第34話 風の行方

 本来であれば、景色のいいであろう崖の上。しかし、現在そこは黒いモヤに覆われており、景色を見渡すことはできない。

 

 そんな闇の中、若草色の髪をした少女と四匹の黒い影の獣が睨み合う。


(……どうしたらこの状況を打破できる……考えろ……わたし)


 ――正面から突っ切って再び森に逃げる? 

 それをさせてくれるほど目の前の獣は甘くない。わたしの体力もどこまで持つか……。


 ――矢ですべての影狼の額の宝石を射抜く? 

 そんな技量があったのなら兄さまと一緒に影狼退治に行けていた。


 ――弓で攻撃したあとに、腰の短剣に持ち変えて近接戦に切り替える? 

 弓で四匹の影狼を同時に相手にするのは不可能に近い。だったらこの手段が一番可能性がある。この方法にけるしかない。


 ヒメロスにはそう思えた。


 褐色の少女は空色の瞳に決意を宿らせ矢を放つ。


 パシュンッ


 風を切る、鋭い音を立て矢は放たれた。その音が決戦開始の合図となる。矢はヒメロスから見て左前方にいた影狼の額に命中した。


 威力は弱いが足止めさせるだけでも十分だ。

 

 ヒメロスはすぐに左手の弓から手を離し、右手で腰の鞘から短剣をサッと抜き取る。

 

 迫りくる一匹目の影狼。

 ヒメロスは、回避と同時に影狼の額の宝石に目掛けて、刃を振るう。

 

 しかし狙いは僅かに外れてしまった。刃は影狼の宝石ではなく、頭部を切り裂いた。


 通常の狼相手であれば頭部への一撃は、必殺の一撃になる。しかし、影狼の頭部を裂いたはずのヒメロスの短剣は、空を斬ったかのように空振りとなった。


(ッ! 外した!!) 


 影狼は、肉体を持つ存在ではない。だからこそヒメロスの短剣は影狼の頭部を裂いても空振りに終わったのだ。世界に形をなしている狼のような体。それは幻のようなものだ。当然、その体による攻撃も物質の世界である地上に何ら影響を与えない。


 回避しながらの攻撃であったが、ヒメロスはすれ違いざまに影狼の爪による爪撃を受けてしまう。


(!?)


 その瞬間、切り裂かれた部位にゾワリとした何かを感じる。痛みではない。むしろヒメロスは影狼の攻撃を受けても、外見上は無傷だった。


(うっ。なにこれっ? 気持ち悪い。変な感じ)


 自分が自分ではなくなるような、内面から変質してしまうような、そんな感覚をヒメロスは覚えた。


 

 あまりの悪寒にヒメロスは一度影狼から距離を取る。その足取りは普段よりも重く感じる。しかし短剣は影狼の方へと向け、空色の瞳の鋭い眼光で影狼を睨む。


(この感覚は何? いつになったら抜けるんだろう……。身体の力が抜けるような嫌な感覚……)


 ただでさえ一人で四匹の影狼を相手にしなければならず、絶体絶命の状況だったのだ。それに加えて、影狼の一撃を受けたあとに感じる身体の重さ。ヒメロスの足は無意識に崖の端へと後退りをしていた。


 そんな獲物を見つめる影狼の瞳は、じっくり弄ぶような余裕を感じさせる。


(わたしが兄さまと同じくらいの力があれば……)


 ――絵本の主人公のようにピンチを切り抜けられる。

 ――そんな力があれば。


 考え事をしていたヒメロスの華奢な体に強い風がぶつかった。


「えっ?」


 風に不意を突かれたヒメロスの体は、反応すらできずにバランスを崩し、背中から倒れていく。ヒメロスは視界がゆっくりと動いていくように感じた。そんな視界の先には影狼が慌てるようにこちらに駆けてくるのが見える。


(弓すらまともに使えないし、最後は風に体勢を崩されるなんて……)


 自嘲気味に笑うヒメロス。その頭の中では、走馬灯のように昔の記憶が蘇ってきていた。

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