違う絶対あたしじゃない

 寺沢さんの前髪が、あたしの顔に触れている気がする。


「あ、あの、黒髪のことなんだけど」


 近づきすぎた寺沢さんの顔にドキドキしたせいか、思わず口にしてしまった。


「うん」


「あたし、こんな髪の色じゃん」

「うん」


「それでさ、小学生の時、クラスメートに無理やり髪を黒く塗られたことがあったの」

「うん」


 なんか、寺沢さんの「うん」に誘われるように言葉がするすると出てくる。


「その時、押し倒されて、何人もの生徒に囲まれて、すごく怖くて」

「うん」


「今でも、夢を見るの」


「そう。でも、墨汁じゃ洗濯とか大変だったでしょ?」

「それは、学校がお金を出してくれたから」


朱巳あけみさんは、自分の髪の色、きらい?」


 寺沢さんは、「うん」ではなく、質問をしてきた。


「うーん、好きかも、きらいかも」

「どうしてそう思うの?」

「あまりいい思い出がないからかな」

「そっか。私は好きよ」

「ありがと」


 少しの間が空いた。相変わらず寺沢さんの顔は近い。寺沢さんは、少し身体を起こすと、右手で自分の髪を耳にかけた。髪の毛は短くても、耳にかけると、ちょっとイメージが変わる。


