第9話 異変
木漏れ日が降り注ぎ、日輪が世界を見守る時間。
アーチェとリヒトは村から西に行ったところにある、森の中へと足を踏み入れていた。多くの動物が生息している。そんな森だ。
――――その森は今、不気味なほどに静まり返っている。
「きゃっ」
リヒトはそんな彼女を支えて、大丈夫?と声をかける。
「ごめん……ありがとう」
「……ねぇアーチェ。無理とかしてない?」
何だかいつもと違う。そんな少女の雰囲気に、心配げな表情でリヒトは
「……あはは、大丈夫! ただ、森とか歩くの慣れてなくて」
「……そっか。ならいいんだけど……」
――――突如、静けさを破る大きな獣の声が響いた。
「この声の持ち主が村に異変をもたらした原因だね」
「石たちの声を聞く限りだと、熊のような生き物らしい」
地に転がる石たちはリヒトに異変の正体を伝えている。
――アーチェは眉をひそめる。
「……こっちに気付いたみたい……気配が近づいてきてる……」
――視界の先。木々をなぎ倒しながらゆっくりと、しかし力強さを感じさせる足取りで、こちらに進んでくる巨大な熊の姿があった。
小屋のような大きさの熊だ。その大きさは5メートルはゆうに越えているだろう。黒い毛に覆われたその熊の額には、禍々しい色の濁った宝石のようなものが埋め込まれている。
「災いをもたらす『力』を感じる……けど、そこまで大きくはない。でも、この世界にはないはずの『力』を感じる。」
そう呟くアーチェの黄金の瞳は正面の異変を見つめる。アーチェは呼吸を整え、『力』を使えるように準備を整えていく。
「あの石は、周囲の環境に悪影響を及ぼす邪悪なもの。あれは私がここで、
アーチェは身体にふと違和感を覚えるが、魔石に支配された、
リヒトは『魔獣』を前に動けなかった。……目の前の化物が怖かった。死の恐怖を前に決意は簡単に揺らぎそうになる。
――――その圧倒的な姿に。
――――それが放つ眼光に。
死にたくないという『
「グオォォォォ」
熊は咆哮を上げて、走り出す。ドガガガガッと激しい足音は圧倒的な力を感じさせる。
しかし、それを見てもアーチェは落ち着いていた。純白の女神は全身に『神気』を纏う。
――迫り来る巨獣。
――迎え撃つ華奢な少女。
常識的に考えれば勝敗は
大きさの差というのはそれだけで優劣がつくものだ。
――――熊の巨体と少女が今ぶつかる。
ゴゥッという鈍い音を立て、宙を舞う熊の巨体。理解できない現象に魔獣の目は大きく開かれていた。
その現象を引き起こした女神は白いスカートをはためかせそっと着地する。
ズザザザザッと音を立て地面に抉られる魔獣は、悶えながらも立ち上がり、目の前の少女を敵意のこもった目で睨みつける。そして、動きを止めた――。
純白の女神は『
女神アーチェの持つ想像の力は『想い』の具現化である。想像することで、それは絶対の事象となり世界に現れる。そんな神の『力』に対抗できるとすれば、同じ神の『力』を持つ者だけだろう。
アーチェの身体がふらりと揺れる。彼女の頭上で『力』が収縮していく。
――『
純白の少女。その身体を淡い白の光が包み込む。ひらりひらりと真っ白なドレスの裾が舞い踊る。雪白の綺麗な髪もふわりふわりとなびいている。神聖な光を携えて立つ威風堂々としたその姿は、
――――空気が震えるように、空間が裂けていく。
――――裂けた空間より、神々しい一本の『槍』が現れる。
――――対象を滅する女神の『
心優しき女神。その想いは瘴気に満ちた魔獣、その肉体、精神、魂、その全てを浄化し真っ白に
魔獣は地面に
欲望すら上回る強い『
絶対の意志を構える女神。
――しかし、彼女の精神はすでに限界だった。
アーチェの黄金の瞳は光が宿っておらず、世界を映していなかった。
――対象が
精神乱れにより『想像』と『慈愛』の
――滅亡すら招く『想像』の力とそれを抑止する『慈愛』の均衡が。
『槍』の対象は魔獣の足元に逸れた。足元には大地……否、地上の世界があった。
――――地上の世界を対象にした絶対なる神の力の具現化である『純白の槍』。それは、対象を滅する為に出力を増していく。神槍は光の強さを増していく。
薄暗かった森は、神意の槍が放つ白い光に染まっていく。
『有』が『無』に
――――その時、白が黒に覆われる。
――――バリイイィィィィィィンッ。
それは突然の出来事だった。大地を揺るがすような、激しい音を立て、『純白の槍』は『
リヒトは理解できなかった。魔獣ですら理解できなかった。何が起きたのかを。時間が凍るような中。
リヒトの目の前でアーチェの身体が、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
「アーチェッッ!!」
リヒトは反射的に叫んでいた。
「グオォオォオォオォォォォォッ!!」
自らよりも圧倒的に強者が何故か崩れ落ちた。その事実に勝利を確信した魔獣は咆哮する――。
リヒトの黄色の瞳には魔獣が映る。『欲望』の宿った目をした強き獣が。それは『
『欲』を満たす為。
『神』を喰らう為。
リヒトの魂は叫ぶ。恐怖に打ち勝つために。身体を動かすために。大切な人を護るために。
リヒトはおとぎ話の英雄に憧れていた。
――――魂は叫ぶ。憧れるだけでは英雄にはなれない『行動』しろと。
リヒトはアーチェを護りたいと思った。
――――魂は叫ぶ。見てるだけでは護れない『行動』しろと。
不思議な『声』が聞こえる。知っている『声』が聞こえる。
――――僕たちがついてるよ。僕たちが『力』を貸すよ。
石はリヒトに『想い』を伝える。
リヒトは思い出す。
――――アーチェが教えてくれた『想う』ことの強さを。
リヒトは『
その『
ビュンッ! 風を切る音を立てて、石は凄まじい速度で魔獣に迫る。弾丸のような一撃に魔獣は気付いてすらいない。
ガツンッと高い音を立て、魔石に石が命中する。「ガァァアァァ」と悶える魔獣。突然の攻撃と衝撃に魔獣は頭を押さえている。
その時初めて魔獣はリヒトを見た。一人の弱者を『敵』として。脅威として認識した。
リヒトはそんな魔獣に睨み付けるような眼光を向ける。不思議と恐怖は感じなかった。
――――『想い』は人を困難に立ち向かわせる『勇気』をくれる。
――――『勇気』は、死という本能的な恐怖にすら打ち勝つ『力』をくれる。
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