挫折と失望

「人類はみな平等であるって何だっけ」

亜瑠が唐突に尋ねる。

「あー。天は人の上に人を造らずってやつ?福沢諭吉」

僕はそっと答える。特に何故と問うこともなく。

僕らがこの河原でこんな話をしだしてからもうどれくらいたっただろう。

何の変哲もない学校終わりの夕暮れ時である。

「そういう人にこの世界はどういう風に見えてたんだろう。普通に生きてれば、そうじゃないってわかるのに」

僕たちを友達と呼ぶにはあまりにも色々なことが足らなさすぎる。

今となってはごくごく普通の高校生の僕だが、中学生の頃は地元ではそこそこ有名なスプリンターだった。高校入学後も陸上部に入ったが結局一年の終り頃に辞めてしまった。それでも僕には、普通に友達もいて彼女もいて、毎日学校にもちゃんと行くし、勉強もやらない割には普通くらいにはできたと思う。

ただ僕はいつも満たされない何かを感じていた。

一方亜瑠には特段仲のいい友達もおらず休み時間には時代遅れな分厚くて、古びたCDプレイヤーを聴いていて、安っぽくて音の悪そうなヘッドセットでその両耳はいつも塞がれていた。学校に来ていない日もあったりしたがクラスメイトや担任も特に気にするでもなく、むしろみんな少し気味悪そうに亜瑠を避けていた感じだった。

前髪で覆われていてほぼほぼ覗くことができない目、華奢な身体にその不健康そうな青白い肌、確かに亜瑠の外見は少しというか、かなり不気味であった。

そんな言わば対照的な僕たちが初めて言葉を交わしたのは二年生になってからまだ間もない頃だった。

陸上部に属していた頃は先生や友達に校内で話しかけられたり、近所の人から応援している、と買物袋からおもむろに抜き出した品物を無理矢理渡されたりなどして、自分でも気分が良かった。家の壁には大会で入賞した時の賞状やトロフィーが高々と飾られていて誰かが家に来るといつもその話題になり、親はとても謙遜しながらも自慢を交えながら僕の話をしていた。ただスプリントを辞めたことで自分に対する周囲の期待というか関心も驚くほど薄らいでいき、僕は何の取柄もない普通の高校生に成り下がってしまった。壁に飾られた賞状たちもすっかり埃を被り、まるで今の自分自身をそのまま描写しているようだった。特に父親とはそのことが原因で口をきくこともほとんどなくなった。僕にスプリントを始めさせたのは他でもない父親だったからである。陸上部を辞めてから家の雰囲気はがらりと変わってしまった。

もともと足が速い方だった僕は小学校三年生の時、運動会のリレーでアンカーを嫌々任された。最下位でバトンを受け取ると、そこから三人を一気にごぼう抜きしてそのまま一位でゴールテープを切った。その日、間違いなく僕はクラスでスターだった。あの時以上の高揚はスプリントを始めた後ですら感じたことはなかった。周囲の歓声、風を切る音、自分だけを照らす太陽。

何も考えず無心で目の前の背中を追いかけ、気が付けばゴールテープを切っていた。自分が他の誰よりも驚き、無心で立ち尽くす僕にクラスメイト達が喜びのあまり飛び掛かって来た。その時初めて自分が一位になったことに気が付いた。それくらい僕はただひたすらゴールまで駆け抜けた。そして僕に抜かれたやつの一人が両手を膝につき、息をひどく切らせながら「化け物だ」と一言漏らした。それを一部始終見ていた父は僕にスプリントしてみないかと聞いてきた。

昔からスポーツ好きだった父の影響で色々なスポーツをして遊んでいた。特定の何かに熱を入れてやるというわけではなく、キャッチボールをしたり、サッカーでボールを我武者羅に追いかけたりしていたくらいで楽しいという感覚でしかなかった。僕はまたその一環かと思い、特によく考えることもなく二つ返事で「うん」と答えた。特にこれまで勝敗にこだわることもなかったが、少なくとも勝つことに対する快感や執着みたいな人格形成はその三年生の時の運動会で芽生えたのだろうと思う。

そして父親との猛特訓が始まった。

その日から自分の中でスポーツが競技となった。

毎日のように近所の公園で走り込みをしてはタイムを測り、あーでもない、こうでもないと指導され、その界隈では名物親子みたいになっていた。僕は少し恥ずかしかったが、父の必死な姿と、縮まっていくタイムをモチベーションにひたすら走り続けた。