「じゃあ、犯人捜しをしないとだね」

「いいよ、大丈夫だから」

「ダメ。自分だけ我慢すればいいっていうのは、友だちも苦しくなるんだよ」

「友だち?」

「そう、友だちだよ」


 信じていいのか、信じちゃダメなのか……。


「今の雰囲気じゃ簡単には信じられないよね」

「そんなことは……」


 そう言いかけたとき、寺沢さんは完全に身体を起こして制服の左手袖を上着ごとひっぱった。


「見て」


 左手首には、たくさんの傷、リストカットの傷跡が残っていた。あたしは言葉に困ってしまった。


「夏はサポーターで隠しているんだけどね」

「うん」


 さっき、寺沢さんがあたしに返事をしたように、「うん」だけ、返事をしてみた。


「中学の時、色々あってね。それで、傷跡、お父さんに見つかっちゃったの」

「うん」


「そうしたら、お父さん、『おまえはまだ生きたいと強く願っている』って言ったの」

「うん」


「どうして? って聞いたら、『手首を切っても死ねないからだ』って」

「うん」


「それでね、『本当に死にたければ、首を切るんだ』って言われたの。すごいよね」

「うん」


 なんか、壮絶過ぎて、血の気が引いていく。体温が少し下がった気がする。


「その後、『学校で何かあったんだったら、話しに行くし、何なら転校してもいい』って言ってくれたの」

「うん」


「それで、同じ市内で別のアパートに引っ越してくれて。中三の時」

「うん」


「転校先では、『こっちの中学の方がレベルが低いから、点数稼ぎで転校してきた』なんて言われたこともあったけど」

「うん」


「まあ、平穏な学校生活を送って、無事、この高校に入学したってわけ」

「そうだったんだ」


 寺沢さんは、あたしの顔をじっと見た。いや、見つめられている。


「本当にきれいな瞳ね。ね、朱巳あけみさん、私のこと、少しは信じる気になった?」

「う、うん、まあ」

「じゃあ、犯人探し、がんばろうね」

「あ、それはちょっと……」

「ダメ、私が許さないからね」

「う、うん」



  ♪  ♪  ♪



 金曜日、今日は図書委員の当番の日。パタ、パタっと自分の足音が廊下に響く。図書室の前に三人の女子生徒が立っていた。


 顔は見たことがあるけど、名前は知らない、というか、憶えていない。一緒のクラスになった子もいるけど。


 なにかこう、おなかの上のあたりにざわっとする寒気が走る。三人ともこっちを見ていたから。いや、もしかしたら図書室に鍵がかかっていて、待っているのかも。


 そう思った矢先、一人の女子生徒があたしに手を伸ばした。反射的に両手を交差させて胸に当て、横を向いた。


「あの、あたしのスマホ……」


 目の前の女子生徒の手には、あたしのスマホが握られていた。バッグから抜き取られたんだ。


 残りの二人はあたしを廊下の柱の陰に押しやった。


 そして、スマホを取り上げた女子生徒はスマホをあたしに見せた。


「ほら、見て」


 反射的にスマホを見てしまった。失敗だった。女性生徒はスマホの画面を下から上に右手の人差し指でスワイプした。


 スマホのロック画面がスルっと上に上がり、無情にもロック解除されてしまった。


「ちょっと確認させてもらうわ」

「やめてよ、何するの? それ、犯罪よ」


 言ってはみたものの、小柄なあたしにとって、目の前でぎゅうぎゅうと押し付けている二人の女子生徒の力は圧倒的だった。


「写真は……まあ、食べ物とか多いのね。意外だわ」

「ちょっと、ねえ」


 無駄だとは思いつつ、一応、声に出してみた。


「スイッターは……入れていないのか。エンスタだけね。でも、投稿は無し、ふーん」


 あたし中に、黒い無力感が広がっていく。


「じゃあ、次はブラウザね。『あ』から入力してみようかな」


 どんなに力をいれても、目の前の二人は動いてくれない。少し血の気が引く感じがして、涙が出てきた。


「『お』、あら、これ、めっちゃウケる。朱巳あけみさんの悩みって、こんなことだったのね。スクショしちゃおうっと」


 カシャ。


 スクショを撮ってどうするんだろう?


