第15話 平城宮跡
今日は、平城宮跡をご紹介しますね。ここ、知り合いの人が、「行っても、なぁんにも無いところだよ」と言っていたので、ボク、行きたくなりましたぁ(笑)。
ここは、正式には、「国営平城宮跡歴史公園」と言います。ご存じ平城宮の施設を復元した公園なんですね。平城宮跡地では、長期間にわたって調査や復原整備が進められてきており、東西1.3km、南北1kmの広大な敷地に第一次大極殿、朱雀門などが復原されています。以上、ネットからの受け売りでぇすぅ(笑)。
しかし、東西1.3km、南北1kmですか!・・なんとも広いですね💦 最寄り駅は、近鉄の大和西大寺駅ですが、歩いて20分ほどかかりますので、バスが便利・・と、これもネットに書いてありましたぁ。
位置関係は、JR奈良駅や近鉄奈良駅から見ると・・東大寺や奈良公園はこれらの駅の東側になりますが・・平城宮跡はこれらの駅のずっと西側ということになります。したがって、奈良公園からはちょっと遠い場所ですね。
では、平城宮跡のHPから、公園の概要を抜粋してみましょう・・
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約1300年前、この場所に平城宮が築かれ、今に続く律令国家としての国づくりが完成しました。ここには宮を構成する重要な遺構が奇跡的に遺っており、発掘調査・研究の成果をもとに往時の平城宮の姿を復原できる「特別な場所」となっています。
園内は大きく分けて本公園の正面玄関となる「朱雀門ひろば」を中心とした観光拠点ゾーン、本公園のシンボルゾーンとなる「第一次大極殿」を中心に復原施設や遺構展示物があります。また、春の桜、夏の5万羽を超えるツバメのねぐら入り、秋の黄金に輝くオギの穂、冬の星空など、地下に眠る遺跡の上に広がる自然環境も見どころのひとつです。
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では、今日の近況ノートをご覧ください。
https://kakuyomu.jp/users/azuki-takuan/news/16818093084453271029
①番から③番の写真は、HPの記載にある『朱雀門ひろば』の中心である『朱雀門』です。黄色の矢印で示しています。それでは、今度は・・朱雀門の説明を公園のHPから抜粋してみましょう。
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朱雀門
平城宮の入口には羅城門があり、74m幅のメインストリートである朱雀大路を北へ3.7km歩くと、突き当りが平城宮の正門「朱雀門」でした。現在の朱雀門は1998年(平成10年)に復原されました。間口約25m、高さ約20mの入母屋二重構造です。
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朱雀門には修学旅行生がたくさんいました。③番の写真ですね。
ここで、余談ですが・・
③番の写真の、階段の右に緑色の上着を着た、おじさんが写っていますね。紫色の矢印で示した人です。
この方は、ボランティアのガイドさんです。ボク、駄作「ボクのよかったこと日記」の「第242話 9月6日(金) 奈良の都のガイドおじさん」で、奈良のボランティアの観光ガイドの方の話を書きましたが・・・このように、奈良ではボランティアのガイドさんが、たくさんいらっしゃいます。
ちなみに、③番の写真の方は、前記「第242話・・」で書いたガイドさんとは別の方ですよ。念のため・・(笑)。
尚、「第242話・・」は以下のURLになります。
https://kakuyomu.jp/works/16816927862654115962/episodes/16818093083787776498
さて、③番の写真の朱雀門に立って・・北を眺めたのが、④番の写真です。はるか向こうに、ピンクの矢印で示した建物が見えていますが・・これが『大極門(第一次大極殿院 南門)』です。以下、大極門をピンクの矢印で示しますよ。
④番の写真で・・大極門の手前を走っているのは、なんと近鉄電車です。白の矢印です。
この広大な公園は、中を近鉄電車が走っているのですね。ただし、駅はありません(笑)。。駅を作ってくれたら便利だったのに💦(笑)
⑤番は朱雀門から、さっき見えていた大極門に続く道です。写真を撮った場所は・・④番の写真の、近鉄電車の線路を踏切で渡ったところになります。ピンクの矢印の大極門が向こうに見えていますね。近づいたので、④番の写真より少し大きく見えています。
さて、⑤番の写真に写っている観光客のお兄さんは、ボクの知らない人です。お兄さんはナップサック一つで、サンダル履きという軽装ですが・・この公園は、とにかく広いので、こういう軽装がお勧めです。そして、向こうからやってくるのは、修学旅行の団体さんですね。
⑥番が大極門の写真です。大極門はアホバカcopilotに説明してもらいましょう。
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アホバカcopilot
大極門(第一次大極殿院 南門)は、奈良時代の平城宮における重要な門の一つです。この門は、第一次大極殿院の正門にあたり、入母屋造(いりもやづくり)の二重門として復元されています。
(特徴)
構造:入母屋造の二重門で、間口22.1m、奥行き8.8m、高さ約20mと、朱雀門よりやや小さいです。
歴史: 第一次大極殿院は、奈良時代前半に国家の重要な儀式が行われていた場所で、大極門はその南側の正門として機能していました。
復元: 2022年3月19日に復元が完了し、現在は観光名所として公開されています。
(見どころ)
扁額:大極門の扁額は、上辺の額縁が左右に突出し、左右の額縁に脚がついている独特の形状をしています。
鴟尾(しび):高さ約1.5m、重さ約480kgの青銅製で、漆を塗った上に金箔が5層重ね押しされています。
この門は、奈良時代の建築技術や文化を今に伝える貴重な遺産です。ぜひ一度訪れてみてください!
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⑥番の写真で、大極門の右横に囲いがあります。これは、昔、大極門の両脇に東楼・西楼の楼閣が建っていたのですが、その東楼の復原整備工事が進められているのだそうです。復原が楽しみですね♪
実は、この大極門は、平城京で当時なんと呼ばれていたか正確には分かっていないのです。そこで、日本や中国の宮殿等の事例研究から『大極門』と名付けられたという話です。HPなどでは、『大極門(第一次大極殿院 南門)』と書かれていることがありますが、これはそういう理由から『大極門』が正式名称ではないので・・『第一次大極殿院 南門』という注釈が入っているんですね。
さて、⑥番の写真で、大極門の門の中に・・向こうの建物が小さく見えています。オレンジの矢印です。
これが大極殿です。では、公園のHPの説明です。
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大極殿
正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になりました。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。
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⑦番が大極殿です。側面からの写真を⑪番に示しました。大極殿の中には、歴代の天皇陛下が即位のときに使われる
⑩番は、公園の一画から見た大極門です。
とにかく、平城宮跡は・・広い・・広い・・
さて、今日はここまでです。
今日もお付き合いをいただいて、ありがとうございましたぁ~💛
(つづく)
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