父は特に陸上に精通しているわけではなく、むしろ素人であった。それでも、僕のために本屋でスプリントに関する書物を買いあさり、会社で学生時代に陸上をやっていた同僚や後輩がいると色々聞き出してはノートに書き留めていった。

僕が高校の陸上部を辞めてからまだ間もない時、そのノートを一度だけみたことがある。正確にはボロボロに破かれていてほとんど見られるような状態ではなかったが…。お世辞にもきれいとは言えたものではなかったが、それでもデータなどがそのノートにぎっしり埋められていたのがわかった。それを見た瞬間から自分の存在価値、家の中での居場所を失ってしまった思い、自分の中の張りつめていたものが切れる音がした。そしてそう思ったのは家の中だけではなかった。

実際、スプリントをやっていて辛いことばかりではなかった。才能があると父親や周りからはやし立てられ、走れば走っただけみるみる縮まっていくタイムを目の当たりにしたり、他の者を抜き去る瞬間に横目で見るあの感じは大袈裟でなく、まるで地球が自分のために回っているような感覚を覚え、父の満足そうな顔を見るのもその当時の生き甲斐であった思う。ただ、何かを継続していると人は必ず壁に直面する。僕はその壁に一度も背をむけたことはない。いつも超えるべく試練として貪欲に挑戦し続けた。ただ幼くして体感したことは恐らく、自分はこんなにも努力し続けているのに常に周りには自分を超える存在がいるというやった者にだけわかる紛れもない現実であった。それは一般的に言われる泣き言や弱音などというものではなく、しっかりと自分の目の前に立ちはだかっていたのである。そしてスプリント程それが露骨に表されるものも少ないだろう。理屈はない。自分より前を走るものが壁なのである。周りの同級生達が遊んだりしている時間も僕は走ることに費やしていた。父も一度として、お前の努力は足らないからだ、などと努力を咎めるようなことは言わなかった。僕の背中をポンと叩いて「次だな!」と言う。これが負けた時の父の決まり文句だった。その度に父に対する罪悪感そして負けることへのプレッシャーが僕の小さな体に徐々に蓄積されていった。始めた頃は楽しかったはずのスプリントも気が付けばただの習慣となり、良いタイムを出しても嬉しさよりも安堵感が先行し、父親の努力を無下にせずに済んだという思いや自分の居場所みたいなものを守るために走り続けるようになっていた気がする。

僕には少し年の離れた姉がいるが、不思議と自分とは対照的に底向けに明るい性格を持っている。全く同じ家庭環境で育ったにも関わらず、なぜこんなにも人間性に違いが生まれるのか。とても卑屈に感じながらも羨ましくもあった。いつも日焼けと世間体だけが悩みのように見えて、明日世界が終わるとしても、恐らく紫外線を気にして日焼け止めを塗り、肌のケアを欠かさないような人種だろう。しかもそのことを対外的には感じさせないしたたかさを持ち合わせていた。

中学までは同じ学校に通っていて姉を受け持った先生たちからは、「あなたが柴田さんの弟さんね。期待しているから頑張ってね」と具体性のない期待を無駄に持たれたりすることが至る所であり、いちいち煩わしかった。高校からは別の学校に通い出したのでこれでやっと解放されたという安堵の気持ちを持ったことを今でもはっきりと覚えている。

要領を掴むことに⾧け、割と何でも器用にこなし、人当たりも良い姉を知っている周りの人たちは僕を見るとその期待外れ感みたいなものが露骨に表情や態度に出ているような気がしていた。そして僕は姉がスプリントを始めるのではないか密かに恐れていた。今思えば、無駄な心配だったが、当時は本当に怖かった。もしも姉がスプリントを始めたら恐らく僕よりも優れたスプリンターになっていたのではないだろうか。そうなれば僕がやっと得た親からの唯一の関心さえも奪われるのではないかと思ったからだ。でも日焼けを気にするそんな姉がスプリントなんかに関心を示すはずもなく、完全に自分の通り越し苦労だったが、それがなくても結局スプリントを辞めてしまっている自分が改めて途方もなくみじめに感じてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ローリーはいつも曇りで かわふしちょう @kawafushi-cho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