「それと、KINEのプロフをスクショ」


 カシャ。


「ついでにKINEのメッセージも見せてもらおっかな。なんだ、女子と家族だけ、彼氏、いないんだ。つまんない」


 彼女は、自分のスマホを取り出し、何やら操作し始めた。そうか、ZirDropでスクショを送っているんだ。



  ♪  ♪  ♪



 月曜日、教室に入ると、十人ほどの生徒がこっちを見た。きつい視線。痛い。


朱巳あけみのやつが、スマホで検索していたんだって。居合わせたやつがスマホを取り上げてスクショを撮ったんだ」

「『学級崩壊のさせ方』って書いてある」

「検索キーワードの候補にも出ているから、間違いないな」

朱巳あけみのプロフも貼り付けてあるし」


 貧血かな、なんか、頭の中が白くなって、目の前も白くなって、倒れそうになる。横から葉寧はねいが支えてくれた。


楼珠ろうず、大丈夫?」

「大丈夫じゃないかも」


 男子生徒はあたしの方に寄ってきて、これだと言わんばかりにスマホの画面を見せた。


 目がよく見えない。黒くぼやっとしていて、真ん中あたりしか見えない。


「あたしじゃない……」


 クラス、せっかく、居心地が良くなってきたのにな。最後の年は、今までより、ちょっとぐらい、いい年になるって期待していた。もうダメかも。


 葉寧はねいが立ち上がった。


「ちょっと、あんたたち、楼珠ろうずがそんなことするわけないでしょ」

「でも、ここに証拠があるから。しかも、KINEのプロフ付き。みんなにも送ったし」

「だいたい、誰得なわけ?」


 ガラっと、教室の引き戸が閉まる音がした。


「はい、みんな、席について」


 ちょうど南島なしま先生が入ってきて、生徒たちは自席に戻った。あたしも、葉寧はねいに肩を持ってもらい、席に戻った。


 いつものように授業が始まって、他の生徒はことあるたびにあたしを見る。


 胃がキリキリして、頭の中はもやがかかったまま、景色は薄暗いままで真ん中あたりだけ見えている。授業の内容も、ほとんど頭に入ってこない。


 お昼休み、葉寧はねいがお弁当を持って前の席に座った。


楼珠ろうず、大丈夫?」

「うん」

「顔色悪いよ。保健室、行く?」

「いい」


 ふと、中学校の時、いじめにあっていたことを思い出した。


 上履きを隠されたり、机の中にごみを詰められたりした。よく、ドラマで教科書を破られたりするシーンがあるけど、うちの中学は教科書を持ち帰るので、それはなかった。


 むしろ、教科書を学校に置いて帰っていいんだと、うらやましく思ったぐらい。


 あの時、あたしは学校を休まずに乗り切った。あたしにしては、超上出来だったと思う。


楼珠ろうず、お弁当、食べよう」

「うん」


 食欲がない、というか、胃が食べ物を受け付ける気がまったくしない。このまま食べたら吐き戻しそう。


「やっぱり、食欲ないからやめとく」


 離れた席で会話している生徒の口から、あたしの名前が何度も聞こえた。


「ね、楼珠ろうず

「うん」

「このクラス、全員が全員、楼珠ろうずのことを疑ってはいないから」

「そう」

「なにかいい手はないかな、うーん」


 葉寧はねいは、お弁当を食べながらうなった。


 居心地が悪い。胸がチクチクする。腕にむしずが走った。袖をめくってみると、湿疹のような赤い点がたくさんできている。


 その日の夜、葉寧はねいから電話がかかってきた。音声通話なんて珍しいな。


 そして、今日の状況を事細かに、それこそ、何秒ぐらいだったとか、どんな動きだったとか、そこまで聞かれた。


「大丈夫、あたしに任せて」

「あ、ありがと」



  ♪  ♪  ♪



楼珠ろうず、おはよ!」

「あ、おはよ」


 葉寧はねいは、相変わらず元気。少しだけほっとする。


「ちょっと、楼珠ろうず、スマホ、貸してくれる?」

「え? いいけど、何を……」


「最近、入力した文章、何かない?」

「恥ずかしいけど」

「大丈夫、私を信じて」

「うん」


 そっと、耳打ちした。 


「いい? みんな。これは楼珠ろうずのスマホよ。今から、楼珠ろうずが最近、入力した文章を入れてみる」


 葉寧はねいはスマホに文字を入力し始めた。


「みんな、見て。途中まで入力したけど、この文章はちゃんと予測変換が表示されている」

「それがどうしたんだよ」

「漢字変換履歴を消していないという証拠よ」

「次ね。『がっきゅうほうかいのさ』」


 再び葉寧はねいは、あたしのスマホをみんなに見せた。


「見て。漢字変換候補には表示されないわ。つまり、『学級崩壊のさせ方』は、このスマホで入力されていないということ」

「だから、どういうことだよ?」

「馬鹿なの? スクショの送り主が捏造したって言っているのよ」


 男子生徒は、耳まで真っ赤にして何かを言おうとしているみたい。十秒ほどたって、ようやく口を開いた。


「そんなことは……」

「じゃあ、誰から送られてきたのか教えてくれる?」

「それは、ほら、通信の守秘義務というか……」

「あら、あなた、楼珠ろうずのスクショは人に見せるのに?」


「それは、あれだな」


 葉寧はねいは、男子生徒からスマホを取り上げようとしたが、男子生徒の方が速かった。


「誰だか知らないけど、お馬鹿さんね。楼珠ろうずからスマホを取り上げたときに、『学級崩壊のさせ方』って入力したらよかったのに」


 葉寧はねいって、こういうこと、そんなに頭が回る方だったっけ?


「さあ、スマホを渡して。あなたには身の潔白を証明する義務があるわ」

「黙秘権行使」

「ふーん、まあ、いいわ」


 葉寧はねいがこっちを見て、ニヤッと笑った。いたずらっぽくも爽快な笑顔。そして寺沢さんを見た。


「寺沢さん、送り主に心当たりは無いかしら」

「そうね、やりそうな人はなんとなく。私から言っておくから任せて」

「よろしく」

朱巳あけみさん、大丈夫だからね」

「う、うん」


 その後、南島なしま先生が教室に入ってきて、いつもの一日が始まった。


 なんとなくいつもより背中を丸めている生徒が半分ぐらい、何事もなかったように普段どおりの生徒が半分ぐらい。


 きっと、KINEグループがあって、分かれているんだろうな。 


 昨日の殺伐とした空気ではなく、角がないというか、痛くないというか、急に居心地がよくなった気がする。


 朝の出席確認が終わり、南島なしま先生は教室から出て行った。


 寺沢さんは、あたしの腕を突っついた。


「あのさ……」


 寺沢さんは、ちょっと照れくさそうな笑いを浮かべ、いったん、あたしから視線をずらしてひと呼吸した。


朱巳あけみさんのこと、楼珠ろうずって呼んでいいかな」

「うん、もちろん」


「じゃあ、私のことも穂美ほのみって呼んでくれる?」

「うん」


 あたしは、とにかく「うん」としか言えなかった。寺沢さんの顔を見ると、強気の笑顔とでも表現したらいいのかな、痛快ドラマを見終わったような顔で笑っていた。


楼珠ろうず

「あ……」

「ほら」


 心拍数が上がる。思わず目を強く閉じてしまった。深く呼吸をした。


「……穂美ほのみ

「うん、楼珠ろうず、これからもよろしくね」

「うん」


 あたしは、なぜか小学校の入学式、お父さんとお母さんに話した言葉を思い出した。――「お友だち、いっぱい作るんだ」――


 高校に入って、四人目の友だち……かな。一応、秘密を共有しているから、友だちでいいんだよね。

 クラスはまだピリピリしているけど、きっと、三年生は今までより楽しいクラスになるかもしれない。




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あとがき

数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。


いくつかのスマホは、顔認識でロック解除できますが、自分のスマホを顔認識できるものに変えてから、このネタが書きたくて書きたくてうずうずしていました。


まあ、ヒロインにとっては不幸ネタなわけですが、理系的にはおもしろいかなって思います。


おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。

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それではまた!

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金髪女子高生とギターと①最低の新学年 綿串天兵 @wtksis

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