短編・中編小説置き場

夜須香夜(やすかや)

森のオルゴール 第1話

 阿毛川秀男と山野辺茜は兄弟だ。両親が離婚して、それぞれについていった。特にどちらについていっても良かった。両親が決めたことだ。

 阿毛川と山野辺は数ヶ月に一度会うことにしている。いつからだったか。社会人になって少し経ってからだ。学生の間は、会っていなかった。

 上等なレストランではなくて、いつも適当な喫茶店やファミレスを選んで食事をして帰る。それだけだ。

 今日は、質素な喫茶店を選んだ。なぜか、毎回違うところで食事をしている。今日の喫茶店はコーヒーがあまり美味くないと有名らしい。コーヒーに美味いも不味いもあるのかと、阿毛川は思った。

 喫茶店は木造建築だった。木のドアに、木の壁、木の柱。燃えてしまえば、一瞬で消えそうなほどに木材だらけだ。そして、テーブルや椅子まで木材ときた。ここの店主は木が好きなのだろうか、それか喫茶店というものは木材を使う店舗だと勘違いしていると、阿毛川は考えた。木材でできた店舗や家具には木の種類の統一感は全くなかった。木に詳しくない阿毛川でもわかる。色が全く違う。茶色だったり、ベージュだったり、濃い茶色だったりしている。建築家はこの喫茶店が建つ前に外観や内装に違和感を覚えなかったのだろうか。

 そんな事を考えていると、コーヒーと軽食が運ばれてきた。

 阿毛川はコーヒーの匂いを消すようなスパイスの効いたカレーライスを選んだ。もちろん、美味しくないと噂のコーヒーをミルク付きで注文している。コーヒーは食後に来ることになっている。

 山野辺は野菜とハムだけが挟まっている簡素なサンドイッチを頼んでいた。サンドイッチを水で流し込むのが嫌だったのか、カフェラテを食前に届くようにしていた。

「兄さん」

 山野辺が阿毛川を呼んだ。阿毛川はカレーライスを口に運ぼうとしたまま止まった。

「玉森さんを見たよ」

 玉森とは、阿毛川の大学時代からの友人だった。

 その言葉を聞き、阿毛川は目を丸くした。いつもは眠そうな、人を睨みつけたような目をしている。その目がいつもの倍は見開いている。

「何か話たか」

 山野辺は首を横に二回振った。

「見ただけさ。でも、わかる。一度だけしか会っていないけれど、あの時に見たのは玉森さんだよ」

「どこで見たんだ」

 山野辺はその言葉に返事をせず、サンドイッチを口に運んだ。

 その行動に阿毛川はイラついた。山野辺は口数が多い方ではない。そして、のんびりしていて、自分のペースは崩さない。

 そんな山野辺とせっかちな阿毛川は性根が合わない。二人だけの兄弟だが、一緒に住んでいたら喧嘩が絶えなかっただろう。山野辺は自分のペースを乱されるのを嫌う。前に、阿毛川に急かされた時に激昂して、次々回の食事まで口を訊かなかった。

 だから、阿毛川はイラつくのを抑えて、自分が聞きたい玉森の話の続きを待った。

「ねえ、兄さん。森の中のオルゴールは知っているかい」

「何の話だ」

「知っているかい」

 山野辺は阿毛川の言葉を無視して再度聞いた。

 阿毛川は舌打ちしたいのを抑えて、ようやくカレーライスを口に運んだ。

 不味い。スパイスが効きすぎていて、複雑な味が舌を支配した。

「知らない」

 不味いカレーライスを咀嚼してから、答えた。

「そう。ねえ、兄さん。森の中にオルゴールがあるんだよ」

「……それがどうしたんだよ」

 一向に始まらない玉森の話にイライラしながらも、話を聞いてやることにした。

「大きなオルゴールだよ。森の奥の池の中にあるのさ。水没しているのに、音が鳴っているんだ。あれはクラシックかな。音楽に詳しくないから、わからないんだ。兄さんなら博識だし、知っているかも。あの曲が知りたいんだ」

