第11話 勇者と黒竜と眠る女神

  

 

 リヒトの瞳に映る巨大な黒竜。それは、周囲の薄暗い森すらかすむほどの漆黒の外郭を持っていた。その黒は何者にも染まらない、そんな力強さを感じさせる。


 竜の口には生える鋭い牙は、鍛えられた鉄ですら容易く噛み砕けそうだ。牙だけでなく、全身が武器なのだろう。大木のような四肢、その強靭な鱗の内部は筋肉が詰まっていることが見て取れる。前足よりも後ろ足はふた回りほど太く、現にその足で全身を支えている。


 今は軽く閉じられている翼はその羽ばたきで、暴風を引き起こせるだろう。青年の身体をたやすく持ち上げた風は、この黒翼が発生させた風だった。

 

 鞭のような漆黒の尻尾は長く、武装の一つになり得る。竜の強靭な体躯はまさに絶対的な強さを裏付けている。そんな黒竜の黄金の瞳は、魔獣もリヒトも映しておらず、純白の少女ただ一人だけを見つめており、黒竜は、地に倒れる白き乙女の元へと向かっていく。


 「アーチェ……」

 リヒトは恐怖を必死に押し殺して、彼女の名を呼ぶ。


 黒竜は、倒れているアーチェの身体を前足を器用に使い、壊れ物を扱うようにそっと優しく持ち上げる。


 リヒトはその光景におとぎ話を思い出し、このままでは拐われてしまう、と考えていた。そんな青年を金色の瞳が映し、竜は確かな足取りで彼の元へとやってくる。


「……人間よ。貴様の戦う姿は見ていたぞ」

 口は動いていない。だが声は黒竜から放たれたとわかる。


「自分よりも強き者に立ち向かいし者よ、己の本能を勇気で克服するものよ」


 黒竜の言葉を聞きながら、アーチェが前に言っていた話を思い出す。


――――人間が食材かもしれないという。神の存在を。


「まさかあなたが、ラグーナ様ですか?」


 その瞬間、黒竜の雰囲気が変わり、凄まじい『圧』を放ってくる。竜の背後では蛇のような尻尾がうねっている。


「……我をその名で呼んでいいのは、アーチェのみだ。その魂に刻むがいい。我が名はラグナロク。『破壊』を司る神にして、『再生』を司る始まりの竜だ」


 ラグナロクは『神々の戦い』において神々すら『破壊』し、全身を覆う漆黒の鎧とその『再生力』により、傷付くことすらなく戦いを終えた、最も強き竜の神であった。


「ラグナロク様は……人間は、食べますか?」


 目の前の存在なら、人間が食材だと言うのが納得できた。この世界にいる人間などおやつ感覚で喰い尽くせるだろう。そう思ったリヒトは、そんなことをたずねていた。


「……は? なぜ我が弱きものを食わねばならんのだ……」


「あの……アーチェが料理をご馳走してくれた時の話を思い出して……」


「なぜ貴様が、アーチェの『力』の一部を持っているのかと疑問だったが、多少は気に入られているようだな……」


 その時、黒竜の手元から「ふあぁぁ」という可愛らしい欠伸の音が聞こえた。


「アーチェよ、目が覚めたか」

 黒竜は手のひらで、身体を起こす少女を見つめる。


「……へっ? ラグーナ? どうしてあなたがここに?」

 懐かしいその声に、アーチェは驚いた表情をした。


「天界よりいなくなったお前を迎えに来たのだ」

 

「私……まだ天界に帰りたくない……」

 まだ地上の世界を見てみたいと思っていたアーチェは俯く。


「今のお前は不安定すぎる。そもそもこの地上には『神の力』がない。お前がこの地上を管理するのは、本来であればもっと後のはずだった」


 そんなアーチェを見つめるラグーナの表情はどこか難しそうだ。


「でも……」 


 アーチェの言葉を遮るように「少し待て」と言ったラグナロクはリヒトの方を向く。


「勇気ある人間よ、貴様は先に戻っていろ。アーチェには言っておかねばならんことが山ほどある」


「あの……ラグナロク様」

 リヒトは自分を助けてくれたアーチェが心配だった。


「……わかっている」


 有無を言わさぬその視線と迫力にリヒトはその場を後にして、名残惜しそうに村に帰った。


 ラグーナはアーチェをそっと地面に置き、視線を交わす。


「さて、アーチェよ、お前はこの世界でどのくらい『力』を使った?」


 黄金の瞳がアーチェを見つめる。


「えーっと……地上に召喚されたときの代償に使ったのと、リヒト君を助けた時に使ったの、雨を降らせた時に使ったのと、魔獣を滅しようとした時……だから4回?」


 アーチェはその問いに、思い出すように答えていく。


「明らかに使いすぎだ、馬鹿者。そして、最後の魔獣を消すときに使おうとしていた『力』はその対象がこの地上世界になっていた。我が来なければ、この世界は消えていただろう。お前の愛した世界中の人間諸共もろともな」


