始源の女神と終末の黒竜 ~女神と竜は地上巡りの旅に出る。そして迎える最期の物語~

鰯ン

一章 大地の章

第1話 少女の想い

 橙色だいだいろの陽光は、じきに日が沈み、闇が世界をおおうことを地上に告げている。

 

 地上の全てを見渡せるような山のいただき

 そこには、巨大な体躯たいくを持つ黒竜。そして、黒竜の身体に背を預け、倒れ込むように座る白髪の少女がいた。


「ねぇラグーナ……これからの世界はどんなふうになっていくんだろうね……」


 純白じゅんぱくだった少女の髪は、くすんでおり、その身体は触れると消えてしまう。そんなはかなげな、雪のような印象を思わせる。

 

 二つのまぶたは閉じられており、黄金の月のように綺麗きれいな瞳は、もう光を映すことは無いだろう。

 

 彼女の着ている真っ白なお気に入りのドレス。その腹部は生命の力が流れ出るように赤く染まっていた。


「……アーチェよ、お前の信じた世界なのだ。……時を重ねるごとに、これからも成長し続けるだろうよ」


 ラグーナと呼ばれた黒竜は優しく答える。

 

 長い時の中、数多あまたの攻撃にかすり傷一つ負わなかった全身を覆う漆黒の甲殻こうかくうろこ

 それは、主である少女の生と繋がっているかのようにヒビが生じており、今にもくずれてしまいそうだ。


「えへへっ……私が信じた……世界、だもんね。皆は私が居なくなっても、この世界を守り、導いてくれる……私が信じた人たちだもん」


――――少女は散りゆく花のように微笑ほほえむ。

 

 普段であれば、山の頂に吹き荒れるであろう風は、最期さいごの会話を邪魔してはいけないとわかっているかのように静かだ。


「……お前がいなければ、われは、人を弱いだけの生き物だと思っていただろう」


「……ふふっ、なにそれ……昔、言ったじゃない。……人間は凄い生き物、だって」


 少女は、もう力の入らない手でそっと竜の鼻筋を撫でる。

 そうして、ゆっくりと深い呼吸をしながら、今はもう懐かしい……そんな過去を夢想むそうする。


――――始まりの出来事を。そして、それからの出来事を。


―――――――――――― 


――――――――


――――


 ここは天界にある神殿。色とりどりの草花が咲き乱れる庭園に一人の少女と一頭の竜がいた。


「ねぇラグーナっ! お父様の造った世界に住む人間って凄いと思わない?」

 

 大きな竜に背をもたれさせる少女は、雪のように真っ白な髪色のおさげをふわりと浮かせ、黒竜の顔を見つめた。


 少し幼さの残る、可愛らしい顔立ちの少女は、黄金おうごんの瞳を輝かせてそう言った。


「アーチェよ……突然何を言い出すかと思えば……人間などわれの吐息で絶滅する、弱きものであろう? 一体何が凄いというのだ……」


 星無ほしなそらを思わせる、漆黒色の鱗と甲殻で覆われた全身。

 少女に似た黄金の瞳を持つ、黒竜ラグーナは、少女のそばで困惑した表情でそう返す。

 

「もうっ……なんで生き物の強さを、力の強さだけで判断しようとするのよっ!!」


 ラグーナの言葉に、アーチェと呼ばれた少女は、ほんのりしゅを帯びた頬を膨らませ、抗議の意を示す。


「……ダメなのか? ……では、人間の強さとやらを我に教えてくれ」


「任せてよっ! ラグーナにも人間のいいところをわかってもらえるように私っ、頑張るから!」


 胸を叩いて、自信満々に微笑む少女は、身振り手振りを使い、人間の魅力を語り始める。

 

 その音色のように奏でられる声、それは安心感と心地よさを感じさせる。

 柔らかな声を聞きながら、深い水の中に引き込まれる。そんな眠気を覚えたラグーナの意識は、夢の世界へ旅立っていく。


 

――――ラグーナが目覚めた後、ご立腹りっぷくの少女が目の前にいたのはまた別の話である。


 

 ◆◆◆



 庭園で、ラグーナと別れたアーチェは、神殿の奥へと足を運んでいた。煌びやかな神殿の奥。そこでアーチェは目の前の人物を見る。

 

 真っ白な髪色をした整った顔立ちの男は、アーチェにどこか似た気配を持っていた。しかし、明らかに異質の雰囲気を持つ。

 

 それもそのはずで、男は『創造そうぞう』をつかさどる神にして、この天界における最高神なのだ。そしてアーチェの父親でもある。


「ねぇ、お父様。お父様の造られた地上の世界に私の『力』を与えてはだめかしら?」

 

 アーチェは手を組み、父におねだりをする。


 『力』とは神が神秘的な出来事を引き起こすための源で、神力ともいう。世界が力を持ったなら無から有を生み出すような様々な現象が起きるようになる。そんな超常の力である。


「お前があの世界を気に入っているのは知っているが、それはできん。人間の知は無限の可能性を秘めている。しかし、それゆえに不確定要素が多すぎるのだ」


 アーチェがその世界を誕生時から見守っており、その世界に慈しみを抱いているのを、彼女の父であり、創造神である男は理解していた。

 

 しかし、そんなアーチェの提案を否定する。知性は時にわざわいをもたらす。『力』を与えるのなら慎重に行動するべきだという彼なりの考えがあった。


「うーん、でも不確定要素があるからこそ、神の想像すら上回る何かを、人は生み出してくれると思うんだけど……」


 そんな父の言葉にあまり納得していないのか、アーチェは不満げな表情で呟く。『想像』と『慈愛』を司る彼女は、その力があれば世界はもっと豊かになると信じていた。


時期尚早じきしょうそうだな。まずは人間についてじっくりと知る必要がある。『力』を与えるかどうかは、それからでいいだろう」

 

 どうやら創造神は考えを変えるつもりはないようだ。


「それで、他には何かあるか?」


「……」


 しばらく考えていたアーチェだったが、思考を放棄した。


「そうだっ! お父様。ラグーナが居眠りしてました!」


「ふむ……ラグナロクにここに来るように伝えておけ」


「はい! 伝えておきますっ」


 少し前の出来事を根に持っていたアーチェは、父にラグーナの居眠りを告げ口した。


 えへへっと悪戯をする無邪気な子供のような笑みをたずさえた少女。扉の方へ向かっていく。その足取りは羽のように軽やかなものだった――。

 

 その背中を見ながら創造神は一人呟く。

「何も起きぬと良いのだがな……」

 

 その呟きは誰にも聞かれることなく、広い空間に消えていった。

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