「それと玉森に何の関係があるんだよ」

 カレーライスは不味いし、玉森の話は始まらないしで、阿毛川はとうとう痺れを切らして、聞いてしまった。

「ああ。玉森さんね」

 山野辺は次にカフェオレを口に含んだ。

 一瞬、顔をしかめたが、そのまま喉に流し入れる。ふうと息を吐くと、口が弧を描いた。

「オルゴールの中にいたんだ」

「は? 何を……」

「だから、オルゴールの中にいたのさ。森の奥の池の中のオルゴールの中にいたんだよ。あれはすごいことだよ。水没しているオルゴールの中に玉森さんがいたんだよ。曲を奏でているのは玉森さんだ。絶対にそうだ。ねえ、兄さん。あそこに一緒に行こうよ。ねえ」

 山野辺は興奮したように早口で一息も入れずにそう言った。

「そうしてさ、引きずり出すんだよ。そして、僕があの中に入るんだよ! ねえ、兄さん!」

 山野辺は喫茶店の小規模さにも構わず大きな声を出した。

 いつも小さな声で話す山野辺はどこにもいない。

「落ち着けよ」

「落ち着いていられるか。あの中には世界が、夢が、音楽が、全部入っている。あのオルゴールの中に入れば! 全部、僕のものだ!」

 山野辺は興奮しすぎたのか、息が荒い。呼吸をするためなのか、上を向いた。

「ねえ、兄さん」

 興奮がおさまり、調子が戻ったのか、最初に話していたような声で話し出す。上を向いたままだ。

「今から森に行こう」

「この格好でか」

 山野辺は正面に向き直った。笑顔は消えて、いつもと変わらぬ顔に戻っていた。

 二人は軽装……普段着のままだ。森の中に行くのに普通の格好は心許ない。

「この格好でいいのさ。玉森さんも似たような服だった。ねえ、兄さん。僕の願いを聞いてよ。一緒にいこう」

「俺は行かない」

 本当は行きたい。玉森を探しに行きたいと、阿毛川は思ったが、こんな軽装で行ってどうするんだという冷静な気持ちがあった。それに、山野辺が言うことに信憑性がないからだ。夢でも見たんじゃないかと考えている。

「兄さんもそう言うのか。佐山も一緒には行ってくれないんだ」

 佐山とは山野辺の同僚だ。山野辺と佐山は仲が良いのかと思っていたが、断られたようだ。まず、森にオルゴールがあるという話自体がよくわからない。

「佐山……」

 山野辺は次はうなだれて、サンドイッチを見つめた。

「佐山にはわからないんだ。あれがどれだけすごいことなのか。でもさあ、兄さんなら、兄さんなら、わかってくれるよね。一緒にいこうよ」

「だから、俺は」

「いこう」

 山野辺はうなだれていた頭を上げて、阿毛川をじっと見つめた。

 阿毛川は、答えられなかった。否定したら、また、山野辺が興奮しないかと心配した。

 しかし、今度は山野辺が痺れを切らしたのか、顔を歪めて、口を大きく開いた。

「いこうって言ってるんだよ!」

「おい、落ち着けって」

「一人ではダメだったんだ。誰かが一緒にいないとダメなんだよ。ねえ、兄さん。玉森さんを探していたでしょ。会いたくないの?」

 玉森を探してはいる。どんな手がかりでも、見つけては現地に行っていた。

 会いたいのは、本当だ。だが、それは今なのか。もし、本当に森の中にいるとして。

「ぐだぐだ考えていないで、いくよ」

 サンドイッチが中途半端に残されたまま、山野辺は立ち上がった。

 阿毛川が何かを言う前に、レジに行き、会計を済ませた。立とうとしない阿毛川の腕を引っ張り上げ、二人は喫茶店を出た。

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