 ラグーナの口から告げられた事実をアーチェは受け入れられなかった。彼女が守りたいと想った世界、彼女が愛した世界を自らの手で無に還そうとしていた事実を。


「えっ? そん、な……嘘……」

 言葉が、頭がそんな現実を理解することを拒む。


「『力』とは、生活を豊かにする。しかし、使い方を誤れば、滅びをもたらすものに変わるのだ……特に神の『力』ならなおさらな」


 ラグーナはまるで見てきたかのように少女に語りかける。


「ごめんなさい……わ、私……そんなつもりじゃ……」


 震えながら呟くアーチェ。金色の瞳からは涙がこぼれる。感情が抑えられなかった。この世界は少女がずっと見守ってきた世界なのだ。

 

 それを自らの手で滅ぼそうとしていたと知って、アーチェの純粋な心は耐えられなかった。


 竜の長い尾の先端が、そんな少女の頭をそっと撫でる。


「クリティシアスにしても我にしても、お前を守りたいがために、天界の外へ出すことはなかった……それゆえお前は無知なのだ。それは、我らの罪でもある。……すまなかったな」


 黒竜は涙を流す少女に頭を下げる。


「ど、どうしてラグーナが謝るのよ……悪いのは私なのに」


 涙するアーチェは、なぜラグーナが謝るのか、理解できなかった。


「まだ世界の常識を知らぬ子が、罪を犯したとしたら、それは保護する者の責任なのだ。教えていないのだからな」


 ラグーナにとってアーチェは守るべきものであり、娘のようなものだった。


「ごめんなさい……ラグーナ」

 少女は黒竜に身を寄せ、ギュッと抱きつく。


「なに……今回のことに関していえば、世界は無事であるし、次の教訓にすればよい」


「うん、ありがとうラグーナ」


 アーチェは、ラグーナの言葉に微笑ん……だ。

 どうやら黒竜の話はまだ続くようだ。

 

「さてと、次は……」


「えっ、まだ……あるの?」

 アーチェの微笑みは、微妙そうな顔に変わった。


「ああ、そもそもなぜ『力』の対象が逸れたかの原因だ」


「……原因?」


「うむ。アーチェよ。お前、何日寝てない?」

 ラグーナの質問は、アーチェの痛いところをついてきた。少女の顔は苦いものを食べたかのような表情を浮かべる。


「……」

 居たたまれなくなりアーチェは目を泳がせる。


「アーチェ」

 黒竜の圧のある声音、黄金の瞳はそんな少女を逃がさない。


「二日……」

 観念したアーチェはぼそっと囁く。そう、彼女は、地上に降臨して以降、寝ていなかった……。


「……普通の神であれば、二日間、寝ないことなど問題にならないであろう。しかし、お前は『想像』を司る神だ。想像は脳でする。寝るということはお前にとって重要な『力』の源になる。……睡眠不足が世界を滅ぼしかけた原因だ」

 

 ラグーナの言葉はもっともだ。睡眠は生物にとって、最も重要な行動だと言える。神の気まぐれで世界が滅びるなどよくある話だ。


「でも……その……一人だと寂しくて、寝れなくて……」


 そう囁く少女の頬は耳まで真っ赤に染まり、熱を持ったかのように火照る。澄んだ丸い金の目をうるませて黒竜から逸らす。


「まぁ……お前は天界にいた時ですら、そうだったからな。地上で寝れてない可能性は考えなくは無かったが……」


「ラグーナ……ごめん、ねむたい……」

 そんな話をしていると、アーチェは強い睡魔に襲われる。


「……我がついていてやる……だから少し休め」

 ラグーナは優しげな声で言うと、アーチェが眠りやすいように、身体を丸める。


「うん、ありがとうラグーナ……おやすみなさい」




――――降臨して以降、安らぎの時間を取れなかったアーチェ。

――――しかし今は、幸せそうな顔で眠りについていた。

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