めおとや

惣山沙樹

めおとや

 僕の兄は思いつきで行動する。三十をとうにこえた大人であり、実行力があるのがタチが悪い。


「瞬! カーシェア予約した! ドライブするぞ!」

「いきなりだねぇ……」


 僕たちは都会に住んでいるため、基本的に車を使わない。ただ、兄は免許を持っていて、十五分単位で車を借りることができるカーシェアをたまに使っている。

 兄は一度言い出すと聞かないし、僕も暇を持て余していたので、コンビニで飲み物とお菓子を買って車に乗った。


「兄さん、どこ行くの?」

「山の方。美味いラーメン屋があるらしいんだよ」

「へぇ」


 兄はカーナビを設定しようとしたが、上手くいかないようだった。


「名前じゃ出ないな。電話番号で調べるか。瞬、めおとや、ラーメンで検索してくれ」

「めおとや? 平仮名?」

「うん」


 僕はスマホをタップした。それらしい、赤いのれんのかかったラーメン屋がヒットした。


「えーと、じゃあ言うよ……」


 僕は電話番号を言った。どうやら設定できたみたいだ。車が発進してからも、僕は「めおとや」のページを見ていた。


「兄さん。本当にここ、おいしいの? レビューついてないし、店の外の画像だけで肝心のラーメンの画像が載ってないんだよ」

「そうなのか? 俺もよく調べてなかったけど」

「そもそも、何でこのラーメン屋知ったの?」

「この前バーで飲んでた時、オッサンと知り合ってさ。それで教えてもらった」

「へぇ……」


 僕はラーメンよりも、そのオッサンとやらの話の方が気になってきた。


「兄さん僕に内緒でバーなんて行ってたんだ」

「別に内緒にしてたわけじゃないぞ。お前がいなくて暇だっただけ」

「そのオッサンとは何もなかったでしょうね?」

「当たり前だろ。自分は散々浮気しといて俺には厳しいの何なの?」


 僕は涼しい顔でコーヒーを飲んだ。この前のアレはバレているのかいないのか……まあいい。濁そう。


「兄さんお菓子食べる?」

「食わせてくれ」


 僕は兄の口にスナック菓子を放り込んだ。

 それから、車はどんどん人気のないところに入っていった。対向車もほとんど来ない。落石注意の標識が出ていて、僕は不安になってきた。


「兄さん、本当にその、めおとや行くの?」

「ここまで来ておいて引き返すの嫌だよ。ほら、あとちょっとだ」


 見えてきたのは、画像で見た通りの赤いのれんがかかった平屋だった。駐車場は二台分。どちらも空いており、店舗に近い方に兄は車を停めた。

 真夏で、山の中だというのに、辺りはしんと静まり返っていた。蝉の声が全く聞こえない。加えてどことなく寒い。僕はどんどん嫌な予感がしてきたが、兄はそんな僕の様子を気にすることなく、勢いよく扉を開けた。


「いらっしゃいませぇ!」


 中に居たのは、二十代くらいの若い女性だった。てっきり老夫婦が営んでいるものと勝手に決めつけていた僕は拍子抜けした。


「二名様ですね。お好きな席にどうぞ」


 お好きな、と言われてもカウンター席のみ。僕たちの他には客がいない。兄はさっさと真ん中の方の席に腰掛けた。僕はその隣に座った。


「お冷ですぅ!」


 素早く女性がコップを並べてきた。やけにハキハキしている。厨房には若い男性が一人。この二人が夫婦で「めおとや」というのだろうか。


「瞬、何にする?」

「えっとね……」


 二人でメニューをめくった。何てことのない、普通の品揃えだ。メインの醤油ラーメンにトッピングの一覧。チャーハンやギョーザ。ビールもあったが車で来ているのでナシだ。僕は言った。


「チャーハン美味しそう。二人で分けない?」

「そうだな。俺はラーメン大盛りにしてっと」


 兄が女性に注文を告げて、僕はメニューの写真を撮っていった。


「瞬、何してんだ?」

「ネットに載せようと思って。外観の写真しかなかったし」

「マメだなぁ」


 ほどなくして届いたラーメンとチャーハンは、表現に困るほどの「ごく普通」の見た目だった。とりあえず写真を撮り、そんなに期待せずにレンゲを持ったのだが……スープを飲んで驚いた。


「わっ、美味しいね兄さん!」

「そうだな!」


 ベースはしょうゆ。甘すぎず、しょっぱすぎない絶妙なバランス。口当たりはまろやかで、深い味わいがあった。

 麺やチャーハンは大したことがなかったが、とにかくそのスープが絶品で、僕も兄も最後の一滴まで飲み干してしまった。


「はぁ、満足満足。連れてきてくれてありがとう、兄さん」


 僕たちは店の前に置いてあった灰皿でタバコを吸ってから車に戻った。


「じゃ、帰るか」

「兄さん夕飯どうする?」

「満腹で考えられねぇよ。また後で決めよう」


 そうして、十五分ほど山道を下った時だった。


「うっ……」


 突然、めまいがしてきた。目を開けていられない。兄さん、と呼ぼうとすると、兄はハンドルを切って路肩に停めた。


「悪い、瞬……何か気分悪い……」

「えっ……僕もなんだけど……」 


 ぶわっと冷や汗も出てきた。僕はシートに身体を預け、だらりと手足を投げ出して浅く息をした。




 僕は畳の上に寝転がっていた。周りは暗い。締め切られている。漂っているのは、さっき食べたラーメンのスープの香りだ。


「何? どこ……?」


 暗闇に目が慣れてくると、僕のすぐそばにホースのようなものが落ちていることに気付いた。

 そして「それ」は、動いた。


「ぎゃっ……!」


 蛇だ。僕は慌てて立ち上がり、出口を求めて畳の上を駆けずり回ったが、四方は木の板で打ち付けられており、出られそうな場所はない。僕があたふたしている間に、蛇は僕の足首に巻き付いてきた。


「う……うわぁっ……わっ……!」


 そして、意識が途切れた。




「瞬! 瞬っ!」


 僕は激しく揺り動かされていた。目を開けると、びっしょり汗をかいた兄が荒く息を吐いていた。


「兄さん……変な夢見てた……」

「俺もだ。蛇が出てきた」

「兄さんも……?」


 二人とも落ち着いたところで、兄が強引に話をまとめた。


「絶対にあのラーメンのせいだ。あれ食べてからどっちもおかしくなったんだからな。文句言いに行こう」

「も、戻るの?」

「当たり前だ」


 兄は車をUターンさせ、「めおとや」に向かったのだが。


「あれっ……?」


 そこは空き地だった。地面がむき出しになっており、まばらに雑草が生えていた。


「兄さん、道間違えた?」

「そんなわけねぇよ。一本道だったんだから」


 車を降りてみると、僕は地面に吸い殻が二つ落ちているのを見つけた。僕たちが吸ったタバコだ。


「に、兄さん……」

「やべぇとこ来たみたいだな、俺たち……」


 逃げるように車に乗り込んだ。僕はスマホを取り出し、撮ったはずのメニューやラーメンの画像を探したのだが、一枚残らずなくなっていた。


「瞬……今日のことはアレだ。忘れよう」

「その方がいいね」


 あれから少しして、好奇心が抑えられなくなった僕は、「めおとや」をスマホで検索したのだが、店の情報すらネットからは消えていて、結局わけがわからないままだ。

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めおとや 惣山沙樹 @saki-souyama

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