虚構の夏休みは盛大な花火と共に

 今の時刻は午後八時四十五分、歩いていては待ち合わせる場所まで三十分かかってしまう。このままでは黒澤さんに会うことはできない、目に涙が浮かぶ。


 どうすれば良いのか分からなくて途方に暮れていると、自転車の走る音が聞こえた。


「藤島くん、何してるんだい?」


「──なるほど、君も展望台の方に向かっているんだね。あそこの展望台から見える星は綺麗だよな。実は俺も家族とそこで落ち合う予定でさ、連れて行ってあげるよ」


 武藤さんだった。新聞配達をしている時のいつもの自転車で、カゴにはケーキか何かだろうか、色々なものが詰め込まれていた。


「ありがとうございます」


 僕は鼻を啜りながら感謝した。


 しばらくは順調に進んでいたが、残り半分くらいまで行ったところで武藤さんの足が止まる。どうやら最短のルートが行き止まりになってしまったらしい。


「くそ、行き止まりじゃないか、このままじゃ展望台に間に合わない!」


 どうすればいい、僕は思案を巡らせた。不意に黒澤さんと神社に行った時のことを思い出した。もう今は神に祈るしかない。


 そういえば大吉のおみくじに書いてあった気がする。『困った時は急がば回れなど考えずに突き進みなさい』


 突き進むといっても、この行き止まりは通れそうにない。あたりを見渡すと、左の方に見たことのあるお墓が見えた。おみくじが当たった。少し神様の存在を信じたくなった。


「武藤さん、あそこにお墓があるんですけど、あそこ、突っ切れますか?」


 僕の訳のわからない言葉に武藤さんは驚いた表情を見せた。


「俺のテクニックなら可能だが、お墓を自転車で突っ切るなんてやって良いのか?」


「この際ですし、あのお墓なら、いい気がします」


 すぐに武藤さんは自転車を漕ぎ始めた。お墓を突っ切っている途中、老夫婦がいたずらっぽく笑いながらこちらを見ていた気がした。


 八時五十八分、天文台まで残り五百メートル。


「最後の最後で子供たちに会えないなんて、絶対に嫌だ!諦めるわけには!」


 彼は泣きながら自転車を漕ぎ続ける。少しでも時間を短縮するには後ろに僕が乗っていては邪魔になるだろう。


「武藤さん、僕を降ろしてください」


「バカ言うな!どうせあの彼女に会いに行きたいんだろ!一度乗せたんだ、最後まで送ってやる!」


 その言葉を聞いてまた涙が出る。そうだ、僕は黒澤さんに会わないと。


 八時五十九分、携帯に通知が来る。


『ありがとう、翔馬くん。最高の夏休みだった』


 目から涙が次々とこぼれ落ちていく。嫌だ、最後に会えないなんて。会いたい、もう一度。


 携帯にもう一件通知が来た。


『全国の大学生が合同開発した対隕石用ミサイルが隕石に命中したとみられる。これにより隕石の落下予定時刻は午後九時二十分となった』


 白岩さんの顔が浮かんだ。彼らは諦めなかったのだ。彼らの頑張りは、少なくとも僕たちのことを救ってくれた。


「──よし、着いた。後は、頑張れよ」


 武藤さんはガッツポーズをする素振りをした。目元が涙で赤く腫れていた。


「ありがとうございました、武藤さん」



「──お待たせ、黒澤さん」


 黒澤さんは芝生の上で体操座りをして空を見上げていた。僕が声をかけると、満面の笑みでこちらに振り向いた。


「おかえり、翔馬」


「私たち、白岩さんに助けられちゃったね。やっぱり諦めないことって大事だねー!」


 言葉を返そうと思ったが、嗚咽でうまく話せない。


「泣いてるの?」


「だって…こんなの…、ごめん、黒澤さん」


「前から思ってたんだけど黒澤さんってちょっと固くない?下の名前で呼んで!」


「…美空、また会えて良かった」


「んふふー、いい感じ!」


「めちゃくちゃ綺麗だねー、星空」


 プラネタリウムで見たことがあるような、いや、それよりも綺麗な星空だった。


