だから保健室でキスはね
二限目は古典。古典って、何か役に立つのかなって思う。あ、でも、
確かに、文法とかはどうでもいいけど、けっこう奥ゆかしかったり、案外、露骨だったりして、心の本質を突いている文章が多い気がする。
授業が終わると、今度は別の生徒が近づいてきて、お笑い番組の話を始めた。こうやって入れ代わり立ち代わり、話に来てくれる。今度は男子生徒、前に振った男子の友だち。
でも、そろそろ交換しないとやばいかも。たぶん、漏れて下着が汚れる。最悪、スカートまで汚れるかも。やっぱり、夜用にしておけば良かった。
あたしは、机の中に入れてあったポーチを手にし、意を決して立ち上がろうとした。
「まあまあ、もうちょっと聞いてよ」
男子生徒はそう言うと、あたしの肩を押さえた。
ポーチを机の上まで出したものの、あたしはあきらめてポーチを握りしめた。
「え?」
その時、日焼けした細い手があたしの机の上に現れた。そして、あたしの手を掴んだ。
「
「ちょっと、寺沢さん、俺は
「君ね、女子がポーチを持っていたら、どういう意味かわからないの?」
「え、よくわからないんだけど」
寺沢さんはあたしの手を掴んだまま立ち上がり、男子生徒を押しのけるように間に入ると、右手を額に当てた。
横顔だけでも、やれやれという表情をしているのがわかる。
「馬鹿な男子には、一生、彼女はできないと思うわ」
「ちょっと、寺沢、どっちの味方だよ」
「どっちでもないわ」
そう言うと、あたしの手を引っ張って教室の外まで連れて行ってくれた。
その日から、二時間目が終わると、寺沢さんは、あたしが誰かに話しかけられていても無理やり教室の外に連れて行ってくれるようになった。
クラスの雰囲気は、相変わらず二つに分かれたままだったけど、とりあえず、トイレに困ることはなくなったし、クラス全体の会話も増えた気がする。
トイレに行けることがこんなに幸せだなんて、さすがに、そう感じる日が来るとは思っていなかった。
一週間ほど経ったころ、下校する時に寺沢さんから声を掛けられた。
「
普段より大きな声で、教室にいるみんなにも聞こえたんじゃないかな。それにしても、男子もいるのに「生理痛」と言うとは、さすが寺沢さん。
それから一緒に自転車置き場に行き、寺沢さんは自転車を押し始めた。帰り道は、あたしがいつも使っている駅の前を通るとのことで、自転車置き場の向こうにある東門から出た。
あたし達の横を、車やトラックが何台も通り過ぎ、そのたびに、ほこりっぽいにおいがする。
寺沢さんは、ちらっとこちらを見ると、一瞬だけ気まずそうな表情を見せた後、すぐに笑顔で話し始めた。
「実はさ、私の彼氏、
「うん、それは
ちょっと視線を上にあげ、何かを思い出しているようだ。
「ああ、
なんだか、寺沢さんの目が少し泳いでいて、「ごめんね」って言っている気がする。
「で、彼氏に、
寺沢さんは、「ふう」とひと呼吸した。
「それでさ、同じクラスに他にも
「いいよ」
はっきりと「ごめんね」と言われて、ちょっと申し訳ない気がする。だって、寺沢さんは何もしていないし。
「でもね、ギターの話をたくさんしてくれたじゃん。最初、
実際、ふにゃふにゃしていて、つかみどころがないって言われるけど。
「あたし、嫌な女だよね」
「うーん、最初はちょっと苦手かなって思ったよ」
「そうだよね」
「でも、今はそんなことないよ。ギターの話をしている時の
「えへへ。あのギターの話になるとついつい」
ガタンゴトンと大きな音を立てて、国道の向こう側を電車が通過した。
「ところでさ、
「いないよ。なんていうか、怖くなっちゃって」
「男の人が?」
「ううん、そうじゃなくて、そういう感情そのものが」
寺沢さんは考え込んでいる。言葉を続けたほうがいいのかな。
「あのね、好きって言われて、ごめんなさいって返事すると、すごく、こう落胆した感じをされるのね」
「あ、それ、わかる」
そう、寺沢さんもかなりかわいい。性格も朗らかだし、きっと、何度か告られたことがあると思う。
「それって、けっこう、こっちもへこむじゃん」
「うんうん」
「それに、友だちだったら、そこでバイバイとかなっちゃうことあるじゃん」
「そうだね」
「もっと……その、友だちの好きな人だったりするとね」
「それ、最悪かも」
「そんなことが何度もあったからかな、ちょっと怖いの」
道路では信号待ちの車がたくさん止まっている。あの信号の横断歩道を渡ったら、いつもの駅。
「
「うーん、近いかな」
「それで、なるべく目立たないようにしていると」
「うん」
「でも、すごい目立ってるよ」
「しょうがないよね」
あたしは、自分の髪を指に絡め、見つめた。
「あ、そのしぐさ、すごくかわいい」
「え、そう?」
「そうそう、それで男子の心が絡めとられちゃうんだよ」
うーん、それは困った。気を付けよう……と思いつつ、何を気を付けたらいいんだろう?
