第2話 泉と儀式

 神秘と幻想を織り成す天の世界。様々な色彩しきさいを持つ草花に囲まれた庭園に戻ってきたアーチェは、父がラグーナを呼んでいることを伝えた。

 

 それを聞いて黒竜ラグーナは丸めていた身体を起こし、グッと伸びをする。


(クリティシアスの奴が我を呼び出すなど、珍しい……)


 黒竜は心の中でそう呟くと神殿へと向かっていった。創造神であるクリティシアスと黒竜ラグーナこと、『破壊』を司る神であるラグナロクは古くからの友であった。


「えへへへっ、ラグーナには悪いことをしちゃったかもだけど。私がせっかく人間の良さを教えてたのに、気持ち良さそうに寝ちゃってるなんてさ……天罰だよ天罰っ!」


 天真爛漫てんしんらんまんな少女は、笑ったり、怒ったりと、ころころ表情を変えた。


 そんな魅力的な女神は自身のやりたいことに一段落つけたのか、手を組んだ腕を突き上げ、グッと背筋を伸ばす。


 アーチェは腕を下ろすと、頬を二回パンッパンッと叩き、次の課題に思考を切り替える。


「さてと、地上の様子でも見てみよっと」


 そう言って、庭園の中央にある泉に向かっていく。

 

 アーチェの神としての役割は、創造神クリティシアスが創った世界の一つを見守ることだ。いつかは他の神々のように世界に直接行き、世界を管理することもあるかもしれない。

 

 彼女は神としては若く、未熟だ。

 

 生まれてから天界の外の世界を知らない彼女は、泉を通して地上世界を見て、その世界について、そしてそこに住むものたちについて学んでいく。

 

 アーチェは泉の前で腰を下ろして、泉を覗き込む。

 

「地上は特に異常無なし……って、なんだろうこれ?」


 泉の一部にモヤがかかっておりよく見えない。神々しさを思わせる黄金の瞳を持つ女神。その目を凝らしてみてもモヤは晴れない。


 (こんなこと初めて……)


 未知の出来事に少女の好奇心が刺激される。抗えない誘惑に誘われるように、彼女は美しくて華奢な乳白色の右腕を伸ばす。


 かがんで腕を伸ばす女神。そのまっすぐで綺麗な細身の背中はつい後ろから押したくなる、そんな魅力を持っている。一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが絵になる、そんな女神の姿。


 アーチェの細い指先が泉に触れる。


――――瞬間。


 七色のモヤが泉から出てきて、アーチェの細い右腕にタコの触腕しょくわんのようなモヤが絡む。それは実体を持っていた。――絶対に離さない、そんな強い力。


「……へっ!?」


 驚きに目を見開き、変な声を上げるアーチェ。強い意志を持つ虹色のモヤ。その強想きょうそうは華奢な少女を泉に引きずり込んだ。愛しき女神を世界に引き寄せた。


「ひゃあぁあぁあぁッ」


――――ドッボーーンッ



 アーチェの悲鳴を聞きつけ慌てた様子でやってきたクリティシアスとラグーナの前にはアーチェの姿はなく、あるのは大きな波紋が広がっている泉だけだった。


「「まさか……」」


 一人と一頭の考えが一致した瞬間だった。



◆◆◆



 中央大陸の西に自然に囲まれた村があった。


 この村は様々な食物が収穫できていた村だったが、ここ最近、雨がまるで降らず農作物の不作が続き、森に狩りに行こうにも、獣たちはなぜか警戒心を普段以上に強めていて、狩りに行った若者たちにも成果をあげられていなかった。おまけに森で巨大な化物を見た。なんてことを言い出す始末だ。

 

 

「どうして、こんなことになったんだろう……」


 陽光に照らされた村。その広場で、焦げ茶の髪色の青年が木にはりつけにされていた。その黄色の瞳は恐怖を宿している。青年の名前はリヒトという。変わったところはあるが、この村に住む村人の一人だった。


「僕はこのまま……ここで死ぬんだろうか……」


 何も考えられない、そんな悲しげな表情で呟く。


 幼い頃からリヒトは、不思議なことに石の声を聞くことができた。しかし、そのことで他の村人たちからは気味悪がられ避けられており、当然友達などいなかった。

 

 でも、リヒトは寂しくなかった。だって石たちが話相手になってくれたから。石たちはリヒトの大切な友達だった。

 

 

――――村人たちはそんなリヒトの他とは違う力を恐れていた。


 人間という生き物はそれぞれがさまざまな価値観を持っている。その価値観という視点を通して人は世界を見ているのだ。人は自分の価値観の視点でものを見て、異質なものを受け入れられない。


 例えば村で誰か一人を犠牲にするとしたら、理解できない力を持つリヒトが選ばれるだろう。

 

 そう、選ばれたのだった。


 

――――ある時、西の大陸から来た男が言っていた言葉だ。


『人間の魂を生け贄にする儀式を行うことで、神の恩恵を受けられます』


 最初は嘘話だと誰も信じていなかったし、人を殺してまで恩恵を受けたいとも思わなかった。しかし、状況は変わった。多くの命を救うため、一人を犠牲にする。


 ……気づいたら村は、そんな状況にまで追い込まれていたのだ――。



「それでは、これより儀式を始める」


 力のある、村長の声とともに松明を持った村男が、はりつけにされたリヒトの元に近づいていく。

 

 リヒトの足元にはたくさんの石が転がっている。犠牲にする負い目からなのか、彼の異能の象徴ともいえる石たちが置かれていた。


――――その石は、どこか泣いているように感じられる。


 そして、磔台の下にかれたわらに火がつけられた。


――――瞬間。


 薄らいでいたリヒトの意識が、火の生み出す鋭い痛みにより覚醒する。


「熱い。熱い、熱い、熱い、熱いっ」


 地獄のような激痛がリヒトを襲う。どれだけもがいても、磔にされた身体は微動だにしない。どれだけ泣いて暴れても無慈悲の炎はリヒトに永遠のような苦痛を与える。


「っいやだっっ、まだじにだぐないっっ!!」


「ッ神よ! 悪魔に魅入られしものの魂を贄に捧げます。どうか我らの村に天の恵みを与えてくださいッ!!」


 村長の掛け声とともに集まった人々は、それぞれ天に祈りを捧げる。周りの村人の反応は、人それぞれだ。


 祈りながら、茫然と立ち尽くす者。

 涙を流す者。

 祈りの手が固く組み合わされている者。

 何を考えているのか表情からは読み取れない者。


――徐々に霞んでいく意識の中リヒトは思う。

 

(死んだらこの地獄のような苦痛からも解放されるのかな……)


 足元からは、石たちの悲痛な声が聞こえる。

 

(自分の死ぬ間際にも、悲しんでくれるものたちがいる。それなら自分の人生の意味はあったのかな?)


 そんな風に思ったリヒトは少しだけ救われた気持ちになった。

 

(でも神様……もしいるのなら、この石たちを苦しみから救ってください)


(大切なものが、なにもできずに死んでいく。それを、ただ見ていることしかできないのは辛く、悲しく、悔しいことだから)

 

 石は自分では動けない。そんな哀れな石たちの心を救うことを。薄れる意識の中、神様に願った。



――――突如周囲が強い光に包まれる。

 

 人々は、その光に目を開けていられない。


――――ドンッ


 何かが落下したような音がした。


「いったぁぁ……」


――――可愛らしい声が周囲に響いた。

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