第19話 宝石の感覚

 大自然に囲まれた森の中。幻想の花を眺めながら泉に浸かるアーチェは、ラグーナとの会話にも花を咲かせていた。

 

『そうだ。アーチェよ、今度一緒にマグマ温泉に入らぬか? 心配することはない。天然物だ』


「え? 何? ……ラグーナもしかして私のこと殺そうとしてる?」


『ハハハハッ、まさかそんな。クリティシアスの奴も気に入っておったのだ。水浴びや湯浴みが好きなお前なら案外気に入るかもしれんぞ』


「ごめん、ラグーナ。私、あなたの想いには答えられそうにない」


 黒竜ラグーナからの地獄への招待状のような誘いをアーチェは苦笑いを浮かべて断る。 

 断られた黒竜は『そうか……』としょんぼりと寂しげに呟いた――。



 ――♩~♪~♫~♬~。


 そんな微妙な空気を誤魔化すためにアーチェは再び鼻歌を歌う。

 

 体の芯まで響くような水の冷たさを感じるアーチェ。その瞳に映るのは澄んだ泉の上に浮かぶ色とりどりの幻想的な花たち。


 水面には空からの木漏れ日が差し込み、辺りには虹のような帯が漂い始めていた。


 そんな中「あっ」と口を開けて、何かを思い出したような顔をする少女。


「ねぇラグーナ!」


『……どうした?』


「その宝石の姿が、自然に満ちる力を私の神力に変換してくれてるっていうのは分かるんだけど、宝石になるってどんな感じなのかなって」


 アーチェは胸元にある漆黒の宝石を右手に取ると目の高さまで持っていく。好奇心の溢れる黄金の瞳で、水の滴る黒金剛石ラグーナを見つめる。


『ふむ……』そう呟くラグーナは感覚を研ぎ澄ませているようだ。


『我もこのような姿になるのは初めてゆえ、まだ慣れぬことも多い。まず見ている景色はお前の視界を共有しているようだ』


 アーチェの神力を回復するために神魂の契りを結んだわけだが、そのためには従の神はその姿を石へと変えて、世界に存在する力を取り込み神力へと変換し、主の神へと送る。


 世界の力といえば陽光や風、そして、今変換している水の力だろうか。そんな自然の力を神力に変換する宝石の姿だが、感覚は特殊だった。


「へぇ~私の見ているものをラグーナも見てるなんて……なんだか面白いね♪」


『うむ。お前がその目で何を見ているか、それと同じものを見るという体験は我にとっても新鮮なものであるな』


「そっかぁ、他の感覚はどうなの?」


 アーチェの表情は嬉しそうだった。そして、他の感覚についても尋ねた。


『いまお前は我を持っているが、何となく触れられているような鈍い感覚しかない。逆に自然から受ける感覚にはより敏感になっているようだな』


「なるほど……。自然の力より効率的に神力に変換できるようにそうなってるのかな」


 アーチェは呟くと、再び水中に黒宝石を戻す。


『音はこの宝石主体で拾っているようだ。今はお前の心音がよく聞こえる』


「まぁ神魂の契りを結ぶと命が繋がるみたいだし、心臓の音は肉体が生きているかどうかの重要な合図になるよね」


『うむ。変換した神力を心臓に送るのであれば、なかなか合理的な契約なのかもしれぬな』


 視覚はしゅの神の視界。触覚しょっかくは自然の力をより感じられるように特化されている。聴覚ちょうかくは宝石主体で、ペンダントの形なのも主の生命に寄り添うためなのだろう。


「味覚は……流石にないだろうし、嗅覚はどうなってるの?」


『味覚同様、嗅覚も感じないな。正直それだけが残念だ』


「へぇ~なんで?」


『ふむ……。お前の匂いが近くにあると安心するというか……破壊衝動を抑えられる。うむ、我にも表現しづらいが、確かな心地よさがある』


 そんなラグーナの言葉を聞いたアーチェはほんのり頬を赤らめてへにゃりと笑う。


「えへへへっ、私がラグーナの傍では安心して眠れるのと一緒なのかもしれないね」


『むぅ……お前が一人では、寝られないのと同じにされるのは複雑だが。そのせいでお前の匂いに安心感を覚えるようになったのかもしれぬな』


 アーチェとラグーナ。白き魂と黒き魂。『想像』と『破壊』で対極的な関係のように見えて、光と影のように離れることのできない。そんな関係性なのであろう――。



 泉での水浴びを終えたアーチェは『神気』を纏い、全身の水気を払うと衣類で身を包む。そんな純白な少女の神気を感じたラグーナは思い出したように呟く――。


 アーチェよ、この世界での戦う手段をお前に教えてやろう、と。



 ――――アーチェたちが去った森の泉が、聖域となってあとの人々に大切にされるのは、この物語では語られることのない話であろう。


 たぶん……。

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