介入する 目標 情報収集と交渉の可能性がある生命体Aに対する戦闘支援 生命体Bの無力化もしくは排除 戦闘システム 起動 アラガミ5式 システム解放」
― 戦闘システム起動 コア戦闘支援 開始 ―
966の緑の双眸が力強く光を放ち、禍々しく光を反射する黒い装甲に包まれた全身がギシリと軋み唸りを上げ、全身にエネルギーが駆け巡る喜びに全細胞が歓喜した。
「戦闘開始」
実際に口から出た言葉と共に高台より飛び出た966は一直線に、懐かしい香りのする戦場に躍り出た。
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