「もうどの家も電気が止まってるからね、都会でもよく見える」


 僕たちの後ろに夜の赤い太陽が迫ってきているのもよくわかる。


「私、この夏の間、色々な人の生きたい理由を聞いてたでしょ?子供のためとか、思い出を残すためとか、後悔しないためとか!なんでだと思う?」


「さあ?」


「わかんない?正解はねー、私に生きたい理由をくれた人が、生きたい理由を無くしてたから!最後に学校に行った日の翔馬くんは生きるのに疲れたとかもう隕石で死んでもいいやーって感じで見てて辛かったの。今はどう?あの時から何か変わった?」


「生きたいと思うし、これで死んでしまうとも思わないよ。色んな人の生きたい理由を聞いてきたけど、一番身近にいる美空の希望に満ち溢れた目が、僕を変えてくれたんだと思う」


「え、この目?」


 彼女はこちらに顔をぐいっと近づけてくる。綺麗な瞳だ。


「ち、近い…」


「あ、ごめん!」


  慌てて顔を離した彼女は顔を赤くしていた。


「あのさ、僕も夏休み楽しかったよ、最高だった」


「もう!すぐ過去形にしない!明日はキャンプだからねー、ちゃんと準備しなよ!」


「うん」


 目から溢れ出る涙が止まらない。十分泣いて、目も頭も痛いのに、涙が止まらない。


「隕石が衝突するのが怖いんだ。僕は今生きたいから。まだ君と夏休みを過ごしたい」


 死ぬのが怖いのは、僕が生きたいと思っているから。守りたい、大切なものができてしまったから。僕も、彼女も、涙が止まらない。


「新手の告白?ふふ。うん、私も怖いよ。みんないなくなっちゃうかもしれないんだし」


 彼女は泣いていたが、同時に笑っていた。彼女はこの夏休み、ずっと僕に笑いかけてくれた。彼女のその笑顔はどの星よりも明るく映った。


 夏休みを一緒に過ごした思い出が蘇ってくる。たわいもない、ただの楽しかった思い出だけれど、それが僕の涙を誘った。


「ね、隕石衝突の瞬間ってどうするのがベストだと思う?写真撮影?それともキスかな?」


「一緒にいればそれでいいかな」


 僕としたことが、陳腐なセリフを言ってしまった。しかし彼女は照れたのか、頬を赤らめて笑った。こんな感情、今日までなかったはずなのにな。


「はい、これ」


 僕は彼女にぬいぐるみをあげた。劇画風のクマで、なんともいえない渋さだが、良い出来栄えだ。


「これ、私の好きなやつ。いつの間に買ったの?」


「賢哉が渡してやれってさ。あいつこのシリーズのファンだから未開封のグッズをたくさん持ってるらしいんだ」


「ふふふ、賢哉くんは、嘘つきなんだね。このぬいぐるみ、一人一個の限定品だから、人に渡していいようなものじゃないよ」


 美空は嬉しかったのだろうか、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。それにしても賢哉のやつ、僕はお前に一度も嘘をついたことはないのに…、いや、一度だけあるか。


 僕は今もお前の親友だ。


「──あと二十秒。…私と一緒に遊んでくれてありがとね、大好きだよ」


「僕も、人生最高の夏休みだった。好きだよ、ありがとう」


 分かった気がする。僕はこの虚構の夏休みが始まったその瞬間から、彼女に恋をしていたんだ。真っ直ぐ未来を見続ける彼女の瞳に、恋をした。彼女が見ていた希望を、僕も見てみたかったから。


 抱き合ってお互いの胸で泣いた。

太陽が美しい星々を覆い尽くすその時まで。


死ぬまでに何かやりたいことはあるだろうか






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もしも地球が滅ぶなら 大根のおひたし @rstrman

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