第3話
五月になり、僕はあることが気になっていた。片岡愛のことだ。僕は彼女のことを知らない。名前も聞いたことがない。同じクラスにはいないので他クラスにいるか、他学年の可能性もある。もし、本当に片岡と友達になることになればあの未来からの手紙の信憑性が高まる。逆に言えば五月中、片岡と出会わなければあの手紙は嘘を書いていたことになるので美月が死ぬこともないはずだ。
美月が学校を休んだ。風邪をひいて熱を出したらしい。看病をするから僕も休むと言ったら、サボりたいだけでしょと言われて、ちゃんと学校に行けと言われた。まったくその通りなんだが多分、美月のことだから僕に風邪を移したくなかったのだろう。幼馴染なのだから少しくらいは迷惑をかけて欲しいものだが僕なんかに掛けられる迷惑など彼女にはないのだろう。情けない話だ。
昼休み、僕は弁当をすぐに平らげてから図書室に向かう。美月が一日いないだけでこんなに惨めな気分になるなら永遠にいなくなったら僕はどうなってしまうのだろうかと嫌なことを想像してしまう。
図書室は二階にある。教室は三階なので階段を降りる。誰もいない廊下を歩いて図書室の前に着く。引き戸を開けるとカウンターに一人、背の低い女子が立っていた。僕は図書室の中に入って適当に時間を潰すための本を探す。普段ならミステリーを読むのだがSFに惹かれてしまう。届いた奇妙な手紙の影響だろう。僕はその本を持って近くの椅子に座る。図書室には僕とカウンターで突っ立っている彼女しかいない。僕以外誰もいないのだから椅子にでも座れば良いのにと思っているとその彼女がなぜか僕の方までやってくる。そして、僕の隣の椅子に腰掛けた。
「それ、面白いですよね」
僕が持っている小説を指差して彼女は言った。
「あー、ごめん。まだ読んでなくて」
「あ、ごめんなさい」
「謝らなくて良いよ。それより、昼休みなのに大変だね」
「図書委員なので仕方ないです」
小さいし敬語だから、後輩なのかな。気になったので聞くことにする。
「僕は二年A組の渡部優也。君は?」
「私も二年です。二年B組」
同じ学年だったとは。失礼な感じになってしまった。ただ、謝ったらもっとおかしな感じになってしまうので話題を変えることにする。
「君も本好きなの?」
「はい。だから、図書委員をやっています」
「同じ学年なんだから敬語じゃなくて良いよ」
「そうですか。わかりました」
敬語が抜けていない彼女に僕はクスッと笑う。
「何がおかしいのですか?」
彼女はキョトンとした顔で小首を傾げる。
「おかしいというか面白いなと思っただけ。あ、変な意味じゃなくて」
「変な意味じゃない面白いとは?」
「そう聞かれると難しいなぁ」
「すみません。気にしないでください。皆さん同じような反応をしますので」
どうやら彼女は少し変わっているようだ。
「そのせいか私に友達はいません。いたことがありません」
「そうなんだ」
そんなことないでしょとは言えない違和感を彼女が持っていたので妙に納得してしまった。
僕は頭の後ろに手をやって口を開く。
「まあ、僕で良ければ友達になるよ」
自然とそんなことを口にしていた。
「本当ですか?」
僕に顔を近づけ確認してくる彼女に驚きつつ頷く。
「本当だよ」
「嬉しいです」
笑うと八重歯が覗き、可愛いなと不覚にも思ってしまった。
「そう言えば君、名前は?」
友達になると言うのに名前を聞くという大事なことを忘れていた。
「私の名前は片岡愛です」
彼女の名前を聞いて僕は絶句した。
「どうかされましたか?」
「い、いや。なんでもない」
手紙に記されていた名前を聞いて動揺する僕をよそに友達のできた片岡はとても嬉しそうだった。
放課後、僕が廊下に出ると片岡が壁に寄っかかり待っていた。無視して帰ろうとすると腕を掴まれた。
「なぜ無視するのですか?」
「いや、僕を待っているとは思ってなかったから。何か用?」
「渡部くん、一緒に帰りましょう」
「え?」
「友達とは一緒に帰るのが普通なのでしょう。だから、一緒に帰るのです」
どこで得た知識だよと思ったが一緒に帰るくらい別に良いかと思い直す。
「わかった、一緒に帰ろう」
「帰る途中でカフェに寄りたいのですがよろしいですか?」
それは放課後デートというやつではないかと思ったが片岡にその気はなさそうだ。
「別に良いよ」
「ありがとうございます。では、行きましょうか」
廊下を並んで歩く。階段を同じリズムで降りる。昇降口で靴を履き替え、ローファーを鳴らす。
「私、誰かと一緒に帰るのなんて初めてです」
「そうなのか」
驚くと同時に初めてが僕なんかで申し訳ないなと思った。
「渡部くんが初めてで良かったです」
僕が思っていたことと真逆のことを言われて驚く。
「え、なんで?」
「渡部くんが優しい人だからです」
「そんなことないと思うよ」
「では、優しくないのですか?」
「普通、かな」
あまり自分のことを優しい人間とは思いたくない。自分が優しくないと知った時が怖いから。
「私は渡部くんが優しい人だと思います」
「なんでそう思うの?」
「私と友達になってくれたからです」
ハッキリと言われ、僕は苦笑する。もし、彼女の名前を知っていたらきっと友達になっていなかったはずだ。なりたくても無理矢理にでも距離を取ろうとしたはずだ。優しさなんて関係なく不可抗力で友達になったに過ぎない。
