エピローグ


 僕は10年前のそれと同じように、回復行為の試みとしてこの文章を書いた。しかしかつての試みが修復――つまりマイナスをゼロに戻すという感覚が強かったのに対し、此度のそれは成長――つまりマイナスに一旦は行ってしまったモノを僅かながらもプラスへと引っ張っているような印象を抱きながら筆を走らせていた。折れた骨が治ることによっていささかその長さを伸ばすように、酷使した後の筋肉が超回復を起こして肥大していくのと同じように。


 あるいはそれは僕の思い違いかもしれない。大きな傷を負った皮膚が綺麗に元通りになることなく隆起してしまうのと同じようなモノなのかもしれない。


 でも、と僕は思う。いずれにせよ、僕の心はその表面積を増やせているということだ。そしてネガティブなはずの僕がこんなふうに前向きにモノゴトを捉えられるようになっていることは、たしかないい変化だろう。ナオに「どう思う?」と訊いてみれば「僕は好きだな」と応えてくれるに違いない。



 くり返すようで申しわけないが、言葉とは詰まるところ、心の動きが翻訳されたカタチのひとつにすぎない。トモはそれをスケッチブックやキャンパスに顕し、ねこは歌にして表現する。同じ場所から発せられた、同じ類の、しかしやはり各々違う叫び。それぞれに素晴らしく、愛らしい心の作用だ。奇抜な色の空も、やたらに風刺的なバラードも、行き先不明の文章も。それらがどのような人に、どのようなカタチで届くのか? 僕にはやはりわからない。誰にも届かない可能性もあるし、届いたと思った矢先にあらん限りの力で突き返されるかもしれない。けれど少なくとも、その発信源は――ねこの言葉を鵜呑みにするのなら――「愛」らしい。ならば、と僕はさらに思う。ならば、どうなってもいいじゃないか、と。誰が受け取ろうが、あるいは受け取られなくとも、それは愛なのだ。僕が自分で出せた答ではないけれど、僕はそれを心から信じることができる。その種に、優しく水を撒くことができる。



 僕は筆を置き、イヤフォンを耳に嵌める。僕が世界で1番好きな歌手の、世界で1番好きな歌を聴くためだ。スマートフォンのオリジナル・アルバムを開き、その曲をタップする。アコースティック・ギターのアルペジオが耳に着地する。空に浮かんだタンポポの綿毛が、やわらかな土の上に降りるみたいに。

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どこから見ても、愛らしい 彩月あいす @September_ice

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