D.C.
奈菜子
第1話
ついに殺してしまった。
最後に放たれた抵抗の声が、流された赤い血が、この化け物もまた、私達と同じ人間であったのだと私に教えた。
目の前で刻々と生気を失っていく化け物と、震える両手で握っているナイフから滴る鮮血を交互に見れば、ほんの些細な達成感と、それを遥かに上回る不快感が頭を支配する。これは仕方のないことだといくら自分に言い聞かせても、吐き気が止まる気配はない。
祖国が戦争に負けてから数十年、私達は死にながら生きる日々を過ごしていた。必要最低限の衣食住、足りない睡眠、終わりの見えない重労働。いくら真面目に過ごしても浴びせられるのは罵詈雑言だけ。
生きていることの喜びや幸せなんてとうの昔になくなってしまった。締め付ける様な喉の渇きと飢餓感、動くたびに悲鳴を上げたくなる体の痛みだけが今生きていることを証明した。悲鳴を上げる気力すらもう残っていなかったが。
淡々と激務をこなし続ける生活。いっそ死んでしまいたかった。しかし、私達の心の中で溜まりに溜まった不満や恨みがこのままでいいのか、と問いてくる。答えは勿論、否。この惨状を変えねばならぬ。家族のために、仲間のために、後世のために。そして何より、自分のために。
私達は監視の目を欺いて革命の準備をし続けた。ある者は盗みを犯し、ある者は色仕掛けを試みて、ある者は子供たちに戦う術を教えた。どんなに些細なことでも、どれかがバレて仕舞えば、芋蔓式に全てバレてしまうだろう。だから私達は慎重に、長い年月をかけて準備をし続けた。
そして今日、戦争の火蓋が切られた。いや、私が切ったのだ。私達を見張る化け物を束ねる更なる化け物の殺害に成功した。所詮は奴隷だと高を括って油断していたに違いない。様を見ろ。手を震わせたまま口角を上げ、途切れ途切れの笑い声を漏らしては、思い出したかのようにえずく。
こんなことをしている場合ではないのだ。化け物達に状況を把握される前に仲間達に作戦成功を伝えなくては。死体の衣服を慌てて漁って鍵の束と無線機を奪い取る。化け物は抵抗しなかった。当たり前のことだったが、何故か酷く不気味に思えて呼吸が更に荒くなる。
無線機の横についた赤いボタン。緊急のアラームのボタン。変な動きをすればすぐに押すと幾度も脅されてきた。しかし、アラームで異変に気がつくのは化け物達だけではない。
呼吸を無理やり整え、瞼を目が痛くなるほど強く閉じると同時に無線機を持つ手に力を込めれば、名状し難い不協和音が獄中に鳴り響いた。
それを合図に扉を勢いよく開けて飛び出す。付近の化け物がこちらを振り返る。伸ばされた手から逃げる。
逃げて、逃げて、刺して、逃げて、走って、刺して、走って、立ち向かって、戦って。激しく動き続けているはずなのに不思議と呼吸は整い、吐き気は治り、言語化できない不快感はなくなっていった。
アラームが鳴ってからどれだけの時間が経ったのだろうか。とても長い時間に思えたが、実際は一瞬の出来事だったのかも知れない。あれから焦る声や怒号、悲鳴に泣き声で溢れ返った。今は静寂に包まれている。壁も床も赤く染まり、精巧に作られた人形が至る所に転がっていた。もうこれらの清掃に追われる必要はない。
カシャ、カシャ、と歩くたびに金属製の鎧が擦れる音がする。最初は慣れず動きにくかったが、次第に違和感なく剣を振れるようになった。自らが動く音だけが聞こえていたが、一瞬、少し離れた場所で同じく金属が擦れる音がした。音がすぐに止んだことから、私と同じように虫の駆除を行っているわけではないのだろう。
カシャ、カシャ、カシャ。少し歩いて視線を落とせば、羽虫が一匹。こちらを見ては顔を青くさせ、口を小さく開閉しながら震え出した。そんな様子を気にせず剣を抜けば、慌てた静止の声が私にかかる。しかし、奴が言い切るよりも早く私の腕が下りた。
羽虫が身につけていた鎧と剣を持って仲間達の元へ帰る。すると、私を見た仲間達は目を輝かせ、温かく私を出迎えた。さっきのような残党もまだ少しいるが、私達は無事戦争に勝利した。武力を持つものは排除し、そうでないものはチュウジツな労働者にした。
羽虫を統率していた蝿を討伐し、その後も戦い続けた私はそれなりの地位を手に入れたため、労働者達をどう扱うかは私に一任されている。
とりあえず、戦争で散らかってしまった場所の清掃を頼もう。食料の確保も行わなくてはならないので田畑の整備もお願いしよう。情勢が落ち着くまでは労働者達には我慢を強いることになってしまう。しかし、戦争が終わってすぐのこの惨状では私達の衣食住すらままならないのだから、労働者達にはしっかりと働いてもらい、私達の生活水準を積極的に上げてもらわなくては。
あれから幾年がすぎ、我々はとても充実した生活を送っていた。当初の計画よりもずっと。最初はチュウジツな労働者達が私達に反抗することもあったが、しっかりと躾を行ったおかげか、最近はもうなくなっていた。そんな状態だから、私も少し気が抜けていたのだろう。
特にチュウジツである労働者の一人に不備があるから来て欲しい、と呼ばれた。生憎私以外の見守りをしている人が周囲にいなかったため、仕方なく二人で作業場の奥へと向かった。言われた箇所を一通り確認したが、不備という不備は見つけられなかった。不思議に思い振り返ると、そこには身に覚えのあるニンゲンがいた。
酷く怯えていながら何か覚悟を決めたような目をしたニンゲン。その目には化け物が映っていた。
既視感の正体に気がつき声を上げるも鋭い痛みと共に意識は遠のいていった。
D.C. 奈菜子 @anonymous0116
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