「友達ができて私、とても嬉しかったです」
後悔しそうになっていた僕が少しだけ救われた気分になる。幼馴染を救うなら片岡と友達になるのは避けたかったが避けられなかったのだから仕方ない。ただ、これ以上仕方ないを繰り返すようだと本当に美月は事故に遭ってしまうのではないかと思う。
お互い、それ以上は特に会話をせずにカフェに着く。店内に入り、緑のエプロンをしている店員に注文しようとすると片岡が不安そうに僕を見る。
「どうした?」
僕が聞くと片岡はスマホの画面を見せて言う。
「このドリンクが飲みたいのですが頼み方がわかりません」
片岡が飲みたがっているのは抹茶のフラペチーノだった。
「ああ」
代わりに僕が抹茶のフラペチーノとトールのアイスコーヒーを注文する。
「渡部くんは凄いですね。難しい注文ができるのですから」
ドリンクを受け取り、奥側の席に座るとすぐ片岡にそんなことを言われる。
「幼馴染が好きでよく連れてこられているから慣れただけだよ」
新作のフラペチーノが出る度に一緒に行っている。
「幼馴染さんがいるのですね」
「いるよ。同じクラスの大引美月」
答えてから僕はアイスコーヒーを一口飲む。
「大引美月、あの大引美月ですか?」
「どの大引美月だ?」
「私のクラスメイトが私によく見習いなさいと言う大引美月です」
片岡、そんなこと言われているのかよ。可哀想に。
「完璧な人のようで私とは真逆の女子だそうです」
僕は腕を組んで考える。完璧に見えるかもしれないが天然だし弱点は多くある。虫が苦手なところとかお化け屋敷に入れないところとか。
「完璧な人間なんていないと思うよ」
「え?」
「他人が見えていない弱点があるように、片岡にも他人がまだ見えていない魅力があると僕は思うよ」
それが何かと聞かれたら今は答えられる自信がないけど。
片岡は目を丸くする。頬が心なしか朱色に染まっているような気がした。
店内を出ると空はオレンジから紺色になろうとしていた。
「今日は付き合ってくださりありがとうございました」
片岡はペコリと頭を下げる。
「良いよ。どうせ暇だったし」
「それなら良かったです。もし、迷惑でなければ今度もお願いします」
「うん、全然良いよ」
「ありがとうございます」
ぎこちなく手を振る片岡と別れてからスマホを確認すると美月から連絡が入っていた。
『なぜ看病に来ない?』
お前が看病しなくて良いって言ったからだろとツッコミたくなるが相手は病人なのでやめておく。代わりに、すぐ行くとだけ返信して溜息を吐く。
「世話のかかる幼馴染だ」
コンビニに寄ってから美月の家に着きインターホンを鳴らす。出てきたのはマスクをして目がうつろで辛そうな美月。
「色々と買ってきた」
僕がコンビニ袋を掲げると美月は階段を上がっていく。できるだけ距離を取ろうとしてくれているのだろう。そんな気を遣う必要はないのに美月は意外とそういうところを気にする。
二階にある美月の部屋に入る。入ったことはあるが前に来た時とは違っていた。ピンク色だった部屋は白を基調としたものへと変わっていた。家具としての木の茶色も加わっていた。
「熱はまだありそうだな」
僕がそう言うとベッドに入った美月が頬を膨らませて言う。
「熱のある幼馴染を放っておいて、こんな時間まで一体どこで何をしていたの?」
床に腰を下ろし、僕は苦笑しながら答える。
「カフェに行ってたんだよ。隣のクラスの片岡と」
「片岡?」
「今日、図書室で知り合ってさ。それでカフェに行きたいって言うから」
「ほう、今日知り合って、いきなり放課後カフェデートですか。病人の幼馴染を放っておいて、ほう」
「ほう、ほう、お前はフクロウか!」
「まあ、ちゃんと報告したから許してあげる」
僕のツッコミを華麗にスルーした美月に僕は溜息をつく。
「なんでお前の許しが必要なんだよ」
「幼馴染だから」
「それだけかよ」
ふっと笑い、美月は起き上がって言う。
「助けにきてくれてありがとう、優也」
耳元で囁かれ、むず痒い。
「お前が呼んだんだろ」
「そうだったね」
美月が困ったように笑うので僕は逃げるようにキッチンに向かう。
「お粥作ってあげるからキッチン使う。食欲あるか?」
「うん、あるよ」
「それなら良かった。買ってきたものを無駄にしなくて済む」
僕は玉子入りのお粥を作った。それをお盆に乗せて美月の元に運ぶ。
「熱いから気をつけて食べなよ」
「フーフーしてくれないの?」
「なんで僕がそんなことしないといけないんだよ」
「……幼馴染だから?」
「そんなこと首を傾げて言われても困るんだけど」
僕は溜息を吐いてレンゲを手に取り、お粥を掬う。
「フーフーは嫌だけど、食べさせるくらいならしてあげるよ」
「いらない」
照れながら言う僕に対して真顔で美月は言った。
「嘘嘘、そんなガッカリしないでよ」
「ガッカリなんてしてないよ。酷いなと思っただけだ」
「優也にアーンして欲しいよ。早く風邪が治りそうだしね」
「アーンに免疫力アップなんて期待しない方が良いぞ」
僕は苦笑して美月にお粥を食べさせた。
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