寺沢さんがスマホを手にしてこちらを見た。
「ねえ、
「え? いいけど」
これといって断る理由もない。友だち追加が終わると、寺沢さんはあたしにメッセージを送ってきた。あたしはそのまま友だち追加をした。
「そうだ、
「どうして?」
「メールみたいに、ロック画面の通知だけでだいたいの内容がすぐにわかるから」
「うん、わかった。でも、どうやるの?」
寺沢さんに教えてもらいながら、通知設定を変更した。すると、寺沢さんがすぐに新しいメッセージを送ってきた。
「どう?」
「あ、ほんとだ。これ、便利かも。ありがとう」
「いえいえ、どうも致しまして」
「せっかくだから、KINE交換記念に、一緒に写真撮ろうか」
「うん、いいよ」
――パシャッ
寺沢さんは、背が高いから手も長い。あたしが自撮りするより、なんとなくかわいく写っているような気がする。
その後、横断歩道を渡り、駅手前の踏切で、あたしたちは別れた。
♪ ♪ ♪
「
「あれ?
高校正門近くの横断歩道を渡ったところで、
「うん、なんとなく
「そうなんだ。じゃあ行こうか」
変だな、
その日から、休憩時間、他の生徒が話しかけてくることはなくなり、トイレへ自由に行けるようになった。
そして、金曜日、教室に入ると、何人かがあたしの机の周りに集まっていた。あたしの姿を見ると、みんな散らばっていった。
あたしは、中学の時にいじめられていたことを思い出した。きっと、机に落書きがしてあるんだろう。
そう思いながら自分の机に近づくと、机の上に、一枚の写真が置いてあった。
あたしの髪の毛と瞳を黒く塗った写真だった。両面テープかな、しっかりと固定してある。
何かのアプリで塗ったのだろうか、やたらとリアルな黒髪のあたし。吐き気がした。というか、吐いてしまった。
背中に悪寒が走り、それは腰のあたりでもやもやと雲のようになり、気持ち悪さが集中した。もうダメかも……。
誰? どうして知っているの?
あたしは、必死に、ひっかくように写真をはがそうとした。しかし、しっかりと貼りついていて、なかなかはがれない。
さらにもう一人、あたしの嘔吐して汚れた制服を拭いてくれている手があることに気が付いた。日焼けした手。
いいよ、汚いから、あたしが後でやるから――。
心の中でそう思っても、寺沢さんはあたしの制服を拭いてくれた。
そして、頃合いを見計らってカーテンの中に入ってきた寺沢さんに、ベッドへ寝かされた……というか、押し倒された。あ、寺沢さん、近い……。心臓の上のあたりが、きゅっとする。
「
「うん、わかった」
「
「うん」
「あの写真、きっと、盗撮された写真だよね」
「たぶん」
あたしは、まだ喉の奥に熱い違和感を感じながら答えた。盗撮はよくされるから、もう、気にしないことにしている。
そのまま視線を真上に動かすと、しろっぽい天井に、いくつかのシミが見えた。
保健室独特の、ちょっとツンとするようなにおいが、すこしだけ吐き気を緩めてくれる。
「
「うん、でも……」
「あ、話したくないなら話さなくてもいいから」
寺沢さんは、立ち上がるとベッドに乗り、あたしの上に覆いかぶさるように四つん這いになった。
ええ? まさかの、まさかの展開?
「気分転換にさ、良かったら、もっと聞かせてほしいな、ギターのこと」
「寺沢さん、近いよ、顔」
寺沢さんの鼻息が唇に当たる。寺沢さんの体温を感じるぐらい近い。身体の中心から指先に熱が広がっていく。もしかしたら、今、あたしの顔は赤いのかもしれない。
大丈夫、寺沢さんには彼氏がいる。そっちの趣味はないはず。
「私、陸上部で走り高跳びがメインなの。中学の時からやっているわ。
も、も、も、もしかして、あたしのファーストキス、女子になっちゃうの?
----------------
あとがき
数ある小説の中から読んで頂き、ありがとうございます。
ポーチの話は、中学の時の彼女っぽい仲良しさんに教えてもらったネタです。彼女じゃないですが、結構、仲良くしてもらっていて。
さてさて、次はどのような展開になるんでしょう?
おもしろいなって思っていただけたら、★で応援してくださると、転がって喜びます。
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それではまた!
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