第3話 女神降臨

 村の中心に位置する広場。儀式を行っていたその場所に、美しい音色のような声が響き渡る。徐々に光は薄れていき、村人たちはゆっくりと瞼を持ち上げる。


――――そして、目の前の光景に、時が止まったかのように固まる。


 磔台。その足元には真っ白なドレスに身を包み、真っ白な髪色をした少女が頭をさすり座り込んでいた。彼女はなぜか全身を水で濡らしており、水を吸ったドレスは少女の整った体つきをあらわにする。


 全体に細身で頼りない印象を与える。そんな華奢な身体からは、しなやかな乳白色の四肢が伸びている。上半身を支える腰はきゅっと引き締まっていて折れてしまいそうだ。


 美しさと可憐さを兼ね備えた顔には、神聖さを感じさせる黄金の瞳が輝き、そこには泉のような澄んだ光を湛えている。愛らしい顔には桜色の唇があり、思わず目を奪われてしまいそうになる。

 

 純白の髪をおさげにした可憐な少女。その姿には、女神を描いた絵画がそのまま現実に飛び出してきたかのような神々しさがあった。


「いったたー…………。あれ? ここは……どこ?」


 そんなことを呟きながら、純白の少女は顔を上げる。その表情は突然の事態に理解が追いついていないようだ。

 

 少女の黄金の瞳に最初に映ったのは、磔にされ、今まさに、燃え逝かんとする命だった。


――――その光景に彼女は思わず目を見開いた。


「ふぇっ!? き、君っ大丈夫っ?」


(大丈夫なわけないっ!)


 心の中で叫んだ細身の少女は、すぐに立ち上がると磔にされた、すでに意識のない茶髪の青年をそっと抱きしめた――。


 村人たちは、突如現れた謎の少女も火に焼かれることを恐れた。しかし、理解できない光景を前に、身体を動かすことができなかった。


村人たちは、さらに目の前で起こる現象に固まることになる――。



――『神想しんそう』。


――――リヒトを燃やしていた炎は、何もなかったかのように消え去る。


――――焼けていたリヒトの身体は、時間が巻き戻るかのように元に戻っていく。


「危なかったぁ、もう少し遅れてたら命はなかったかも……」


 そう呟いたアーチェは、ホッと一息つく。その表情は、深い慈しみを浮かべていた。


 そして、可憐な少女は、意識のない青年を磔台への束縛から解放していく。不思議なことに、リヒトを縛りつけていた縄は、自らの意思で動くかのようにほどけていく。


 縄から解放された青年を、まるで大切な人を抱きかかえるようにそっと腕に抱く――。



 小柄な少女が自分より一回りは大きいはずのリヒトを表情一つ変えずに抱き上げる。その姿、そしてこれまでの出来事。 


 村人たちは目の前に居る、神聖さすら感じさせる少女が何者なのかをに理解させられる。


「……水を司る、女神様……我らの、救世主」

 

 村長はやっとの思いで口を動かす。


 声のした方へ。純白の女神は村長のほうに身体を向ける。その雰囲気はさっきまでの慈しみに溢れた感じとは違い、人が絶対に抗うことができない。


 ――『神気』を纏っていた。


 村長のほうへ向けられた女神の頬は膨らんでおり、どこか不服そうだ。そして告げる。


「私は『水』を司る女神じゃないっ! 私が司るのは『想像』と『慈愛』。神に対して人が決めつけるのはいけないことよ」


 村長に教えを説く小柄な女神は、まるで子供に教育する母親のようだ。


「でも、見たものに対して想像力を働かせて、知識と知恵で理解しようとする。そういう人間。私は好きよ」


 突然、好きだと女神に言われた村長。いや、村人たちはなぜか救われた……ような気持ちになった。


 しかし、純白の女神の頬は再び膨らむ。膨らんだ頬を除けば、その表情は子を叱りつける母のようだ。


「それで……どうして罪のない人の命を、同じ人間が奪おうとしていたのかしら?」


 村長を見つめる女神。『神気』を宿す鋭い光を湛えた金の瞳はをつくことを許さない。そんな強い力をもっている。


 その瞳を前に、村長は震える手をぎゅっと握りしめる。心臓が口から飛び出そうになるのを抑えつけ、覚悟を決めて口を開く。


「……この村は自然に恵まれ、畑から採れる豊富な野菜、森で獲れる動物たちと神に恵まれた、といってもいい土地でした」


 そう語る村長の目は細められ、昔を懐かしむよう。

 

「しかし、一年ほど前からでしょうか……森の生き物たちは何かを恐れるように警戒心を強め、森での狩りが困難になっていき、畑で採れていた農作物も、雨がほとんど降らなくなってからは、痩せ細っていくばかり」

 

 眉間に深い皺を刻み、震える唇で村長は続ける。


「私たちは、策を巡らせましたが、結局打開策は見つからないまま……その時、ふと西から来た旅人の言葉を思い出したのです」


「他とは違う。そんな異能を持つ人を生贄に捧げ儀式を行えば、神の恩恵。そう……救世主が現れるだろうと」


 村長の話をじっと聞いていたアーチェは、右手を額に当てて考える。


(天界の泉から見ていた様子だと、この世界の異変は特に感じなかった……)


 アーチェは天界の泉から毎日地上を見ていた。それが彼女の役割なのだから。


(でも実際に地上に立ってみて、そこに住む人の言葉を直接聞いてみたら、色々なことがより鮮明にみえてきた……)


 それだけで、見るだけだった今までとは全然違った。


――――目で直接、地上を観ることで。 

――――肌で直接、その場の雰囲気を感じることで。

――――耳で直接、話を聴くことによって。

 

 上から見ているだけではわからない。地上のこの場所に実際に立つことで、初めてることができた。

 

 作物の不作、森の異常、そして今回の儀式。特に今回の儀式は、この世界に災いをもたらす可能性があった。


「今回の儀式は、結果的には召喚されたのが私だったから良かった。……だけど、人が人の魂を生け贄に儀式をするのは、禁忌に近いことよ。この世界に『災いをもたらす者』が召喚されてもおかしくなかった」


「『災いをもたらす者』ですか?」


「そう。生き物に悪いの力を与えて滅びへと導く。『悪魔』と呼ばれるものね。その力は場合によっては世界すら滅ぼしかねない」


 村長はその言葉を聞き、震える。村の存続を考え、わらにもすがる思いでやった行いが、村だけでなく世界を滅びへと導いたかもしれないのだ。


「私は、私たちはなんということをっ……」


 村人たちは暗い表情で下を向き、強い後悔にさいなまれる。そんな村人たちを見て、アーチェは『神気』をやわらげた。


「誰だって間違いはするものだよ……私だって間違えるもの」


「神であっても……間違えるのですか?」


「そりゃそうだよ。私なんてしょっちゅう間違えて、お父様やラグーナに叱られてるんだから」


 そのことを思い出したのか、アーチェの頬が緩む。


――でもね、と続けて話す。


「その失敗を糧にすることができれば、成長することができるんだよ」


「何がいけなかったのか、どうすればよかったのか。それを想像力を働かせて考える」


「そうして生を歩んでいくんだから」


 想像と慈愛の女神の言葉を聞いた村長。その頬には涙が流れていた。


「私はリヒトを深く傷つけた。……殺そうとしたんだ。謝って許されることではない……」


「そうだね。あなたたちは罪を犯した。でも、リヒトは生きてる。だから、リヒトが目覚めたときにどうするか、どういう選択をとるのかは、あなたたち次第だよ」

 

 アーチェは村人たちが涙を流すのを見守った後、リヒトを休ませるため、家まで案内してもらう――。



 アーチェは道中、村長から「どうして、水を纏っていらっしゃるのですか?」という言葉を受け、疑問に思ったが、自分が泉に落ちたままの姿だったのに気付き、いきなりの失敗と後悔に赤面するのはまた別の話である。

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